公式Blog・駿台真相編7B-4用下書きorメモ用
【更新履歴】
2025/03/07 15:53から記載
2025/03/11 8:50頃から記載:正式公開は公式Blogで行う。2025/03/12 11:00頃から修正作業中。3/13の0:00~1:38修正の続き。昼過ぎから清書
2025/03/13 16:30下記で正式公開
清書版は下記で公開する
(公式Blog)http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=49837
《◇―1・差別文書を渡された謎―全体のまとめ》
差別文書を渡された解釈は駿台真相編7B-1に以下のように書いている。
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…差別文書を渡された理由の解釈―A段階・駿台講師時代》(A~D段階まである)
★「差別文書」は何の目的で手渡してきたのだろうか。
……
A段階とB段階をまとめれば以下となる。
A段階(駿台講師時代)→既に上記に掲載した。
①私=ぼったくり説
②駿台相手の訴訟阻止説
③部落解放運動の分裂促進説
④ストーカー人間による罠説
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B段階(駿台辞職後から意識回復期まで:1988~1993年末)
⑤「おしん」型映画説。
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★C段階は意識回復から人間違い説登場前までである(1994年~2012年上旬頃)
……
⑤共産党への打撃説
……
⑥私が部落問題研究部に所属していたため、私に対しての差別文書か。
……
⑦罠説
……
⑧永久の世の映画説で、日本共産党首謀の映画説ではないか、という疑問である。
……
★D段階は偽者発見から今日までである(2012年~2024年)
……
⑨私を日本共産党員と思ってのレッドパージ説と共産党攻撃説
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⑩岡映氏攻撃説
……
⑪矢田問題再度説。
駿台講師採用試験の最終面接は矢田部長であった…から。
目的からさらに三つに分類している。
上記の⑨(共産党攻撃)説、⑩(岡映氏攻撃)説、⑲(共産党映画首謀論)説である。
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★Z3との人間違い説。彼が何をしたか不明のため想像は膨らむ
⑫女性問題説
⑬部落差別説→Z3が絡み、万一、彼(Z3)が差別に関係していたならば…から、私を彼と間違えて差別者と思った。
⑭Z家🆚Z家内ミナギ説
⑮暴力団介入説
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⑯☠👺による私の人身売買説:例・Chaplinキッド型等。
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⑰2013年からは安倍晋三介入助長説
⑱2013年からは安倍氏個人の政治的目的への🤡(私)の悪用説
⑲(永久の世の)映画説、更には日本共産党首謀の映画説である。
……
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駿台真相編-7-B1・差別文書問題-2025年見解
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=49263
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現時点で強いて解釈すれば、映画越で駿台も駿台CM作戦で「視聴率を上げる」ためであった。一貫して言えることは、差別文書を渡してきた人間に「何故なのか」を聞かねば全く不明である。
差別文書を渡してきた該当者が動機を言わぬ限り、私は以下のような解釈までさせられるときがある。
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駿台関連者が映画視聴率と駿台CMのために、差別文書を私に渡したならば私がどう反応するかの実験をした。万一揉(も)めたときに備えて、差別文書を差別を受けている人に書かせ、そしてその件を駿台経営陣に事前に伝えて、大騒動にならぬ形でおこなった。
斯様(かよう)な解釈をしてしまう。
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今回からは2019年頃から2024年頃の見解に入る。(下記Ⅱ段階目とⅢ段階目が中心である。)大きく三段階に分類する。
(Ⅰ段階)人間違い説に至る段階での仮説(上記のC段階)
(Ⅱ段階)人間違い説に間違いないと分かってから、人間違いを解消する上での苦労の段階。(上記のD段階の前半)
(Ⅲ段階)この人間違い説に安倍晋三氏が絡んできた疑惑と新たな挑発を策動した疑惑(上記のD段階の後半)
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Ⅱ段階目とⅢ段階目が中心であるが、Ⅰ段階目でも新たな解釈をしたときもあったため、主として岡映氏にポイントを絞り、岡さんグループ壊滅策・日本共産党撲滅策・矢田事件連想説に悪用されかけた疑惑を中心に記す。
その前に、「⑦罠説・岡映氏に絡めて、私が駿台から不当な金を取るかどうかを試しての罠か。」について記しておく。
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《◇―2・岡映氏利用のボッタクリ論遊び―駿台CM編》
第Ⅰ段階であるが、主として岡映氏にポイントを絞り、岡さんグループ壊滅策・日本共産党撲滅策・矢田事件連想説に悪用されかけた疑惑を中心に記す。ただし、超多忙な中で、もはや🎬映画説+🏢駿台CM説が明白である以上、また世界のMr. Hamadaにとって相対的に次元が低い問題のため、2024年末~2025年見解でバッサリ切った後で、2019年から2024年の思考内容を記載する。
まず、岡さんに絡めて「⑦罠説・岡映氏に絡めて、私が駿台から不当な金を取るかどうかを試しての罠か」について記す。
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【★2024年末~2025年見解】
超多忙なため、結論のみを記す。
疑問は、この間「差別問題を悪用して本を売りつける」という挑発があった。
当時、私の書いていた書籍該当は「(夏期・冬期講習テキスト)受験の政経類」、「共通一次対策・政経(現代社会)」などである。それも大半問題集形式である。差別問題を悪用して、こうした本を買わせるという事例などは聞いたことがない。
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更に、上記は駿台や岡山の予備校テキスト類であり、印税ではなく、原稿料として支払いを受けているため、1冊しか売れなくても、1万冊売れても、私への原稿料は同一である。
この種の挑発があったということは、やはり映画説で遊んでいるとしか思えない。
一言で言えば「アホか」となる。
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尚、私が著述業を目指しだしたのは1998年以降であり、差別文書を渡された1987年頃は著述業は目指しておらず、書いた本類は受験雑誌及びお金は印税ではなく、原稿料である。
2015年から連続13冊世に出しているが1冊は無料、残り12冊は全て1冊100円であり、私の取り分は30%前後でしかない。おまけに電子書籍のため一人の人物は一冊しか購入できないシステムになっている。しかも、現在だしている各本は1冊当たり延べ数年の歳月がかかってもいる。おまけに、部落問題とは無関係な書籍でもある。(※注)
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要するに、挑発が幼児というかまともな思考力を持っているとは思えない。強いて言えば「(視聴率稼ぎの)遊び」か(暴力団型の)因縁でしかない。
批判するのも時間の無駄である。人生のロスでしかない。
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ちなみに、この差別文書で大騒動になったと仮定しよう。犯人が不明の場合には、恐らくこうした差別文書が出されるのを放置した行政が悪いとなり、大阪市・大阪府で同和行政予算や施策を増やせという運動となったと想像される。
その善(よ)し悪(あ)しは別として、これが私が見てきた世界である。要するに、私自身のお金とは完全無縁である。
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(※注)(私が書いた)発売中の書籍一覧
http://h-takamasa.com/book-01/
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岡映氏についての解説は以下を参考としてもらいたい。
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徒然なるままに№2・全解連初代委員長・岡映氏との出会い(1)
○http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=5666
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徒然なるままに№2・全解連初代委員長・岡映氏との出会い(2)
○http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=5702
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上記の中に記載しているように「岡映(あきら)氏は分裂前の部落解放同盟副委員長であり、分裂後の全国部落解放運動連合会初代中央執行委員長である。
部落解放運動には幾つものタイプがあるが、岡さんが目指していたのは、アメリカの公民権運動・キング牧師型に限りなく近いタイプであった」。
下記も参照していただきたい。
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三点目は、岡氏を利用して妥当額以上の金を分捕る的(てき)な解釈自体にも無理がありすぎる。何故ならば、岡氏は七二年の衆議院選挙に共産党候補として岡山一区から立候補されており、共産党の重臣がその職にある時に利権獲得に奔走(ほんそう)したというデータは、政治学専門家の私でも、持っていない。依って、新免議員の臭(にお)わした解釈は、理論上も現実面からも、不可能である。第一、既述の如く、駿台に賠償請求すら当時していないため論外である。
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尚、〇六年末に岡氏についてインタネットで確認すると、五分以内で今回記した以上の情報が出てきた。八七年頃はインタネットはなかったが、今日(こんにち)と異なり岡氏が現役で活躍されていたため、今以上に岡氏に関する情報は溢(あふ)れていた。差別文書に関与した人間達は、それらを当然熟知しているはずであり、その上で先の差別文書を手渡してきたとなる。
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「(三)何故この差別文書を私に渡してきたのか」の中の「C・岡映氏に絡んでか」の箇所に記載。
(正式公開)駿台真相編7-B2・差別文書問題2007-10年見解-1
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=49141 参照 公式Blog 2024年2月24日公開)
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岡映氏は駿台事件とは一切無関係であり、岡氏に駿台の「ス」の字も、逆に駿台に岡映氏の「オ」の字も言っていないが、誰かが言わそうという工作をしていた疑惑は感じることがあった。
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同時に、岡映氏については、私の大学時代の恩師・後藤峯雄先生が「浜田君、岡映氏って誰ですか」と2000年前半頃に聞かれたことがある。
次の2025年見解も記しておく。2000年頃に、私のことは既に世界の首脳は知っていた。2000年沖縄サミットでのクリントン大統領夫妻、娘さんのチェルシーさんとの対面を思い出せば良い。他方、岡映氏については、CIAですらノーマークの可能性が高い。その前に名前も知らぬであろう。(※注)
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(※注)(公式Blog 2015/03/12公開)TVでの対話2・マンデラ。(この箇所の前半に2000年・沖縄サミットでのクリントン家族との出会い模様を掲載している)https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=818
私も知らなかったが、駿台講師時代でも私の知名度は世界であったようである。実際に1989年シンガポールやマレーシアに行った際にはそのことを肌で感じた。それが駿台真相編の本質でもある。
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なお、私とやり合うことは15兆円程度の規模の企業ならば数年で10兆円の損失を出すであろう。勿論、私に大義があった場合の話である。そのくらいに私の影響力は強い。他方、岡映氏にはそうした影響力はない。真逆である。現時点まではほぼ例外なしであった。
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ちなみに、私と腐れ縁があった小泉純一郎氏が総理のときに、特措法が廃止(2002年3月)となり、ハンナン事件(2004年)、飛鳥会事件(2006年)が火を噴いた。全て小泉政権のときである。だが、岡映氏には一瞬にしてこうしたことを行う、斯様(かよう)な力まではなかったかもしれない。勿論、私はいずれにも関与していない。なお、人権擁護法案は小泉純一郎内閣で2002年に提出されている。私は岡映氏とは比較にならぬ政治家を何人も知っている。それも日本のみか世界中で知っている。
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私への加害者は今なお不明であるが、特定できた場合には有権者・消費者動向、更には世界の後押しの下で、加害者には天誅が加わるであろう。今ですら、加害者が分からないだけであり、かなり天誅はくだっているであろう。
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《◇―3・岡映氏に相談していたならば?》
なお、岡映氏に相談していたならばどうなっていたかの仮説は下記に記しているが、2024年末から2025年には仮説は変化している。結論だけ述べ、後で解説を付け加える。
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【2024年末~2025年見解】
もし、岡さんに相談していたならば、言われたことは2019年~2024年途中までに思った見解ではなく、次のようになっていた。
「浜田君、それは人間違いが原因だ。相手に人間違いをしていると言っておきなさい」である。岡映氏や(岡山県英田郡)美作町(現・美作市)などは途中から人間違い問題を知っていたと分析される。1998年には、岡映氏は暗にそれを示唆されていた。
岡山県英田郡美作町の一部に至っては、1990年代初頭頃から、「人間違い」騒動で視聴率をあげ、美作町(美作市)の繁栄に少しでも役立てようとしていた疑惑がある。
これらの根拠は駿台真相編7-B5等で記す。
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上記の明白な事実(岡映さんも人間違いを知っていた)をまだ気づいていなかった頃に、延々と考えた箇所も下記に参考までに軽視しておく。
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(2020/10/11 3:19~4:48:2020/10/17 21:04から修正及び清書)
この文書を万一岡映氏に渡していたならばどうなったか。
岡さんが指導していた全解連は、糾弾闘争を否定しているグループである。(ただし、戦前などでは事情が違うと言われると解釈している。)更に確認会すら中止に傾いていた時期である。
そのときに、支離滅裂な形で書かれたこの文書ならば一切動かれなかったであろう。
せいぜい、「浜田君、良い弁護士を紹介するのでそちらで相談して」であったと思われる。(なお、この箇所は下記Twitterの如く一部訂正している。)
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その根拠は、私は卒業直前(1971年3月)であったが、高校二年のときの担任教師(公式ブログ・徒然№1に登場の教師)に誘われ、岡さんグループ(当時は部落解放同盟正常化連と言っていた)の確認会を見学に行ったことがある。(※注A)
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正常化連の確認会では、今、記憶にある範囲では激しい糾弾はなかったと思う。私が見た範囲ではつるしあげのような状態はなかったと記憶している。部落差別をした事実確認と、今後差別はしないという確認だけだったと思う。なお、このデパート(天満屋)では、同和地域のみならず、「シングルマザー(当時は母子家庭となっていたと思う)」でも採用はしないという内規があったと、そのときに聞いた記憶があるが定かではない。
そうした差別もやめるという確認をしたと思う。
差別で不採用ということも大問題であるが、通るかもしれないと交通費や宿代を犠牲にしてくる入社希望者を思うとやりきれない思いがしたことを覚えている。
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ただし、私が見たのは1971年3月の一日のみである。同時に、正常化連と別に部落解放同盟が糾弾闘争などをしていた場合には、私は見ていないため、何も知らない。
私が知っていることは以上の通りである。
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その後は、1974年の八鹿高校事件などがあり、更に、糾弾闘争は否定していったと聞いているが定かではない。なお、駿台で意味不明の差別文書を手渡された頃(1987年11月頃)は、確認会自体も中止の方向になりつつあるとも聞いた。
しかし、駿台講師時代には、完全党派中立・宗派中立のため、岡さんグループの方針や動き方も知らないため、気になる場合には、正常化連・全解連の後継組織である全国人権連(全国地域人権運動総連合)の方に直(じか)に聞いていただきたい。
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また現行法ではこの意味不明文書に対しては処罰する方法はないように思われる(この箇所も下記Twitterで一部訂正している)。(※注B)
要するに、私に手渡してきても意味はないということである。
催眠もあり、何故、斯様(かよう)な訳の分からぬことをするのかと、アパート内では呆気(あっけ)にとられて苦笑した程度である。
電話などでIT氏に相談する際にも同様な対応をしたかもしれない。
恐らく催眠的な感情からであろう。
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※注A:(公式Blog)徒然なるままに・第一回高校2年時の担任U先生の思い出
:https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=4933
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※注B:下記の如く「私への脅迫罪」となっていた。特に、駿台真相編7Cなどを読めば分かるが、外での掲示犯罪と駿台内での業務妨害(これも刑事犯罪でもある)がセット(共犯)となっていたことからも、明白に脅迫罪であった。
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(公式Blog)駿台真相編7-B3・差別文書問題2007-10年見解-2
https://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=49143 公開 2025年2月26日
この中の下記等を見れば脅迫罪が分かるであろう。
《(4)【2025年資料―1】(新免昌和議員に質問した「共産党映画説首謀論関係の質問書」とその返答の公開)》の中の添付画像「shinmen-003」などを参照。
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《◇―4》岡映氏の名が何故、駿台で臭わされたのか?鍵は弁護士。
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【2024年末~2025年見解】
徐々に人間違いが危害の要因の一つと分かるにつれて、豊田弁護士が関与していたか・どうかは不明となってきた。
この弁護士に相談した(1987年夏過ぎ頃)後で、(1987年秋)駿台内で差別文書を渡されたが、意味不明であった。それどころか、2000年以降に、逆に、私が部落差別に関与したという印象操作がなされたが、それは真逆である。
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私は、特に、当時は苦労人を好む傾向にあった。そこで、部落差別とは無縁どころか、逆に差別解消の側である以上、部落問題を臭わされれば、岡映氏との関連しか思いつかなかった。だが、岡氏の名は駿台内では一切だしていない。岡映氏の名をだした場所はこの弁護士事務所(岡山合同法律事務所)だけである。そこで、相談した豊田弁護士を長期疑っていた。
同時に対応が不自然でもあった。その結果、一度、この弁護士に実状を直に聞きに行こうと思って消息を調べると「死亡」となっていた。
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ところが、後に人間違いが原因と分かりだすと、岡映氏と無関係に差別への仇討ちを目的とする罠で、差別文書を渡されたという解釈も成り立ってきた。(もし、私の偽者が部落差別をしていたならば…という仮説の下での話である。)即ち、駿台内では私がやめるまで、岡映氏と私が知り合いということを知らなかった可能性もでてきた。人間違い問題をだされると、被害原因は更に全く不明となる。
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それでも、この弁護士の歌舞伎役者型演技「ジー」と顔をのぞき込み、「ウム~」…は不自然であると同時に、1984年晩秋の横家と後藤の演技、更には1987年の森脇課長の演技と同一のものであったことだけをここでは強調しておく。ともかく、何が何やら不明であるが、山田洋次監督の映画「男はつらいよ」型ならばこの弁護士等も協力する可能性はある。
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上記の人間違い問題をまだ事実と判定する前の2019年~2021年頃に延々と考えた箇所も下記に参考までに掲載しておく。
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岡映氏については、駿台内で岡映氏の名もだしたことはないし、岡映氏に駿台の件を相談したことも一切ない。すると何故岡映氏を臭わされたのか。
後に思い出したのは、弁護士事務所の件である。
駿台内での刑事犯罪被害を止めさせ、駿台での原状回復を図るため訴訟しかないと思っていた時期である。そのときに弁護士に相談に行った。そのときに岡映氏の名を出したのが勘違いをうんだ可能性がある。弁護士相談は1987年秋である。
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どの弁護士に相談してよいか分からなかったが、当時、何らかの膨大な力での圧力を感じており、そうした圧力に屈しない弁護士を考えた。そのときに、たまたま購読していた「赤旗日曜版」に広告か何かに掲載されていた法律事務所を考えた。
そこで、こうした圧力類に強い感じがした岡山合同法律事務所を思いついたと思う。{赤旗日曜版にCM掲載されていたという記憶があるが、記憶間違いならば、下記平和書房で教えて貰ったか何かであろう。}
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たまたま購読していたとは、単なる偶然からの購読でである。
駿台で教えていた政経の教材やテーマを探していた。そうしたときに、岡山市にある本屋(確か平和書房という名だったと思う)に変わった本を探しに行った。この頃、岡山でよくいく本屋が丸善であり、大阪が旭屋と紀伊國屋であったが、地元岡山で珍しい本(例:世界政治資料)などを求めて平和書房という本屋にも行っていた。そのときに、この店の主人が広島である広島原水爆大会の案内をされた。1985年夏である。
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そこで、授業のヒントを求めて藁にもすがるつもりで、広島での原爆…大会(正式名称は後日調べて記載:当時の写真を見ると「原水爆禁止1985年世界大会ヒロシマのひろば」と記載あり)に参加した。知り合いは当然ゼロであり、一人でウロウロしていた。行きは新幹線を利用して一人でいった。
帰りに、偶然、岡山方面に貸し切り電車があると聞いたため、それに乗せて貰った。そのときに名前と住所を書いた。その名前と住所を元に、赤旗新聞の購読を勧められた。
日刊紙まで読む時間がないため、それでは日曜版だけをとることにした。この頃、赤旗日曜版は350万部?近い部数で週刊誌的な感じもしており、また経済解説コーナーがあったため教材も兼ねて購読をすることにした。いわば義理型だった。
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多分、1985年の終わりくらいから購読したのではなかろうか。
なお、赤旗日刊紙は68年間の人生中、1975年夏前頃から80年までの間に空白を入れて5年弱購読しただけである。ただし、金銭問題などから学問的優先順位より、それ以外は購読したことはない。81年からは偶然見た2~3回を除けば一切見たことすらない。政経専門家としては自慢の逆であるが問題を整理するため敢(あ)えて記しておこう。
赤旗日曜版はこの1985年から87年末頃までと、実家に戻ってから義理と政経授業関係のため、1990年頃からベネッセ模試チェックを止める2002年前半頃まで購読したのではなかろうか。
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まさに政経専門家とすれば「恥」でしかない。しかし、金銭問題・時間問題から、同じリベラル系ならば、「世界政治資料」「(雑誌)経済」(いずれも廃刊か?)あとリベラル系英字紙購読(名称は後日調べる:今、インタネットで調べると「Japan Press Weekly 」のようである。これを郵送購読?)などを優先したのである。2002年頃からは金銭苦で全て購入していない。これらについては、公式ブログの下記を参照されたい。
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(2020/10/11 1時頃~3:09の間:下書: 2020/10/17 19:45から微修正・清書)
駿台の件で、大阪校に異動してから刑事犯罪被害が起こってきた。この時点での解決策は、裁判所しかないように思えた。偽証罪が通用する場で、第三者による公平な判定を求める。勿論、中心は女性問題ではなく、刑事犯罪被害問題である。それが一番公正で、民主主義と思えた。
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こうして裁判を目指すや、今度は学外での刑事犯罪被害が加速してくる
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ところが、合同法律事務所に相談に行くと、弁護士は私に対してかなり警戒というか疑惑を抱かれているような対応を取られた。当時は、Xグループか何かがこの弁護士に私の件で嘘を言い、この弁護士が私に対して疑惑・不信感を抱かれているように思えた(今考えてもそうである)。
そこで、赤旗日曜版に掲載されていた弁護士事務所なので、ひょっとすると「岡映」氏の名前をだせば、私に対する警戒心はとけ、私の言うことを信用してくれると思った。(正確にはそう思わされた。)
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この弁護士を信用させるために、岡映氏の名前を外で初めてだした。多分、「もし、私に不信感を持たれているならば、私は岡映氏と何回か食事をしたことがあるので、岡氏に私のことを聞いてもらえれば不信感はとけるだろう」というようなことを言ったのではないかと思う。駿台関係で、外で他人に岡氏の名前をだしたのは、これが最初で最後であった。
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ところが、そうした話をすると、この弁護士は逆に私への不信感を丸出しにしたように思えた。何故か、さっぱり分からなかった。
特に、法律相談を終え、一階に降りると、この弁護士が先回りをして、私の顔を覗(のぞ)くように様子を見に来た不自然さを覚えている。
もし、駿台の?とかXグループが「岡」氏の名を私が出したのを知ったならば、このときに盗聴したか、この豊田弁護士がXグループの誰かに喋ったとなる。だが、後者は弁護士には守秘義務があるため、それはなかろうと思うのであるが。
それまでは、このとき以外には、岡氏の名は駿台に絡む件では登場することは一切なかった。
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(2020/10/11 3:19~4:48。 2020/10/17 21:04から修正及び清書)
この話を拙著『閉じた窓にも日は昇る』のペーパー版を2008年に書き{原稿は幾つかの出版社に送付したが、残念ながら出版には至らなかった。ただし、2016年には電子書籍でAmazonから百円($1)で発売}、更に『同上書・増補版』2010に、この弁護士への感想を書いていると、当時の民主党政権大黒柱の一人であった仙谷由人氏が、この原稿をどこかで入手したのか苦笑いをしていた。
この弁護士の一番の専門は小作争議であるという箇所であろうか。この話もどこかでしよう。
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《◇―5》突如の差別文書の謎
(2020/10/11 3:19~4:48:2020/10/17 21:04から修正及び清書)
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【2024年末~2025年見解】
差別文書の件は幾ら考えても動機も、意味も全く不明である。一番良い回答は、立会人を連れて化学のK先生(北山一先生)に直に聞きに行くことである。2021年頃かその前年度の駿台夏期講習に北山一先生の写真付きパンフレットがあったため、一度行った方が良いと考えていた。
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しかし、もはや世界のMr. Hamadaであり超多忙と重要事項が山積していること、それ以上に挑発と催眠で身動きがとれなくなっていた。そのときに、まだパンフに名がでているのだから、今すべきことをこなしてからでも大丈夫と思っていた。とにかく、駿台に閉じ込めておいてくれ、と。そうすれば北山氏の住所がいつでも分かるから。
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ところが、2022年度頃には駿台関連の記事の中で、名が消えていた。そして、2023年終わりには「北山先生の冥福を祈ります」というX.comを見た。これでは手の内ようがない。だが、死亡は嘘で生きている可能性もあり、そのときには立会人をつけて直に本人にどういう意味なのかを聞くことが望ましいと考えている。
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同時に、「駿台真相編」を書いていると、これは危害が大きいと思い出し、ケリを付けた方が良いとも思いだした。そうした問題の解決場所としては裁判所がふさわしい場所の有力候補となる。
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話を元に戻そう。この弁護士(豊田弁護士)には相談したが効果がなく、結局、自己訴訟を考えて、一人で岡山地方裁判所に行って相談したが、恰(あたか)も門前払いの如(ごと)くであった。いや門前払いであった。
ともかく、営業妨害、(特に学外であるが)刑事犯罪被害を止(や)めさせないと仕事にはならなくなっていた。訴訟の目的は実体面での原状回復を目指していた。
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しかし、訴訟を止(や)めろといわんばかりに各種脅迫、危害は増加していった。もっともこの頃の危害は「訴訟を止めねば、止めるまで脅すぞ・生活を破壊するぞ」と感じたのに対して、今は各種脅し・営業妨害・デマの流布(るふ)…と激しい攻撃は続くが、何を目的にしているのかさっぱり分からない点に違いがある。今は何であろうか。
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「訴訟を止めろ」→駿台相手への訴訟類は駿台辞職後よりは一切していない。
「賠償を諦めろ」→賠償請求は駿台時代を含めて今日まで一切していない。
「駿台女性に手を出すな」→最初から指一本触れていない。ましてや駿台女性と付き合うことなどは一切考えていない。
「駿台に戻るな」→年齢のみならず、その意思は今は一切ない。
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それでは、何のための脅しであろうか。何度「犯行声明を出せ」と言っても出さないのでさっぱり分からない。40年近く、何故被害を受けるのかがさっぱりわからない。まさに「ちんぷんかんぷん」である。
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さらに、今考えると論理矛盾をしている。
私を駿台から放逐(ほうちく)するならば、脅しでなくても幾らでも手はある。マイナーな政経の非常勤講師である。
「入試教科調整の関係で政経講師は必要ありません」、「大阪在住でなければ無理です。毎回岡山からかようのでは無理です。」…など簡単な手が山ほどある。しかも、訴訟などの危険性のない安全な手も幾つもある。
それでは何故、脅しや、営業妨害、不法行為をしたのであろうか。すると動機は訴訟妨害ではないとなる。ましてや、駿台辞職後、更に、訴訟活動を一切停止した後は尚更動機はない。
この謎はしばらく置こう。(もっとも回答の一つが人間違い・ひとまちがいである)
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なお、この件の後しばらくして、顔も知らない生徒が、駿台大阪校内で「化学のK先生からの贈り物」と言って意味不明の差別文書を私に手渡してきた。
内容は差別語句のオンパレードであるが、意味不明の書き方となっている。
さてこの文書をどうしたものかと思案にくれた。
岡映氏に相談しようかと思ったが、友人のIT氏が「岡氏は今は部落解放運動分裂の件で大変である。今、斯様(かよう)な相談をするときではない」というアドバイスで相談はしていない。結局、岡映氏が死亡するまで、岡氏には駿台で手渡された文書の件は一言も言っていないし、駿台の「ス」の字も言っていない。逆に駿台に対して岡映氏の「オ」の字も言っていない。
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《◇―6・矢田事件と共産党撲滅説》
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【2024年末~2025年見解】
本文を読めば分かるように、映画説で決まりである。
ただし、シナリオは全く不明である。筋書きのないドタバタ劇ならば意味は分かるが、筋書きがあると言われれば、西山事件から41年目となるが、今なお意味不明である。このままでは死ぬまで意味不明であろう。
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直感では部落解放同盟は絡んでいないとしか思えない。第一、大義があれば、声明文を出すはずであるが、何度出せといっても何も書かない。
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なお、悪戯Mailが今なお来ているが、世界のMr.Hamadaに来るMailは世界のスパイ網が全て見ているし、彼らは必要時には調べてもいる。そうした危険な行為を平気でできる輩は誰だろうか。それ抜きでも、私への危害は有権者・消費者に多大な影響を与える。
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巨大企業ならば、私を悪用して数千億円か兆単位稼げるであろうが、問題が発覚したときに消費者などによる天誅でその数倍損益を出すであろう。企業経営や組織運営に関与している人間がそうした無謀な行為を平気でできるとは通常は思えない。
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矢田事件を知らない読者のために、矢田事件についてWikipediaより、解説を抜粋しておく。
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矢田事件(やたじけん)とは、1969年に大阪市で発生した、同和問題を背景にした暴行監禁事件。
共産党員である中学教師に対し、部落解放同盟(解放同盟)が糾弾を行い、法廷闘争に発展。いわゆる「糾弾権」の存否が法廷で争われた。
本件の背景には共産党と解放同盟の対立があった[1]。本事件を契機に、1960年代半ばから燻り続けていた解放同盟と共産党との対立関係は決定的なものとなった。八鹿高校事件など、解放同盟による反対勢力への一連の襲撃事件の嚆矢であり、戦後部落解放運動史上きわめて著名な事件である。
別名、矢田教育事件。解放同盟は矢田教育差別事件と呼ぶ。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E7%94%B0%E4%BA%8B%E4%BB%B6
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木下氏の挨拶文が差別文書か否かで大事件となり、部落解放同盟が事実上分裂するにいたった事件である。
だが、私の場合にそれを当てはめるには百パーセント無理である。
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木下氏は日本共産党員であり、日本共産党及び関連グループが前面にでてくることになる。だが、私は、その頃は日本共産党とは全く無関係となっており長期経っている。よって、共産党関係者は全くでてこないどころか、救済依頼を出しても、無視が事実であった。
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もっと、大きな相違は、以下である。
部落解放同盟が木下氏に対して(共産党の言葉を借りれば)攻撃、解放同盟の言葉では糾弾をした。しかし、実は、糾弾対象(攻撃対象)となった木下浄氏は別人であり、彼はその頃、アメリカかどこかにいて全く無関係であったと仮定しよう。
これが、私のケースである。
即ち、人間違いが全てである。
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この仮説を思いついたのは2024/06/15頃であり、それまで何がなにやらさっぱり分からなかった。実に部落問題…といわれても40年ほど意味不明であった。強いて解釈すれば、筋書きのないドタバタ劇の続きか…でしかなかった。
もし、この仮説が事実ならば、該当者は全員、土下座して、私に謝罪するしか術はないであろう。
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勿論、この仮説が正しいかどうかはまだ不明である。
多分、就寝中に催眠で教えられた解説でしかない。
未だに、何だろうか、が本音である。
詳細は駿台真相編-08で分かる範囲で記そう。
分かればの話である。誰かが解説せねば分かるはずがない。
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なお、世界の首脳から注意があったのは、駿台事件以上に、同一住所番地二軒問題(浜田稔・正典氏を連想)、偽者が圧倒的に多く、一部は電話帳(浜田稔・千代子・正典家連想)、一人だけ携帯電話注意(1997年1月の交通事故広瀬健二氏を連想)であった。
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(2024/06/16 12:00 記述)
最近、想像させられている謀略。
映画説グループと駿台CM関係者が、部落解放同盟を利用して、第二の矢田事件を捏造しようとしたのではないか、という疑惑である。
事実か否かは知らない。
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(2025/03/11 13:40)
どこかの原稿で記したが、駿台講師採用試験(1981年)のときの採用官の一人が矢田祐三部長であった。次に、1984年1月に催眠で西山熱を上げさせられたが、抵抗できるゆとりを故意に与えられていた。どうせ、思い切ってだすならば、駿台講師になる前の真備高校教壇で同僚であった木下先生(もう結婚して名字は違うと思われるため当時の名字で記述)の方が良いと思ったか思わされた。思わされたとは、その頃はまだ水俣で出会った女性を捨てきれない頃である。
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だが、やはりやめようと思うや、岡山駅から庭瀬駅行きの電車で偶然出会う。前にも後にも、こうしたことは一度もなかった。それならば出そうで手紙を出した覚えがある。返答は当然ない。当然とは脈があれば真備高校講師時代にアタックしていた。これは偶然ではなく、仕組まれた芝居であろう。
「矢田」の次が「木下先生」と。
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尚、彼女が珍しく女性週刊誌を持っていたのが気になった。彼女でも女性週刊誌を読むのかと不思議に思った覚えがある。
木下先生に手紙を出そうか→突拍子もないのでやめよう→即、電車の中で出会う。それも10両以上ある電車で同一の車輌の中で→それでは、やはり出そう、となった。
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上記とのアナロジーが(駿台講師室係)西山美千代氏であった。
西山に手紙を出せという催眠→住所・電話番号どころか名前も知らぬので出せぬ→即、西山美千代と書かれた物差しが私の目の前にあった→それでは出そうかと思ったが無理であった。住所が不明→催眠が「学校で渡せ」で、昼食時間中に講師室内の横にある小さな部屋で待機していた。通常は地学の先生などがいることが多い場所であるが、この日に限って偶然に誰もおらずに手渡せた。
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こんな偶然はある訳がなかろう。
しかも、西山は私の同級生から「京都女子大」「山埼」「好きな振り詐欺」と予告済みであった。彼女も京都女子大卒であった。
ちなみに、水俣で出会った子は刑事犯罪激化直前の1987年夏に岡山で出会ったと思う。湯浅さんとデートの約束…で、無視しか方法はなかった。
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(2025/03/13:12:13追記)
北山一先生からの差別文書を利用しての矢田事件は起こしようもなかろう。私はあの文書は差別文書と断定。恐らく解放同盟も同意見と思われる。更に、当時の全解連や日本共産党も同意見と思われる。一例をあげても、就職差別を合理化しようとした記載があった。よって、あの文書での対立は起こらない。
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そこで、あの文書を利用しての日本共産党撲滅計画は無理である。だが、その前に、既述の如く、駿台講師時代は私は日本共産党員ではない。ましてや、大きな京都校(当時は京都は日本共産党のメッカともいわれていた)があったこともあり、駿台教職員内に日本共産党員及びその支持者はかなりいたと思われるが、彼ら・彼女らが被害に遭っていない可能性が高い。可能性とは、私は駿台予備学校で誰が日本共産党員で、誰がその支持者かを全く知らないからである。
現時点での結論は、映画説と駿台視聴率稼ぎのために、駿台関係者が駿台のために仕組んだとしか解釈できない。
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次回の予告。
駿台真相編7B-5・人間違い説登場。
次回の駿台真相編7-B5から人間違い編に入る。
駿台を辞職(1988年2月)するや、即、川端三郎先生(駿台生物の講師)の偽者、岡山の予備校講師で京大卒のT先生の偽者、…友人高橋氏の叔父が別人に入れ替わり(1988年3月)で一気に偽者が強調されだす。詳細は次回記すが、本日(2025/03/11)か明日(2025/03/12)頃から医療・病院遊びゲーム被害を記す関係で、駿台を辞職してから大吐血をして入院した原田病院(湯郷)の件を書いておく。
この病院が如何に訳ありかは徐々に分かるであろうが、今回は、🚺木下、🚺西山同様の事例を記しておく。
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この病院に通院中に意識後退期があった。そのときに催眠問答があった。
「お前はどんな女性が好みか」
🤡「小学校の頃に、同じ村にいた中島さんが良い。(もう結婚して名字は変更しているため昔の名字ならば問題なかろうということで昔の本名で公開。)
。苦労したようで学校も転校続き…お爺さんもここで商いをして…。あの小さな場所で。あのような苦労人が良い。顔も可愛かったし、性格も明るい。今思えば、理想の女性であった」と返答した。善(よ)し悪しは別として西山美千代とは真逆のタイプと思われた。
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すると、即座に、中島さんが看護士として原田病院に登場した。そして、私の名を同じ村の同級生の名で呼んだ。(ここでも人間違いが強調されていた。1992年頃と思う。)
「M君だったね」と。小学校、中学校同一(ただし彼女は何度も転校しては戻り…)で高校にもいっときいたような気もするが途中からいなくなっていた気もする。小学校のときは何度かクラスも同一であった。彼女は私を「たかまさ君」と呼び、私は彼女を「●●●さん」(ファーストネーム)と呼んでいた。そして同一の村・位田在住である。間違えるはずがなかろう。勿論、彼女の注射類は痛みの「イ」の字もなかった。
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ちなみに、彼女でなくても注射類はほぼ同様であるが、たまに例外がいる。極端な例外は更に少ない。しかし、(入院患者数…人、外来膨大…→スタッフ数…人は話がそれるため今は無視するが)看護士が2人いて両方「痛い注射の名人を複数揃えようと思えば、スカウトせねば無理である。貴重な骨董品集めと同様である。中島さんを呼んだように、偶然の確率はほとんどない。
4人ならば自転車のチェーンの番号と同様の組み合わせとなり、偶然の確率は1万分の1である。看護士の場合は更に低い。一人ならば偶然の確率もあるが、二人以上では偶然の確率は期待できない。噂を聞いてスカウトするしか方法はない。同様に、中島さんも、私が名を出したので、スカウトされて臨時できたのであろう。彼女が、私を別の人の名で呼んでから、暫くして、あっという間に原田病院から消えていた。
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原田病院の真似をしようとした幾つかの病院関係者よ。
自力で、私が名をだした女性をすぐ呼ぶ…の真似ができるか。しかも、彼女の実家は下記の如く、とっくの昔にない。消息調べは組織的に行わねば無理である。
彼女の住んでいた住所跡の写真を下記に添付しておく。この記念碑の辺りに家があった。なお、原田医院(湯郷:かなり前から閉鎖)については別原稿で記すが謎はこんな比ではなかった。
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次回からは、大昔からの人間違い指摘の跡、後には「人間違い」示唆のオンパレード、更には人間違いをとくときの妨害三昧などを記していく。恐らくZ3との人間違いであろうが、Z3が何をしたのか不明のため、ちんぷんかんぷんはかなり残っている。
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(本題を外れるが)現時点での総合解釈。
医療関係も駿台同様に三重構造となっている。
即ち、α)医療機関と本当の病気、β)別に挑発・罠・工作と。その土台でγ)催眠使用である。
今、目で言えば、α)本当の目の病気と不可解な医師の対応、他方、β)目がねのミキに見られるチャップリンキッドの世界(特に、2016年11月の長崎のホテルの件参照)である。更に、γ)催眠使用で目を眩(くらま)された。あるいは、目に関する文書を延々と書かすとなっている。
この三つを絡めての話題提供である。
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駿台講師時代で言えば、α)駿台内での業務妨害と駿台外でのβ)刑事犯罪被害、γ)西山への催眠熱の如く催眠使用とこの三重奏である。同時に、裁判所や警察も動かない。山田洋次型映画の関係であろうか。今ならば県も同様であるし、市に至っては市の発展のために、映画に協力しているとしか思えない。
今も同様の三部構造となっている。
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論理上からでてくる結論は、映画説への話題提供(視聴率稼ぎ)に医療機関も加担している、となる。私が言ったことが事実か否かの実験などをすることは人権侵害であり不可能である。ましてや、30年近くとなると、これは話題提供としか分析できない。その上、該当者に直に聞き、私の見解と食い違いがあれば私にも直に聞くという方法があるにも拘(かか)わらず、そらは無視である。
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そこで、政府も動かない。日本共産党が強調されるが、日本共産党も国会などでは一切、私の件を取り上げない。国会で一度取り上げれば大きく、私の人権回復は動くが、一切取り上げない。何度、書留送付をしたであろうか。これは他の政党にも言える。赤攻撃…は欺瞞(ぎまん)である。
赤攻撃が一切なかった、1999年、2000年、2004年に日本共産党に何度救済依頼をしても無視であった(ただし、他の政党も同様である)。それどころか、1987年末も同様であった。
多少なりとも、私の人権に関心を示したのは日本よりアメリカが先であった。それが、私が国内よりも世界に関心をもつようになった理由の一つでもある。
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私が催眠状態になるのを、2025年2月の位田自治会総会では事前に何人かが知っていたとしか分析できない。今考えれば、同様の雰囲気が駿台時代にも幾つもあった。何人かは催眠で…した。さあどうなるか、楽しくて仕方がない。何人かはどうなるか興味津々としか思えないことがあった。
すくなくとも、1985年夏に横家さんに、催眠で(意味不明の)「待っててほしい」と言わされたときには、彼女が事前に指示されて、その準備をしていたとしか分析できない。私の方は何も言う予定がないどころか、彼女が教師パーティの受付に来ていることすら知らなかったのだから。
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駿台事件は思い返すのも気分の悪い、ましてや書かされるとなると時間のロスと更に気分の悪い思いをしている。あの世があるのだろう。この世だけならば、あんな出鱈目な世界、こじつけの限度を超えた世界、授業(プレゼンテーション)技術を求めて行ってドタバタ劇に強制参加させられた、無の人生しかなかったことになる。私の生存は「無」であったとなる。