求め続けて第3部補章―3「岡短」での授業破壊活動被害と各種工作事件―(1)ポリテクカレッジ岡山豹変

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求め続けて第3部補章―3「岡短」での授業破壊活動被害と各種工作事件―(1)ポリテクカレッジ岡山豹変

【更新履歴】

2022/12/29 23:53 下書

2022/12/30 15:48 正式公開


 

構成】
《◇―序・授業の場を奪われ、生きる権利を剥奪されたポリテクカレッジ岡山時代》
《◇―1:駿台辞職とポリテクカレッジ岡山及び勤務校での全ての豹変》
《◇―2・体当たり人物は学生Sの名を語った偽者の証明》🆕
  ―今回新証拠を提出。

《◇―3・未曾有の大流血事件を強制的に回避された話》🆕
《◇―4・精神破壊へのポリテクカレッジ岡山の波状攻撃》
《◇―5・私が英語ができるか―…であることが専任詐欺にあった証拠》🆕
《◇―6・駿台事件との関連性と差別》🆕
  ―私が終始一貫して臨む物―民主主義に基づく裁判での解決―

 

後日、催眠で書かされた箇所は理由をつけて訂正する。

《◇―序・授業の場を奪われ、生きる権利を剥奪されたポリテクカレッジ岡山時代》

1983年からポリテクカレッジ岡山という学校に、是非専任にと誘われ、教壇に立つ。
駿台予備学校講師、岡山の予備校講師、進研模試監修と併行して教壇に立っていた。駿台予備学校を辞職するまでは、職員は私には丁寧(ていねい)であった。
学生も、私には逆らう学生は皆無であった。やり甲斐(がい)は余りないが牧歌的な感じがする上に、「専任」「地元岡山」「国民年金ではなく厚生年金」という口説き文句が効き、この学校でも勤務をしていた。お金は交通費無支給、更に当初(1983年度)は50分2200円であった。当然行くはずがない。完璧な詐欺に引っかかった次第である。

詐欺の模様は後日掲載する。なお、担当教科は法律学と経済学であった。それでは何故英語か、その話をすれば詐欺状況がさらにはっきりするであろう。私が言ったのではない。学校側からの要請である。これは後に語ろう。
※駿台の方は1982年度50分6000円、辞職する頃(1987年)は50分9千円余り、夏期講習などは50分14000円、更に毎日出張手当が3500円ほどあり、一時金も、休日保証もあり、ホテルは言うまでもなく交通費は新幹線グリーン車待遇…であった。


《◇―1:駿台辞職とポリテクカレッジ岡山及び勤務校での全ての豹変》
1988年1月下旬か2月上旬に駿台予備学校を辞職すると、その他の勤務地の教壇も全てガラット激変した。
授業の場を完璧に奪われることになる。その後、今日まで授業の場は実質的に奪われたままとなっている。実に34年の長きに亘る、人権侵害である。

駿台辞職後の1988年4月からは以下となる。
岡山の予備校の政経の授業では前年度の生徒とほぼ同一生徒がそのままいた。当然、同じ授業をしにくい状況におかれることになる。
ポリテクカレッジ岡山では職員が突如契約違反をし始める。契約違反内容などは拙著『恐るべき労基法違反』(無料配布中)を読んで頂きたい。更に、各種罠工作が開始する。学生も突如私語や学習態度の乱れが起こる。
1989年度に至っては、授業中に私の声が通らぬくらいに授業が騒がしくなる。
偶然では一切ない。

具体的状況は『前掲書』に譲って今思う結論のみを記す。
誰かに職員が買収され、故意に契約違反を開始した。
誰かに学生が買収され、故意に授業妨害を開始した。
誰かに依頼された偽者が学内に侵入して計画的に授業破壊を開始した。

職員との問題では各種労基法違反、契約違反、週一齣通告(往復200㎞の所に月に四度行き、実質月収1万未満、やり方一つでは年収1万円未満の脅しを兼ねていた)をしてくる。労基法1条(人たるに値する生活)への挑戦である。

学生の方も、ついには授業中に何度あてても無視する漫画読み学生が登場してくる。
詳細は省いて、この大攻撃の後で、大吐血となる。(20時間以上の吐血で、即、40日入院を宣告される)
病名は十二指腸潰瘍であったが、後に自律神経もやられていたことが判明した。

そして、その後は認知症状態というか、うつ病を激しくした状態に陥る。気力も、商売道具の脳も機能しなくなる状態となる。
その間に、今度は世取山清課長によって、契約したコマ数の半減をなされた。簡単に言えば、契約年収が100万円ならば50万円と一方的にされた。しかも、それはその後、約4年続いたため、被害額は200万円となった。さらに、そのときの心労から今度は30時間を越える吐血で、60日入院を余儀なくされる。
その間、細かい労基法違反、所得税法違反、各種契約違反は頻繁に行われていた。
私はこの時事実上死んだのである。


ところが、1993年の大吐血を経て、奇跡的に脳が蘇る。何故蘇ったのかは私にも不明である。
こうして、1994年を迎える。

1994年度の学生はおとなしかった。問題行動も皆無と記憶するし、当時の記録もそうなっている。

1995年度は少し違う。前半はおとなしく、後半になると突如豹変した。豹変したとはいえ、授業妨害の類をする学生は皆無であった。体当たりに類することをする学生も皆無であった。
少し、逆らったように思えた学生に言ったことがある。
「お前等、誰のお陰で単位が取得できていると思っているのか。私が相当下駄を履かせているおかげだ。君は、…なので、一切下駄は履(は)かせない。もし59点ならば59点とする。ただし、高得点でも一点も減点はしない。万一、80以上ならばその通りに優とする」。
すると、その学生が本当に優をとった。
そこで、私も一言言った。
「私も教師冥利(みょうり)に尽きる」と。
該当学生は苦笑いか、「苦」抜きの笑い若しくは笑みをこぼしていた。この話は拙著『閉じた窓にも日は昇る』(Kindle、上下各百円)に記載している。実話である。
後半豹変したと言ってもこの程度である。当時の学生に聞けば覚えていよう。

この95年度に(後の97年度に体当たりしてくる)S学生がいたそうである。馬鹿馬鹿しい。ありえない。その話は後でしよう。

95年度学生は前半おとなしく、和気藹々(わきあいあい)となった後で豹変すれば面食らわされる。心理学的に計算された攻撃でくる。当然、外部からの指示で行われたと分析している。

96年度学生は、4クラスマチマチの学生をいれてきて、一回の教材で四回リピートすればすむところを四クラスバラバラの教材研究を強いられる。労働の強化である。恰も、一クラスは早大の学生、一クラスは元気の良い高校の生徒、一クラスは園児の如く行動…という形である。給料に対して労働は四倍に強化された。

97年度学生は各種実験を目的に様々な問題行動や無理難題をふっかけてくる。その都度、私が回答か若しくは裁定文をだした。ときには学生達は奪うあうようにそのプリントに突進した。要するに、こういう行動をしたら浜田先生ならばどう行動するか、それを目的に各種挑発を繰り返すのである。
ときどき、事務員室の外側の箇所で恰も教員と思える集団が、その風景を遠方から見て、教育指導の研修をしている雰囲気を随所で感じていた。その直前に、親友でもあり関学先輩でもあるTI氏が「おい、いい仕事があるぞ。学校の教師に授業などの仕方を教える仕事だ。金もでるし、やってみないか」と。まさに、これであった。

友人TIが言うこととは一つだけ違いがあった。金がでていない。労働は強化された。非常勤講師のため教材と授業だけでよいはずであるが、事実上、生活指導や、こうした場合にはどのように対応したり、裁定するかの文書を延々と家で書かされたが一円もでていない。完璧な、強制・監禁・貢ぎ労働であった
同大学の友人講師は「おい、浜田、ここは捕虜収容所だ」といっていた。
さらに、労基法違反の波状攻撃もあった。
幾ら働いても金にならない。
(模試のチェックなどは)青色申告のため、確定申告に行ったときに担当者がポリテクカレッジ岡山の給料などを見て一言いった。「このままでは生活保護しか道はないのではないですか」と。理論上はそうなっていた。

だが、専任確約、更に他の職場を完璧に封じられていたとしか思えない状況に置かれていた。更に催眠金縛りもあったかもしれない。辞めないと餓死すると分かっていても、辞められないのである。

やり甲斐はない。実質賃金は最低賃金法を下回っている。各種労基法違反のオンパレード。そして朝から晩までこき使われる。仕事外はしなくてよいと言いながら、職員のミスの後始末、学生を誘導し、様々なことをやらせて、その裁定文書き…と。いわば、病院経営者が医者に時間外だからもう返れといって、死にかかった患者を目の前にさりげなくおくやり方である。
だが経営者はとんずらしていない。その医師だけが病院にいる。…これを連続して毎回やられたに等しい。そして、経営者が君がかってにやったのだから給料は出さないとくる。
例えではなく、生々しい事例で、拙著『恐るべき労基法違反』に具体的な被害を掲載している。

収入や貯蓄情報も全て実数で掲載している。
ところで1997年度とは当時の貯金通帳類を見ると、この年に間違いなく、持ち金が枯渇すると計算されていた。それではどうなるのだろうか。


こうしたときに、二人の人物が登場してくる。
一人は学務課長・森脇一雄氏であり、もう一人は学生SYの名を語る部外者(住居不法侵入・業務妨害者)である。
森脇課長の件は、拙著『恐るべき労基法違反』に掲載している。現在、岡山市で某NPOの理事長に天下っている可能性が高い。(ちなみに、労基法違反をやった世取山清課長は後に副校長のみか異例の校長、機構本部勤め…と大出世をし、後に天下りもしている。)両者ともに、私への危害への褒美(ほうび)というが如く状態となっている。(法律違反をしてでも、私に危害を加えると出世する謎)。


私の専任前提招聘に際して、森脇課長は「君、専任、そんなものなれる訳がない。第一、君を首にするのも簡単なんだ」と言った人物であった。これで、私の方も幾分か行動が広がった。
そこに部外者Sの体当たり事件が起こる。
メインは労基法違反であり、部外者Sはグリコのおまけである。
私はこのままでは飼い殺しに遭う、更には老後破綻で惨めな思いをする、更に、学外でも車などの種挑発を受け、車正面衝突死と思ったが不思議に死んでおらず、首をひねったときも何回かあった。

学生S事件は常時公開している。
今回は新たな情報を二つ掲載する。
一つは、この人物が学生Sの名を語った部外者であることに関する新証拠の追加である。即ち、教育や人権などとは無関係な話の証明である。
もう一つは、実はこのとき、場合によれば救急車が何台か来る騒動が起こっていた危険性があったことである。部外者Sは、「自分はそんな気はなかった」というかもしれないが、部外者Sがその気がなくても…。誤解を招くため、この後は次回丁寧に記そう。

結論から言えば、外部からの乱入者である。部外者である。

要するに、私の「授業を求めて」は強制・(他職場移動を防ぐ各種手段で)監禁・貢ぎ労働で阻止された。

事実上、労働省の職場でなされた大人権蹂躙である。

 

 

 

 

2022年12月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA