大学・教育に想う(『求め続けて第一部』4章・人間について:林竹二・第3節関連)
この文書は、安らぎ文庫HP→長期連載・『求め続けて第一部』4章・人間について:林竹二・第3節に掲載した、2016年5月5日記した前書き部分である。5月5日現在掲載中の安らぎ文庫・長期連載と重複している。収録目的は、長期連載コーナーが期間限定で入替えをしているため、HPへの長期保存目的である。
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第3節・My favorite words and sentences. (お気に入りの言葉と文章)
――狼に育てられた少女・カマラの涙
→悲しみも人間の文化の中でつくられる。カマラの涙-文化習得以前と以後。
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【2016年5月解説】
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林竹二氏は現在の教育・学校を「パンを求めるものに、毒饅頭(まんじゅう)や石を与えている」と批判していた。私も同感である。また、林氏は、「オタマジャクシは、何もしなくても、蛙(かえる)になれる。」「しかし、人間はそうではない。」「何もしなければ、人間となる努力をしなければ人間とはなれない存在である」という視点から授業・『人間』をつくられた。
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私もそう思う。同時に、人間であり続ける努力抜きでは人間からいつ脱落するか分からないとも思う。それが麻薬、あるいは贈賄(ぞうわい)事件などである。その種の教育が欠けているというよりも、逆に人間性を破壊しているのが今の教育となっている疑いがある。
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かつて、マルクスは「猿が人間になるにつれての労働の役割」という論文を書いた。私はそれを文字って、「人間が猿になるにつれての学校の役割」ということを昔言ったことがあった。
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聖書を引用すれば、「Or what man is there of you, who, if his son shall ask him for a loaf, will give him a stone」(あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与えるものがあろうか)に反して、石を与えているのが今日の教育・学校の可能性が高い。
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そこで今回の特集は三点から行っている。
林竹二氏が「人間」という授業を完成させるに当たって、題材とした「狼が育てた少女」の原材料である。これが、今回の(A)と(B)に当たる。掲載の主目的は、若い教師諸君、あるいは志願者諸君に、授業をつくる上での題材の提供である。
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(C)は、この「狼に育てられた少女」の英文探しでお世話になった関(かん)西(せい)学院大学(キリスト教系大学)への恩返しも兼ねて、聖書の中で私が最も好きな部分を抜粋した。また、(C)関連の資料探しの際にお世話になった牧師さんへのお礼も兼用している。
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更に、「なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁(はり)を認めないのか。……自分の目に梁(はり)があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。……偽善者よ、まず自分の目から梁をとりのけるがよい。そうすればはっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるであろう」などの名文もあり、私の好きな言葉(My Favorite Words)にふさわしいからでもある。
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今回は大変長いため、日本語部分だけでも読んでもらえば幸いである。最後に、「狼に育てられた少女」の英文を、関学からお借りし、同時に返却したときの逸(いつ)話(わ)を掲載する。
□■※次の文章に記した、八十才頃の母が世話になった付近。正面が関学時計台。今回敢えて加工版掲載。ストレートでも当然撮っています。(2016年4月4日撮影)
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※2016年5月4日追記(下書き段階の文章)。
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なお、『狼(おおかみ)に育てられた少女』の英語版に関しては、もう一つの懐かしい思い出がある。この貴重な本を、関学図書の方は我が家へ持って帰ってよいと言われたと思う。また11章で登場する、英文『MINAMATA』も、我が家へ持って帰って良いとも言われていた。共に、英語版は絶版で当時貴重な文献であった。ところで、その頃、私は『恐るべき労基法違反』で記したように、激しい労基法違反被害で体調悪化の日々が続いていた。そこで、どちらかの文献は、私の母(2012年享年(きょうねん)93才で死亡)が返しにいくことになった。
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母は田舎(いなか)者であり、大学などとは無縁の人間であった。田舎の婆(ばあ)さんそのものである。また、関学は少しわかりにくい場所にあり、どうなるかと心配していた。我が家付近はバスは一日二本、汽車も三時間に一本程度のど田舎であり、交通とは無縁の人間である。また私は、関学から下宿に帰るのに何度道を間違え、人に道中を尋ねたか分からない。だが、当時の体調では、私が返還に行くのは無理であった。
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こうして八十才頃の母が初めて大学に行った次第である。帰宅後に聞いたら、母がニコニコ笑っていた。私が「関学の図書館が分かったか」と尋ねると、母は言った。「JR西宮から関学に行き、正門の所で、学生に図書館を聞いたら、その学生が図書館まで案内をしてくれ、全部処理をしてくれた」そうである。また、別の学生かその学生か忘れたが、帰りもタクシー乗り場付近まで案内をしてくれたそうである。
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偏差値や、世界での超一流大学よりも、こうした人に優しい学生がいる大学がよい。そこで、大学当時、学園紛争という出鱈目(でたらめ)な状況に巻き込まれ、関学に極端にはよい感じを持っていなかった私が、卒業してから徐々に関学に親近感をもつようになった次第である。
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アクセサリーの如(ごと)く、「創始者・創設者がどうだ」、「偏差値がどうだ」という大学よりは、人に優しい学生が多い学校が良いと再度記す。
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だが、私は母校・関学の学生に敢(あ)えて言う。
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「〇〇の有名大学を落ちて関学に来ました」などは持ってのほかの言動である。〇〇が大阪大学や早慶ならば落ちてもそれを自分の実力の如(ごと)く言う。「目を覚ませ」、と。「大学は入り口ではなく出口が重要である。」。諸君らは、その超有名大学と競争をしなければならない。落ちたことを名誉と考えるような馬鹿な発想は止(や)め、「大学時代から、他の大学の学生と競い、彼らを打ち負かさなければならないのである」。「目を覚(さ)まし、猛勉強せよ」、と、私は敢(あ)えて檄(げき)を飛ばす。同様に、自分が合格し、そこを振ってきた大学を見下してはならない。大学は単なる入り口であり、出発点でしかない。
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こうして他の大学の学生に激しい競争意識を持ち、勉学に励み、そして社会の礎(いしずえ)とならなければならない。私が死ぬまでに、関学の教壇に立ち、一度激しい檄(げき)を飛ばせたらと夢見ている。
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他方で、人に優しい人間は大変貴重な存在でもある。両方を満たせと、教壇で吠(ほ)えまくるであろう。
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死ぬまでに母校・関学を母に見せられたのは幸せであった。なお、もう一つの母校・早大にも母が何かの都合できたことがあり、今考えると感慨深いものがある。再度言えば、母は教育などとは無縁の人間であり、田舎の婆(ばあ)さんそのものであり、通常は死ぬまで大学などは見ることはなかったであろう。飛行機にも乗ったことはない人間である。
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ともあれ、この件で、母校・関学に感謝!!
■私が本を借りた関学図書館の時計台。(2016年4月4日撮影)
4月4日だけで、撮影枚数が414枚、しかもレタッチの難しい夜の部分が半分以上。写真は一枚のみで約100MB以上。当然処理には時間がかかります。公開まで今暫く。
もう一つの母校・早大も関学同様に特集します。お待ちください。
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《狼の子として育てられたアマラとカマラ》
……中略……
※岡短前期教材・『求め続けて』ではキリスト教徒の特集が多いが、岡短後期教材・『旅に心を求めて』(*15)では仏教関係が多い。また両文献にマルクスの如く無神論者・無宗教論者も登場してくる。良い物を求めた結果、宗教の中立性の確保にも繋がった。
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【2016年5月5日追記】
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次回、第4章4節では、この女子高校時代に出題した試験問題とその解答例を掲載する。三題のみの掲載である。一題は、前回の「ジョニーは戦場へ行った」から、手も、足も、口も、耳も、目も、何もないジョニーがどうやって人間に復活しようとしたかを問うた問題である。後、二題もこうした人間を問う問題である。
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また、林竹二の教育論・学校論の一部も掲載予定でいる。次回は、ほぼ、全て日本語である。
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なお、日本でのサミットを前に、今回の聖書の一節で締めくくる。□
Blessed are the peacemakers: for they shall be called sons of God.(平和をつくり出す人たちはさいわいである。彼らは神の子と呼ばれるであろう)。
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※本文は下記参照。(期間限定公開→2016年5月5日~~5月20日頃まで)
http://h-takamasa.com/rensai/policy6.html