私立大学から京都大学大学院へ行くのは難しいか。

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私立大学から京都大学大学院へ行くのは難しいか。

(他のサイトでの回答のため、質問事項は簡略かつ簡素化し、誰が書いたか分からぬように処理。私の返答の方はそのまま掲載)
私のケース(関学法学部→早大政治学研究科)

 

(1)大学院入試は易しいとも言えますし、大学入学入試よりも難しいとも言えます。
①早大政治学研究科などは、早大政経学部政治学科よりも入試は易しかった気がします。
②しかし、大学院入試問題で政治学などは癖があり、教授の個性がでるため、オーソドックスな教科学習では対応できないときがあります。この場合には、大学入試よりも難しいとも言えます。私の例では旧帝大の某大学院法学研究科を受験したときには唖然(あぜん)としました。
よって、出題教師の癖(勉学傾向)を知らないと逆に難しいときがあります。
③具体例では、大昔ですが、私の知人であった京都大学法学研究科学生は京大法学部に入るよりも京大大学院入試の方が難しかったと言っていました。
他方、私が予備校講師をしていたときの教え子も京都大学法学部に入学・在籍していました。しかし、彼は「先生、大学院なんて簡単にいけますよ」といっていました。実際、彼は京大大学院法学研究科を修了し、今は有名国立大学教授・大学院教授をしております。
③のケースの違いは、私の教え子の方は在学中の通常試験の成績が大変良かったのだと思います。

④大学により、学部よりも難関な大学と逆に易しい大学もあるようです。同志社大学法学研究科は私が受けた前年度(1976年度)は一次募集48名の受験生に対して合格者1名であり、2次募集では73名中7名合格という資料をもらいました。私は一次募集(1977年)で合格させていただきましたが、都合で早大政治学研究科へ進みました。他方、東大は全国・全世界から優秀な学生をかきあつめる戦術にでており、東大入試よりも東大大学院入試の方が易しいという情報をえていました。願書は取り寄せていましたが、都合で受験はとりやめました。

 

【結論】大学院により、大学よりも難しい大学院とその逆の大学院があるようです。また、自分が受験しようと思う大学院に関しては出題教師の癖を知るために、前年度からその教授の授業を受講したり、出題教授に何度か質問に行ったりして、その教師の癖を知ることが重要かと思います。

 

 

(2)ただし、大学院は大学と異なり、入るのは万一易しくても出るのは相当厳しい大学院が多いようです。早大政治学研究科でも入り口は広く、出口は厳しかったかもしれません。京都大学法学部から同大学院に来た人は「今日も徹夜か」と何度も嘆いていました。
名古屋大学法学部から早大政治学研究科へ進学された方も、修士課程を通常の倍の期間をかけてもなかなか修了するには踏ん切りがつかないようでした。
大学院時代は、大学受験状態かそれ以上の状態が継続し続けると考えておけば間違いないと思います。
なお、大学と大学院を変えるのはアメリカでは常識となっております。大学と大学院を同一とする学生はまずいません。日本も段々とそうなりつつあります。私の知人をみましても、大学は慶応、大学院は早大、そして名古屋大教授…とか、私の早大大学院時代の友人の法学部生は早大に進学せずに名古屋大学大学院に進学しております。

 

よって、関関同立から他大学(京大)に進学をされることは賢明とは思います。ただし、二つのことを再度強調しておきます。一つは、進学先の大学教授の勉学の傾向をつかむことの重要性、もう一つは入るのは易しくても出るのは大学とは比較にならない難しい大学院がかなりあることです。それが本道でもあります。

 

もっとも、最近は昔の大学院と異なり、(早大でも)簡単に入学でき・簡単に出られる形の修士課程が創設されたようです。語学の壁などは昔ほどないかもしれません。私は政治学研究かでしたが、授業のほとんどは英書講読以外でも英語、また全くわからぬドイツ語もいきなり専門書読書講読でした。(ドイツ人でも理解が困難なドイツ語専門書でした)。しかも全部必須でした。参考までに、下記某サイトを参照ください。英文科ではなく、政治学研究科でも、大学院中はこのレベルよりも上だったかもしれません。
http://h-takamasa.com/custom29.html

 

最近の大学院の一部はそうした語学の壁もないようであり、かなり出口も簡素化されたようですが、最近の事情の詳細は知りません。私の同僚・後輩・先輩・教え子が何人も大学院の試験問題を作成したり、指導したりしているため、聞けば事情は分かるのですが、今回はそれをせずに、私が関関同立から他大学の大学院受験をしたときの古い情報しか掲載しておりませんが、御参考になれば幸いです.

 

【2015年2月15日11時追記】(Yahooサイトへはこの追記はしていません)

他にすべき事項が山積しているときに、催眠の如く形で返答したものです。若干追記します。今から考えれば、大学院の出口も修了後の学問の道と比べれば極端に難しくなかったかもしれません。少なくとも、大学院修了後に集中勉学を行った十年余りよりは大変ではありませんでした。ただし、大学の学部を修了するのとは比較にはならない大変であることは事実と思います。

もっとも、自分で大半の大学院生が修了(卒業)の敷居(目標)を高くしていたこともあります。大学院でも後期試験などもありましたが、試験監督は皆無でした。試験問題が机においてあり、勝手に自分で回答し、それを机に自分で置いて帰るでした。見張りはゼロ人でした。しかし、カンニングする人は皆無であったと思います。万事が万事そうであり、自分の目標を達成することが主眼で大学院に進学するものだからです。当然、留年する人も多数いました。大変よいことです。分かりやすく言えば、ExcelやAccessの使い方をマスターするために専門学校にいって、試験問題でカンニングしても意味はありません。

 

ちなみに、学部の方・政経学部では試験監督員はおり、私などがアルバイトでやっていました。私が試験監督をしていたときに野田佳彦君(前総理)などが試験をうけていたようです。
大学・大学院はアクセサリーではありません。例えば、胃がんの特効薬をつくりたい。そのためにはこの教師のもとで研究しよう。こうして目的を持ちいくところです。そこに偏差値なるものは邪道でしかありません。何故(なぜ)ならば、最悪の場合には籍をおかずに、その教授に頼み込んで修行する道も残されているかもしれないからです。少なくとも、自分が選んだ学校が入りやすければ(偏差値が低ければ)、逆に有り難いとなるものです。偏差値のイドラについて、3月か4月にこのBlogで特集します。

 

なお、質問はYahooサイトにあった「(教員試験が難しいため、そのつなぎとして)、関関同立の私大から京大大学院教育学研究科に行くのは難しいか」というような内容だったと思います。