この歌(O Tannenbaum)の思い出。
(1)ドイツ語との出会い
このドイツ語の歌「O Tannenbaum」{英語ではO Christmas Tree、日本語ではもみの木などと訳されている歌)}との出会いは1978年頃であると思う。この歌との出会いの解説はドイツ語の思い出抜きではできない。
大学時代は事実上の自活に近い生活のため、バイト三昧であった。その上に自主的研究会三昧、それにゼミなどでしごかれ、ドイツ語などは勉学する気は全くなかった。ドイツ語の試験は、日本訳を丸暗記して対応した。
前回、パチンコの話をしたが、私の全生涯を通じて言えば、パチンコは勝ち負けでは半半で引き分けであり、損失をしていないと思う。妙にそうした勘がよいせいか、ドイツ語は単位が取れたのである.
ところが、大学時代の恩師・後藤峯雄先生の勧めもあり大学院に進学を志すようになった。だが、先の如く、大学時代にドイツ語を全くしていなかったことから、大学院入試では語学一教科の大学院を志望することにした。そこで早大大学院政治学研究科に進学することになった。
だが、大学院に行ってからが大変であった。大学時代同様にバイト三昧であり、その上、大学院入試は語学一教科にも拘(かか)わらず、大学院では語学二教科が必須であった。当時は大学院博士課程にも進む予定でいた。大学院修士課程入試は専門教科試験以外は語学一教科であるが、博士課程入試では二教科となっていた。
バイト三昧の中で、また修士論文は卒論とは全く違うテーマで書くことになったため、その負担も大きい。また大学院の授業は教科数が少なくても、すべてがゼミに類似することもあり、レポートなどの準備も多忙である。テキストも語学以外でも大半が英語のテキストでもある。こうした中で、ドイツ語をじっくりする時間はなかった。
当時、ドイツ語の「ア、ベ、ツェ……」も言えなかった。しかし、授業ではドイツ語の専門書購読である。Gerhard Leibholzの「Das Wesen der Repräsentation und der Gestaltwandel der Demokratie im 20. Jahrhundert」ではなかったかと思うが、その原文をいきなり訳せである。ドイツ語の女性名詞・男性名詞・中性名詞すら分からないのである。手の打ちようがなかった。
ドイツ語政治学購読の担当は清水望先生であった。大学院一年のときには先生の授業を二教科受けていた。
さてドイツ語であるが、授業で当てられても対応できないため、ある日、先生を廊下で待ち伏せしたことがある。そして、先生にお願いをした。「実は、ドイツ語が全くできませんので、他の学生に迷惑をかけることにもなりますし、しばらく当てるのを遠慮していただけないでしょうか」、と。先生はクスクス笑われていた。そして、私に尋ねられた。「では、浜田君はフランス語を大学時代にしていたのですね」、と。私はとっさに「そうです」と言おうかと思ったが、正直に「いえ、ドイツ語です」と回答した。すると、先生は「では、何で」というような不思議な顔を一瞬されたが、その後でまたにこやかな顔で、「では、半年程度当てるのはやめましょう」と優しくおっしゃってくださった。
先生の言われた、「フランス語をやっていたのですね」は皮肉ではない。当時はややこしかった。例えば、大学院時代に学部は違うが一緒に研究会をしていた鮎京正訓さん(名古屋大学・大学院の元教授)などは、大学のときは英語とドイツ語、大学院に進学してベトナムを専門としたため、ベトナム語とフランス語を第二、第三外国語として勉強されていたようである。
清水先生は大変牧歌的な雰囲気の優しい感じのする先生であった。先生に言った「迷惑がかかる」は口実ではない。当時の大学院では、大学とは異なり、授業はすべて十人程度で行う。その中には、現在早大政治学研究科や政経学部で活躍している飯島さん(飯島昇藏早稲田大学政治経済学術院教授)などもいた。私が訳せば、他の学生の足手まといになることは事実であった。
当時、早大大学院の知人ではドイツ留学が多かったこともある。姜尚中氏(カン サンジュン)もドイツ留学をされていた。学科は異なるが、一緒に研究会をしていた水島朝穂氏(現・早稲田大学法学学術院教授)もドイツ語には堪能であった。中には教授よりも語学力が上の大学院生も何人かいたくらいである。彼らを相撲取りの大関か横綱とすれば、私は小学生か幼稚園児の相撲取りにすぎない。その程度の差があった。私はドイツ語のa, b, c, dも読めぬのである。22歳頃までドイツ語など身に付ける予定が全くなかったのであるから。
(2)この歌(O Tannenbaum)との出会い
ともかく、多忙でも、家で必死で独学でドイツ語のイロハから勉学した。というのも、大学院ではドイツ語の文法などは一切教えてくれるはずがない。また、ドイツ語の文法解説もない。いきなり、ドイツの大学生・大学院生が読む政治学・法学の専門書を翻訳せよ、である。
分かりやすく言えば、読者諸君が、全く知らぬタガログ語かアラビア語の法学専門書をいきなり「明日までに翻訳しなさい」に等しい作業である。
そこで、ドイツ語のイロハはラジオ講座など独学で学ぶことにした。特に重視したのが、ドイツ語ラジオ講座である。その講座テキストの中で出合ったのが「O Tannenbaum」という歌であった。メロディと歌っている歌手の歌唱力に引かれて、ドイツ語学習抜きで、何度も聞いた覚えがある。ただ、残念ながら当時歌っていた歌手の名前を思い出せない。そこで、一からドイツ語の歌手でこれはと思う人を探す作業をする羽目となった。
ところで、清水望先生には懐かしさが多い。授業も牧歌的雰囲気であり、いつもニコニコほほえまれていた思い出がある。私にすれば、副担任のごとき感じがしていた。そこで、今回、清水望先生の思い出を書けば、どこかで先生が見ていてくれるかもしれないと考え、張り切って書こうかとも考えた。Wikipediaで調べると先生は御健在のようであった。1924年生まれのため、現在、91歳くらいであろうか。では、先生に読んでいただけるように少し力を入れて記すかと考え、何げなくインタネットで先生の消息を再度調べると、先生は昨年なくなられたという記事を見つけた。
「憲法学者の清水望さんが、12月3日(水)主に召された。90歳だった。御家族を中心にした告別式が12月6日(土)にあった。……」http://d.hatena.ne.jp/shirasagikara/20141215
これで、今回の文章を書く気力が消えうせ、平凡な文章をダラダラと書く羽目となった。なお、ドイツ語の授業の話ではもう一つ逸話がある。先生のドイツ語購読の試験では試験監督が一人もいなかった。ドイツ語購読の試験会場に行くと、試験問題がポンとおいてあり、試験受験者も数人であり、勝手に問題用紙を取り、適当に机において退出をする。試験前も、試験中も、試験終了後も、事務員も含めてだれ一人やってこなかった。
カンニングをしようと思えば、簡単どころではないが、教師への義理・不義理の問題からカンニングをする人間は皆無であったと思う。第一、試験の点数をとりに大学院に進学してるのではない。勉学のためであり、カンニングをするならば大学院に行く意味がない。他の先生の授業は大抵レポートであり、試験自体がなかったと思う。後日、この問題と関連して、慶応義塾大学から早大大学院に教えに来られていた内山秀夫先生の誤解も解かせていただく。今回は文章が長くなるため割愛する。この話は公式Blogの「徒然(つれづれ)なままにシリーズ」(来年から開始)が有力である。
(3)今回の選曲に当たって。
今回、O Tannenbaum(もみの木)から三曲、Stille Nacht(きよしこの夜)から三曲選んでいる。曲の順番に①~⑥に関しての選び方を紹介しておく。
①クリスマスらしく、いろいろな人が歌う形の歌(Kelly family)、②歌詞がでて、クリスマスらしく、家で一緒に歌える歌(アニメつき)、③歌唱力がある人の本格版。
以下はStille Nachtについてである。④風景の出る歌。④は当初はドイツらしい風景を探したが。歌もよく・風景もよく・画像もよく・ドイツの日常をも写しているものが見当たらなかった。そこで、画像がよく、歌も青少年が参加しやすく、それで一部ドイツの映像が入っている今回の物を選んだ。⑤はこの歌のパーフェクトと思われる歌を選んだ。この歌に関していえば、私はこの⑤はパーフェクトと思う。⑥は再度①に戻り、全員でクリスマスを楽しみましょう型とした。ただし、⑥も歌の質は相当高い。同時に、歌手の懸命さが伝わり、私には申し分ないように思われた。
選曲に当たり、いつもどのくらい苦労しているかについて、⑤の歌に限定して記す。今回の⑤のStille Nacht(Silent Night)の女性歌手についての苦労話を分かっていただくために、安らぎ文庫HPのトップにはこの女性歌手Sisselの歌を三曲掲載する。
あなたならばどれを選ぶか。歌だけの物は、画像の綺麗(きれい)なものを背景に歌っている物よりも、歌自体が上……であり、どれを一つ選ぶかで弱った。室伏広治君が幾ら努力をしても常に同一の最高の結果がでることはない。日により、記録は違う。歌も同一歌手が、同一年齢に、同一の歌を、いずれも一生懸命に歌っても違うのである。いつも、選曲では、それで苦労する。
なお、今回の歌は安らぎ文庫HPや公式HPのトップにも一部掲載するが、15日か25日には今月の歌にない物も含めて置き換え予定でいる。特に、Andrea Bocelli のJingle Bellsなどは是非紹介したいと思っている。ただし、今月の歌はもみの木など(ドイツの歌)に限定していたため、公式HPトップか安らぎ文庫HPトップでの紹介となる。今月の歌は原則として、30日間は変更しない予定でいる。
(4)最後に。
最後に、大学院当時(1977年~81年)は東ドイツの本が大変安く、西ドイツの本が大変高かったのを今でも覚えている。『Das Kapital』などはドイツ語で購入すると大変やすかった。全巻購入したものの、ドイツ語が先の状態ではお手上げであった。
上記の本も含めて、ドイツ語で読む必要に駆られた本として数例だけ記しておく。ルドルフ・フォン・イェーリング(Rudolf von Jhering、Iheringとも、1818年8月22日 – 1892年9月17日)『権利のための闘争』 ( Der Kampf ums Recht)、 アルベルト・シュヴァイツァー(Albert Schweitzer, 1875年1月14日 – 1965年9月4日)の『 わが生活と思想より』( Aus meinem Leben und Denken)、 カール・ハインリヒ・マルクス( Karl Heinrich Marx, 1818年5月5日 – 1883年3月14日)『資本論』(Das Kapital)、マックス・ヴェーバー(Max Weber、1864年4月21日 – 1920年6月14日)の幾つもの著作類である。
今ならば、さしずめ、ヨハンナ・シュピリ(Johanna Spyri、1827年6月12日 – 1901年7月7日)『アルプスの少女ハイジ』(Heidi)であろうか。英語では何度も読んだものの、やはり原文で読んでみたいという思いはする。
※今月の歌解説文は長くなりすぎたため、かなり省略し、一部未掲載となっている。全文は安らぎBlogか公式Blogでいつか紹介するかもしれない。また、ドイツの民謡・『故郷を離るる歌』(こきょうをはなるるうた){ドイツ民謡・歌曲『Der letzte Abend 』}のドイツ語版を探したがなかった。是非、この歌を一つでも掲載したかったのであるが。理由は省略。