(見出し)誘導で言ってはならぬことを言わされた。日本の歌手…に向かい…、と。これは言ってはならぬ。私の根本哲学は、プロは素人の意見を聞いてはならない。素人が知らぬ世界を提供するのがプロである。よって、音楽素人の私は歌手への注文・批判はしないが方針。だが、アメイジンググレイスだけには一つの選考基準があった。その基準とは…。
今月の歌から世界の歌へ(15)・アメリカ―「アメイジンググレイス」「聖者の行進」、人間の光と影、そして永久(とわ)の愛―
アメイジンググレイスの選曲に当たり、我が友はこう言った。
「順番をつけては駄目だ。」
「また、代表曲は一曲だけにしては駄目だ」、と。
「アメイジンググレイスは、どの歌手もプライドをかけて歌っている。
それも世界的な、歴史的な歌手がだ」、と彼は言った。
正確には、寝ているときに夢枕に立って言った。
我が友の名は伏せる。
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しかし、私にはアメイジンググレイスの選曲に当たり、簡単な基準があった。
いつもの如(ごと)く、私が良いと思う歌が良いである以上に簡単な基準があった。
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その基準とは何か。
歌唱力、アレンジではない。
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簡単である。
私の魂(たましい)が癒(い)やされるか否かである。
幸か不幸かトラブル続きの三十年である。
精神は参っている。
その上で、さらに、トラブルがあった日に聞いて、精神が癒やされるアメイジンググレイス、それが選曲の基準であった。
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私が参りに参ったとき、精神の疲弊がはげしいとき、人生が嫌になったときに癒やされる歌がコンテンツの選曲基準である。
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アメイジンググレイスはアベマリア同様にすばらしい曲である。
歌手はプライドをかけて歌いたがる。
それはもっともである。
しかし、論語読みの論語知らずになってはいけない。
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この歌は完璧に歌いきることが目的ではない。
まして自分のプライドのために歌う歌でもない。
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この歌は、人間の魂の救済にある。
この歌は、完璧に歌うかどうかではなく、人生に絶望している人を救済するために歌うのである。
私の「今月の歌シリーズ」のアメイジンググレースで、アメリカから入り、イギリスにいたった。
最後に、この歌で登場したのは何と、ローマ法王であった。
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ローマ法王が目を閉じ、隣の人と手に手を取り合い、この歌を聴いていた。
アンドレア・ボチェッリ(Andrea Bocelli)を中心とするグループの歌のときであった。
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最近、私が歌のプレゼンテーションをしたら、との挑発を受ける。
私は歌のプロではない。
歌のアレンジのプロでもない。
ただし、プレゼンテーションのプロではある。
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しかし、商売として、特定の歌のプレゼンテーションを請け負っていない限り、歌の選曲やアレンジにしても、命懸(が)けで行ってはいない。
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私が世間一般の人並みの収入を得ていたならば、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」となりたいし、なっていたであろう。
しかし、現況でも、プロでない人間はプロの世界に口だしをしてはならない。
合わないときには黙って去るのみである。
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にも拘(かか)わらず、誘導で言ってはならぬことを言わされた。
日本の歌手…に向かい…と。
勿論、直にではなく、テレビに向かってではあるが。
これは言ってはならぬ。
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上記の如(ごと)く、職業としてコーチ業をしていない以上、何も言わずに良ければ使用させていただく、そうでない場合は何も言わずに使用しないが、私の根本哲学である。
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この根本哲学とは以下のことである。
プロは素人の意見を聞いてはならない。
素人が知らぬ世界を提供するのがプロである。
よって、音楽素人の私は歌手への注文・批判はしないが方針である。
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歌はプロの歌手が通常の人が想像もしない何かを提供するものである。
それが何かは私には分からない。
しかし、幾つの歌には使命がある。
アメイジンググレイスならば世の不条理に遭(あ)い続けた人の魂を救済するという使命である。
その使命が、どのような形にせよ、果たせたならば目的は果たせたとなる。
その逆も然(しか)り、である。
それが、アメイジンググレイスを選ぶときの本質的な基準であった。