「フィールドワーク・東京」(2017年11月27日)の記録―2
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今回の文書は寝ずに朝方書いたため、起床後などに読み直し、不適切な表現があれば修正及び削除します。
最終更新:2017年12月29日7:36
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【日程】
4時か5時過ぎ頃就寝)
9:00頃起床→軽食(ホテル内無料)
9:30出発準備
9:45ホテル発。
10:00都電大塚
10:20頃都電早稲田
10:22早稲田撮影開始
(晴天青空で紅葉もはえるが、何故か突如、撮影気力がなくなり、曇ってから本格撮影)
13:35頃:早大撮影終了(昼食は抜き。食べる時間なし、即、井の頭公園へ)
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14:28頃 井の頭公園撮影開始
16:06頃 同上公園撮影終了。
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一番の目的であった、北村西望の作品を展示している井の頭自然文化園彫刻園(いのかしらしぜんぶんかえんちょうこくかん)であった。しかし、11月26日から30日までは休館と言われた。12月1日から開館とのことであった。
大きな目的の一つが、北村西望の長崎平和祈念像作成過程を見ることにあった。
だが、休館であれば仕方ない。
11月30日に帰路に就くが、一日延期することは、後に述べる寺問題・予算問題・宿問題で難しい状況にあった。しかし、迷ってもいた。
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今回の撮影で重要なのは①早大、②三鷹世界連邦平和像、③井の頭公園の彫刻園、④田中正造関連地、⑤小泉八雲・夏目漱石の墓など、そして、実は⑥皇居も狙っていた。
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何故、これらの地が必要なのかは、作品を作成していけば徐々に分かるであろう。
皇居については、二つの理由があった。
一つは、簡単に言えば、オバマ大統領と今上天皇がその職を去るに当たり、大変さみしく思っているからである。正直に言えば、私も同時に引退できたならばと思うことがある。私だけが取り残される思いがしたからである。
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もう一つの理由は、フィールドワークは仕事であるが、何故か、意地になり、私のフィールドワーク妨害を誰かがしている気配がある。
犯人は誰かは不明である。
これを見かねて、今上天皇などが私に救いを出していただいた気がしたため、その御礼も兼ねて、皇居関係を撮りたいと考えていた。
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ちなみに、「天皇、皇后両陛下は22日、開園100年を迎えた東京都立井の頭恩賜公園(武蔵野、三鷹両市)を訪れ、紅葉した木立の下を散策された」(毎日新聞)
https://mainichi.jp/articles/20171123/k00/00m/040/021000c
関連「両陛下、開園100年の井の頭公園を散策」(多田晃子2017年11月22日12時32分、朝日新聞デジタル)
https://www.asahi.com/articles/ASKCP6KR4KCPUTIL072.html
「両陛下、井の頭公園をご散策 開園から100周年」(産経新聞2017.11.22 11:45)
http://www.sankei.com/life/photos/171122/lif1711220033-p3.html
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(2017/12/29)この5日後の11月27日、うしろの噴水を撮影する。「両陛下、開園100年の井の頭公園を散策」(多田晃子2017年11月22日12時32分、朝日新聞デジタル)https://www.asahi.com/articles/ASKCP6KR4KCPUTIL072.html。
浜田 隆政さんの投稿 2017年12月28日(木)
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この噴水と橋を撮る(クリック一度でPC大、二度クリックで巨大)
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(同上噴水)
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11月22日、そう、例の11・22である。
さらに、私は東京行きは11月19日から23日とし、23日に夜行バスで帰路に就く予定でいた。宿も帰路のバスも全部予約していた。
11月
19日 ホテルウィングインターナショナル池袋
20 日 ホテル アーバン(池袋)
21 日 ホテルセレクトイン佐野駅前
22 日 R&Bホテル大塚駅北口
23日 22:10発ジャムジャムエクスプレス 新宿高速バスターミナル 「バスタ新宿」4F
ところが、後に述べる幾つもの妨害で、19日出発は無理と考え20日出発に切り替えた。
バスは当初はクーポン使用で5千円台で、楽天のポイントも使用し、支払額は千円~二千円となっていた。もったいなかったがキャンセルをした。
キャンセルをしたら、逆にキャンセル料が1300円出た。行く前の妨害については後日記す。
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次が、以下の計画であった。(いずれも11月)
20日 ホテル アーバン(池袋)
21日 ホテルセレクトイン佐野駅前
22日 R&Bホテル大塚駅北口
23日 R&Bホテル大塚駅北口
24日 帰路に就く。可能ならば、午前発のバスを考えていたが、キャンセル料金がもったいないので前日か前々日予約としていた。
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いずれのケースにせよ、東京の順路は天気との相談のため、井の頭公園にいつ行くかは不明であった。
岩国・広島でのオバマ大統領とのニアミス、宇部でのプーチン大統領とのニアミス、そして今回は…であった。
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結局、多忙さから、11月26日発となった。
そして、私は、私のフィールドワークに異常なまでの妨害が多いため、その妨害の防波堤への配慮から、何かをしていただいた可能性があるとの考えもあり、11月26日に東京に行った際には、早大よりも先に皇居に向かった次第である。
勿論、それ抜きでも、我が家に監禁され三十年、知人・友類はテレビの中の人だけ。そしてオバマ大統領が去り、今上天皇も去られ、私だけがただ一人残ったような孤独感もあり、皇居に向かった。
そして、人が考えもしない技法で皇居撮影をしようと考えていた。
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天皇家が「あらまぁあ」という写真である。
そして、この旅では天皇家族の姿が常にあった。館林でも、佐野でも…。
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今回も帰宅後ですら、フィールドワークを止(や)めさすではなかろうが、デマの臭いのオンパレードである。
誰かがYGさんに何らかのデマを!
誰が?
何を?
そして、私との関連は?
全く不明である。
YG、車関係…。
私「何のこと」。
YGさんに何があったかも知らない。
YGさんが車関連の仕事をしていたときに、他人に対してどころか、家での独り言でもYGさんの名をだしたことがない。
「チンプンカンプン」にも、だが…、一体何なの。
Twitterでは真面目に書いたが、今回は、正直に記そう。
私に言えることは「アカサタナ、ハマヤラワ、ちちんぷいぷい、何のこと?」である。
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さらには何のことか不明であるが生協まで、誰かがだしてくる。
これまた何のこと。
「昔、配達を頼んでいた生協と道交法?…」
「何を言っているの」となる。
私の文書にもはっきりと書いている。
「我が家の前の道は直線の二車線で交通量は大変少なく、滅多(めった)に車が通っていない、追越し可能な道である。
生協の車は、我が家前の道路においても危険性は全くないに等しい。
第一、名目的にも法を生協は守っており、実質的にも危険性は全くなかった。
道路交通問題では全くない。」(※1参照)
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こうしたつまらぬ問題に徹夜の独り言強要で喋(しゃべ)らされる。
昨日(2017年12月28日)は一睡もせず、食事もできずに17時間もである。
フィールドワークするたびにこれをやるぞと脅かされているが如(ごと)し。まだまだあるがここまでとする。
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私の旅は観光旅行ではない。仕事であるのみか意義がある。ときには大義もある。そこで、何人もの人が助け船を出そうとしてくれるときがある。
今回も、妨害に対して…と考え、そうした配慮へのお礼と筋問題から真っ先に皇居へ駆けつけた次第である。
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この後、三鷹の世界連邦平和像を再度撮るか、この界隈(かいわい)にいる友人弁護士に会うか、早稲田大学に戻るか迷った。
友人はこのすぐ近くにいる。しかし、彼は弁護士事務所を開いているため、アポイントメントをとっていない場合には迷惑をかけることになる。そこで、会うとしても、電話連絡した後で、 29日か30日にした方が良かろうと考えた。
三鷹の世界連邦平和像か、早稲田に戻るか。
しかし、二つの理由で即、宿をとっていた池袋に行くことにした。
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一つは少し時間をずらすと新宿から大塚までがラッシュアワーになる危険があった。
今回、全て宿は違うため、荷物は全部もっての行動であり、ラッシュアワーにあうと、身動きがとれない。逆に、我が家に戻るには、荷物全部もっての行動のため、即、東京駅に直行、即新幹線という形に常時なっていた。
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もう一つの理由は、冬は日が暮れるのが早い。逆に朝は夜が明けるのが遅い。そこで、冬は活動する時間がもの凄(すご)く短い。フル回転しようと思えば、夜明け前に起きて早朝から行動しなければならない。そのためには、早く寝なければならない。
前々夜は睡眠時間零時間、昨日は四時間弱であり、インフルエンザ予防注射は受けてきていない。
そこで、一刻も早く寝て、可能な限り早く起きて、翌日早朝からフル回転した方が良いということで、即、宿のある池袋に戻ることにした。
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大塚に直行し、ホテルに入る。
多分18時前。
吉野屋の牛丼を食べ、即寝て、午前五時頃おき、午前六時から行動開始を検討した。
ところが、この日も何の原因もないのに独り言が始まる。
ホテルは問題なし。テレビは見ない。スポーツ新聞は食べ物カバーで購入したが結果として一切見なかった。インタネットもほとんど見ない。何の刺激もないのに独り言が突如始まり、これで午前様となる。
寝た時間は忘れたが午前三時から午前四時頃の間か。
これで翌日の行動は更に制限されることになる。
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(※参考1)下記は後日書き直すか削除する可能性あり(主題とそれるため)。
問題は、私が取引問題から生協を辞める方向に傾いていた。その経緯については後日、トラブルブログではなく、通常の私的ブログで、全手紙公開の一貫として公開予定でいる。
トラブルに分類しなくても名前は記号で置き換える。それを読めば道交法とは無縁ということが分かろう。
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すると、それを察してか、嫌がらせの度合いが強くなったような気がした(悪まで気がしたである)。我が家は大きいため、県道から我が家までは少し距離がある。道路に車を止め、荷物を運ぶときにスポーツドリンクなどを運ぶときには「もう、重たい物を頼むのじゃない」と感じるような雰囲気で、叱られた気になり、さらに、忙しいので、しかも何度か往復せねばならないので、手伝うように指示され、コンテナの中の物を自分でさっさと出せとのことで…であった。雰囲気も合わせれば。
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後日、記す理由で、…であったので、私は次のように言いたかった。
「①重たい物を運ぶときには滑車でも準備する、
②若いのだから腕力を鍛える、
③丁寧に言うならば次でも可能である。「私は腕力がないので、お客さまは腕力が強そうなので、お客様が自分で車からポカリスエットなどは運んでいただけないでしょうか…」
④道から距離があり大変ならば、我が家の庭にいれたならば。雨や特に重いときは玄関先まで車をつけたらどうでしょうか、(昔の生協配達員・特に女性の人はそうしていた)
⑤勿論、何往復されてもご自由です。(私に八つ当たりさえせねば。したとは書いていない)
⑥その他(自分の知恵で)
」
(重たいと言っても黒猫や佐川さんが通常簡単にこなしている日常茶飯事のケースである)
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この中で私が言っても一番無難なのは④であろう。だから④を言った。
すると聞こえないふりをした。そこで更に多きな声で④を言った。まだ聞こえぬふり…、運転席の所に来たときにも言った。「わたしゃ忙しい」と言わんばかりにさっと去って行った。
本日は、ここで、おしまい。
生協を辞めたのはこれが主因ではない。公開手紙を読めば分かるであろう。更に、交通問題とは無縁な話である。
続きはトラブルブログに分類をせず、プライベートブログの(問題あろうと・なかろうと無関係にガラス張り公開のため)全手紙公開の一貫として公開する。
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しかし、これが近隣とどういう関係があるのだろうか。
まして、私のフィールドワークとどんな関係があるのだろうか。
もっとも、フィールドワークの都度こうした文書書きを強要されたならば誰とて参るであろう。
通常の人ならば、結果としてフィールドワーク妨害となるであろう。
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今、起業でも、大義ある事項でも超多忙のため、おかしな形での近隣問題に関わることは無理である。ましてや生産的でない、(多分、誰かのデマによる)勘違いごっこゲームには。