長期危害連続№138:―心当たりなし。友は人間違い、と言う(4):駿台等

気が向けば一言【徒然・私事】№138:長期危害連続―心当たりなし。友は人間違い、と言う(4)。


【更新履歴】

2019/04/28 2:48から追記開始

2019/04/29 19:31追記。

2019/04/29 20:55公開。

2019/10/18 20:58→政党防衛を「正当防衛」に訂正。





【2019/04/28 2:48から追記開始】

1985年の動きも何か不自然であった。
実は、何人かが事前に暗示していたことである。
S予備校で、職員H氏が辞めるときに、東京の鬼子母神でたまたま手に入れていたミミズクを結婚祝いとして渡した。そのときにその人が言った。「女性が次から次へと出てきて…」と。これが1985年の4月か3月の記憶がある。

同様に、その前後くらいに、岡山の予備校の職員も言っていた。
「先生、次から次へと女性がでてきますね。(不思議ですね)」と。
更に、岡山の女性職員が言っていた。
「先生、今の女性は、もっと打算的というか現実的ですよ。先生のようなタイプの人に、女性がどんどん関心をもつとは思えませんけれどね」と。
私も全くそう思う。ただし、最後の女性のアドバイスは1984年秋以降であったかもしれない。岡山でも、S予備校の件をぼやきまくっていたため。
尚、拙著『日本のフィクサーME』登場のお嬢のモデルは1974年から75年にかけて良く言っていた。
「お兄ちゃんは変わっているから、私以外でお兄ちゃんのことを理解できる人はいないわよ」という、彼女の言葉を繰り返し聞かされた。

ところで、信じ難(がた)いが、人間違いは1984年秋にS予備校講師室係Cに手紙を出す前から起こっていたことを、人違いと思う以前から疑っていた。
その根拠は気が向けば一言№119に書いた点である。
☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆
気が向けば一言【変恋】№119・日本のフィクサーME・パート2付録編⑨・「お嬢から、女性C、そしてオジョウと映画説」
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1036/

気が向けば一言【変恋】№119・日本のフィクサーME・パート2付録編⑨・「お嬢から、女性C、そしてオジョウと映画説」

☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆
勿論、私は、このように女性がどんどん出現をしてくるようなことをS予備校在籍中以外に経験したことは全くない。

同時に、そうした状況志向型ではなく、その逆のタイプである。
その理由の一つが私が恋愛感情を抱けない可能性が高い女性に、好意を持たれるのは有り難いけれども、大変苦痛に感じるタイプだからである。
それが、私が女性に断られたときに一切深追いをしない理由である。
第二に、私は早く結婚して、後は仕事だけに没頭したいと常時願っていた人間だからである。それ以外は温水プール程度にしたいと常時思っていた人間である。

女性が、次から次へと登場など、S予備校在籍前も、後も全くない。
嬉(うれ)しいかと言えば逆である。正直に言えば、申し訳ないけれども、迷惑です。
これが偽(いつわ)らざる本音である。
私の容姿・容貌、私の個性、願望などから言ってそうしたことはあり得ないのである。ましてや、登場する女性も相手は結婚前提主義者、私も同様である。その上、私は金欠時代がほとんどであり、定職時代がほとんどない(バイトや非常勤時代が大半である)。
誰かが故意に仕組まねば、こうしたことはあり得ないとしか、今でも思えない。
これを前置きして、次回から、1985年の話に入る。

だが、どうして、もう復帰する意思もなくなった頃に、S予備校の話かとなる。私は古稀(こき)に近づき、死亡した父の年齢になりつつあり、女性人(陣)はもはや還暦で孫もいよう。記すのが馬鹿馬鹿しくてならない。同時に、数年前から我が家にS予備校の鉛筆が幾つか置かれた気配がある。
人生の終末期に入り、今更S予備校でもあるまい。同時に、『求め続けて』の連載が、第三部大学校講師時代に入れずに弱っている。



【予定を変更して前書きの続き。2019/04/29 1:19~:2019/04/29微修正】

昨日(2019/04/28)、昼の独り言

①1984年秋から1987年夏まで、わずか3年間で、突如15名以上の女性が登場し、私に好感か好意をもつ演技をする。(2か月に一人の割合)

②こうしたことは1952年生誕~1984年秋までの32年間はほとんど皆無、1987年夏から2019年4月迄(32年間)も皆無である。

③駿台で3人登場、飲み屋で2人登場、次は岡山の予備校で2人登場、その後や隙間(すきま)を狙い、山頂、食堂、…どんどん突如登場の謎。まさに至る所で。

④1987年春頃の例。
(日本一高い山城)備中松山城へフィールドワーク。女性が山城に一人。コンパクトカメラのシャッターを押してほしいと言われたか、見かねてか忘れたが押した。駐車場に車がなかったため、どうやって登ったか聞くと、高梁駅から歩いて登ったという。
相当な距離である。
こうした状況では、誰でも帰りは車で駅まで送りましょうと言わざるをえない。
後日お礼にベルトと言われ食事(夏前か)。8月28日に小浜への約束。
待ち合わせ場所は枚方市○○○。
岡山から車で枚方市に迎えに行き、小浜へという段取りとなった。
だが、私は相当方向音痴である。行ったことのない枚方などでは必ず迷子となる。今考えると、穴をあける危険があった。

突如、大阪から教え子が二人、8月26日か27日に来る。27日に先の山城に案内。翌日の枚方の件を話すと、教え子の二人の内一人が、「先生、僕も家は枚方、案内します」で車で案内してくれた。こうして迷子にならなかった。良い悪い別にして、できすぎた話である。
簡単に言えば、誰かが計画していたとなる。そうとしか思えない。この種の偶然がこのときの3年間は多すぎた。

⑤食堂でも、美人の店員さんが登場する。だが、すぐ横に旦那さんがいる。その女性は旦那に構わず、私に関心の模様(まず演技の好意)。すると旦那が嫉妬。私はややこしいため、その食堂に行くのをやがて止めた。なお、駅でも偶然出会う。計画性が見え見え。勿論、挨拶(あいさつ)だけですます。

⑥私は仲のよい二人組に同時に接近されると当惑するタイプである。連続見合いで一度当惑経験がある。
すると二人一組型連続登場が起こる。
1985年1~3月、駿台2号館Dさん、Eさん。次にフィリピンの(英語が流暢で・美形の)MRとIRさん。1986年頃か岡山の予備校でもJさん、Kさん同時接近の謎。私は当惑し続けた。
連続起こる訳がない。
MRさん、IRさんには両方に英語で「私は、あなた方にしばらく会わず、友人をつれて二人対二となるまで待ちました。私は大変感じの良い人二人に同時に接近されるのは大変つらいと思う人間」と正直に言うと、この二人は大変Gentle and kindness(親切に優しく対応)型に変化し、以降もそうした態度で私に接してくれた。

彼女らがフィリピンに帰るまで2対2か、1対2とし、1対1では会わなかった。それもすべて、多くの人がいる場所のみで。最後に広島原爆記念館で購入の記念品をおくり、相手は住所を書き、フィリピンに来れば電話を、また手紙を…と言ったが行く機会はなかった。大変良い思い出となっている。
だが、駿台予備校と岡山の予備校は相似形のトラブルでそっくりの形で物語は進行した。どちらも指一本触れず、外で会わず、…である。こんな偶然があろうか。

⑦これらの隙(すき)を狙い、至る所で若く、どちらかと言えば美形の人が突如連続登場し、大半が好きな振りか関心がある振りかをする。若(も)しくはしたように見える。不思議以上のものであった。それも実に約2ヶ月に一人…という異常さである。

⑧「駿台の如くに指一本触れず、デートなし、学校でも人前でしか会話せず、会話人当たり6年合計10分ほどで…ふられ」…その後のお祭り騒ぎは多少理解も、駿台辞職後まで攻撃される訳がないましてや、女性陣も、結婚し駿台を辞めたならば。誰も忘れる。だが連続攻撃は35年以上経(た)っても続く。全く理解不可能である。

⑨当時からおかしいと思っていた。
後に映画説を疑う。更に後には永久の世の映画説を疑う。だが、それでも、上記では筋書きに無理がありすぎる。映画説でも、シナリオ上、無理がありすぎる。

⑩2000年頃から知人・友人が、「それはひと間違いが原因」という。また電話帳の強調がある。確かに、私と同一同性漢字まで同一人物も後に登場。更に、我が家と同一番地の家が電話帳の関係かで長期二軒存在したこともあ。…。

⑪勘違い・誤解ならば溶けようが、人間違いならば、どうしたら良いのであろうか。

⑨やら⑪やら、何が何かさっぱり分からない。
他人が何かをして、私と勘違いされ、その人物を参らせるために、上記女性人(陣)を誰かが誘導したのであろうか。ところが赤ちゃん取り間違いと同様、赤の他人の私を。勿論、全部潰(つぶ)れた。駿台と同じく、外で会わず組がほとんどである。そして、確かに参った。ただし、人間違い(ひとまちがい)うんぬんは事情がまだ完全に把握できていない状態にある。

⑫駿台辞職後、駿台以外も含めて女性の上記型出現は皆無となった。もはや32年目となる。勿論、1952年~1984年夏までの32年間も同様。あの三年間だけが突如…で凄(すご)かった。
一体何だったのであろうか。


※ただし、当時、一部の女性には親切にしてもらった部分などもあり、今後、可能な限り、彼女らに失礼にならないように記述の配慮をしたいと思っている。しかし、不思議な点は不思議と言わねば真相は分からない。

1984年夏から2019年4月29日まで連続危害が続いていることだけが事実である。

駿台女性の件は何度も寝ている間の催眠誘導で毎年何日も今日まで言わされ続け、書かされつづけた。だから詳細を覚えている。他方、岡山の件などは全くそうではなく、誰も無視となり、私も、今は、ほぼ忘却した。そして、それが当たり前である。特に該当者が教壇を去ったならばどことてそうなる。まして女性も結婚して職場を辞めたならば。何故、類似型にも拘(かか)わらず、駿台だけを取り上げるのであろうか。

何が何やらサッパリ分からない。


【2019/04/29 13:55 追記】


(A)備中松山城について。
④の女性が歩いて登ったとのことであるが以下注意。
標高430メートルの臥牛山(がぎゅうざん)山頂にあり、現存天守を持つ山城としては最も高い所にある
駅から松山城登山口まで2キロメートル弱。坂は急勾配の箇所がある。

だが、次の問題がある。
1987年9月頃、姪(長姉の子)が間もなく結婚するという友人女性を連れて、私のアパート(2DK)に一週間ほど居候(いそうろう)したことがある。このときに、この山城へ連れて行った。ただし、城途中の途中まで車である。あとは少し歩く。

ところが、頂上の天守閣にたどり着くと、姪と女性などが騒ぎ出した。
「すぐ降りる」「絶対にすぐ降りる」、と。私は天守閣受付で入場料を払い、天守閣内とそこからの遠望を見せる予定でいたため、呆気(あっけ)にとられた。

🐒猿である。
彼女らが大騒ぎをした理由はこの山城界隈(かいわい)には野生の猿がいる。滅多(めった)に出てこないが、この日はでてきた。それを見て大騒ぎをし、何一つ見ることなく下山した。
なお、立て看板には「猿と目をあわせないこと」などの注意書きがあった。
野生の猿がでてくるときがある。だから、女性一人で登ったり降りたりは通常しない人が多い。

雑談であるが、孫が来たら二度楽しいという諺(ことわざ)がある。姪が来たときにも二度嬉(うれ)しかった。来たときと帰るときである。
先の姪達を、今度はおもてなしで(混浴ではなく男女別風呂)薬草風呂に連れて行くと、風呂が濁(にご)っているので入らなかったとくる。薬草風呂だから薬草の色で濁(にご)っているのは当たり前だろうとなる。
滞在中、万事が万事こうであった。


私が授業に行っていたときにも居候達は帰らなかった。私は2、3日程度で帰るだろうと思っていたが、一週間近く居候(いそうろう)したのではなかろうか。
私はその頃は新倉敷駅近くの大学校で授業、岡山の予備校でも授業、駿台大阪校でも授業…さらに多くの模試原稿を抱えていた。その合間を見ての歓待である。しかも担当教科は政経・英語・日本史である。授業の準備で大変であった。
徐々に、焦(あせ)りなどが顔にでて、ときには苛立(いらだ)ちから怒りの顔が丸見えとなったが、途中から隠さなかった(「もう帰る」と言ってほしいこともあった)。

食事も類似であった。案内のガソリン代・食事代など全部私持ちのため5万円程度となっただろうか。そんなにいったのと言う顔をしていたような記憶がある。
もっとも費用は姪の友達に遠慮して言わなかったかもしれない。
飲み食いであるが、焼き肉などを食べても一人三千円弱とすれば三人ではたった一回の食事で約1万円となる。だが、歓待してもあの有様である。さらに、帰るとなかなか言わないため、授業への焦りはピークに達していた。
やがて、私の顔を見て気まずさから「明日帰る」と言ったときには嬉(うれ)しかった。孫が来れば、来て嬉しい、帰って嬉しいと二度楽しいことがあることが身にしみて分かった。

簡単に言えば④の女性が歩いて一人で登ったと言っていたが、野生猿問題などから、女性一人で登る人は珍しい山城である。だからここもおかしかった。

尚、姪と私の年の差は長姉と私の年の差ほど開いてはいない(姪と12才違いか)。先のC、D、Eさんと年は余り変わらない。この数年後に姪は結婚し、もはや、姪の子供が結婚する年齢となっている。姪も数年後には還暦であり、姪も遠からぬ内にお婆(ばあ)さんとなろう(孫ができよう)。今は懐かしい思い出である。


(B)二人一組
☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆
イ・八三年冬頃、東京で世話になった知人二人に同時に見合いを斡旋(あっせん)される。見合いでも連続には抵抗があり、一人のみにしたいと条件を付けた。単なる見合いであり神経質と顰蹙(ひんしゅく)をかう。これ以降、女性は必ず二人以上一組で登場となる。
駿台でも、この直後にC、D、Eの出現となる。因(ちな)みに、私も私の甥(おい)等もこのようなことは典型的に苦手(にがて)なタイプである。私の甥(長姉の息子や次姉の息子達)に「女性が複数以上寄ってきたら嬉(うれ)しいか」と聞いてみるがよい。
☆☆☆☆☆
拙著『閉じた窓にも日は昇る』(付録編)→発売前より
☆☆☆☆☆


(C)女性は一人が良い理由

実話に少し色をつけて解説をしよう。
大昔、AA君とBB君は共に東京外大進学(当時国立の2期校)を希望していた。
しかし、落ちては困る。そこで両者は以下の大学を滑(すべ)り止めで受験した。
関大、関学、慶応である。

両者はまず関大を受験した。
続いて、両者は関学を受験した。
関大合格発表があった。
AA君は関大に合格して笑った。
BB君は落ちてしょげた。
だがAA君は迷った。

家が関学に余りに近かったため滑り止めならば関学に授業料を納める方がよい。だが関学に万一落ちていたならばという不安があった。慶応は入試前でどうなるか未知数である。
そして、関大の授業料納付最終期限が関学合格発表前ということもあった。
そこで入学金と授業料などを関大に支払った。

やがてAA君とBB君は慶応も受験した。

関学合格発表。
AA君は関学にも合格した。
BB君は試験日は体調不良で不合格であった。
AA君は迷った。家が関学に余りに近かったため、欲がでた。同時に、慶応や東京外大に落ちることを警戒して、家族会議を開き相談して、やはり、関学にも入学金・授業料を支払うことにした。
なお、関学の授業料納付最終期限が慶応合格発表前である。

慶応の合否発表。
AA君は慶応にも合格した。
「やった」と。
憧れの東京に行けると、慶応にも入学金と授業料を納めた。
慶応のこれらの納付期限が東京外大など2期校の試験前だったからである。
AA君はあってはならないが、BB君を振り向き、ニコッと笑った。

そしてAA君は意気込み東京外大の試験を受けた。
BB君は気落ちの中で東京外大の試験を受けた。
両者合格であった。
BB君は言った。
「最高の出来だ」と。
そしてAA君を見てにやりと笑った。
AA君は「悔しい」と歯ぎしりをした。
何故ならば、AA君は関大、関学、慶応に大金を納めていたからである。それも今と違い、昔は一円も戻ってこない。実話に近い話である。
他方、BB君は東京外大以外には一円も納めていない。
しかも、関大・関学・慶応は私学で大変高い。
BB君は🙌をした。
AA君は失った金を考えて気落ちした。
そして、AA君は気落ちする中で、両親もうんざりした中で授業料などを東京外大に納めた。
BB君は意気揚々と授業料を東京外大に納めた。
なお、AA君は関大・関学・慶応の教育サービスを一切受けることなく、授業料などを支払ったとなる。


結婚を意識して女性と付き合うとは上記の大学入試の例にやや近いかもしれない。もっと簡潔に言えば、他大学を受けずに、東京外大だけを受けておけば、更によい。
交通費や受験料も倹約できる。
女性との付き合いも、ある面で似ている。
日本では結婚は一人としかできない。
ならば、本当に本命の一人だけと付き合っていれば、ストレスもたまらない。また迷う必要もない。勿論、デート代金なども安くなる。ましてや、大学の例と異なり、正式に付き合い出すと、道義上や、感情問題から、次の女性にうつることはできない。
結婚前提である以上、場合によれば詐欺にもなる。
それも、異性に指一本触れていない段階でも、通常は上記の心理となる場合が多い。
そこで、自分の好みの女性が一人だけ出現することが一番良いとなる。BB君の如(ごと)きである。AA君は大変な費用と、迷う悩みがつきまとい、ストレスでも参ったようである。

※ちなみに、私は関大・関学の両大学に授業料などを支払い、田舎の国公立大学受験は、交通費・受験料・更に三度目の入学金・授業料問題のため受験自体を中止した。実話である。私と類似ケースは当時は山ほどあり、私の村でも類似の人が何人かいる。
なお、異性との付き合いを大学進学の例えは適切ではなかったかもしれない。後日、たとえは修正もありうる。また、関大・関学・慶応では教育サービスは同一かもしれない。東京外大はチェコ語やラオス語を専門としたい場合には違うが、他の教育サービスはやはり同一かもしれない。異性も同様で偏差値型の数値は意味がない。更に男女共に変化することを考えれば大枠合意でよかろうとも思う。


(D)映画説と人間違い説
なお、駿台時代の突如の女性出現や、後に述べる催眠行動としか思えない事項頻出の前に、生まれて間もなくしてから、不可思議なことがごくわずかではあるが起こっていた。だから、私は映画説であろうと思っていた。

だが、駿台の女性に手紙を出して以降は映画説としてすら、筋書きに無理がありすぎる。そうしたときに、人違い説がでてきた。
ただし、人違い説が事実としても、その被害は生まれてから今日までの不可解なことや被害の一部であろう。
他は未(いま)だに映画説を疑っている。
特に、催眠型で「我思わぬのに我あり」被害は、駿台時ほどではないが、昔にも玉に見られたことによる
もっとも駿台時代の特に1984年夏から1988年1月退職時までは異常とも言える頻度の被害であり、そこには別の意味があるかもしれない少なくとも、駿台女性の件のみでは、後の被害と結び付けることは不可能である。そこで人間違い説に関心が向いた。あの時期は過去のペースの被害とは異なっていたからでもある。

人間違い説に関して言えば、私のプロフィールを充実させることも検討している。だが、拙著『閉じた窓にも日は昇る』の上下(Kindle、KOBO各百円)を読めば分かろうに。たった百円(1ドル)であるが、ブログ類と異なり、見直しなどは十二回以上行っている。仕上がりも違っている。

ともかく、人違いによる被害がどこからどこまでかを知る必要があろう。


最後に、映画説の催眠危害下でも以下のことは妨害されなかったようである。
a)非暴力主義。(ただし、小学校時代に同性相手には、偶発時にのみ許可される政党 正当防衛権に類似することはしている。中学以降はそれも含めて、完璧な非暴力主義となっている)。
b)恋愛も含めて、契約・約束を守ること。
c)恋愛も含めて、詐欺をしないこと結婚詐欺はもとより、好きでもないのに好きな振りやその種の言動をする恋愛詐欺もふくめて、そうした詐欺行為はしないこと


今回のテーマは後2~3回程度でうち切りたい。ただし、上記の一部を、『日本のフィクサーMEシリーズ』の最後の節に、5%程度嘘(うそ)をいれ・加工して、読者が興味を持つ形に直し使用するかもしれない。

追記。
私は投稿類も原則として実名表記である。
匿名(とくめい)にするよう求められている投稿類はここ十年程度は「頑固」など人の名以外である。それ以前は「中●義政」(●は念ため伏せ字)を匿名とかペンネームとしていた。ただし、どうでもよい箇所に記載の際、「浜田義政」なる氏名を数度書いたことがある。理由は浜田と書いて、匿名かと思い直し、先の義を途中使用のためである。これ以外の名称を使用したことはない。
今後は実名か、匿名条件の箇所は頑固など人名以外、どうしても人名の匿名を条件ならば実存しない人名を原則として検討中である。(例:鶴亀凡政)。

(以下、次回に続く)




{以下は、下書き段階から次回以降分以降を(5)(6)(7)として公開予定。}

2019/04/17 15:21から16:17追記。
本日就寝中にS予備校の件で二件誘導型質問あり。
現在の私にとってはもはや小さな問題のため、昨日しなかった項目である。
面倒も、記述を即開始し、本日13時までにかきあげる予定でいた。
そして、本日、公式ブログにもう一つ「日本のフィクサーME・パート3」の序の下書き掲載予定でいたが、下記問題が起こりどうなるか不明となる。

「ところが、フィシングサイトかなりすましサイト引っかかった可能性あり。
本物か未だに偽物か見分けがつかぬ。
念のため、メール写真、ソースデータプリントアウト、外付けへコピー保存し、サイバー110番等へ通報するか否か検討中。
ネット犯罪・脅迫は面倒も国全体で毅然たる対応を。」(Facebook記載から引用)

こうして15時25分記述開始。
就寝中の質問事項は二点あった。
α)1985年5~6月のS予備校講師室係Cに関して「話し合い」問題。
β)1985年夏のS予備校講師室係Eさん事件?である。


結論から書こう。
現時点では明白に言える。両事件とも私もちんぷんかんぷんに等しく、催眠型行動である。以下、可能な範囲でそれを実証しよう。

βから書こう。
これは1985年夏頃の講師用パーティで講師室係Eさんに、「待っててほしい」か何かを言って握手をした話である。指一本女性にふれていないの例外がこの握手である。

不可思議な項目だけ箇条書きする。

①この日、私はE氏がS予備校講師パーティに来ているとは全く知らなかった。よって、こうしたことを言う予定も何もなかった。講師パーティには先に書いたように職員幹部(男性)しか通常は来ない。この日は受付としてきていたようである。

②受付はトイレ問題もあり、通常は複数のはずであるが一人であった。

③「待っててほしい」類を言わされたが、私は何を待っていて欲しいという意味なのか全く、言った私自身が今も、当時も分からない。

④実際に、何もEさん向けに動く予定はなかった。当然、次回会う時の準備もしていない。そこで先の言動は言った私自身が意味不明である。これは当時もそう思い、後の記録でも随所に記載している。

⑤言った場所はパーティ会場入り口であり、中には多数の講師がいた。ドアがあいていれば見える箇所での握手である。

⑥この頃はまだ、Dさん、Eさん、どちらの性格も何も分からず、見合い該当を計画するとしても、どちらとしたら良いか不明であった。よって、動くはずは百パーセントない。

⑦訳のわからぬ「まっててほしい」を言わされた後、予定もないのに「こんなことを言ってどうするの」と戸惑った。当時は催眠なる状況を知らなかったが、何を待って貰うのかは言った私自身が全く分からず、呆気にとられていた。

以上。

もし、これが契機でEさんと話が進行しそうになれば、それ以降はどうなったかシュミレーションしてみよう。
まず、一度、外で会って話をしたいとなったであろう。
万一、会えればどうなったか。
彼女には彼氏がいたそうであり、即座に、断られたであろう。この件のすぐ後で婚約発表である。
だが、彼氏がいなかったとしよう。
その場合には下記を参考にすれば分かるように、S予備校を30歳程度で辞めて家庭に入る女性ならば、断られたであろう。実際に見合いでは不安定な職業ということで、決まりかけたと思った話が壊れている。
これは既に書いた箇所を読めば分かろう。
要するに、会えば見合いでいう一回目で断られたとしか分析できない。
☆☆☆☆☆
気が向けば一言【仕事】№121・日本のフィクサーME・パート2付録編⑩・「奇異な人生と謀略の仕掛け人・仕事編」

気が向けば一言【仕事】№121・日本のフィクサーME・パート2付録編⑩・「奇異な人生と謀略の仕掛け人・仕事編」


☆☆☆☆☆

ところで、こうした初見合いに該当する会談の申し込みを直にEさんにできるか。当時は、一号館事件の件でEさんとは少し話をしていたので、可能にも思えるが、ここは下記の理由でEさんの上司O課長経由での打診となっていたと思う。

理由は、一つは二号館は一号館ほどガラス張りではないとはいえ、会話は隣接する職員室に筒抜けである。
二つ目は監視カメラがある可能性も高い。
三つ目はDさんとEさんとの対人関係上、Eさんに直接の声かけはすべきではない。私とDさん、Eさん三人で…仲良くという問題があった。
四つ目が致命的である。
Eさんの上司O課長とは、私は親しくしていた。そしてO課長が、1985年の夏前頃に私に言ったことがある。
「浜田先生、二号館の女性に関心があるときには、僕を通していってください」、と。同時に以下のことも言われたと思う。
「先生以外でも、そうした打診はあるのです。僕を通された方がよろしいですよ」であった。そして、流れたが先の如く夏頃に、私とO課長、Dさん、Eさん、Eさんの友達の既婚女性、+?人で食事計画まであった関係もある。
五つ目は一号館での揉め方上、直にの打診は困難であり、先の有り難い言葉があればO課長経由で打診となっていたであろう。
では、何故しなかったか。私はS予備校の女性と事実上の見合いをするときにDさんがよいのか、Eさんがよいのか全く分からず、動く気が全くなかったからである。
逆に言えば、会う気があれば、O課長に相談していた。結構仲良くしていたこともある。
一号館の課長は独身であり、更に、接待にはつれていってもらったが、そうしたことを頼める関係にはなかった。

O課長に相談した場合にどうなったか。
一応、かなり正確なシュミレーションをしておこう。
98%の確率で、一回目の見合いの前に、O課長経由で断られていた。一対一で会うことすらなかったであろう。根拠は明白である。この年の8月頃に、Eさんは長くつきあっていた男性と婚約をしたと聞いたからである。

だが、万一、彼女が迷っていて私と会談したならば。この頃は、相当揉めていたのでO課長同伴であったのではないかと思う。その場合には先の「不安定な職業」の状態ということで、通常ならば断られるであろう。例外は、生涯仕事をし続ける予定の女性のみである。霞を食っては生きていけないという原則がある。
ただし、清貧を理想とし、共にバイトをしながらでも生きてこうということもあろうが、そういう女性はS予備校職員にはいないであろう。
玉の輿が待っている人が多いのが実状である。
もし、不安定な職業でなければ、S予備校女性以前に見合いで決まっていた。私が乗る気で、相手もその気に見えて、ことわられたときにはいつも「仕事が不安定なので」が原因となっていたからである。

そうしたシュミレーション抜きで、私はEさんにアタックするなどの結論は出したことは一度もななかった。Dさんに対しても。まだ検討中以前の段階であったことが全てで有り、催眠で「意味不明な」言動を突如いわされたことが全てである。




2019/04/17 19:25追記。
α)1985年5~6月のS予備校講師室係Cに関して「話し合い」問題。
もう一つの事件も催眠である。
二号館講師室係などと和気藹々と話をし出すと、今度は、一号館講師室係Cさんが、何か、私の方を見てにっこりと笑ったり、その他、通常でいう好きな仕草をしたりし始めた。
通常は無視が原則である。
更に、この一年で騒ぎは拡大し、みんな祭り騒ぎの様相を示しており、トラブルの原因となるため無視である。実際に無視していた。

ところが、多分寝ているときだろうと思うが、何度か「私のアタックの仕方が悪いので、相手が驚いてことわっただけである。そして相手も、その件で後悔しているかもしれない。再度…」と。
だが、常識上、もう無理である。
最低でも一年以上、ときには二年ほど冷却期間をおかないと無理である。だが、私は年齢から結婚を焦っており、それはリスクが大きい。更に、誤解ならば誤解が解ける一、二年置いて、再アタックではない。一、二年おいて、何とかCさんとの見合いのセッティングである。
性格も分からない。生き方も全く分からない。どんな人かも分からない。話をしてみないことには何にも分からない。「先生、お茶です」「ありがとうございます」類だけでは何にも分からない。よって、まず、日本型見合いをどうやってするかである。
賢明な手段は、彼女の上司Y課長は独身かつ、揉めた件に絡んだためまずいが、上司の上司OK部長、あるいは京都高校長のKW先生などと懇意になり頼むしか方法はないのが実状であった。
よって、初デートのアタックではなく、初見合いの段取りに一、二年おくとなる。

ここで先にシュミレーションを記す。
櫻井よしこというニュースキャスターがいる。『NNNきょうの出来事』とうニュース番組で1980年から1994年頃まで司会をしていた。私は、時々その番組を見て、彼女はリベラル、更には左翼に違いないと想像していた。
ところが、彼女が司会者をおりて、自由に発言しだすと左翼の逆である。最初は、これは冗談を言っているに違いないと思っていた。だが、冗談ではないと後に分かった。
要するに、職場は勤務先であり、そこで仕事の会話のみでは何を相手が考えているか全く分からないのである。「お茶どうぞ」「ありがとう」に該当する会話の延長では尚更そうである。
こうした出会いは二十年続いても、一回分の見合いの中でも一時間分以下しか相手のことは分からない。

Cさんの件も同様で会ってみないと何にも分からない。職場の親睦会での会話すら、できない構造となっているから尚更である。職員はS予備校の労働者であり、教員はS予備校の商品である。対等の労働者同士の関係にすらなっていない以上、S予備校では何にも分からない。
同時に、容姿類は私の好みではない。私は松坂慶子・浅丘ルリ子型ではなく、榊原郁恵タイプであった。

シュミレーションを更にすれば、もし一度でも会えば(一度でも見合いをすれば、先の一言№★)に書いた理由で、職業が不安定ということで断られた確率が98%以上と推定される。
よって初見合いをしても結果は決まっていた。
ちなみに、NHKのニュースキャスターで評価をしていた女性は森田美由紀などである。見ていて楽なのが、小野 文惠(おの ふみえ、1968年4月18日 – )とか、寺門 亜衣子(てらかど あいこ、1985年8月19日[1] – )などである。塚原 愛(つかはら あい、1976年5月24日 – )もTVを通じて、色々遊んでくれたので悪い気はしない。よって、全く好みのタイプが違うのである。だが、彼女らとて、仕事場以外で会えば、先の櫻井さんの例ではないが全く勘違いをしている場合もあろう。
付き合うかどうかの前に見合いをせねば不明ということである。

性格が海のものとも山のものとも分からぬ女性と初見合いの段取りをするのを一、二年まつのはかなり躊躇(ちゅうちょ)した。要するに、「次へ」である。

第一次下書き中のまま進行していない、拙著『閉じた窓にも日は昇る・付録編』から下書き状態で抜粋する。

☆☆☆☆☆☆
こうして、お前とYKやGTを絡(から)めることにより、お前の恋相手はYK、GT、NMだと、周りを巻き込み、ややこしくする。そして(1)④イ・逆転法則に記したお前の性格(女性に複数以上寄られれば当(とう)惑(わく)するタイプ)を利用して、異性と同時掛け持(も)ち付(づ)き合(あ)い的な罪悪感を持たし、何があっても自(じ)業(ごう)自(じ)得(とく)と思い込ませる。これは刺客―2~4(S予備校での授業妨害等)の登場を自然に見せるための戦略であったそうである。
「だけど、お前がS予備校女性に指一本触れておらず、デート所かS予備校外でもあっていない以上、本当は、誰も女性の件ではお前のことは何とも思っておらず、暇(ひま)つぶしに喜んでいただけなのだよ。定年退職後にS予備校に来ていたKW先生なんか楽しくて仕方なかったのだよ。だから、お前を見てゲラゲラ笑っていただろう。途中、計画通りに行かなかったが、ただ、次のステージ、登場人物の関係で、もうごり押しをしたのだよ。ともかく、刺客―2~4をスムーズに登場させることがすべてだったのだよ。」
☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆
どうも、『閉じた窓にも日は昇る―付録編』の方が分析も正確で、理路整然としているため、この件は順番待ちの同本を時期をみて出版した方が簡単に解説できるであろう。

だが、当時、就寝中に別の誘惑があった。
しかし、職場で仕事がやりぬくいだろう、と。
「まず、職場を平静にすることが一番である。そのためには、Cさんと仲の良い人などと合同で話し合ったら、と。
アタックは誰が考えてもできる状態にはない。第一、一号館は二号館と異なりガラス張りで、全員が注目をしている。
だが、今のままで仕事に熱がはいるか。
集団で会って、話し合えば誤解があるならば、誤解は解ける」と。
だが、私は何か罠的な雰囲気も感じて乗る気ではなかった。

そんなある日、Cと仲が良いように見えた、講師室係既婚女性TKさんが、私の資料の大量コピーか何かをしてくれた。
すると、催眠型でその日か数日後に次のような言葉をいわされた記憶がある。

「仕事が大変やりづらい。
Cさんの先輩KMさんにも参っている。
一度あって話したいがどうだろうか。
TKさんとCさん合同でもよいし、TKさんだけでもよいので」
と言ったと思う。言わされたと思う。」
ただし、Cさんだけとは言っていないと思う。
ちなみに、この頃はKMさんはおとなしくなっていたため、タイムラグがある。
1984年末頃に、Cさんが怯えまくる件で弱り、Cさんの先輩講師室係・KMさんに相談したことがある。
KMさんは既婚、更に落ち着いた感じがするため相談したのである。
所が、KMさんが、大昔塾で教えていた生徒同様に舞い上がった感じを受けた。
恰も、自分に映画か何かのスポットライトが当たったというが如く、喜びまくった。まるで独身女性、それも女子中学生か女子高生の如くに見えた。
私は高校は理科系でほとんど男性、クラブは部落問題研究会で人権に興味を持つ女性、大学は自治会再建に意欲を持ったり、婦人問題研究会で女性の人権に興味を持ったりする女性しか知らない。びっくりした。
女性ってこんなの、と。
KMさんの行動は、大したことではないため、いつか気が向けば記そう。敵意ではなく、舞い上がったという感じを受けた…。
だが、TKさんに言う数週間程度は、大変おとなしくなっており、タイムラグはあったため、口実とすれば不自然であったかもしれない。
若しくは『付録編』で分析している通りであろう。
☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆
やはり映画説としか思えない。二〇一〇年四月二七日の就(しゅう)寝(しん)中に、第一の刺(し)客(かく)群について――女性に指一本触れず、S予備校外でもデートすらしていないのに、S予備校をどうやって追い出したか――の種明かしをされ、そして恰(あたか)も催(さい)眠(みん)の如(ごと)く形で原稿を書くよう強要された(と感じている)。その内容を以下記す。
「一号館女性NMの怯(おび)えは話題提供のみではない。あからさまに逃げ回るような形や、(芝居の如く大袈裟(おおげさ)に妙にビクビクとした演技で)怯(おび)えれば、お前は恥ずかしいのみか、講師室係に物を頼みにくくなるため仕事にならない。そこで二つの行動(αとβ)をとる。即(すなわ)ち、α・NMの上司や先輩を通じて沈(ちん)静(せい)化(か)を図(はか)ろうとする。もう一つは、β・二号館講師室係にも不(ふ)審(しん)に思われないように努力をせざるを得なくなる。
このαとβを利用して対人関係を壊(こわ)す計画を練(ね)っていた。同時にお前への攻撃の正当化を図り、S予備校で行われた(授業妨害等の)無法をお前自身の責任と思わせ、一部諦(あきら)めさせる戦略だったのだよ。この正当化は第四幕での、近隣・親戚の人の出(で)鱈(たら)目(め)行動をパッチテストの名の下に無(む)理(り)矢(や)理(り)正(せい)当化しようとしたのと同様だよ。」

α・「前者(α)の場合が、NMの先輩・KMに『NMさんに通常にしてもらうよう』にと伝言を依頼した件である。その後で、KMに授業直前等にお前を少しからかわせる。するとお前は怒る。だが周りはお前がNMに振られたことも知らぬため、KMのからかいなどには気づかない。KMにもう少しからかわせる。お前はKMに怒る。するとKMの上司の管理職・YD課長などが逆にお前に怒る。こうして対人関係をややこしくする。つまり周(まわ)りを絡(から)めさすのである。でないと、お前が失恋しただけでは、後の刺客―2~4などが自然に出現できないであろう。ただ、お前がKMに怒らないので苦労したが、何とか別の方法で、一度だけとはいえ、YD課長を怒らせることができたが」、と。
KMが、恰(あたか)も女子高校生が教師の気を引くのが度が過ぎたような形で図に乗り、有(う)頂(ちょう)天(てん)になったような形で私をからかった理由はこれで明白になる。おまけに、KMは二十代後半でかつ既(き)婚(こん)者である。そんなことをするはずは通常はない。まして職場で。上司のYD課長も当然そう思う。私もそう思う。それがからかわせた理由なのである。
「(映画説故(ゆえ)に)、NMの先輩女性KMは、無関係の教職員を巻き込みややこしくする目的で、故意に授業前に(他人に分からないように、お前、否(いな)、人間の心理を突き)挑発してたのだよ。その件で頭にきたり・気が散り困り、お前がKMに怒り、その意味が不明の上司YD課長がお前に怒り、喧(けん)嘩(か)となるように。若(も)しくはお前に更(さら)に誰かに相談させるのが目的だったのだよ。そして、ややこしくできたと感じるや、役割が終了したことになり、それで大人しくなった」、そうである。
因(ちな)みに、「最初の相談相手(KM)や二番目の相談相手(TU・NM)が、YD課長でも同じで、その場合にはYD課長で同様にややこしくする策略も練(ね)ってたのだよ。その証拠が先のYD課長との言い合いだ」、と。(勿(もち)論(ろん)、刺客―1の段階では、誰が見ても自然に見える形で行われていた。このα・前半部分がどのような形をとったかは付録編参考箇所【参考―1】参照。これを読めば、誰でも自然に起こりうる問題と考えるであろう。)
「だから、NMの最初の怯(おび)えの理由も、もう十分、分かっただろう。怯(おび)え回った振りをすれば、面白い話題提供ができるのみではなく、αとβを絡めて刺(し)客(かく)登場のお膳(ぜん)立(だ)てをつくることができるため故(こ)意(い)にやらせたのだよ。即(すなわ)ち、α・お前が困って誰かに相談するようになる。実際に(NMの先輩女性)KMに一(ひと)言(こと)相談しただろ。すると逆にKMで困り、更に誰かに相談となったであろう。即ち(KMの上司である)YD課長に相談しようとし、更(さら)に更(さら)にややこしくなったであろう。」
「お前より、男女関係では、彼女らは格上であり、NMなど手紙をもらって怯(おび)えるような女性ではない。異性から手紙をもらったり、出したりして怯えるのはお前くらいなものだ。お前は可(か)愛(わい)らしいね」、とも。
そう言えば、H係長が言っていた。
「NMさんは、美形のため、過去相当、男性からアタックされていると思いますので、断(ことわ)るのは慣(な)れていると思ったのですが。先生からの手紙(恋文)くらいで驚くとは思えないのですが」、と。
☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆
だが、私がTKさんに相談する前にはKMさんの行動は収まっており、それを口実にするのは妥当ではなかった。
では、何故言ったか。
回答は簡単である。
催眠である。
それ以上でも、それ以下でもない。

ところが、これで揉(も)め、二号館の職員と合同での食事会は自粛(じしゅく)する羽目となった。
そして、E氏の件に続く。


ところで、もし、このときにTKさんなどときっちりと会話していたら何を言ったか。
当然、授業への協力のみである。
あわせて、Cさんの件での誤解部分があれば解きたいが、誤解部分が何かが分からないと解けないし、何も言えなかったであろう。
この時点で、最初の見合い云々などの話をする気は全くなかった。
要するに、会っていれば全部誤解がないのを、全部会う前に潰れたので、誤解ゲームが蔓延しただけである。


しかし、その頃、拙著『日本のフィクサーME』に登場する、お嬢は喜んだ。お嬢は二人の人物から合成した架空の人物であるが、そのモデルの一人は喜んだ。
「それはアタックだ」などと。
大喜びであった。
本人は否定しようが、顔や雰囲気は喜んでいた。
ここだけの話であるが、お嬢はサゾ的傾向があるのではと思うことがある。
私を虐めて喜ぶ、と。
お嬢は結婚し、子も孫もいる。
私は本当にひたすらお嬢一家が生涯仲良くすることを心から願っている。
ここ二十年も会う機会は何度かあったが、超多忙と、会っても意味がないため会っていない。怒るか喜ぶか不明であるが、面倒くさいので会っていない。
他の仲の良かった女性友達は会いたいと思っても金がない。
大昔、家庭教師をした子には金だけではなく髪もないので、会っても格好が悪い。
それが会わない理由である。


結論を記す。
この件は、突如、催眠で言わされた言葉である。
Cの先輩KMについては1984年末頃は確かに手を焼いたが、この頃はおとなしくなっていた。
私はこの件でアタックする気はなかった。少なくとも考えていなかった。
もし会えば、授業をする上での環境整備と、(催眠が解けねば)一年か二年後にCとの見合いのチャンスがあるかどうか見極めようがせいぜいの感情であった。
この会談を通じての見合いセッティングは筋上しない。
なお、二号館の女性との合同食事はトラブルを恐れ中止とした。

お嬢は何故か「アタック」「アタック」と喜んでいたが、『閉じた窓にも日は昇る―付録編』に記載した、過去の私の前例が全てである。私は単刀直入派で、変化球でなく、速球一本派です。それが全てである。


依(よ)って、全てにおいて手紙(恋文)かストレートに想(おも)いを伝えるタイプであり、戦略・戦術類は女性に関しては過去使用したことがない。第一、そうした技法は全く知らない。社会科学者らしくデータを公表しておく。過去の女性への交際申込み類の前例は、見合い類を除けば、S予備校NMや女子校同僚講師KNのときの如く手紙ではっきりとが五例程度(文面は非常に誠実に記している。文書のため相手が保持していれば証拠が残っているはずでありそれを見るがよい)、電話ではっきりとは一例程度(大学時代の先輩女性に電話で「あなたに熱をあげているのですがどうしましょうか」と)、会ってはっきりとが一例程度{大学の後輩に「付き合ってほしい」。駄(だ)目(め)と言われたので「もし一年以上粘(ねば)っても駄目か」。相手は駄(だ)目(め)。「ならば諦(あきら)める」である}、であろうか。
過去デートした女性との最初のデートは、見合い類を除けば実質上は全て女性の方からの誘いであり、私自身が誘ってデートしたことはないと思う。必死の思いで誘ったことがほんの数度あるが全部断られている。中途半端な玉虫色のアタックは過去前例はないと記憶している。女性に関しては変化球ゼロの正面突破・ストレート型であったことだけを強調しておく。他人の行動様式を私に当てはめられることは不愉快であるのみか、それでは私の性格の理解も分析もできない。第一編を読めば、私の性格の全体像に関して解説はいらぬとも考える。
因(ちな)みに、大学時代にもいろいろ女性が登場したが、(振(ふ)られても)揉(も)めることはなかったのみか、未(いま)だに全員と双方好感情を持っているはずである。高校時代の倶(く)楽(ら)部(ぶ)女性友達も同様である。なお、謀略・催眠ならば、S予備校女性の件は記述する必要はほとんどなかった。主人公は第三編労働哀史なのだから。
既(すで)に記したように女性に指一本触(ふ)れていない以上、デート所か外でも一度もあっていない以上、授業妨害・営業妨害はしてはならない。犯罪である。まして、外部で、私が刑事犯罪被害に遭(あ)っているのを承知で、それに符(ふ)号(ごう)するように授業妨害をしていたならば、これは刑事犯罪への共犯となり、明白な大犯罪となる。外での直接の犯罪行為はこれは拉(ら)致(ち)・誘(ゆう)拐(かい)未(み)遂(すい)となり、想像以上に罪は重い。当初は、S予備校外の刑事犯罪もS予備校関係者と勘(かん)違(ちが)いしたが、これはS予備校ではないと、S予備校辞職後数(すう)箇(か)月(げつ)してから思い出した。そこまでする動機がないからである。だが、S予備校内部での授業妨害(営業妨害)は確実


これ以降は、トラブルが先の女性に絡めているならば、何とか大勢を説得しなければ仕事が出来なくなると言う視点からでしかない。
今は逆である。この件について解説していたならば、人生の後がないである。本日も、二本の原稿で優先順位を迷っていた。
一つがこの原稿。
もう一つが2015年の訪米は何を目的で、(オバマ大統領宛の)何の文章をホテルにおく予定でいたか、である。当然、後者(『日本のフィクサーME・パート3』の序)を優先したかった。
それは世界にとって意味もあるし、私も書きがいがある。なによりも読者の関心の度合いも全く違っている。後者の方が同じサイト掲載ならば読者は多いからである。

人生も残り少なくなり、S予備校の女性の件はままごと・ドタバタ劇であり、もはや一切書くのは人生のロスとしか思えない。馬鹿馬鹿しいと何度言ったであろうか。
さらに次の記述もある。
☆☆☆☆☆☆
ともかく、全体として催(さい)眠(みん)・マインドコントロールが主役であったとしか思えない。その証拠にS予備校大阪校に異(い)動(どう)が決まるや一秒で、S予備校女性の件は私の脳(のう)裏(り)からは消えた。ただ、その後もS予備校女性についてS予備校内で解説し続けたのは授業妨害を止(や)めさすことが目的であった。S予備校の労働条件が良かったので、岡短で専任になるまではS予備校を辞めたくなかったからである。
☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆
2019/04/20 15:02追記。

小学校の頃、二つ上ほどの従兄弟(いとこ)が言った。
「隆ちゃん、□□が好きなのだろう」。
私は「違う」と言った。
すると、従兄弟が「いや、好きに決まってい」と言った。

その後、私が仮に▽▽にラブレターを渡したとしよう。
勿論、小学校のため、デートも何もする訳がない。
だが、好奇心旺盛な盛りで、学校中で大騒動になるであろう。

しかし、小学校を卒業すれば誰も忘れる。
ましてや、三十年以上経てば、誰とて子や孫のことで頭がいっぱいである。


S予備校の話は上記の例えに限りなく近いレベルである。
指一本触らず、学外でデートもせず、日本で言う見合いのセッティング前に潰れた話である。

当然、私や、該当する女性C、D、EもS予備学校を去れば、誰も忘却する次元の話でしかない。
それが未だに、危害が連続しているように思わされるのは不思議以上のものである。
当時、彼女らは24~26才くらい、私は32才の頃である。
35年ほど前の話である。
今、私は古稀に近づき、父が死亡した年齢に近づきつつある。
他方、彼女らは還暦前後であり、孫にも囲まれていよう。

会話時間もDさんなら、S予備校在籍6年会話合計時間は10分程度である。
Eさんとは結婚が決まった後での会話を除けばその数倍程度であろうか。
Cさんも、学内の状況を沈静化するため、(課長などの許可を取り、学内で正式会談した、学内の仕事に限定して)三人で話した10分程度を除けば合計10分程度である。
6年合計時間である。

勿論、何度も記すように、指一本触れていない。
職場以外では一切会っていない。
職場でも人のいない場所では会っていない。
それが数十年尾を引くなど、理論上あり得ない。
考えられない。
何らかの恨みなど買う心あたりも全くない。
そうした危害を受ける心あたりも、そうした危害を受けることも存在しない。

だから、2012年に出会った友人に、「私はそうした危害を受ける心当たりが全くない。誰か何か勘違いをしているのでは」と言ったことがある。
友人はきっぱりと「勘違いではなく、人間違い、人違い」といい切った。
何のことかサッパリ分からなかった。
4月17日、amazonからのメールが偽メールと確定した夜、先の友人の娘さんから電話があった。「父が息を引き取りました」と。
「父」とは先の言動をした友人である。
恰(あたか)も、危害者Xなども、偽者と勘違いしてたとの確定したと分かった如くに。ただし、現段階ではそう思わされているだけである。
その前に何のことか分からない。

高校、大学などで出会った女性とはデートがあろうと・なかろうと、恋愛感情をもとうと、ことわれようと全て良好な関係にある。会えば分かるが、誰とも未だに仲が良い。
会う機会はあったが、超多忙・金欠などで会っていないだけである。
会う機会とは、何人かが、「浜田さん、▽▽さんんども来るのでこない」などの誘いが各種あったが、先の理由で断っただけである。
私に金があり、多少暇があれば会っていた。もし、厚生年金か共済年金があり、引退していれば喜んで会っていた。

ところで、何故、私がS予備校の女性の話を多忙の中で書かねばならないのかも不思議以上のものである。
何で今更、となる。
同時に数年前からS予備校の鉛筆やS予備校と記されたものが我が家内で大量にでてきており、それも不思議な話である。


先の従兄弟の話を記せばわかろう。
もし、『日本のフィクサーME』に登場するオジョウに話せば言うであろう。
「マジ」。
私も思う。
「これ、何」と。
一体何なのであろうか。

再度言う。
私は人に恨まれる心当たりはまったくない。

党派中立・宗派中立をしてから三十年以上となり、確実に実行もしている。
完璧な非暴力主義者でもある。
差別をなくす活動に、受験勉強、就職活動を犠牲にして、行っていた人間である。
完全党派中立宣言をしてから、特定の団体支援ではなく、全てのそうした団体を応援する立場にある。
まだ、この世で結婚するならば、相手の学歴・出自・家柄、国籍・人種などは一切無関係という立場でいる。「そうしたことは、聞かない・調べない・(万一)耳に入っても気にしないというよりも完全無視である」。

よって、何故、私が三十年以上、危害を受け続けるのか、どの角度から考えても全く分からない。
人生後がないときに、訳の分からぬことを書く時間すらもったいない。
一体、なんであろうか。
同時に、私の読者もこの件よりは、「日本のフィクサーMEシリーズ」や「偏差値のいイドラ」などの方にはるかに関心を持っている。アクセスなどのデータや反響などが示している。
HP活動としても、この件や「写真残酷物語」などを書くと、読者は相当期間、減り続ける。どの世界でも同様である。
ニコンやキャノンが、商品の開発・解説、それどころかCMをせずに、社長の個人的話はばかりを書けば会社は通常は潰れる。
私も同様の心境である。
迷惑千万である。


追記。
私には世界に多くの友がいる。
そして、私の今いる周辺にも、大昔の友・(差別反対運動をしていた)仲間が随所に散らばっている。彼ら・彼女らの所属団体がちがっていても。
ちなみに、私は党派・宗派中立を実践している。

ただ不思議なのは、私の意思に反する行動が一部見られることである。
例えば、Cさんに手紙も何も出す意思はなかったのに、何故手紙を…などである。
追加すれば、(確か)昨日、昼寝か何かで夢を見た。
夢の中で義叔母(叔父の嫁さん)がでてきた。
仮眠から覚めるやその直後に、その義叔母の息子(私の従兄弟)が我が家へ来た。
まさに直後であった。広報15部の所を14部持ってきた。
同時に、何度も書いた、デカルトは「我思う故に我あり」であるが、私は「我、思わぬのに我あり」で参っている。催眠という言葉で記している。
だが、それでも人の恨みを買う行動はしていない。
よって1984年後半以降、全く意味が分からない。
これが全てである。

2019年4月29日