【徒然・私事】№137:長期危害連続―心当たりなし。友は人間違い、と言う(3):駿台等

気が向けば一言【徒然・私事】№137:長期危害連続―心当たりなし。友は人間違い、と言う(3)。


【更新履歴】2019/04/26 17:11 下書き段階で公開開始。 2019/04/26 18:18チェック用公開

2019/04/26 18:55完全公開開始

2019/04/27 13:38 追記→早大大学院の後半は(オーバー修士のため)奨学金なし、(東京時代四年間一貫して)仕送り無しである。




2019/04/26 16:09記述前書き
下記Twitterに記載した如(ごと)く状況で、こうした原稿を書いて何の意味があるのだろうか。

○https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1121235086131679232


結論から記す。
世界の我が友達も「人間違い(ひとまちがい)」とか偽者(にせもの)と知っている様子。
簡単に言えば、誤情報で人間違いをして、私に攻撃を加えた。
それが全てである。

私が電子書籍を最初に発行する日に、同姓同名で漢字まで一緒の浜田隆政という人が全く同一日に高額の本をだした。同時に、電話局のミスか何かで我が家と全く同じ住所の家が地図上二軒存在していた時期が長期続いた。名前でも、別に住所でも同一が存在していた。

誰と人間違いしたのかを、私は断定しない。
人間違いした人間が、私の危害のどの部分に該当するか不明であるが、ひょっとすると一番初めからかもしれない。


尚、昨日集金の際、村の人が山城新伍さんをTVで出していたが、私の顔を見るがよい。また私の醸(かも)し出す雰囲気を女性が騒ぐかどうか。勿論、私もそうした世界に興味は全くない。即座に分かりそうな物を。呆(あき)れかえって物が言えない。

更に、山城さんは金があった。私は早大大学院の後半は(オーバー修士のため)奨学金なし、(東京時代四年間一貫して)仕送り無しである。東京でバイトで生活するのも大変であるが、バイトで生活しながら、大学院で研究するのは至難の業である。しかも社会人入学枠ではなく正規で入っている。時間も大変であるが、金も大変である。通常の人と異なり、研究費が毎月3~4万円いる。

通常のバイト生活者と異なり、時間も金も大変というものではなかった。
私の如(ごと)く風貌(ふうぼう)と雰囲気で、さらにそうした金欠(きんけつ)境遇の人に通常の女性が来ると思うか・否か。それも即座に分からぬ干渉者の相手はできない。
大学時代もほぼ同様である。高校時代は理科系で男子がほとんど。更にクラブ活動で忙しい。35才からは、事実上、自宅監禁の身である。S予備校講師時代の途中4年程度のみ金が多少あったが下記の女性軍に振り回されて終わりである。


再度言う。
人ちがい。
本格的組織力を持った機関の人もそういう結論をだしていた。
それが全てである。
1987年は間違いなく人違いであろう。
しかし、信じ難いが、理論上は私がS予備校の教壇に入った直後くらいから。
想像では、下記女性の登場前からの人違いの疑惑すらある。
要するに、一番初めからの疑惑が。

(上記Twitterの原因は1984年に手紙を出してからは訂正する必要が出てくる可能性もある。即ち、通常は信じられないが、手紙を出す前から。原因は人間違い、と。)
なお、既に記した下書きを誤字脱字修正して続きを記そう。


【前回の続き・原稿】

2019/04/17 0:37から2019/04/17 2:44の字句を2019/04/26 18:17訂正したもの。


尚(なお)、手紙を出し、断りの返事が来た。これで終わったと思った。
ところが、№119に書いたように、講師室係Cが人目を構わず怯(おび)えた真似(まね)をしだし、弱った。人は何だろうかと奇異な目でみる。
こうした対応見たことがないので(*_*) マイッタ。
そこで、廊下ですれ違ったときに、人目をきにせず「お世話がししてスミマセン」と一礼をした。この程度の言葉ならば、不自然ではあるまい。

だが怯(おび)えは続く。他方、何人かが感づいてからかいにくる。まるで小学校か中学校か何かの状況。後は長くなるので『閉じた窓にも日は昇る・付録編』に記すとして、肝腎(かんじん)な点のみを書こう。

二号館講師室係も何があったかと訝(いぶか)しがるので、私の性格を知ってもらおうと、可能な範囲で会話を開始した。二号館は一号館と異なり、講師室と事務室が続いてもガラス張りではない。少しガラスがある程度である。
勿論、声の大半は事務室に聞こえよう。

我が家のフスマで続いている部屋同様に。この時点までは二号館講師室係の二人とも、過去の会話の(一日ではなく、全)合計時間は五分~十分程度ではなかろうか。このトラブルからやむを得ず会話を開始したのだから。


同時に、こうしたからかいなどから逃れるため、(S予備校外で)連続見合いをして早く結婚をしようとも考えた。よくないが連続見合いとなった。両方とも良かった。一人は美形であった。比較はよくないが、容姿だけでは人によれば、S予備校よりもこちらの方が良いという可能性もある。比較は良くないので後日、削除を検討。

もう一人は、明るく朗(ほが)らかで、これが日本のフィクサーMEで登場する「おじょう」である。お嬢は大学時代の親友女性。オジョウはお初天神で出会うとなっている1999年来の女性。そして「おじょう」と進行するはずが、なんやかんやで潰れる。

講師室係Cの後は、S予備校女性ではなく、「おじょう」と話は進行するはずであった。ところが、不自然な形でつぶれかける。いな、事実上、つぶれた。つぶれかけたのが1985年2月中旬頃であった。デートもほとんどできなくなっていた。これ以降はおじょうともきまずい雰囲気となった。



1985年4月末か5月頃から、当時の二号館女性二人同時に仲良くなった雰囲気を抱かされた。すると、結婚を焦っていたので、一号館講師室係Cに手紙を出して断られた話をした上で、それでもよければどちらかと見合いに該当するものも考え始めた。幸いに、二号館の彼女らの上司O課長とも仲良くなりかけていたため、O課長をいれて、話を進めるである。

だが問題があった。二号館講師室係女性は№119で書いた、D(1985年4月からDさんは別の校舎へ)とEである。この両者が両方私に関心を持っているように見えたか、思わされた。困ったのは、DさんとEさんの性格が全く分からないのである。当然、DさんとEさんも、私の性格を全く知らぬであろう。よって、通常は演技か、「せいぜい関心を持つ」程度であろう。

だが、O課長に、両方同時に見合いに該当する斡旋(あっせん)を頼むことはできない。どちらと見合い該当をするかである。デート以前の見合い該当である。
私は相手の学歴・家柄・出自は全く気にしないが、相手は年収や将来問題から、そうした釣書該当若しくは、デートの前の立会人(仲人と類似)をいれても情報交換を必要としている可能性が高い。何故(なぜ)ならば、S予備校の女性職員で定年退職までいる人を知らないのだから。結婚を契機か、出産を契機に辞める予定の人がほぼすべてである。
霞(かすみ)を食っては生きていけないため、彼女らは情報を求めるであろう。
俗に言う、女性側の書類審査である。

書類審査はときには仲人を入れての会談で行われる場合もある。両方やる場合には前者が書類審査、後者が口頭試問審査である。両方をパスして、始めてデートとなる。ここが中学・高校・大学と、S予備校職員との違いである。

O課長にお願いするとしても、両方と言う訳にもいかない。ではDさんとEさんどちらと見合いをしたいか。日本型システムからはデートではない。その前の女性側からの試験(口頭試験)がある。後で、この意味は分かろう。

また、「おじょう」ときっちりと御破算にする話まではしていないため、見合い該当としても、1985年の夏以降をふと考えたのではなかろうか。特にその場合には筋は通すことにもなる。
そこで、構想とすれば以下であったような気がする。
Eさん、Dさん、それにEさんの友達類と、二号館課長Oさん(男性課長)共々食事に行く。金は私が持つという計画である。そして、Eさん、Dさんの性格を少しでも知り、それを材料に、見合い類似斡旋(あっせん)をO課長に依頼検討する。
ただし、この食事会は早い必要性はない。多分夏頃で、見合い該当斡旋以来が秋頃にするかもしれないと考えた程度である。

話は結構進み、参加者はEさん、Eさんの友達・既婚女性Lさん、Dさん、O課長(男性)、私、それに後二人程度来るかもしれないとなっていた。ほとんど話はついていた。飲み会ではなく食事会である。アルコールはわずかとなったであろう。女性の安全問題がある。安全問題とは帰路の問題である。私は原則として、デートでは送っていくか、一人ならば駅などからはタクシーで帰ってくれたならば安心する。責任問題もある。


ところが、なんやかんや、訳の分からぬことで、この件は水に流すことになる。ちなみに、大阪校では、夜間の男子生徒十数人をつれて、私持ちで宴会をしたこともある。当時は、そうした性格であった。
なお、やがて1985年の夏休みとなり、祖母が死に、おじょうとも連絡は完全になくなった。おじょうとあった最後は明白に覚えていない。事実上同年2月中旬か下旬頃から完全に気まずくなっていた。ちなみに、私がデートらしいデートをしたのは67年中で、事実上おじょうだけではなかろうか。後はデートというよりも異性の友人と単に食事をしただけというのが事実であろう。

S予備校に戻そう。
もし、二号館の件で余分なことがなく潰(つぶ)れずにいたならばどうなったか。以下はシミュレーションである。

①夏前後に食事会を六~七人前後で行う(費用は私持ちの予定。口実は適当につける。)

②場合によれば、O課長に頼み、E さんかDさんかどちらかと見合いの斡旋を依頼する可能性があった。その頃なら「おじょう」の件も問題なかろう。Eさん・Dさんのどちらと見合いをするかはそれまでに決まろう。(現時点でもE さん・Dさんの性格を含め何も分からない。全く何にも分からない。)

③(当時もO課長の言動があったので依頼したと思うが、今ならば確実に)O課長に見合いの打診役・仲人役を依頼する。

④O課長がEさん(Dさん)に打診。私は不必要であるが、相手が望めば釣書を渡す。

⑤相手の側がO課長に聞いたり、釣書を見たり、その他の情報を仕入れたりして、OKならば始めて見合いへと話は進む。(俗に言う)女性側の書類審査である。Noならば会う前に御破算となる。

⑥(OKのときには)O課長をいれてか、O課長夫妻をいれて、見合いが行われる。

⑦見合いでOKがでれば次回からが初デートである。勿論、女性が構わないといえば、⑥は省略も可能である。

⑧初デート。ここで、日本では大抵、私の将来の生活問題などが聞かれる。女性に経済力があるときには別であるが、そうではない場合には必ず、ここで聞かれる。俗に言う、(女性側の)口頭試問である。
S予備校講師室係Cに手紙をだしたくなく、大慌てでした見合い女性(阪大卒と言っていた女性)はここで終わりとなった(安定した経済力を持つ人が望ましいと言われ不合格となった。大昔の東京の見合いでも同様であった。)
小学校・中学校・高校・大学での恋愛との相違が、日本型システム見合いである。お互いに何も知らないということは恋愛ではなく、見合いに該当する。既述の如(ごと)く、職員同士ならば恋愛は可能であるし、教員同士でも可能であろう。だが、職員と非常勤講師は遮断され、双方何も分からない以上、恋愛ではなく、見合いからのスタートとなる。

⑨もしOKがでれば、次からが結婚前提の本格的デート開始である。
S予備校講師室係Cの件で懲りていたので相当硬くいったであろう。

悪までシミュレーションである。
では、もし、③まで計画通りに行けばどうなったか。
よしあしは別として、S予備校講師室係の女性はほぼ全員結婚か出産を契機に多分三十歳程度で退職する人がほとんどである。40代以上の女性職員を見たことは一度もない。専業主婦となる。

他方、私の当時の仕事は某大学校非常勤講師、S予備学校非常勤講師、進研模試監修、岡山の予備校講師である。

将来は。「S予備校で専任になる」と言えば、O課長などが部長に聞きその可能性があれば、女性はGoと言うかもしれない。当時は可能性はあった。だが、某大手大学校で専任確約を言われており、S予備校専任に私の方からなったかどうかは不明である。その場合に女性はどういうか。

専任の時期が不明であり、Noと言う確率が高い。先見の明(めい)がある。実際に、某大手大学校では専任詐欺にあい、専任になれなかった。もし結婚していればどうなっただろうか。彼女らが自主的に望ましい仕事をし、私が寄生となったのであろうか。
また、S予備校でもマイナーな政経担当のため、Noと言ったかもしれない。
既に大学の助教授とか専任講師、あるいはS予備校の専任ならばともかく、そうでなければNoと言う女性が多かった。

女性が既に、定年退職まで働ける職をもっていなければ、霞(かすみ)を食って生きられないので、通常は、⑤の書類審査か、⑥か⑧の口頭試問で落第となる確率が高かった。

もし、諸妨害がなく、①が遂行されていれば、女性側の書類審査か口頭試問試験で落第となっていたであろう。その場合にはS予備校で、どの角度から言っても揉(も)めると言うのは無理があった。
もし、すべてうまくいけば、⑨の二回目のデートからが相手の性格を見極める過程となり、それをクリアすれば結婚、クリアしなければ終わりとなろう。だが日本型システムでは、⑨をクリアすれば大抵は結婚まで行く場合が多い。


しかし、どの角度から見ても、これで刑事犯罪に該当する危害を私に加える動機にはならない。誤解の最悪の場合ですら、S予備校辞職後、三十年に亘(わた)り連続危害を加える動機には一切ならない。

だが、①をクリアしていてすら、揉(も)めるというシナリオがあったとしか思えない。


物事の本質は、友人は「勘違いではなく、人違い・ひと間違いが原因である」と言う。
だが、誰が人間違いをしたのか。
次に、どこからどこまでが人間違いによる被害なのか、…。
それらは未(いま)だに分からない。
ただ理論的には女性の出現自体が人間違いからの行動とみればすっきりするが現時点ではまだ何とも言えない。


ちなみに、私は女性に猛烈アタックをするのとは正反対であることは何度も記した。
早大大学院時代に、友人からマドンナ的な感じの良い女性にあわせてもらった。その際に、私の行きつけの店の話をしたら、是非、今度電話して誘ってと言われたが電話をする度胸がなく、会うことすらできなかった。容姿端麗(ようしたんれい)かつ感じの良い女性であった。

早大大学院時代に、何かの弾(はず)みで早大学部生と知り合いとなった。何かのことで酒を飲み酔った拍子に腕を組んで歩いた。
帰りがけに彼女が言った。「私は気にしないので、酔いが覚めても、浜田さんも気にしないでね」と言われ、彼女の予言通りに、大変気にした。彼女は後に名古屋大学大学院法学研究科に進学したため、会うこともなくなった。

関学時代は安全パイどころか、手の平の上でしかない。
ちなみに、私は全分野において非暴力主義者でもある
ただし、(組織的ではなく)個人的な正当防衛を除く。
当時から、誰もが知っている。
同時に、相手女性の家柄・出自・学歴などは一切気にしない
今や誰もが分かったであろう。
非暴力主義とは生活の全面で貫かれるものである。
大学時代は私が😭(>_<)(×_×)であることは、名前は出さぬが、「お前ら知っているのだろ」となる。

追記。
ただし、催眠誘導で動かされている部分が多い。もともと、講師室係Cへの熱自体が催眠としか思えず、私の判断以外のことで動かされたことを、私の責任で処理はできない。
私自身の意思で動いているときには必ず、筋は通す努力は終始しているが、他人の意思で動いている場合にはそれはできない。後者の場合には辻褄(つじつま)あわせ方記述になる危険性が一部存在している。この点は後で吟味をする。



どの角度から考えても、S予備校放逐後、三十年以上、危害を受ける動機には全くならない。どこから人違いの被害なのであろうか。見合いで断られる以前に、見合い前に潰(つぶ)れて被害を三十年以上受ける話など聞いたことがない。


【参考】S予備校講師時代に受けた犯罪被害の一部(ただし、犯人はS予備校関係者とは一言も書いていない。)
拙著『閉じた窓にも日は昇る』(Kindle、KOBO各百円)に一部掲載しているが、それは出版契約上掲載できない。
今回紹介の原稿は拙著『求め続けて』の一部である。既に連載で掲載したが、常時掲載できないのは出版契約の関係からである。
HPに掲載してもよいが、出版の際には削除することという契約である。まだ、出版していないため、契約上問題ないので、拙著求め続けてから、一部のみ関係部分を掲載している。掲載箇所は安らぎ文庫HPの下記である。
ちなみに、『求め続けて』第一部は女子高校講師時代、第二部がS予備校講師時代、第三部が某短期大学校講師時代であるが、何故か第二部が終わるや、『日本のフィクサーME』へ誘導され第三部は未だに完全掲載できていない。後に『同上書』の掲載を再開し8章シュバイツァー、9章キング牧師まで進むとまとも中断へと追い込まれた。
残りは10章チャップリンと11章ヘレンケラーであるが、何故、中断させられたのであろうか。

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第二部・補章ー・追記―2駿台辞職の経緯(2007年10月記述)
http://h-takamasa.com/Blog/?p=11577

第二部・補章ー・追記―2駿台辞職の経緯(2007年10月記述)

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本日、下記原稿を一気書きした。

下記原稿類が山積しており、下記原稿や『旅に心を求めてシリーズ』を書いた方が社会的有意義と思うが、何故か、上記の原稿を書かされる。なお、私のHP読者層は下記原稿と上記では比較にならずに(同一HPの同一ブログならば)下記に大きな反応を示す。
「写真残酷物語」や今回の原稿に強い関心を持つのは、私の読者層の1%程度ではなかろうか。それが、上記の原稿などを書くのが嫌になる由である。趣味でHPを掲載しているのではないのだから。
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日本のフィクサーME・パート3・2015年・訪米―(序)

http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=24637

日本のフィクサーME・パート3・2015年・訪米―序

 

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(以下は、下書き段階から次回以降分以降を(4)、(5)…として公開予定。)

2019/04/17 15:21から16:17追記。
本日就寝中にS予備校の件で二件誘導型質問あり。
現在の私にとってはもはや小さな問題のため、昨日しなかった項目である。
面倒も、記述を即開始し、本日13時までにかきあげる予定でいた。
そして、本日、公式ブログにもう一つ「日本のフィクサーME・パート3」の序の下書き掲載予定でいたが、下記問題が起こりどうなるか不明となる。

「ところが、フィシングサイトかなりすましサイト引っかかった可能性あり。
本物か未だに偽物か見分けがつかぬ。
念のため、メール写真、ソースデータプリントアウト、外付けへコピー保存し、サイバー110番等へ通報するか否か検討中。
ネット犯罪・脅迫は面倒も国全体で毅然たる対応を。」(Facebook記載から引用)

こうして15時25分記述開始。
就寝中の質問事項は二点あった。
α)1985年5~6月のS予備校講師室係Cに関して「話し合い」問題。
β)1985年夏のS予備校講師室係Eさん事件?である。


結論から書こう。
現時点では明白に言える。両事件とも私もちんぷんかんぷんに等しく、催眠型行動である。以下、可能な範囲でそれを実証しよう。

βから書こう。
これは1985年夏頃の講師用パーティで講師室係Eさんに、「待っててほしい」か何かを言って握手をした話である。指一本女性にふれていないの例外がこの握手である。

不可思議な項目だけ箇条書きする。

①この日、私はE氏がS予備校講師パーティに来ているとは全く知らなかった。よって、こうしたことを言う予定も何もなかった。講師パーティには先に書いたように職員幹部(男性)しか通常は来ない。この日は受付としてきていたようである。

②受付はトイレ問題もあり、通常は複数のはずであるが一人であった。

③「待っててほしい」類を言わされたが、私は何を待っていて欲しいという意味なのか全く、言った私自身が今も、当時も分からない。

④実際に、何もEさん向けに動く予定はなかった。当然、次回会う時の準備もしていない。そこで先の言動は言った私自身が意味不明である。これは当時もそう思い、後の記録でも随所に記載している。

⑤言った場所はパーティ会場入り口であり、中には多数の講師がいた。ドアがあいていれば見える箇所での握手である。

⑥この頃はまだ、Dさん、Eさん、どちらの性格も何も分からず、見合い該当を計画するとしても、どちらとしたら良いか不明であった。よって、動くはずは百パーセントない。

⑦訳のわからぬ「まっててほしい」を言わされた後、予定もないのに「こんなことを言ってどうするの」と戸惑った。当時は催眠なる状況を知らなかったが、何を待って貰うのかは言った私自身が全く分からず、呆気にとられていた。

以上。

もし、これが契機でEさんと話が進行しそうになれば、それ以降はどうなったかシュミレーションしてみよう。
まず、一度、外で会って話をしたいとなったであろう。
万一、会えればどうなったか。
彼女には彼氏がいたそうであり、即座に、断られたであろう。この件のすぐ後で婚約発表である。
だが、彼氏がいなかったとしよう。
その場合には下記を参考にすれば分かるように、駿台を30歳程度で辞めて家庭に入る女性ならば、断られたであろう。実際に見合いでは不安定な職業ということで、決まりかけたと思った話が壊れている。
これは既に書いた箇所を読めば分かろう。
要するに、会えば見合いでいう一回目で断られたとしか分析できない。
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気が向けば一言【仕事】№121・日本のフィクサーME・パート2付録編⑩・「奇異な人生と謀略の仕掛け人・仕事編」

気が向けば一言【仕事】№121・日本のフィクサーME・パート2付録編⑩・「奇異な人生と謀略の仕掛け人・仕事編」


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ところで、こうした初見合いに該当する会談の申し込みを直にEさんにできるか。当時は、一号館事件の件でEさんとは少し話をしていたので、可能にも思えるが、ここは下記の理由でEさんの上司O課長経由での打診となっていたと思う。

理由は、一つは二号館は一号館ほどガラス張りではないとはいえ、会話は隣接する職員室に筒抜けである。
二つ目は監視カメラがある可能性も高い。
三つ目はDさんとEさんとの対人関係上、Eさんに直接の声かけはすべきではない。私とDさん、Eさん三人で…仲良くという問題があった。
四つ目が致命的である。
Eさんの上司O課長とは、私は親しくしていた。そしてO課長が、1985年の夏前頃に私に言ったことがある。
「浜田先生、二号館の女性に関心があるときには、僕を通していってください」、と。同時に以下のことも言われたと思う。
「先生以外でも、そうした打診はあるのです。僕を通された方がよろしいですよ」であった。そして、流れたが先の如く夏頃に、私とO課長、Dさん、Eさん、Eさんの友達の既婚女性、+?人で食事計画まであった関係もある。
五つ目は一号館での揉め方上、直にの打診は困難であり、先の有り難い言葉があればO課長経由で打診となっていたであろう。
では、何故しなかったか。私はS予備校の女性と事実上の見合いをするときにDさんがよいのか、Eさんがよいのか全く分からず、動く気が全くなかったからである。
逆に言えば、会う気があれば、O課長に相談していた。結構仲良くしていたこともある。
一号館の課長は独身であり、更に、接待にはつれていってもらったが、そうしたことを頼める関係にはなかった。

O課長に相談した場合にどうなったか。
一応、かなり正確なシュミレーションをしておこう。
98%の確率で、一回目の見合いの前に、O課長経由で断られていた。一対一で会うことすらなかったであろう。根拠は明白である。この年の8月頃に、Eさんは長くつきあっていた男性と婚約をしたと聞いたからである。

だが、万一、彼女が迷っていて私と会談したならば。この頃は、相当揉めていたのでO課長同伴であったのではないかと思う。その場合には先の「不安定な職業」の状態ということで、通常ならば断られるであろう。例外は、生涯仕事をし続ける予定の女性のみである。霞を食っては生きていけないという原則がある。
ただし、清貧を理想とし、共にバイトをしながらでも生きてこうということもあろうが、そういう女性はS予備校職員にはいないであろう。
玉の輿が待っている人が多いのが実状である。
もし、不安定な職業でなければ、駿台女性以前に見合いで決まっていた。私が乗る気で、相手もその気に見えて、ことわられたときにはいつも「仕事が不安定なので」が原因となっていたからである。

そうしたシュミレーション抜きで、私はEさんにアタックするなどの結論は出したことは一度もななかった。Dさんに対しても。まだ検討中以前の段階であったことが全てで有り、催眠で「意味不明な」言動を突如いわされたことが全てである。

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2019/04/17 19:25追記。
α)1985年5~6月のS予備校講師室係Cに関して「話し合い」問題。
もう一つの事件も催眠である。
二号館講師室係などと和気藹々と話をし出すと、今度は、一号館講師室係Cさんが、何か、私の方を見てにっこりと笑ったり、その他、通常でいう好きな仕草をしたりし始めた。
通常は無視が原則である。
更に、この一年で騒ぎは拡大し、みんな祭り騒ぎの様相を示しており、トラブルの原因となるため無視である。実際に無視していた。

ところが、多分寝ているときだろうと思うが、何度か「私のアタックの仕方が悪いので、相手が驚いてことわっただけである。そして相手も、その件で後悔しているかもしれない。再度…」と。
だが、常識上、もう無理である。
最低でも一年以上、ときには二年ほど冷却期間をおかないと無理である。だが、私は年齢から結婚を焦っており、それはリスクが大きい。更に、誤解ならば誤解が解ける一、二年置いて、再アタックではない。一、二年おいて、何とかCさんとの見合いのセッティングである。
性格も分からない。生き方も全く分からない。どんな人かも分からない。話をしてみないことには何にも分からない。「先生、お茶です」「ありがとうございます」類だけでは何にも分からない。よって、まず、日本型見合いをどうやってするかである。
賢明な手段は、彼女の上司Y課長は独身かつ、揉めた件に絡んだためまずいが、上司の上司OK部長、あるいは京都高校長のKW先生などと懇意になり頼むしか方法はないのが実状であった。
よって、初デートのアタックではなく、初見合いの段取りに一、二年おくとなる。

ここで先にシュミレーションを記す。
櫻井よしこというニュースキャスターがいる。『NNNきょうの出来事』とうニュース番組で1980年から1994年頃まで司会をしていた。私は、時々その番組を見て、彼女はリベラル、更には左翼に違いないと想像していた。
ところが、彼女が司会者をおりて、自由に発言しだすと左翼の逆である。最初は、これは冗談を言っているに違いないと思っていた。だが、冗談ではないと後に分かった。
要するに、職場は勤務先であり、そこで仕事の会話のみでは何を相手が考えているか全く分からないのである。「お茶どうぞ」「ありがとう」に該当する会話の延長では尚更そうである。
こうした出会いは二十年続いても、一回分の見合いの中でも一時間分以下しか相手のことは分からない。

Cさんの件も同様で会ってみないと何にも分からない。職場の親睦会での会話すら、できない構造となっているから尚更である。職員はS予備校の労働者であり、教員はS予備校の商品である。対等の労働者同士の関係にすらなっていない以上、S予備校では何にも分からない。
同時に、容姿類は私の好みではない。私は松坂慶子・浅丘ルリ子型ではなく、榊原郁恵タイプであった。

シュミレーションを更にすれば、もし一度でも会えば(一度でも見合いをすれば、先の一言№★)に書いた理由で、職業が不安定ということで断られた確率が98%以上と推定される。
よって初見合いをしても結果は決まっていた。
ちなみに、NHKのニュースキャスターで評価をしていた女性は森田美由紀などである。見ていて楽なのが、小野 文惠(おの ふみえ、1968年4月18日 – )とか、寺門 亜衣子(てらかど あいこ、1985年8月19日[1] – )などである。塚原 愛(つかはら あい、1976年5月24日 – )もTVを通じて、色々遊んでくれたので悪い気はしない。よって、全く好みのタイプが違うのである。だが、彼女らとて、仕事場以外で会えば、先の櫻井さんの例ではないが全く勘違いをしている場合もあろう。
付き合うかどうかの前に見合いをせねば不明ということである。

性格が海のものとも山のものとも分からぬ女性と初見合いの段取りをするのを一、二年まつのはかなり躊躇(ちゅうちょ)した。要するに、「次へ」である。

第一次下書き中のまま進行していない、拙著『閉じた窓にも日は昇る・付録編』から下書き状態で抜粋する。

☆☆☆☆☆☆
こうして、お前とYKやGTを絡(から)めることにより、お前の恋相手はYK、GT、NMだと、周りを巻き込み、ややこしくする。そして(1)④イ・逆転法則に記したお前の性格(女性に複数以上寄られれば当(とう)惑(わく)するタイプ)を利用して、異性と同時掛け持(も)ち付(づ)き合(あ)い的な罪悪感を持たし、何があっても自(じ)業(ごう)自(じ)得(とく)と思い込ませる。これは刺客―2~4(S予備校での授業妨害等)の登場を自然に見せるための戦略であったそうである。
「だけど、お前がS予備校女性に指一本触れておらず、デート所かS予備校外でもあっていない以上、本当は、誰も女性の件ではお前のことは何とも思っておらず、暇(ひま)つぶしに喜んでいただけなのだよ。定年退職後にS予備校に来ていたKW先生なんか楽しくて仕方なかったのだよ。だから、お前を見てゲラゲラ笑っていただろう。途中、計画通りに行かなかったが、ただ、次のステージ、登場人物の関係で、もうごり押しをしたのだよ。ともかく、刺客―2~4をスムーズに登場させることがすべてだったのだよ。」
☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆
どうも、『閉じた窓にも日は昇る―付録編』の方が分析も正確で、理路整然としているため、この件は順番待ちの同本を時期をみて出版した方が簡単に解説できるであろう。

だが、当時、就寝中に別の誘惑があった。
しかし、職場で仕事がやりぬくいだろう、と。
「まず、職場を平静にすることが一番である。そのためには、Cさんと仲の良い人などと合同で話し合ったら、と。
アタックは誰が考えてもできる状態にはない。第一、一号館は二号館と異なりガラス張りで、全員が注目をしている。
だが、今のままで仕事に熱がはいるか。
集団で会って、話し合えば誤解があるならば、誤解は解ける」と。
だが、私は何か罠的な雰囲気も感じて乗る気ではなかった。

そんなある日、Cと仲が良いように見えた、講師室係既婚女性TKさんが、私の資料の大量コピーか何かをしてくれた。
すると、催眠型でその日か数日後に次のような言葉をいわされた記憶がある。

「仕事が大変やりづらい。
Cさんの先輩KMさんにも参っている。
一度あって話したいがどうだろうか。
TKさんとCさん合同でもよいし、TKさんだけでもよいので」
と言ったと思う。言わされたと思う。」
ただし、Cさんだけとは言っていないと思う。
ちなみに、この頃はKMさんはおとなしくなっていたため、タイムラグがある。
1984年末頃に、Cさんが怯えまくる件で弱り、Cさんの先輩講師室係・KMさんに相談したことがある。
KMさんは既婚、更に落ち着いた感じがするため相談したのである。
所が、KMさんが、大昔塾で教えていた生徒同様に舞い上がった感じを受けた。
恰も、自分に映画か何かのスポットライトが当たったというが如く、喜びまくった。まるで独身女性、それも女子中学生か女子高生の如くに見えた。
私は高校は理科系でほとんど男性、クラブは部落問題研究会で人権に興味を持つ女性、大学は自治会再建に意欲を持ったり、婦人問題研究会で女性の人権に興味を持ったりする女性しか知らない。びっくりした。
女性ってこんなの、と。
KMさんの行動は、大したことではないため、いつか気が向けば記そう。敵意ではなく、舞い上がったという感じを受けた…。
だが、TKさんに言う数週間程度は、大変おとなしくなっており、タイムラグはあったため、口実とすれば不自然であったかもしれない。
若しくは『付録編』で分析している通りであろう。
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やはり映画説としか思えない。二〇一〇年四月二七日の就(しゅう)寝(しん)中に、第一の刺(し)客(かく)群について――女性に指一本触れず、S予備校外でもデートすらしていないのに、S予備校をどうやって追い出したか――の種明かしをされ、そして恰(あたか)も催(さい)眠(みん)の如(ごと)く形で原稿を書くよう強要された(と感じている)。その内容を以下記す。
「一号館女性NMの怯(おび)えは話題提供のみではない。あからさまに逃げ回るような形や、(芝居の如く大袈裟(おおげさ)に妙にビクビクとした演技で)怯(おび)えれば、お前は恥ずかしいのみか、講師室係に物を頼みにくくなるため仕事にならない。そこで二つの行動(αとβ)をとる。即(すなわ)ち、α・NMの上司や先輩を通じて沈(ちん)静(せい)化(か)を図(はか)ろうとする。もう一つは、β・二号館講師室係にも不(ふ)審(しん)に思われないように努力をせざるを得なくなる。
このαとβを利用して対人関係を壊(こわ)す計画を練(ね)っていた。同時にお前への攻撃の正当化を図り、S予備校で行われた(授業妨害等の)無法をお前自身の責任と思わせ、一部諦(あきら)めさせる戦略だったのだよ。この正当化は第四幕での、近隣・親戚の人の出(で)鱈(たら)目(め)行動をパッチテストの名の下に無(む)理(り)矢(や)理(り)正(せい)当化しようとしたのと同様だよ。」

α・「前者(α)の場合が、NMの先輩・KMに『NMさんに通常にしてもらうよう』にと伝言を依頼した件である。その後で、KMに授業直前等にお前を少しからかわせる。するとお前は怒る。だが周りはお前がNMに振られたことも知らぬため、KMのからかいなどには気づかない。KMにもう少しからかわせる。お前はKMに怒る。するとKMの上司の管理職・YD課長などが逆にお前に怒る。こうして対人関係をややこしくする。つまり周(まわ)りを絡(から)めさすのである。でないと、お前が失恋しただけでは、後の刺客―2~4などが自然に出現できないであろう。ただ、お前がKMに怒らないので苦労したが、何とか別の方法で、一度だけとはいえ、YD課長を怒らせることができたが」、と。
KMが、恰(あたか)も女子高校生が教師の気を引くのが度が過ぎたような形で図に乗り、有(う)頂(ちょう)天(てん)になったような形で私をからかった理由はこれで明白になる。おまけに、KMは二十代後半でかつ既(き)婚(こん)者である。そんなことをするはずは通常はない。まして職場で。上司のYD課長も当然そう思う。私もそう思う。それがからかわせた理由なのである。
「(映画説故(ゆえ)に)、NMの先輩女性KMは、無関係の教職員を巻き込みややこしくする目的で、故意に授業前に(他人に分からないように、お前、否(いな)、人間の心理を突き)挑発してたのだよ。その件で頭にきたり・気が散り困り、お前がKMに怒り、その意味が不明の上司YD課長がお前に怒り、喧(けん)嘩(か)となるように。若(も)しくはお前に更(さら)に誰かに相談させるのが目的だったのだよ。そして、ややこしくできたと感じるや、役割が終了したことになり、それで大人しくなった」、そうである。
因(ちな)みに、「最初の相談相手(KM)や二番目の相談相手(TU・NM)が、YD課長でも同じで、その場合にはYD課長で同様にややこしくする策略も練(ね)ってたのだよ。その証拠が先のYD課長との言い合いだ」、と。(勿(もち)論(ろん)、刺客―1の段階では、誰が見ても自然に見える形で行われていた。このα・前半部分がどのような形をとったかは付録編参考箇所【参考―1】参照。これを読めば、誰でも自然に起こりうる問題と考えるであろう。)
「だから、NMの最初の怯(おび)えの理由も、もう十分、分かっただろう。怯(おび)え回った振りをすれば、面白い話題提供ができるのみではなく、αとβを絡めて刺(し)客(かく)登場のお膳(ぜん)立(だ)てをつくることができるため故(こ)意(い)にやらせたのだよ。即(すなわ)ち、α・お前が困って誰かに相談するようになる。実際に(NMの先輩女性)KMに一(ひと)言(こと)相談しただろ。すると逆にKMで困り、更に誰かに相談となったであろう。即ち(KMの上司である)YD課長に相談しようとし、更(さら)に更(さら)にややこしくなったであろう。」
「お前より、男女関係では、彼女らは格上であり、NMなど手紙をもらって怯(おび)えるような女性ではない。異性から手紙をもらったり、出したりして怯えるのはお前くらいなものだ。お前は可(か)愛(わい)らしいね」、とも。
そう言えば、H係長が言っていた。
「NMさんは、美形のため、過去相当、男性からアタックされていると思いますので、断(ことわ)るのは慣(な)れていると思ったのですが。先生からの手紙(恋文)くらいで驚くとは思えないのですが」、と。
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だが、私がTKさんに相談する前にはKMさんの行動は収まっており、それを口実にするのは妥当ではなかった。
では、何故言ったか。
回答は簡単である。
催眠である。
それ以上でも、それ以下でもない。

ところが、これで揉(も)め、二号館の職員と合同での食事会は自粛(じしゅく)する羽目となった。
そして、E氏の件に続く。


ところで、もし、このときにTKさんなどときっちりと会話していたら何を言ったか。
当然、授業への協力のみである。
あわせて、Cさんの件での誤解部分があれば解きたいが、誤解部分が何かが分からないと解けないし、何も言えなかったであろう。
この時点で、最初の見合い云々などの話をする気は全くなかった。
要するに、会っていれば全部誤解がないのを、全部会う前に潰れたので、誤解ゲームが蔓延しただけである。


しかし、その頃、拙著『日本のフィクサーME』に登場する、お嬢は喜んだ。お嬢は二人の人物から合成した架空の人物であるが、そのモデルの一人は喜んだ。
「それはアタックだ」などと。
大喜びであった。
本人は否定しようが、顔や雰囲気は喜んでいた。
ここだけの話であるが、お嬢はサゾ的傾向があるのではと思うことがある。
私を虐めて喜ぶ、と。
お嬢は結婚し、子も孫もいる。
私は本当にひたすらお嬢一家が生涯仲良くすることを心から願っている。
ここ二十年も会う機会は何度かあったが、超多忙と、会っても意味がないため会っていない。怒るか喜ぶか不明であるが、面倒くさいので会っていない。
他の仲の良かった女性友達は会いたいと思っても金がない。
大昔、家庭教師をした子には金だけではなく髪もないので、会っても格好が悪い。
それが会わない理由である。


結論を記す。
この件は、突如、催眠で言わされた言葉である。
Cの先輩KMについては1984年末頃は確かに手を焼いたが、この頃はおとなしくなっていた。
私はこの件でアタックする気はなかった。少なくとも考えていなかった。
もし会えば、授業をする上での環境整備と、(催眠が解けねば)一年か二年後にCとの見合いのチャンスがあるかどうか見極めようがせいぜいの感情であった。
この会談を通じての見合いセッティングは筋上しない。
なお、二号館の女性との合同食事はトラブルを恐れ中止とした。

お嬢は何故か「アタック」「アタック」と喜んでいたが、『閉じた窓にも日は昇る―付録編』に記載した、過去の私の前例が全てである。私は単刀直入派で、変化球でなく、速球一本派です。それが全てである。


依(よ)って、全てにおいて手紙(恋文)かストレートに想(おも)いを伝えるタイプであり、戦略・戦術類は女性に関しては過去使用したことがない。第一、そうした技法は全く知らない。社会科学者らしくデータを公表しておく。過去の女性への交際申込み類の前例は、見合い類を除けば、S予備校NMや女子校同僚講師KNのときの如く手紙ではっきりとが五例程度(文面は非常に誠実に記している。文書のため相手が保持していれば証拠が残っているはずでありそれを見るがよい)、電話ではっきりとは一例程度(大学時代の先輩女性に電話で「あなたに熱をあげているのですがどうしましょうか」と)、会ってはっきりとが一例程度{大学の後輩に「付き合ってほしい」。駄(だ)目(め)と言われたので「もし一年以上粘(ねば)っても駄目か」。相手は駄(だ)目(め)。「ならば諦(あきら)める」である}、であろうか。
過去デートした女性との最初のデートは、見合い類を除けば実質上は全て女性の方からの誘いであり、私自身が誘ってデートしたことはないと思う。必死の思いで誘ったことがほんの数度あるが全部断られている。中途半端な玉虫色のアタックは過去前例はないと記憶している。女性に関しては変化球ゼロの正面突破・ストレート型であったことだけを強調しておく。他人の行動様式を私に当てはめられることは不愉快であるのみか、それでは私の性格の理解も分析もできない。第一編を読めば、私の性格の全体像に関して解説はいらぬとも考える。
因(ちな)みに、大学時代にもいろいろ女性が登場したが、(振(ふ)られても)揉(も)めることはなかったのみか、未(いま)だに全員と双方好感情を持っているはずである。高校時代の倶(く)楽(ら)部(ぶ)女性友達も同様である。なお、謀略・催眠ならば、S予備校女性の件は記述する必要はほとんどなかった。主人公は第三編労働哀史なのだから。
既(すで)に記したように女性に指一本触(ふ)れていない以上、デート所か外でも一度もあっていない以上、授業妨害・営業妨害はしてはならない。犯罪である。まして、外部で、私が刑事犯罪被害に遭(あ)っているのを承知で、それに符(ふ)号(ごう)するように授業妨害をしていたならば、これは刑事犯罪への共犯となり、明白な大犯罪となる。外での直接の犯罪行為はこれは拉(ら)致(ち)・誘(ゆう)拐(かい)未(み)遂(すい)となり、想像以上に罪は重い。当初は、S予備校外の刑事犯罪もS予備校関係者と勘(かん)違(ちが)いしたが、これはS予備校ではないと、S予備校辞職後数(すう)箇(か)月(げつ)してから思い出した。そこまでする動機がないからである。だが、S予備校内部での授業妨害(営業妨害)は確実にあった。


これ以降は、トラブルが先の女性に絡めているならば、何とか大勢を説得しなければ仕事が出来なくなると言う視点からでしかない。
今は逆である。この件について解説していたならば、人生の後がないである。本日も、二本の原稿で優先順位を迷っていた。
一つがこの原稿。
もう一つが2015年の訪米は何を目的で、(オバマ大統領宛の)何の文章をホテルにおく予定でいたか、である。当然、後者(『日本のフィクサーME・パート3』の序)を優先したかった。
それは世界にとって意味もあるし、私も書きがいがある。なによりも読者の関心の度合いも全く違っている。後者の方が同じサイト掲載ならば読者は多いからである。

人生も残り少なくなり、S予備校の女性の件はままごと・ドタバタ劇であり、もはや一切書くのは人生のロスとしか思えない。馬鹿馬鹿しいと何度言ったであろうか。
さらに次の記述もある。
☆☆☆☆☆☆
ともかく、全体として催(さい)眠(みん)・マインドコントロールが主役であったとしか思えない。その証拠にS予備校大阪校に異(い)動(どう)が決まるや一秒で、S予備校女性の件は私の脳(のう)裏(り)からは消えた。ただ、その後もS予備校女性についてS予備校内で解説し続けたのは授業妨害を止(や)めさすことが目的であった。S予備校の労働条件が良かったので、岡短で専任になるまではS予備校を辞めたくなかったからである。
☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆

2019/04/20 15:02追記

2019/04/20 15:02追記。

小学校の頃、二つ上ほどの従兄弟(いとこ)が言った。
「隆ちゃん、□□が好きなのだろう」。
私は「違う」と言った。
すると、従兄弟が「いや、好きに決まってい」と言った。

その後、私が仮に▽▽にラブレターを渡したとしよう。
勿論、小学校のため、デートも何もする訳がない。
だが、好奇心旺盛な盛りで、学校中で大騒動になるであろう。

しかし、小学校を卒業すれば誰も忘れる。
ましてや、三十年以上経てば、誰とて子や孫のことで頭がいっぱいである。


S予備校の話は上記の例えに限りなく近いレベルである。
指一本触らず、学外でデートもせず、日本で言う見合いのセッティング前に潰れた話である。

当然、私や、該当する女性C、D、EもS予備学校を去れば、誰も忘却する次元の話でしかない。
それが未だに、危害が連続しているように思わされるのは不思議以上のものである。
当時、彼女らは24~26才くらい、私は32才の頃である。
35年ほど前の話である。
今、私は古稀に近づき、父が死亡した年齢に近づきつつある。
他方、彼女らは還暦前後であり、孫にも囲まれていよう。

会話時間もDさんなら、S予備校在籍6年会話合計時間は10分程度である。
Eさんとは結婚が決まった後での会話を除けばその数倍程度であろうか。
Cさんも、学内の状況を沈静化するため、(課長などの許可を取り、学内で正式会談した、学内の仕事に限定して)三人で話した10分程度を除けば合計10分程度である。
6年合計時間である。

勿論、何度も記すように、指一本触れていない。
職場以外では一切会っていない。
職場でも人のいない場所では会っていない。
それが数十年尾を引くなど、理論上あり得ない。
考えられない。
何らかの恨みなど買う心あたりも全くない。
そうした危害を受ける心あたりも、そうした危害を受けることも存在しない。

だから、2012年に出会った友人に、「私はそうした危害を受ける心当たりが全くない。誰か何か勘違いをしているのでは」と言ったことがある。
友人はきっぱりと「勘違いではなく、人間違い、人違い」といい切った。
何のことかサッパリ分からなかった。
4月17日、amazonからのメールが偽メールと確定した夜、先の友人の娘さんから電話があった。「父が息を引き取りました」と。
「父」とは先の言動をした友人である。
恰(あたか)も、危害者Xなども、偽者と勘違いしてたとの確定したと分かった如くに。ただし、現段階ではそう思わされているだけである。
その前に何のことか分からない。

高校、大学などで出会った女性とはデートがあろうと・なかろうと、恋愛感情をもとうと、ことわれようと全て良好な関係にある。会えば分かるが、誰とも未だに仲が良い。
会う機会はあったが、超多忙・金欠などで会っていないだけである。
会う機会とは、何人かが、「浜田さん、▽▽さんんども来るのでこない」などの誘いが各種あったが、先の理由で断っただけである。
私に金があり、多少暇があれば会っていた。もし、厚生年金か共済年金があり、引退していれば喜んで会っていた。

ところで、何故、私がS予備校の女性の話を多忙の中で書かねばならないのかも不思議以上のものである。
何で今更、となる。
同時に数年前からS予備校の鉛筆やS予備校と記されたものが我が家内で大量にでてきており、それも不思議な話である。


先の従兄弟の話を記せばわかろう。
もし、『日本のフィクサーME』に登場するオジョウに話せば言うであろう。
「マジ」。
私も思う。
「これ、何」と。
一体何なのであろうか。

再度言う。
私は人に恨まれる心当たりはまったくない。

党派中立・宗派中立をしてから三十年以上となり、確実に実行もしている。
完璧な非暴力主義者でもある。
差別をなくす活動に、受験勉強、就職活動を犠牲にして、行っていた人間である。
完全党派中立宣言をしてから、特定の団体支援ではなく、全てのそうした団体を応援する立場にある。
まだ、この世で結婚するならば、相手の学歴・出自・家柄、国籍・人種などは一切無関係という立場でいる。「そうしたことは、聞かない・調べない・(万一)耳に入っても気にしないというよりも完全無視である」。

よって、何故、私が三十年以上、危害を受け続けるのか、どの角度から考えても全く分からない。
人生後がないときに、訳の分からぬことを書く時間すらもったいない。
一体、なんであろうか。
同時に、私の読者もこの件よりは、「日本のフィクサーMEシリーズ」や「偏差値のいイドラ」などの方にはるかに関心を持っている。アクセスなどのデータや反響などが示している。
HP活動としても、この件や「写真残酷物語」などを書くと、読者は相当期間、減り続ける。どの世界でも同様である。
ニコンやキャノンが、商品の開発・解説、それどころかCMをせずに、社長の個人的話はばかりを書けば会社は通常は潰れる。
私も同様の心境である。
迷惑千万である。


追記。
私には世界に多くの友がいる。
そして、私の今いる周辺にも、大昔の友・(差別反対運動をしていた)仲間が随所に散らばっている。彼ら・彼女らの所属団体がちがっていても。
ちなみに、私は党派・宗派中立を実践している。

ただ不思議なのは、私の意思に反する行動が一部見られることである。
例えば、Cさんに手紙も何も出す意思はなかったのに、何故手紙を…などである。
追加すれば、(確か)昨日、昼寝か何かで夢を見た。
夢の中で義叔母(叔父の嫁さん)がでてきた。
仮眠から覚めるやその直後に、その義叔母の息子(私の従兄弟)が我が家へ来た。
まさに直後であった。広報15部の所を14部持ってきた。
同時に、何度も書いた、デカルトは「我思う故に我あり」であるが、私は「我、思わぬのに我あり」で参っている。催眠という言葉で記している。
だが、それでも人の恨みを買う行動はしていない。
よって1984年後半以降、全く意味が分からない。
これが全てである。

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【徒然・私事】№134:長期危害連続―心当たりなし。友は人間違い、と言う。
○http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1099/

 

【徒然・私事】№134:長期危害連続―心当たりなし。友は人間違い、と言う。

 

 

 

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2019年4月26日 | カテゴリー :