【徒然】ナンバー56・不倫・浮気・性問題とプライバシー権侵害(例・Me, too問題と前川喜平問題)―第三者が介入可能時の原則と介入してはならぬ原則。

不倫・浮気・性問題とプライバシー権侵害(例・Me, too問題と前川喜平問題)―第三者が介入可能時の原則と介入してはならぬ原則。



2018年1月9日(火曜日)に時事更新をしているときのことであった。
テーマはMe, tooである。
今、話題となっているセクハラ問題である。
そのとき、スピルバーク監督が突然飛び出してきて、私を指さした。
私は思わず、笑い、逆にスピルバーク監督を指さした。
すると、彼は驚き、目を丸くした。

セクハラのような重要問題で冗談を書いてはいけない。
もっともである。
ただし、スピールバーク監督の表情は事実である。


今、世間でMe, tooなる語が流行している。
ウィキペディアには次の記載がある。

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2017年10月15日、アメリカ合衆国ハリウッドの映画プロデューサーによるセクハラ疑惑が報じられたことを受け、女優アリッサ・ミラノが同様の被害を受けたことのある女性たちに向けて’me too’と声を上げるようTwitterで呼びかけたことが発端とされる。多くの著名人や一般利用者がこれに呼応し、世界的なセクハラ告発運動が展開されるに至っている。
☆☆☆ウィクペディアからの引用終了☆☆☆☆
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これについては今回、解説しなくてもよかろう。必要があったり、諮問されれば(更に時間が許せば)研究してみよう。ただし、セクハラ(sexual harassment)とは性的な事ではなく、性的いやがらせを指すいやがらせとか・いじめとか・被害者意識とかを相手が感じたかどうかが本質であることを強調しておく。性的事項ではないことを明確にしておく逆に、性的事項はプライバシー権・幸福追求権などの権利でもある
さて、今回は視角を変えてプライバシー権について論じる。


ちなみに、私は短期大学校教壇に立っていたときにはしばしば次のことを言っていた。
「質問は歓迎します。質問にくれば、日常点としてプラス点をだします。
ただし、男子学生は一人でもよいですが、女子学生は必ず二人以上で来るように。一人では来ないように」、と。
精神の後退期以外は明言していた。

他方、予備校の教壇に立ったときにはそんなことは言ったことがない。
私は65才現在まで独身である。
予備校の教壇に立っていたときには28才頃から35才頃である。
19才から20才程度の生徒のため、結婚対象として不自然なことはない。
もっとも年は関係ないが。

この二つの教壇の違いは何か。
短大・大学・大学院などは教師がいわば権力を持っている。
学生の単位認定権・進級や、時には就職紹介などにおいて、絶対的権限をもっている。
すると異性はそれを気にしているため様々な被害を受けやすい。
何かあっても、忖度(そんたく)なる語でごまかすこともあるかもしれない。
「強制ではない、あれは女子学生が勝手に忖度したのである」と。

他方、予備校などは逆である。
生徒はお客様であり、一般に教師よりも強い立場にある。
小さい予備校ならば、女生徒が十人ほどで「あの先生嫌」と言えば教師は解雇されるであろう。時にはセクハラどころか正当な理由がなくてもである。
セクハラなどがあれば、十人どころか一人でも簡単に教師を追放できる。
要するに、客商売である。
その上、予備校や塾などでは教師に権力はない。
生徒の単位認定権も、卒業に関する権限も、何もない。

こうした場では、暴力を除けば、対等か、小さい予備校ならば生徒は重要なお客様で講師はサービス業従事者であり、力関係は大学とは逆となる場合もある。
これが全てである。

よって、一々、短大や大学のごときことを、教師が言う必要がないとなる。
実際に予備校講師と生徒で結婚した人も何人もいる。
おめでたいことでしかない。

後者において、他人がガタガタ言うことはプライバシー権侵害、万一、周りがとやかく言わねば結婚できたものがつぶれたときには幸福追求権侵害である。
こうしたとき外部の人間は、暴力、(言動及びパートナーがいてもそれを隠す)詐欺・好きな振り詐欺などが伴わない限り、また契約に予備校内恋愛禁止項目がない限り、口を出してはならない。(因みに駿台予備学校の職員女性・女性生徒には指一本触れたことはないが、それは問題外であり、先の理論より、どうでも良いことである。)


あとは、第三者は、本当に被害を受けた男女どちらかに、被害相談をされたときにだけ、関心を持つ権利がある。

不倫・浮気も同様である。
拙著『日本のフィクサー』に記述済みであるが、ミスタークリントンの問題も、暴力・詐欺を伴わない限り、クリントンの家族及び相手の家族の問題であり、第三者は無関係である。ミスター・クリントンの家族、相手女性などから、助けを求める言動がない限り、他人は介入してはならないというのが私の理論である。

勿論(もちろん)、暴力・詐欺・各種脅しがあった場合には別である。
それ以外は、第三者が介入することは、誰にとってもよくない。もしくは人権侵害である。日本で言えばプライバシー権侵害及び幸福追求権侵害でしかない。

ミスター・クリントンの件は結果として議会で嘘(うそ)を言ったことが問題でしかない。
後は家族及び相手女性個人の問題でしかない。
個人的には、結婚時に浮気しないという約束(若しくは契約)をしていたならばそれを遵守することが望ましいとは思う。若しくはその契約破棄を相手に事前通告する方が良いと思う。しかし、多くの人が言うであろう。「大きなお世話、当人同士の問題だ」と。


こうした私の理論を一瞬にして察したスピルバーク氏の眼力はすごい。
私の理路整然とした考えを、私が指さした方向から見抜き、彼はそれはもっともだと驚き目を丸くしたのであろう。
なかなか大した監督である。


ちなみに、私が?????
拙著『日本のフィクサーME』を読めば全てわかる。Kindle、Kobo各100円、海外では$1(アメリカドル・1ドル)。それも読み応えがあります。分量もあります。
是非買ってください。
私には35円入ります。
スピルバーク監督も是非買ってください。
もし、買わねば、私は彼をスクルージ(Scrooge)監督と呼ぼう。

『日本のフィクサーME―上巻』

http://h-takamasa.com/book-01/custom13.html

『日本のフィクサーME・下』

http://h-takamasa.com/book-01/custom37.html


これで、前川喜平氏に関する、私の見解も推測できるであろう。
もはや乙羽信子、新藤兼人、吉永小百合さん、萩本欽一さん、青島幸夫さん…の例をだすまでもなかろう。


必要があれば、「現代のイドラを斬る―不倫・浮気問題論」を記すかもしれない。時間があればが条件である。

 

2018年1月13日 | カテゴリー :