【真逆】No.262心理学応用の真逆のデマ使用―住居不法侵入問題と差別を巡っての真逆問題:💁16:06正式公開

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気がむけば一言【真逆】No.262心理学応用の真逆のデマ使用―住居不法侵入問題と差別を巡っての真逆問題 💁16:06正式公開


2021/10/22 3:08下書掲載(下書段階で公開)

2021/10/22 11:03から修正作業開始:12:43時点で少し食事休憩。13:00頃~14:46  14:47から少し休憩 15:00~16:06まで清書作業

2021/10/22 16:06 正式公開 16:21レイアウト修正。16:48微修正


昔、世話になった小母(おば){Y小母}さんがいた。
大変、幼小の頃からかわいがってもらった。残念ながら小母さんは10年ほど前に亡くなられた。
しかし、人情で、このY家の件は何も書きたくはなかった。
所が、真逆(マギャク)のデマが随所に登場したか、若(も)しくは、その気配のため、そろそろ書いておいた方が、双方のためになるとも思い、記すことにした。
同時に、独り言で言わされたため、きっちりと書いた方が相手のためにもなるかもしれない。

マギャクの話とは次の件である。
私がこの家に平気で入った(住居不法侵入)というような雰囲気が随所に醸(かも)し出されたことである。それも20年以上も。

これはマギャク(真逆)の話である。
小母さんが生存中は、私の母と仲が良く、我が家によく入ってこられた。余りに親しいので、いつの間にか裏の戸から、無言でス~と入ってこられた。母も私も気にすることはなかった。小母さんも私の顔を見るや「タカちゃん、気にしなくて良い」と自分で言われていた。
私は面白(おもしろ)いので笑っていた。

これはJokeであり、何の問題もない。
小母さんと母との長い付き合い。
私も幼小の頃から何かに付けて、駄菓子などを、学校帰りにもらっており、生まれてから小母さんが老いてどこかの施設に入るまでずっと見てきた。
不自然さは特になかった。


それでは、私も小母さんの家に自由に入るか。
入る訳がない。それは年齢の違いと世代の違いである。
ただし、村のアルバム作成時には、この小母さんの許可を得て、畑までは入っていた。1995年頃から1998年2月頃までである。
当時、この家には小母さんしか住んでいなかった。そして、実行支配は小母さんがしていた。
この話は下記を参照。
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徒然(つれづれ)なるままに№15・写真残酷物語・第一話裏(後ろ)のオバチャン(1)
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=21357
徒然(つれづれ)なるままに№16・写真残酷物語・第一話後(ウシロ)のオバチャン(2)
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=21431
徒然なるままに№17・写真残酷物語・第一話後のオバチャン(3)
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=21490
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しかし、村アルバム撮影が終了して、もはやこの家の畑にも庭にも入ることはなくなった。母は村で長い間、この小母さんなどと付き合いがあり、井戸端会議もよくしている。他方、私は一方では(起業も含めて)就職浪人、更には裏では「日本のフィクサーME」である。長い会話は話題が余りに違っており、無理である。
そのうちに、小母さんがどこかの病院か施設に行かれたようである。

当然、この家の畑にも庭にも入る用事はない。例外は村の配り物とお寺の案内を郵便受けに入れるだけである。

ところが、村の人が妙に我が家の畑などを歩かれる。
それは、親しみでよいのであるが、何か私に言いたそうにも見える。それだけならば良いのであるが、見知らぬ人が無断で我が家の畑を歩き回ることもあった。
何かおかしい。

ひょっとして、私がこの家に自由に入っているなどとのデマが飛んだのか…まさか…
ということで、何かおかしいと思っても、そうした実態がないため、首をかしげるだけであった。多分、20年ほど。何故、気づかないのか。そんな事実はないのだから。
今でもそうした風評被害が飛んだかどうかは不明である。


「マギャク」とは、私はこの家との件については受動態であり、能動態ではない。
カメラを開始《1994年》してからは、この家には三度しか入っていない。勿論、村撮影中でも家の中には入っていない。小母さんの許可を取り畑のみの撮影である。それ以前は幼小の頃の村の集い類のみであるが、村・組合の集い大半は、我が家で行っていた。

なお、三度とはいずれも、この家の葬儀のときである。

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第11回私文書公開:営農関連―村アルバム等での誤解や📷誤解防止兼用(2019年8月26日記述/同日投函:大幅追記解説して公開10月6日
http://h-takamasa.com/Blog-2/Archives-3/activity/362/
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小母さんの例を取ろう
小母さんが亡くなられた。しかし、お孫さんは広島に在住であり、娘さんは大阪に在住である。小母さんの遺体を庭に置く訳にもいくまい。そこで、我が家の従兄弟(いとこ)が小母さんが亡くなられたので来てくれで、家の中に入った。喪主のお孫さんと娘さんの到着は12時間かそれ以上経(た)った後であった。
後の二度も、小母さんの息子さんが死去されたときと、小母さんのお孫さんが死去されたときである。前者は組合で葬儀のため仕方あるまい。これらはお礼を言われてもその逆は通常はないのであるが。
信じられない。多分、誰かがデマを飛ばしたのであろう。
お孫さんの葬儀は村ではしなかったが、御仏前を持参した。玄関をあけると、遺影が見えたので、玄関で「ここで御仏前をお渡ししましょうか、それとも遺影を拝んで遺影の前におかせてもらいましょうか」と尋ねると、あがって拝んでくれであった。そこで遺影の前で合掌してから御仏前をおかせてもらっただけである。

要するに、これらは常識上、家に自由に入ったとは言わないのである。
当然、私も斯様(かよう)な印象操作を本気にする訳がなかった。10年以上。まさか、気のせいだろうであった。


ところで、「マギャク」とは小母さんは良いのであるが、私がよく知らない娘(Y小母さんの娘)さんが、我が家に突如、挨拶もなく入られたことがあった。そして、この「マギャク」はXグループが計画的にしかけた罠(わな)の臭いがするため、今回書こうとなったのである。

母が生前中に、娘さんが玄関か裏から(挨拶もなく)だまってスーと入られることがよくあった。母は耳が遠いため、母がいるときには一切問題としていない。
問題は母がいないときにも、…で参ったことがある。
ある日、二階にいると、下で音がしている。猫が入ったかと降りてみると、娘さんが一階の廊下を歩いておられた。
降りる途中で「隆政(たかまさ)、隆政(たかまさ)」という声がしたので分かった。ちなみに、この娘さんが私を1952年から2000年前半まで、私を呼び捨てにすることはなかった。それまでは「隆政(たかまさ)ちゃん」であった。
ところが、2005年前後から突如、私の名前を呼び捨てにし出したのは何故だろうか。
名前を呼び捨てにされるほど親しくはないのであるが(後に記すごとく、挨拶を除けば、50年余りで合計10分も会話はしていない)。

我が家の構成は母と私だけである。母が入院中などは我が家に自由に入ることは遠慮した方が双方のためにも何かとよい。女性であり、私は男性であり、風評被害が起こらないとも限らない。母がいるか…と思ったというだけで我が家に黙って入られるのは困るのであり、母を見たとか、母の声がした…ときは母が耳が遠いので自由に入って貰(もら)っても構わない。だが、母がいるかどうかが不明のときは、玄関などで挨拶(あいさつ)をしてから上がるかどうかを判断していただきたいと何度か思った。


更に、あるときこんな話があった。
二階で仕事(起業準備や大学教授公募への準備)をしていたときに、ふと外を見た。すると娘さんが、鍬(くわ)を持ち、我が家の畑を掘り始めた。
びっくりして、外にでて何をしているのかと聞くと、「甥がくるので、カレーライスをする。だから芋(いも)をほって持って帰る」であった。
しかし、芋を植えたのが遅い時期であった。
そこで、母に聞くので掘るのは待ってほしいと頼んだ。
ところが母は入院中である。そこで、遠方の姉に電話をかけ、姉が病院に電話をして、そして母が病室から病院の電話のある場所まで移動して返答をする。
その後で、姉が私にその内容を伝えてきた。
内容は「本年は芋を植えたのが遅いので掘るのは待って貰(もら)え」であった。入院中くらいは老婆が植えた芋などは、人道上そっとしておいてほしいと思った。

母の勘違いかもしれないため、農業に詳しい隣人MTHさんに相談した。
「隆政、植えたのが遅いのならば、もう梅雨開けを待った方がよい」であった。
その趣旨を伝えると同時に、また、突如畑を掘られたタラ困るため、貼り紙をした。疲れるというものではなかった。
貼り紙の原稿がのこっていたので掲載しよう。

☆☆☆(クリックデ拡大:パソコンのプロパティでは2009年7月3日13時34分最終作成となっている)☆☆

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私はこのままでは老後破綻すると、余分な雑音を遮断して、仕事をしたくても、こうした形で無理矢理人がおしかけ、訳の分からぬことを…で参っている。
あるときはZ家の老婆が表の玄関が壊れるくらいに、玄関を叩(たた)き「隆政ちゃん、隆政ちゃん」、翌日は先の娘さんが裏の戸を強く叩き、ドンドンという音が聞こえ、「隆政、隆政」、二人で何かぐるで…と疑う始末であった。常識上は偶然とは思えなかった。二人で計算して…が通常の人が行う解釈である。
また、便秘気味で大便で苦労していると、Z家の小母さんがそれを知っているが如(ごと)く、玄関から「隆政ちゃん、隆政ちゃん」である。二階のトイレから大声で返事…。私は無人島に行きたいと何度も思わされた。なお、後には、Xグループか何かに…され、二人で何かを企んでいるのではないかと疑う始末であった。正常とは思えなかったからである。母が脳梗塞(CT等で所見あり)、心臓病、変形腰椎症(MRIで所見あり)と、認知症か認知症の振りをしているかで参っているときに、これでは、…への私への接見禁止命令か何かをだしてほしいと思わされたこともあった。


更に、ある日、洗濯物をほした後で、家の中の片付けをして再度畑の草取りにでると、洗濯物が全部つけかえてあった。ブリーフ(パンツ)も全部(かなりの枚数を干していたのが)とられ、つけかえてあった。
私は「え~、人のパンツを誰がいらった(さわり、いじった)」と驚いた。
すると、即座に、先の娘さんYさんがやってきた。
私は条件反射で「Yさんがやってくれたのか」と尋ねた。
すると、Yさんが「うん。」
私は催眠か条件反射で「ありがとうな」といってしまった。若(も)しくは言わされた。
Yさん「隆政、洗濯物はこうして干すのよ…」であった。
内心は「人のパンツをいらうな(=いじるな)。まして異性が人のパンツを何枚もはずして干し直す…など触れるのはかなわない。逆を考えれば分かろう。私が女性のパンティやブラジャーを干し方が悪いと言って全部はがして干し直したならば…」であったが、催眠で逆の言動をさせられていた(ありがとうと言わされていた。有り難いわけがない。50代以前の男性ならば全員が参る。いや古稀を前にしても今でも参る。もしされたのが女性ならば警察に通報される事項である)。


しかし、冷静になって思う。
これはYさんが「うん(事実上、私がやった)」と言っても、Yさんではあるまい。
訳の分からぬ映画説ならば、私の死んだ姉(長姉)が実は生きていて、面白半分にやったのではなかろうか母はその頃は姉(次姉)のところかどこかでいなかった。
それでも、姉とは言えども、異性のパンツをいらうな(触るな)と😡(怒る)。
当時は私は50代であったが、年齢に関係なしに、異性のパンツなどはさわってはならない。同時に、Yさんがそんなことをできる訳がないため、幾ら(したという)返事をしても、私は違う人がしたと思っている。ここはYさんの名誉のために書いた方が良かろう。


なお、Yさんは、私が物心がつく頃に、もう家をでていったためほとんど会話をしたことはない。ちなみに、Yさんとは2005年頃までは挨拶以外は口も聞いたことがない人である。挨拶以外の会話量は多分、当時までの50数年合計で10分程度か10分未満であろうか。分かり易く言えば、自動販売期のある家の奥さんとの会話量と同一である。

Yさんの小母さんとは長い間会話をしている。Yさんのお兄さんとも、村の付き合いでかなりの会話をしている。Yさんのお母さん(Y小母さん)は私をかわいがってくれ、Yさんのお兄さんは「本家(私のこと)のはそんな人ではない」と写真問題などではかばう言動をしていたYさんはニュートラルであったのが、2005年頃から突如、ちょくちょく我が家にこられたり、本来、挨拶以外しないのが、急に親しげと同時にハイテンションで対応されたように見受けた何か楽しくて仕方ないという感じを受けた同時期から、Z家の小母さんも…である。Z家の小母さんも、2005年に母が入院するまでは、Yさんのお母さんと会話ほどはしていなかったのである。同時に、私に近づいてくることも余りなかった。Z家の小母さんは2002年(旦那さんが死亡する)までは大変良い小母さんに思えた人である。Y小母さんと私は親しいが、Yさんについてはほとんど何も知らない。その逆も然(しか)りであり、Yさんも私のことは何も知らないのが客観的な事実である。

後に考えると、Yさんは誰かに何かを吹き込まれた疑惑がある。それがXグループかどうかはまだ不明である。
と言うのも、「マギャク(真逆)」は単なる、勘違いではなく、戦術として故意にやられた疑惑があるからである。
私は高校時代は部落問題研究部に所属し、以降も、各地の同和地域の子供会、父兄の話の聞き取り、実態調査、…後には校外学級などで仕事をしている。全国各地の集会や、署名活動、差別の確認会などにも参加している。
その私を「まさかと、思うが差別者扱い」をされたような印象操作を受けたことがあるからである。マギャク(真逆)のため、「まさか」で最初はまともに受け止めなかった。最初はと言っても、十年以上、「まさか、当時の仲間が大量に故郷にいるのに…彼らが知っているだろう」と。
もっとも、Xグループがほんの少し部落問題に関心がある層にデマを飛ばした疑惑を後に感じた。本の少し関心を持つ層であり、本気で実態調査、各種署名活動、集会、子供会活動…などを全くしていない人のため、真偽(しんぎ)を見失ったのであろう。かなり差別解放運動をしている人ならば、地元でそうした運動をしている人から、私の噂(うわさ)を聞いているはずであり、斯様(かよう)なデマに騙(だま)されることはなかったであろう
私は差別学習会と反対運動…は高校1年(16才:1968年)から開始したが、仲間の大半が同和地域出身であり、私の顔が福山雅治級ならば、彼女らと結婚した確率が高かった。とはいえ、これから結婚する際にも、そうした確率があろう。
二人のお嬢・おじょう・オジョウについては出自などは聞いたことがないし、聞く気もない。それとは無関係に天が決めるであろう。何故天かと言えば、オジョウと出会った場所が曽根崎心中で有名なお初天神前のため、現世ではどうなるかは不明である。

マギャク(真逆)のデマをとばされると、誰も遠慮して言わぬ限り、長期に亘(わた)り、デマが飛んでいるかどうかも分からない。
だが、世界の指導者や世界の差別反対主義活動家のほとんどが私のことを知っているのにも拘(かか)わらず…となり、さらに「マギャク」のデマに気づきにくくなる。
一つの戦術として行われたのであろう。

私が裏の小母さんの家(Y家)に入ったのではなく、その逆が事実である。マギャク(真逆)であった。ちなみに、母の四十九日のときには訪問者の車の置場で大変困ったが、空き家同然となっていた、裏の小母さん(Yさん)の家の駐車場には車は一切おいていない。村の付き合い(この場所の草刈り…)以外でははいってもいない。近所のMTHさんの奥さんが「Y家の人がおいてもよいと言っていた」といってさえ、私はおかなかった。どうせ揉(も)めるならば、自治会所有地の方が選んだくらいである(2013年1月)。母の一周忌のときには、我が家の畑を全部つぶして臨時駐車場として、自治会の土地も、裏の家の駐車場も一切使用していない(2013年11月)。
その私が何で裏の家に入ったとか…などのデマに気づこうかマギャクのデマは十年以上、分からない。

Xグループが絡(から)んでいるようであるが、随所にこうした人間の心理をついた形での攻撃がなされている心理学の専門家がバックで何かをアドバイスしているが如(ごと)しである。多分、しているであろう。

なお、マギャクのデマの話を完璧に遮断するには、裁判所か国会で正々堂々と証人を呼んで、ガラス張り公開の中で事実関係を明白にすることが望ましいと思っている。それが民主主義のルールである。


◆なお、Y家の娘さんが突如、態度がおかしくなったのはXグループにデマか何かを吹き込まれた疑惑が高い。山の件のおかしな話(暇ができれば書こう)、写真の件、…突如おかしくなっていった。写真の件は既にやむを得ずに書いた。
Y小母さんが、我が家の台所か何かに(いつもの如く挨拶抜きで)ホイットはいられて母に見せていた村アルバムの写真(その中で小母さんの畑の写真などなど)を見られた関係で渡す習慣ができたのであろう。そして「お年玉」と称して1万円もらった(1998年春)。だが、上記ブログをみれば分かるように大赤字である。カメラ関係者ならば一秒で分かる。そして苦笑か大笑いをするであろう。通常は単価計算も何もいらない、即座にカメラ関係者ならば大赤字などが分かる話である《写真は仕事で開始しており、ビジネス以外では使用しないが、機材費の一部を母がだした関係で1994年後半から1999年頃までの4年間限定で母に村撮影をOKしただけである》。その上、ややこしさを相殺(そうさい)する意味もあり、この家のお寺割り等1万5000円を我が家が払っている。Y家の小母さんには世話になったのでどうでもよいが。もはや何をか況(いわ)んやである。

なお、近所の🚹従兄弟が、「タカちゃん、Yちゃん(Y小母さんの娘さん)が写真を捨てようるぞ」と言った。「チンプンカンプン」であった。何故ならば、私はY家の娘さん(娘さんと言っても、私よりもかなり年上で大阪在住の女性)に写真を一枚も贈呈したことはない。当然、Y家の娘さんから一円も貰(もら)ったことはない。一体何なのとなる。Y家の娘さんに写真などを渡せば他の人との関係でややこしいため渡す訳もない。Y小母さんは、小母さんの許可を取り、撮影したが、小母さんが、(小母さんの場合は挨拶なくてよいのですが、あいさつすることなく台所などに)突如入ってこられ、その写真を見られたので、渡さざるをえないから始まっただけである。それに幼小の頃から世話になっていましたので。なお、1995年頃に小母さんの家の庭で小母さんに「私は写真関連の金類は母か、例外として姉からしか受け取らない」と明言をしていたのであるが。その逆は一度も言っていない。

🚹従兄弟が、私の母と何らかのことをして、母が一万円レベルを🚹従兄弟に渡しても、私も姉(次姉)も無関係である。母と🚹従兄弟の話である。同様に🚹従兄弟の母(義叔母)が私と一万円の何かの受渡しをしても、🚹従兄弟が口を挟むことはなかろう。私と裏の小母さんとの間には人間関係が成立しており、娘さんには何の関係もなかったのである。

実際に、その件(お年玉1万円の件)はY家の娘さんは何かをチラッと思ったかもしれないが一瞬であり、1999年~2005年前半までは全く無であった。私に対しても丁寧であり、名前も呼び捨てなどにはせず、「隆政ちゃん」と呼んでいた。
ところが、2005年かもしくは2009年頃からコロッと変わり、私の名前は呼び捨てにしだす。更には先の如く、我が家によく来られる。そして、お年玉事件から10年ほど経(た)ってから突如、写真の件をいわれ出すのである。その間は沈黙であったのが。
10年何も言わなかった人間が突如の変身であった。{Z家の小母さんはその少し前から同様になっていった。}

ところで、近所の🚹従兄弟の奥さんが、「Y(=Y小母さんの娘)さんが…」と言って寸止めをしてその後何も言わないことが何度もあった。私は心当たりがないため、「ちんぷんかんぷん」であった。「Yさんが…」の後を言わねば何も分からぬ、と。辟易(へきえき)した。「Y(=同上)さんが…」の後を言えといって、従兄弟の奥さんが「『Yさん(同上)があくびをした』とでもいうのか」。こちらはサッパリ何も分からぬではないか」と何度かぼやいた。
よく寸止めをされるが、意味がなかろうと思いききかえさなかったのであるが、何だったのだろうか。

Z家の小母さんの鍵の件でも、従兄弟の奥さんは「隆政ちゃん、あの鍵は誰がやってもあかないで」というし、Z家の息子は「いやおふくろはいつも自分で開けている。万一、開かないといっても、鍵やなど呼ばれると困る(迷惑だ)」とくる。こちらも、関わりたくないが、老婆が「隆政ちゃん、隆政ちゃん、鍵があきません」とこられるとどうしようもない。困るのは私である。あのときなど母の一周忌準備を一人でしていたときである。いい加減にしてくれとなる。同時に、老後破綻対策かつ大義ある仕事が山積しているため、私に構うなとなる。息子さんがいないときはともかく、村に戻った以上、私は無関係だろうとなる。何度もぼやいた。私は「Z家の息子ではない」と。{後に、Z家の小母さんとお子さんの⚔が潜在的に生じ、私にZ家の小母さんの膿が…をうたがった。ちなみに、Z家の小母さんが我が家へ来るときは全身笑みであった。だが、私は超多忙と同時に、Z家の小母さんの友達ではない。会話の内容もない。無理である。第一、立派なお子さんが三人おられ、一人は後に家(古里)に戻られたのであろう。当然、私との会話が楽しければ、Z家の小母さん⚔お子さん…で逆効果を生む。}

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第六回私文書公開:老婆が開けられぬ鍵へのアドバイス:2013年11月14日該当家郵便受けへ:公開日2018年8月30日
http://h-takamasa.com/Blog-2/Archives-3/activity/340/
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チンプンカンプン続きの所で誰かが悪質なデマを故意にとばした疑惑が高い。誰かとはXグループの可能性が高いと思わされている。だが、私はXグループにも、他の誰にも恨まれる心当たりが全くない。40年近くたっても心当たりがない。亡き友はXグループ自体が人間違いが原因、と。別の友人は「家を間違えててすみません」、と

なお、Z家が、我が家の住所・番地を約60年使用し続けている理由も全く分からない。我が家は無茶苦茶となり困るが、Z家も困ろうに。Z家には登記簿に登録した立派な番地があろうが。何故、我が家の住所を使用するのか。Z家にも聞いたが返答が「チンプンカンプン」であった。「戸籍がどうだこうだ…」。戸籍と現住所は何の関係もない。まして、戸籍は差別に繋(つな)がるため、他人の戸籍類は興信所などを通じても調べてはならないが私の主義である。面倒も何も、Z家の三男は法の専門家でそうした事務処理などを職業としている。

私の人生は40年ほどちんぷんかんぷんであった。失われた40年である。駿台講師時代の1984年秋(駿台講師室係🚺NMの仕掛けは1983年からと判明済み)からの危害である。事情が更に判明すれば、正式な公式ブログにでも掲載しよう。



(2021/10/22 12:13~追記)
Y家の小母(おば)さんは、私にとっては良い小母さんであった。これがY家の娘さん(娘さんといっても、古稀前の私よりも年長)の件をなかなか書けなかった理由である。小母さんと私の勘違いは以下に掲載している。これを見れば、人は微笑(ほほえ)むであろう。
だが、その人間関係がお子さんにも確実に反映かと言えば、そうであるときもあるし、そうではないときもある。私は学問として「人間学」の創設を提唱している。古代から現代まで人間学の欠如により、同じ問題(トラブルなど)が繰り返し起こっている。しかも、ここだけは金持ちも貧乏人も問わずに、家族問題は起こるのである。
なお、Y家はもはや売られ、別人が住まわれているので勘違いなきように。勘違い・人間違い・家間違い危害はとてつもない大危害であることを、私は特に強調しておく。

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人間は良いもの、厄介(やっかい)なもの
http://h-takamasa.com/Blog/?p=22478
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なお、写真は仕事道具、起業用道具であることは、HPで今後の掲載のみか、各地への連絡欄をみれば誰でもあと1~2年で完璧に分かろう。仕事道具はプライベートでは使用しないを、罠(わな)とそれ以上に催眠で潰されかけただけである。仕事内容を解説できないのは狂ったような業務妨害があるからである。特に(来月頃から記述開始の)『日本のフィクサーME・パート3』(2014~15年)を読めば納得以上にびっくりするであろう。

同時に、本来は写真でも正々堂々と私に依頼すべき事項を、罠・催眠でやらすでは🤷(おてあげ)である。堂々とも幾つかあったので、堂々の三例を紹介しておく。

一例目:
近所のMTHさんが「隆政、富士山を撮りに行かないか。車はワシのでガソリン代もワシが持つ。それに🚹(従兄弟の)AHも一緒でよい。寝るのは車で寝られる…写真だけ隆政が」と正式に依頼あり。
🤡(私)「超多忙かつ、(仕事と無縁のため)お断りします」=即答。

二例目:
神戸の叔母さん(母の妹)「隆政君、叔母さんの遺影を撮ってくれない」
🤡「ライティングなどの問題で街の写真屋さんをお勧めします」でお断り。なお、神戸の叔母さんは我が家に泊まられる度に何かにつけ私にお金を渡してこられており、義理のみか、当然代価は断っても何かの項目をつけて支払われるだろう。よってお金の問題ではなく、ライティング問題や、ケジメ問題でお断りをしている。

三例目
母「もう、母さんは年だ。今年で🌷(チューリップ)をつくるのを止(や)めたい。そこで撮ってくれ。ただし、お金は(予算は)四千円(三千円だったかもしれない)。それ以上は一円も出さない」
🤡「分かった」であったが、予算不足でろくな写真が撮れず。プライド・ブランド上撮り直しを考えたが、フィルムのためそれが分かるのに時間がかかり、赤字で再度と思うや天気が悪く、後には花の勢いがなくなり、よくない写真で打ちきった。浜田ブランド上、人に見られたならば後の仕事に大きな支障を来すで頭が痛かった。

私のもうろく婆(ばばあ)こと、母が一番理にかなった形で依頼をしている。これが常識である。老婆が分かることを他の人は分からないのだろうか。もっとも、母や姉以外からは金はとらぬと宣言しているため、第二例の如くお断りとなる
正式な(出版社などでの)原稿に挿入する形としてのビジネスでしか本来は撮ることはない(1994年末に明白に宣言済み事項であった)。
写真以外も含めて「正々堂々」論はどこかで書こう。その逆を「卑劣」、否(いな)、「卑怯(ひきょう)」という。

(2021/10/22 15:50追記)村人対立画策への警戒文書(Y家倉庫問題)

村の道造り・どぶさらい時の飲食場
昔は長期(多分百年)我が家の倉庫のみならず家自体を使用。
ところが、家が整理不全パンクかつ老後破綻…問題から使用不可となった。
その後Y家の倉庫に…であるが以下を参照。

α)我が家の作業場撤退の件をMTH氏に事前に相談すると、「集会所」案などがでていた。
勿論(もちろん)、集会所以外でも、村の公民館、屋外、組合長が自分の家の一部屋提供、安い飲食店、それどころか、飲み食いをしないも可能(隣の組合はしていないし、我が組合もコロナ中はしていない)であった
Y家の倉庫使用は私は知らなかったが、上記選択肢がある以上、Y家が許可するかどうかは、Y家と組合の問題でしかない。我が家の身代わり云々(うんぬん)は印象操作にすぎない。

β)さらに簡素化から、私は溝さらい・道造り後の飲食中止を提案してもいる。

γ)Y家の倉庫の件については、従兄弟(いとこ)AHとY家の息子さん(今は故人)との間で、NT組合に譲るという口頭契約があったと聞いた。更に、Y家の小母さん(今は故人)とMSHさんとの間でもNT組合への譲渡契約があったと聞いている。
口頭でも契約は、一方がそんな契約をしていないと言わない限り、文書と同様の法的効力を持つ。そこでY家のお孫さんが、何か言い分があれば、弁護士か司法書士に契約面からの相談しかない。これが私がこの問題でもコメントを停止した理由である。

我が家のトイレに案内をしたときに我が家が広がっていたのは故意ではなく、もう5年以上常時ああいう状態である。トイレ案内や訪問客目当て…の家のゴミ化ではない。どうも早とちりをされた疑惑があるため記すが、超多忙と催眠掃除類ストップと文献・書類類が本来の職業(大学などの研究者)並みであることからにすぎない。今度こそ何とか清掃、書類の整理を…と思っているが(毎日思って数年となるため🤷どうなることやら。)
この問題ではその前にα・β・γがすべてである。

最後に、Y家の小母さん(生きていれば101才くらいか)には私はかわいがられていた。そこでY家の長男が癌で組合長になったときなどは、飲食場の整理や片付け、コップの持参や洗浄などは私がしていたこともはっきりと記しておく。
Y家の娘さんでも、跡取りの(Y家の長男の)息子(Y小母さんの孫)さんでもなかった。

せっかく、長期仲良くしてきたのだから、その継続を望むが、言うことをはっきりと言わないと今日の如(ごと)く20年以上ガタガタするので、今回、やむを得ず、事実を書いている。


Y家も言い分があろう。
言い分があれば文書で書いて私宛に送付願う。そのまま内容を私のHPに掲載する。ただし、言論には責任をもつ必要があり、必ず実名表記を条件とする。
私もそれに反論があればするが、その反論への反論も掲載するので再度送付をすればよい。両者の併記掲載とする。アクセス権は保障する
私も自分の言動には責任を持つため、実名表記を必ずしている。実名で。