【旅】№229・館林市のみなさんへ(現在巨大📷第二会場で掲載中の関係から。)

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気が向けば一言【旅】№229・館林市のみなさんへ。(現在巨大📷第二会場で掲載中の関係から。)

 


【更新履歴】

2021/02/17・巨大写真コーナーに雲龍寺掲載につき、幾つかの館林の団体にFacebookからメッセージ。下に収録のBの文書。

2021/02/23 23:08 「日本のフィクサーME・パート5」メモ概要を兼ねて、(A)の館林訪問を記載。23:19微修正。

2021/02/25 0:09 №228を№229に訂正

 


A・(2021/02/23 23:05記述)「日本のフィクサーME・パート5」予告。

2017年11月26日、起業最後の賭けと思い母校(の一つ)早大撮影を目的に東京へ行く。しかし、東京への旅費もままならぬ状態になった今日、欲張り、どうせ上京ならば、拙著『旅に心を求めて』シリーズにも登場予定の田中正造の足跡を目指して、関連地に行くことにした。

当初は、東京は11月19日から行く予定でいた。そのときは田中正造の生家や資料は栃木県佐野市にあると思い、佐野で宿を予約していた。ところが、後に述べる理由で東京行きを妨害(若しくは阻止)され、11月26日からいくことになり、早急に宿を取り直したときには、何故か館林が田中正造の生家や資料のある街と勘違いをした。多分、突如、飛び込んできた「田中正造記念館」が群馬県館林市にあるのを見たからであろう。

こうして、この旅は勘違い、街間違いから開始した。
詳細はいつか記そう。
だが、館林に行ってよかったと思う。館林は情感の溢(あふ)れる街であった。館林の思い出や「田中正造記念館」の写真などは東京旅の最後に掲載しよう。

ともかく、この旅は勘違い・家間違い・その他の間違いの連続旅であった。
当初は11月19日スタートであり、その出発準備をしていた。ところが下記(5)の如(ごと)く、11月10日「岡山県津山市人権擁護協会・津山市法務局」と書かれたいて封筒が我が家に二通入っていたことからややこしくなる。一通は宛先は岡山県美作市ID村●▽●で我が家であったが、宛名は近所の住人Z氏であった。もう一通は■■小学校宛の封筒であった。

その後始末の関係などで、準備作業が中断し、全てキャンセルし、準備の終了目処(めど)から、11月26日上京となった次第である。それでも準備はギリギリであり、出発前夜から出発までは一睡もする時間がなかった。ちなみに、全ホテルキャンセルのみならず、バスなども全部キャンセルし、再度ホテルなどの取り直しをしたが、今度は料金が上がっており、また最初のときのキャンセル料金もあり、合計で約2万円の損失を被った。
同時に余りに急ぎ、当初予定の佐野泊を間違えて館林泊としてしまった。

こうして上京したが、下記の旅行メモに記した如く、勘違い・人間違い連続の旅となった。また、私の上京目的を皇室と結び付けられた疑惑も後にでてきた。田中正造の直訴ではないが、私が何かを皇室に依頼に行くのではないか…という如(ごと)しであった。

なお、このときの東京の旅は拙著『旅に心を求めて』シリーズの前に、拙著『日本のフィクサーME・パート5』で登場することになりそうである。
私は恰(あたか)もタイムマシンに乗った如く、歴史をスリップして、武士(将軍)が天皇にとって変わろうとしたような映画を見た気分となった。あるいは執権が将軍にとってかわろうとするような映画を見た気分となった。
それらの話は今は書くまい。

なお、出発前の家間違いが、帰宅後、今度は駿台講師時代も同様に人間違いから危害が発したのではないか、と本当に思うようになった。それ以前も2012年頃から友人がその趣旨を指摘というよりも、(何か知っているが如く)示唆していたが、本気にしていなかった。
ちなみに駿台辞職の一歩前に、駿台の化学K先生からと言って、(意味不明の)差別文書を渡されたが、その文書内には人権擁護局・法務局の文字があった。その文書を渡されたがのが多分1987年11月であった。今回の津山市人権擁護協会の封筒が我が家の郵便受けに入っていたのが2017年11月である。ちょうど、30年後である。

最後に、寝ているときに何度も日光に行けと暗示があった。私は遊びで行くのではないため、何度も拒否をした。しかし、昨年頃、日光が世界遺産に立候補していたことを知った。それならば、無理をしてでも日光にいけばよかったかもしれない。世の中は持ちつ持たれつ(It’s helping each other that makes the world go round.)であり、同時に、何度も記したように、私は恰(あたか)も「世界遺産請負人」となっているような事例が十以上あるのだから。


館林の写真は、まだ整理していないが、一枚だけ追加しよう。私が館林の駅に降りるや、狸(たぬき)がまっていたからである。その写真である。何か意味があるかもしれないから。

📷はいずれもクリック一度でパソコン画面大、二度クリックで巨大。

館林駅前にて:📷№17-077-013 11-28_123350



☆☆☆☆☆☆
東京フィールドワークの旅のメモ
▽ 
(1)「フィールドワーク・東京」の記録―1(11月26日)
http://h-takamasa.com/Blog/?p=11494
(2)「フィールドワーク・東京」(2017年11月27日)の記録―2
http://h-takamasa.com/Blog/?p=11581
(3)「フィールドワーク・東京」の記録―3(2017年11月28日)
http://h-takamasa.com/Blog/?p=11705
(4)「フィールドワーク・東京」(2017年11月29日)の記録―4
http://h-takamasa.com/Blog/?p=11819
 (5)「フィールドワーク・東京」(2017年11月30日)の記録―5
http://h-takamasa.com/Blog/?p=12374
(6)「フィールドワーク・東京」(2017年12月1日)の記録―6
http://h-takamasa.com/Blog/?p=12569
☆☆☆☆☆☆

(B)【2021年2月17日・館林のいくつかの団体へメッセージ】

2017年館林訪問し、そのときの巨大写真(パソコン画面大、縦は二倍)を掲載中のため、御案内させていただきました。
Facebookの仕組みが分からず、メッセージ記入フォームが来たため、この文書をかかせて頂きました。特に返答はいりません。

(February 17)【📷】巨大写真 第二会場。
【📷】#群馬県 #館林市 #雲龍寺 #田中正造
の墓のある寺の一つ
2017/11/28撮影
横型→💻パソコン画面大
縦型→💻×2倍☞当初世界初
http://takachan1.xsrv.jp/ginou/custom7.html
(📣約一ヶ月は館林市に限定し、偶数日更新予定)


館林は思い出に残る良い街でした。
ただし、(館林市民とは無関係ですが)超多忙と妨害三昧の関係で、館林での活動は制限されました。妨害の理由は時が経てば分かるでしょう。
雲龍寺も到着したときには暗くなっており、田中正造の墓すら分からない状態でした。

いつの日か再訪できる日を願っています。
そのときは、絵風ではない写真を中心に掲載したいと思います。
2017年は三脚もなく、つくと暗く、ときには📷を鞄に押しつけ…という撮影状況のため、ミスを誤魔化すため、絵風中心となっています。

ご覧いただければ幸いです。🙏
同上リンクは約一ヶ月間は館林市の写真のみです。
その後、しばらく置き、再度、田中正造記念館(館林市)と美智子上皇后の小学校6年時に描いた絵(館林の食堂保存)…などの紹介に入ります。
田中正造記念館の掲載時期は現時点では未定です。

尚、私の別のHPでは以下も特集しています。
🎼世界の歌(世界最高峰のショーを目指し、相当実行中)。世界が注目しています。
2月下旬からは第12回世界の歌・KenyaとAfrica開催予定。(該当国首脳には原則としてE-mailかSNS通信か郵便で案内を実施中)

🗽世界の政経(日本のフィクサーME等)、メディアも知らぬ、政経の裏話。
我が友、ミスター・ #オバマ 、#バイデン 、 #トルドー 等々及び世界の首脳が登場(目眩まし用嘘は5%程度)

雲龍寺への道:📷№17-081-004 11-28_1603-2:2017年11月28日

雲龍寺―1

雲龍寺―2

雲龍寺・田中正造の墓

雲龍寺―田中正造