【駿台】№205 女性問題でっちあげ被害の謎と、引き続くトラブルの謎、更に人間違い被害疑惑(1)。

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気がむけば一言【駿台】№205 女性問題でっちあげ被害の謎と、引き続くトラブルの謎、更に人間違い被害疑惑(その1)。


掲載履歴 2020/09/09 1:01下書段階で公開

2020/09/10 1:00 一部実名とした。

2020/09/10 16:19長い追記 22:02一部追加。

2020/09/12 1:47清書の一部と修正や追記 15:27 (1)の箇所に追記。

2020/09/12 20:25 その(1)まで正式公開

2020/09/13 23:34 Twitter20-251-1がポップアップしないのみか、アドレス改竄があったため、今修正。

 



【構成:不可思議なこと】(順次清書中:数回に分けて掲載)

(1)女性問題としての実態のない不可思議なトラブル。
女性に指一本触れず、デートもせず、学外でも会わず、学内でも人前でしか会話せず、会話時間も一人当たり6年合計で10分程度である。勿論、ストーカーや、パワハラなどもしていない。さらに、(4)で述べる如(ごと)く、私の方が駿台NMさんに手紙を渡し断られたのである

2)刑事犯罪被害に結びつけられた謎。

(3)駿台辞職後も30年尾を引いている疑惑

(4)出発点の不可思議さ―人間違い説

(5)同和問題を臭わされる謎

(6)人間違い説疑惑を解説しようとするや各種危害のオンパレードとなる謎。





《2020/09/09 23:52追記:2020/09/11清書》
調査をしやすいように、可能な範囲で実名表記とする。当面は管理職と既に有名かつ名を掲載しても困ることがない人は原則で実名表記とする。
この項目で必要なことは具体的な調査のみである。恐らく、駿台のこの件(事件)は世界百数十か国以上に知れ渡っているであろう。当然、世界の主な国の情報機関は調査をしていると思われる。何故ならば、世界のミスター・ハマダ(浜田隆政)に関することは一応全て情報を収集しようとする国が余りに多いからである。
また、可能な限り、(2)(3)などは裁判で決着をつけることが望ましい。(3)の一部は(職場の関係で労働省、厚生労働省が絡んだ以上)国会で取り上げるべき事項となっている。




(2020/09/09記述:2020/09/11清書)

(1)女性問題としての実態のない不可思議なトラブル。

過剰書きすれば以下となる。
●駿台のどの女性にも指一本触れていない。
●駿台のどの女性とも、デートもせず、学外でも会っていない。
●学内(駿台予備学校内)でも人前でしか会話はしていない。
●会話時間も一人当たり6年合計で10分程度である。
●勿論、ストーカーや、パワハラなどもしていない。

ただし一度だけ、●(4)で述べる状況下で、私の方が駿台女性NMに手紙(結婚前提にお付き合いしてもらえるかどうか一度会っていただけないでしょうかという手紙)を1984年手渡し私が断られている。(私が断ったのではない)

「私には好きな人がいますので、先生の好意にはお応えできません…」と数行ほど書いた手紙が速達で来た。ただし、その私宛返答手紙には彼女の住所などは一切書いてなかった。名前ですら書いてあったかどうか覚えていない。

ちなみに、駿台は教師間は双方名前は知っている。職員同士も同様である。だが教師は職員の名字のみで名前は知らない。同時に、住所も電話番号も正当な理由抜きには教えてもらえない。ましてや実家などは当然知る訳がない。

なお、手紙の内容は女性の従兄弟に電話で全文朗読をして、問題がないのを確認してから手渡している。内容は自己紹介を中心とし、極めて誠実なものである。


この件で相手の女性が怯(おび)えているように見えたため、以下の措置を行う。

①学校の廊下で、深々と一礼をして「大変、お世話がせをして申し訳ありません」と謝罪。
それでも、奇妙な態度をとられる為(ため)
②女性の先輩の人に事情解説。
それでも、不完全なため、
③京都校一号館の教員担当・吉田課長に事情を解説(以下、肩書は1984~87年当時)。
④京都校二号館の教員担当・岡田欽之課長に事情を解説
⑤京都校三号館に該当する責任者の深見正明係長に事情を解説。(当時、駿台京都校には一号館と二号館、それに現役生用か何かの進研…という三号館に該当するものしかなかった)。
⑥最後に、京都校最高責任者・関西地区最高責任者・大滝満夫部長に事情解説とお世話がしたお詫(わ)び


以上、常識上は完璧に措置をしている。
印象に残る管理職の返答は

④の京都校二号館岡田欽之課長→「先生、次から、駿台女性とお付き合いしたい場合は、直(じか)にされずに、僕を通してください。(直にはしないでください。)僕が該当女性に言ってあげますから。先生以外でもそうした人はいましたので…」(私も同意する=1985年一学期前半での岡田課長と私の約束事項である。)

⑤の深見正明係長「NMさんが、浜田先生の手紙で怯(おび)えた…」「私には信じられません。NMさんは美形なので、男性の方からそうしたことをされることは慣れていると思いますので、浜田先生からの手紙くらいで怯えるとは、私には思えません」とクスクス笑いながら言われていた。(1985年春後半頃だと思う)

⑥(駿台関西地区最高責任者)大滝満夫部長「それは詫(わ)びるようなことではありません。微笑(ほほえ)ましいことでしかありません。(確か、「気にされる必要はないです」と言われたと思う)。ただし、授業が乱れれば、授業のみで評価をします。」


京都校1984年~85年は、女子高校か中学校の如(ごと)く、祭り騒ぎ的な状況となった。

なお、1985年は京都校二号館を中心に、男女合同でみんなで食事計画があった。参加予定者は推定で既婚者も含めて八名程度になっていた。幹事(岡田課長を除く参加者の人選)は私ではなく、二号館女性職員のYEさんであった。また男性の岡田欽之課長も同伴となっていた。しかし、一号館の件でややこしいので御破算としたことがある。特に意味はないが、念のための参考記述である。


(※参考記述)上記の合同食事会について。
もし、他の男性職員や男性教師、女性教師や女性職員も参加したいならば歓迎したというだけのことである。
ただし、最初約束した八名前後は私が金を支払う予定でいたが、後に、(幹事の人選ではなく)集団参加された人は別の講師が金を払うか、自腹で…を願うが当時の心境である。
希望者全員で\(^O^)/でよいのではないですか。
ちなみに、大阪校では夜間のクラス生徒十名程度を全員飲食に連れて行ったことがある。費用は全額私が支払っている。女子生徒一名は遠慮してくれたので、全員男性のみで行っている。
私の性格である。
ただし、駿台辞職後は金欠でそうしたことは不可能となってから30年以上となるので、今の人は分からないであろう。
また、昔は、高校でも、大学でも\(^O^)/主義者。みんなでワイワイと…。大学院でも飲み屋・孔雀(くじゃく)で\(^O^)/。調べてみたらすぐ分かる。もっとも、高校~大学院は割り勘である。駿台時代の中でも更に3~4年のみ金が少し入ったので、例外で私が…にすぎない。全く金欠になりかけた1989年4月でも、ポリテクカレッジ岡山で学生との交流を図ろうと、費用私持ちで茶話会・おやつ程度と飲物であるが全生徒一学年百人にしている。

ただし、2000年後半からは、再起準備、膨大な世界の要人からの諮問への対応、我が家の場合には我が家の全清掃は(母から姉、そして)私に移動したため、対応不可能となり参り、可能な限り、人が来ないことを望む状態に陥れられている。詳細は別原稿で後日記載予定でいる。

以上で、駿台女性トラブルの件はお終(しま)いのはずであった。



ところが、1986年度からは(2)で次回述べる営業妨害と刑事犯罪被害が起こり、更に(3)で述べるように、私が駿台を辞職し、また女性職員NMさんが結婚し駿台を辞めた後でも、被害が悪質化し継続し続ける。それも、駿台辞職後30年以上である。
通常では考えられないことが起こっている。

1988年1月の駿台辞職後は、恰(あたか)も山田洋次氏のような映画監督による映画説でのドタバタ劇で、手のうち用がないと諦(あきら)めていたが、ここ数年、事件の開始は犯人・Xが恨みのあるZと私との人間違いという指摘を何人からも受け、新たな事実がでてきたため、昨年から再度駿台の件を書いている次第である。


人間違い仮説の根拠
●上記の件で、次回記す(2)の刑事犯罪被害まで受けるはずがないこと、
●(3)の如(ごと)く形で、私も女性も駿台辞職した後まで尾を引く話ではないこと、
●一般女性が非正規労働者の私に関心を持つことは考えにくいこと、
●後に記す(4)の如く催眠で駿台女性に熱をあげさせられた謎、女性を含む何人かの策動の証拠(最低でも状況証拠)、
●人間違い・私の偽者を指摘した人間が何人もいること、
●30年以上考えても被害を受ける心当たりが全くないこと…から以下しか考えることができない。

XがZに恨みをもち、XなどがZと私を人間違いした犯罪が本質である。

これらは、今後記す全体の文から徐々に分かろう。
当初は、一定の時期(駿台辞職数年目)からは映画説で、(筋書きのない)ドタバタ劇と解釈していた。駿台講師時代に、京都駅で山崎春之理事長(当時の理事長)と突如、一対一で出会った不思議さなどから、更に映画説のドタバタ劇と諦めていた。この話などはどこかで記そう。

後に、映画説でも、何か筋書きがあろうと、さらには偽者、人間違い説を随所で聞き、やむなく駿台の件を記さされているだけである。

民主主義社会では本来は裁判所などで決着をつけるのが一番紳士的と何度も言っている。ただし、女性問題は上記の如く一切存在していないため、主として1986年度以降の営業妨害と刑事犯罪被害部分の話である。それが政経専門家の常識である。

だが、裁判は後に述べる理由で阻止され、後には《労働省所管・厚生労働省所管》ポリテクカレッジ岡山(現・能開大中国)での被害問題の方が大義があり、駿台に関しては何等(なんら)動きをしていなかった。

駿台、ポリテクカレッジ共に言えることは正々堂々と、偽証罪の通用する場所で、ガラス張りで…が正道である。しかも、今ならば世界193か国にガラス張りでの双方の行動を望む。もはや、私の名「ミスターハマダ」は世界が注目しているからである。駿台講師時代とは全く異なる。


なお、随所で催眠若しくは催眠型で私の意思をコントロールされる被害に遭っている。その場合の責任論は以下である。

①催眠類とは絶対的な物である。私に人を殺せと催眠類をかけられればそうする。
だが、私は被害者である。

②催眠殺人後、催眠が解除された瞬間は催眠が分からぬ時には、殺人などはするはずもないことのため、処理で一部不正確な行動がある。この行動でも私は被害者である。

③催眠がとけた私がその模様をありのまま記述する

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1304652778300604416?s=20

上記③に従って、催眠で動かされていた状況を、恰(あたか)も、私の肉体を超えて見ていた通常の私が覚えていたことと同様の視点で記載しているのが下記Aである。
そして、今回の合同食事会が流れた後の催眠危害を書いた箇所が以下である。

http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1122/

【徒然・私事】№139:長期危害連続―心当たりなし。友は人間違いと言う(5):駿台等


(A)駿台関連全体箇所の目次ページ。http://h-takamasa.com/Blog/?p=20160

今回は上記まで清書して公開する。
しかし、私は上記のことや、ましてや女性問題すら存在していない次元のことを書く時間はない。
世界連邦その他や、私の老後破綻対策、最後の起業への賭けで手一杯である。
さらに、家事・洗濯がある。それも大きな家の。
本来ならば、駿台の件は女性の顔も、名前も、何も覚えていないはずである。だが、何年か置きに繰り返し催眠で、忘却防止をやられたので覚えているのみである。馬鹿馬鹿しい。

駿台の件は書くだけ時間の無駄であると何度も思っている。だが、しつこい挑発や誘導のためやむを得ずの記述である。
理由は下記を考えれば誰とて分かるであろう。

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1302929268993716224?s=20

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1302929268993716224?s=20

上記の箇所がポップアップしないのみか、本日見ると、いつの間にかアドレスも改変されていた。2020/09/13 23:33修正

 

 

▽ポップしないときは下記の文章参照。

☆☆☆☆☆

浜田隆政 (Takamasa)@Takamasa_Hamada 9月7日
20-251-1【#駿台】関係者…HP見ながら思う。
①賠償請求は未だにしていない。
②戻る意思なし。
③駿台🚺…ある訳なし。
④🤡読者興味持たず。
⑤記述時間の無駄。

が #人間違い 論でた為、確認作業。
それも世界の…からも。
#偽者 気づくは大変なこと。
重要事項山積故に…隙間に記載検討

☆☆☆☆☆

 

 

今回は上記まで掲載


(2020/09/10 16:13追記)駿台京都校時代は(女子小学校か女子中学校、せいぜい女子高校レベルの)どたばた劇、大阪校に移動してからは営業妨害と刑事犯罪被害で、明白な犯罪被害。警察等が動けば、本来、懲役に該当する大犯罪被害である。当時(1986年4月~88年1月)の駿台大阪校職員への聞き取り調査を願う。もっとも、駿台外の刑事犯罪被害は、大阪校の松本課長は「それは駿台ではない」と明言していた。しかし、そこまでではないが、駿台大阪校内で各種営業妨害や軽度の刑事犯罪被害を受けていることも事実である。今からでも聞き取り調査を願う。
駿台予備学校在籍中に関西地区最高責任者大滝部長や、駿台大阪校責任者の堀江部長などに調査を依頼されたが、事実上無視された。

駿台辞職後は、さらに、刑事犯罪被害が増大した。それもすべて駿台との因果を臭わせて。駿台時代の件は上記のため、当方は「ちんぷんかんぷん」が続いている。辞職後から既に32年経(た)つが被害は悪質な状態で継続している。
回答の一つは、下記に記す、人間違いから開始したとしか思えない。

なお、京都校講師時代に絡んでいるような印象操作を受けた某講師🚺や、大阪校時代に絡んでいるような印象を受けた教師(一人は某生徒が化学のK先生からと言い、差別文書を私に渡してきた。本来実名表記が常識であるが、万一、生徒の嘘(うそ)の場合を考慮し、K先生としている)などは、(私とも結構友好関係があった)生物のKS先生と親しかったため、さらに、何なのか不明である。
KS先生(当時京都在住)は当時、京都校校長か何かであった記憶がある。私とは先生が死ぬまで年賀状のやりとりや、一対一では一度食事を御一緒させていただいたり、私が1984年前後に、某高校などからスカウトされたときに、私が駿台に残るように説得されたメンバーの一人である{このときは大滝満夫部長、深見係長、KS先生と私であった。後に国語のKM先生(一切無関係のため実名化を検討。当時、駿台(御三家・英語・数学・国語)教師の一人)が偶然加われたような記憶もあるが定かではない。}※KN先生も実名で問題ないと思うが。大変、見事な国語の授業をされていた、駿台関西地区ナンバー3の一人であった。

KS先生(生物が担当で、温厚な人柄の先生)については、当方は何等(なんら)被害も受けていないため、実名で書くことを検討している。インタネットには実名で登場されているし、もはや死亡されているため、実名表記で良いのではないかと実名を検討中である。

なお、駿台時代に絡んでいた印象操作を受けた講師達が、当時の駿台女性NMさんなどと仲が良い訳ではない。さらに意味が分からない。第一、自分の教材研究で手一杯のはずであるが。

駿台の件を今更書いても無意味であるが、昨年(2019年4月頃)から偽者強調が激しくなり、更に私と仲の良い世界の指導者の一部も「偽者」に警戒シグナルをだしたため、やむを得ず、駿台の件を記している次第である。松江在住の故友人のTN(拙著『日本のフィクサーME』登場の布袋さんのモデル)は「人間違いが原因」と2012年4月にはきっぱり明言していた。
やむを得ずとは、駿台の件などは読者が興味を持たない。さらに、正直に言えば、駿台予備学校、駿台学園と私(浜田隆政)では、天地の差で、私の方が世界では有名である。駿台は世界では誰も知らないが、世界の指導者で私の名をしらない人はほとんどいない。世界百か国以上でもう私の名は知れ渡っている。多分、世界190か国程度であろう。確認済みは150か国弱である。

他にせねばならないことが山ほどあるがやむを得ずの、駿台記述である。仮説では駿台時代に、X(犯人)が恨みのあるZと私(浜田隆政)の人間違いをしたである(多分、1982年から1983年頃と推測している)。駿台女性の件(NM等の件・恋愛類ではなくどたばた劇)はその後である。

なお、駿台の刑事犯罪、営業妨害は裁判所でのケリが正道であったが妨害だらけで不可能とされた。後に、駿台の尾を引く形で(労働省所管・現厚生労働省所管)ポリテクカレッジ岡山(現・能開大中国)でも労基法違反を含む刑事犯罪、その他の被害を受け続けた。これは本来裁判所か、厚生労働省所管のため国会での審議が正当な方法である。国会議員類には延べ百通その依頼文書を送付している。労働省や厚生労働省にも送付している。
しかし、(早大大学院政治学研究科先輩の)小渕総理の突然死のみであり、他は動きがない。(小渕恵三氏には2000年4月3日に書留で救済依頼文書送付したが、正にその夜緊急入院のテロップがテレビでながれた。)
正々堂々とガラス張りでの決着が望ましい。
同時に、事情は論理や、私への実験ではなく、具体的な事情徴収を直(じか)にすることが望ましい。プライバシー権問題があるため、やはり裁判所や国会が望ましい。同時に偽証罪が使用できる場が更に望ましい。

物事を前に進めたり、世界の指導者類の注目や調査を依頼したりするため、可能な範囲で徐々に実名表記を検討している。ガラス張りが望ましい。駿台、ポリテクカレッジ岡山の管理者類は徐々に実名表記に変更を検討している。また犯罪に該当が明白になれば、平の教師類でも実名を検討する。

駿台の件は女性問題では全くなく、刑事犯罪被害問題でしかない。同時に、犯人Xが人間違いをして危害を私に加えたことも、実名にした方が早く分かるであろう。 なお、駿台辞職後の半年目から一年目頃に、先のKS先生そっくりの声の人物が登場した。顔は全く違っていたし年も違っていた。恰(あたか)も偽者を強調するかの如しであった。KS先生は実名にしても、いかようにも問題がない(先生の一家は困ることが一切ない、更に死後も実名でインタネットに掲載されている)ため、実名を今週か今月中にすることを検討する。
温厚な人であった。最後のやりとりは、家族の方からの「KSがなくなり…喪中につき失礼します」の挨拶文であった。

※KS先生、漢字は一部違うがラクビー関係や、野球関係に同姓同名の人がいる。
やはり、実名が望ましい。なお、実名時は、名前も分かる場合にはフルネームで表記を検討する。


上記の修正文

(2020/09/10 16:13追記:2020/09/12清書進行中)
駿台京都校時代は(女子小学校か女子中学校、せいぜい女子高校レベルの)ドタバタ劇、大阪校に移動してからは営業妨害と刑事犯罪被害で、明白な犯罪被害である。ちなみに1987年当時相談した弁護士は「いじめ」と片付けたが、「虐(いじ)め」ですら刑事犯罪に該当することも常識である。当時(1986年4月~88年1月)の駿台大阪校職員への聞き取り調査を願う。
(2)で述べる駿台と絡ませたかその種の印象操作をした上での、駿台時代での刑事犯罪は警察等が動けば、本来、懲役に該当する大犯罪被害である。もっとも、駿台以外の刑事犯罪被害は、大阪校の松本課長は「それは駿台ではない」と明言していた。

しかし、そこまでではないが、駿台大阪校内で各種営業妨害や軽度の刑事犯罪被害を受けていることも事実である。
駿台予備学校在籍中に関西地区最高責任者大滝部長や、駿台大阪校責任者の堀江部長などに調査を依頼されたが、事実上無視された。もっとも、駿台内ではかなり狡猾(こうかつ)な手段のため、通常の方法では全貌(ぜんぼう)解明は難しい面があるかもしれない。朝日新聞で、当時、若手職員であった石原氏の名前を見たため、この項の最後に、それに関して一言記しておく。


駿台辞職後は、さらに、刑事犯罪被害が増大した。(3)で述べるように、駿台との因果を臭わせてである。駿台時代の件は上記(1)のため、当方は「ちんぷんかんぷん」が続いている。辞職後から既に32年経(た)つが被害は悪質な状態で継続しているとしか思えない。
回答の一つは、下記に記す、人間違いから開始したとしか思えない。

なお、京都校講師時代に絡んでいるような印象操作を受けた某講師🚺や、大阪校時代に絡んでいるような印象を受けた教師{一人は某生徒が化学のK先生からと言い、差別文書を私に渡してきた。本来実名表記が常識であるが、万一、生徒の嘘(うそ)の場合を考慮し、K先生としている}などは、(私とも結構友好関係があった)生物の川端先生と親しかったため、さらに、何が・何か不明である。

川端先生(当時京都在住)は当時、京都校校長か何かであった記憶がある。私とは先生が死ぬまで年賀状のやりとりや、一対一では一度食事を御一緒させていただいたり、私が1984年前後に、某高校などからスカウトされたりしたときに、私に駿台に残るように説得されたメンバーの一人である。このときは大滝満夫部長、深見係長、川端先生と私であった。後に国語の金森先生{当時、駿台御三家(英語の表三郎先生・数学の青塚先生・国語の金森先生)の一人であった}が偶然加われたような記憶があるが、このときか別の飲食会だったかは定かではない。大変、見事な国語の授業をされていた先生で、駿台関西地区ナンバー3の一人であった。

川端先生(生物が担当で、温厚な人柄の先生)や金森先生については、当方は何等(何ら)被害も受けていないため、実名で書くことにした。インタネットでは未だに実名で登場されているため、実名表記でも迷惑をおかけすることはないと判断したからである。

なお、駿台時代に各種トラブルに絡んでいた印象操作を受けた講師達が、当時の駿台女性NMさんなどと仲が良い訳ではない。さらに意味が分からない。第一、自分の教材研究で手一杯のはずであるが。

駿台の件を今更書いても無意味であるが、昨年(2019年4月頃)から「偽者」強調が激しくなり、更に私と仲の良い世界の指導者の一部も「偽者」に警戒シグナルをだしたため、やむを得ず、駿台の件を記している次第である。更に、国内外の政治に、当時(駿台講師時代)のトラブル首謀者Xが私に絡めて策動をしている疑惑もあるからである。

ちなみに、松江在住の故友人のTN(拙著『日本のフィクサーME』登場の布袋さんのモデル)は「人間違いが原因」と2012年4月にはきっぱり明言していた。
やむを得ず駿台の記述とは、駿台の件などは読者が興味を持たないからである。さらに、正直に言えば、駿台予備学校、駿台学園と私(浜田隆政)では、天地の差で、私の方が世界では有名である。駿台は世界では誰も知らないが、世界の指導者で私の名を知らない人はほとんどいない。世界百か国以上でもう私の名は知れ渡っている。多分、世界190か国程度であろう。確認済みは150か国弱である。

他にせねばならないことが山ほどあるがやむを得ずの、駿台記述である。仮説では駿台時代に、X(犯人)が恨みのあるZと私(浜田隆政)の人間違いをしたである(多分、1982年から1983年頃と推測している)。駿台女性の件(NM等の件・恋愛類ではなくドタバタ劇)はその後である

なお、駿台の刑事犯罪、営業妨害は裁判所でのケリが正道であったが妨害だらけで不可能とされた。後に、駿台の尾を引く形で(労働省所管・現厚生労働省所管)ポリテクカレッジ岡山(現・能開大中国)でも労基法違反を含む刑事犯罪、その他の被害を受け続けた。これは本来裁判所か、厚生労働省所管のため国会での審議が正当な方法である。国会議員類には延べ百通その依頼文書を送付している。労働省や厚生労働省にも送付している。

しかし、(早大大学院政治学研究科先輩の)小渕総理の突然死のみであり、他は動きがない小渕恵三氏には2000年4月3日に書留で救済依頼文書送付したが、正にその夜緊急入院のテロップがテレビでながれた。

正々堂々とガラス張りでの決着が望ましい。
同時に、事情は論理や、私への実験ではなく、具体的な事情徴収を直(じか)にすることが望ましい。プライバシー権問題があるため、やはり裁判所や国会が本道であるが、各種方法で長期それを封じられている。だが、偽証罪が使用できる場が望ましいと常に思っている。

物事を前に進めたり、世界の指導者類の注目や調査を依頼したりするため、可能な範囲で徐々に実名表記を検討している。ガラス張りが望ましい。駿台、ポリテクカレッジ岡山の管理者類は徐々に実名表記に変更を検討している。また犯罪に該当が明白になれば、平の教師類でも実名を検討する。

駿台の件は女性問題では全くなく、刑事犯罪被害問題でしかない。同時に、犯人Xが人間違いをして危害を私に加えたことも、実名にした方が早く分かるであろう。 なお、駿台辞職後の半年目から一年目頃に、先の川端先生そっくりの声の人物が登場した。顔は全く違っていたし年も違っていた。恰(あたか)も偽者を強調するかの如(ごと)しであった。

川端先生は実名にしても、いかようにも問題がない(先生の一家は困ることが一切ない、更に死後も実名でインタネットに掲載されている)ため、本日から実名表記としている。
温厚な人であった。最後のやりとりは、家族の方からの「…川端三郎がなくなり…喪中につき失礼します」の挨拶文であった。


当時、大阪校には若手の石原という職員がいたが、朝日新聞で最近掲載された石原賢一氏(駿台教育研究所 進学情報事業部 部長)かどうか不明である。もし、彼が当時大阪校にいた石原氏ならば、調査を依頼したいが、調査のポイントが難しいため、そのポイントを後日記す。

表面的な調査は犯罪の隠蔽の役割しかしないからである。場合によれば、すぐには反応はないが数年後には駿台の命運がかかるかもしれない。超巨大企業(MSのビルゲイツ氏、FacebookのCEO…日本でもソニー社長の一、ニコンの一部や第二代~四代頃の経団連会長)ならばよく知っているであろうが、駿台レベルの経営規模となるとまだ知らぬことが大半であろう。朝日新聞ですら、2014年以降を振り返れば漸(ようや)く、分かりかけたかもしれない。ベネッセも一定分かりかけたところであろう。経営規模が大きくないと事情は分かり難いであろう。

政治圧力ではない。私の意向に拘(かか)わらず、経済面で消費者が動くことが多いからである。世界遺産と私の訪問地の因果関係をみれば一目瞭然のはずである。
石原氏も軽く考えずに、まず、駿台学園理事長と連絡をとることを推奨する。勿論、いつか紹介する海外政府の首脳から情報を得てもよかろう。今はその紹介の時期ではないためしない。

 


 

 




2)刑事犯罪被害に結びつけられた謎。
ところが、1986年度から大阪校へ移動するや、各種営業妨害(マイク調整、無関係生徒乱入)、住居不法侵入、未明の郵便受け叩(たた)き、勘違いではないと卵パックを〠に入れ、自転車への悪戯(いたずら)、自家用車への悪戯(いたずら)、あっ旋ホテルで就寝中の温度攻撃、アパートの天井からの薬落とし、私への拉致未遂を含む各種刑事犯罪被害のオンパレードとなった。また、私の通る道路に犬や猫の死骸が幾つも置かれることもあった。

上記刑事犯罪連続(ほぼ毎日)の期間は合計二年であり、その内、辞職前の数か月は生活不可能な状態に追い込まれた。

日常生活すら困難をきたし、大阪校、京都校両部長に(原状回復を願い)内容証明をだし、結局辞職を余儀なくされた。

【駿台内の犯罪については、今からでも当時の職員に聞き取り調査を願う。特に駿台予備学校大阪校。】当時の最高責任者は堀江部長。


(3)駿台辞職後も30年尾を引いている疑惑
 京都校時代は、女子中学校か小学校の「恋愛ごっこ祭り」騒ぎであろう。これも大の大人がとなると奇妙ではあるが、そうしたことは全くないとも言えない。
だが、大阪校時代の刑事犯罪被害とは明白な犯罪であり、通常は上記のケースではありえない。駿台女性とは何の付き合い云々(うんぬん)の実態もないのにである。

だが、通常ならば、私が駿台予備学校を辞職すればお終(しま)いのはずである。ましてや、相手の女性も途中で結婚したと聞いていた。私も女性も両方が駿台を辞めてまで尾を引く話ではない。
 ところが、この件が次の職場・ポリテクカレッジ岡山(労働省所管、現厚生労働省所管)でも、駿台辞職するや職場が一変し、各種被害を受け、後に駿台予備学校との因果を臭わされる。
 さらに、ポリテクカレッジ岡山(現・能開大中国)を辞職するや、今度はベネッセで、更には村で各種トラブルに遭遇し、駿台辞職してからですら32年、女性に手紙を渡しててから36年以上となる。

このようなことが現実にあるのだろうか?
意味がさっぱり分からない。チンプンカンプンである。

今回、上記まで追記や修正後に正式公開


ここ以降は次々回

(4)も聞き取り調査を願う。1984年1月の高校生コースの子とNMさんの視線が合うや火花の謎。

高校生コースの子に聞き取り調査を。NMさんも場合によれば証言するかもしれない。調査内容の重要なポイントは、誰かに私の件で誰にいつ何かを依頼されたかである。

余り意味は持たないが、水俣で出会った女性にも聞き取り調査は可能なはずである。当時の名簿は今でも持っている。写真物語館・水俣に掲載の写真にも大勢の中に小さく写っている(個人情報問題からどの女性かは書けない)。私が関心を寄せていたのはうっすら気づいているはず。

とにかく、一番重要なことは人間違いの確認をすべきである

 

(4)出発点の不可思議さ―人間違い説


【ここのみ2020/09/10 15:12】確認方法

(1)感情の催眠型意思コントロール→過去のブログなどを読めば分かる。

(2)女性熱の催眠誘導や変化→下記の事例として、高校時代の後輩女性の件を記述。未だに双方、広い意味で好感を持っていると思うので、彼女らに聞くことが望ましい。

私より学年が一つ下のHTさん、MTさん。両者ともに高校部落研究会の後輩。1970年(私が高校三年時)に起こったMTさん熱が突如HTさん熱に(催眠変化)などの裏事情を知っている可能性あり。これが事実ならば、駿台時の、1983年水俣で出会った子への熱が突如、駿台職員NMさん熱への1984年1月変化なども理解可能となろう。

(3)駿台職員NMさんが、誰かに頼まれ刺客型で1983年夏頃から…の証明は、当時の高校生コース(政経受講者)に聞けば教えてくる可能性がある。NMさん自身も場合によれば教えてくれる可能性すらゼロではない。まず、聞き取り調査を。なお、この高校生コースの女性に似せた形で、前回(2020年8月)の「朝から生テレビ」に女性{岩本京子(テレビ朝日報道局厚生労働省担当)}がでていたため、もうマスコミなどは調べて知っている可能性すらある。岩本京子氏をもっと幼くして、榊原郁恵型で、天真爛漫型で少し色が黒い子。今調べると岩本京子さんは福岡県双葉高校出身のよう。何故か福岡が強調される謎もある。

 

 


 

しかし、強いて解釈すれば、何らかの映画説(実話型映画の主人公にでもされた説)のみが考えられた。
 というのも、後にテレビと対話とか、世界の指導者と各種交流という不可思議な状況が起こったからである。

そして、上記の女性トラブルというよりも女性事件の件はチンプンカンプンであり、「ドタバタ劇であり、何のストーリーもない、三流監督が指揮する映画」と思わざるを得なかった。それでも長い。間もなく40年になろうとしている。

それでも、何故(なぜ)、こうした出たらめ危害が長期続くのかと(松江の)友人に疑問をなげかけた。すると、友人の方が逆に「なぜかと思う」と聞いたので、私は「私は人に恨まれる覚えがないので、勘違いか誤解を誰かがしているのではないか」と返答すると、友人は、「いや、それは人間違い」と言い切った。その後、友人は「僕は糖尿病になったので、インシュリンの注射をする」と言いながら注射を自分でうっていた。2012年4月のことである。

その後、人間違いが該当するような状況を何度か経験したため、私のHPのプロフィール充実や、場合によれば回想録などを書きかけるや、ものすごい妨害が起こる。誰の妨害かは今は書かない。
泣くこと地頭には勝てぬ、それ以上に起業を目指し、超多忙なため、起業準備に専念することとし、プロフィール充実などは諦めた。2015年夏のことである。
その後2019年に偽者強調から駿台事件を詳細にブログに掲載するようになった。
ただし、下記の関係で駿台の件は余り書く意味はないが、しつこい挑発と意味不明の件などからやむを得ずである。すると間もなく、松江の友人が死亡した。「人間違いの件」は更に謎となった。


こうした中で、昔を思い出していると、奇妙なことを思い出した。
駿台事件の開始は1984年夏ではなく、1983年夏なのである。
1983年夏前に、1983年度駿台の職員になった🚺NMさんと、お茶をついでいただいた際に数度会話をした。その結果は、私とは生き方が違うので、しゃべっても無駄という思いをしたことを覚えている。

そして、相手も、それを察してか、私の方を無視近い状態となった。それで良い。それで世の中はうまくいく。
ところが、同年1983年夏に、先輩であるが親友のIT氏に、熊本でおこなわれた教員の研究集会に誘われた。会の名前は歴史教育協議会であっただろうか。ところが直前に彼は参加できないと言い出した。その結果私一人で参加した。
当然、こうした会議に知り合いがいる訳がない。弱ったというものではなかった。しかし、何日かたてば、社会科とか教師に感心がある人の集団のため、会話をする人が何人か登場した。
大きな研究会のため、各種分科会があった。ある分科会で、私好みの女性にであった。美人ではないかもしれないが、私好みのタイプであり、容姿もこの種の容姿は私のお気に入りの一つである。ただし、現職教師ではなく、教員志望の学生のようにも見受けられた。

男性教員には簡単に話しかけられたが、この女性には何回か同一分科会で会ったが、声をかけたり、会話をしたりする度胸がなかった。しかし、この頃は私は31才の頃で結婚に焦りを感じていた。伴侶ならばこうしたタイプがよい。当時の好みのタイプは後日記述。
もはや分科会も最後となり諦めた。だが、現地見学(フィールドワーク)がオプションであるという。私は水俣コースを選んだ。彼女がくれば、今度こそ、決死の覚悟で話しかけると決定した。
だが来るわけがない。何故(なぜ)ならば、当時は約数千人が参加しており、そして水俣行きのオプションツァーはバス一台か二台である。確率論から言って、50分の一以下である。
しかし、来れば、逆に言えば絶対に会話をすると決めていた。

そして、水俣行きのツァーに参加した日に彼女は来ていた。オプショナルの水俣ツァーは一泊二日である。部屋は違うが同じ宿で寝ることになる(水天荘という国民宿舎である)。このときのコースや思い出は拙著『旅に心を求めて―不条理編(下)』(生けとし生ける者は生き続けなければならない){Kindle、KOBO各百円}参照に書いている。もっとも、女性のことは書いていない。

だが、結局、声をかけることはできなかった。会話のチャンスが幾つもあったのに。食事とき、バスをおりて歩いているとき、…と。実際に、この世は半徹夜で、様々な教師と語り合っている。

なお、この女性には客観的に考えて脈があったとしか思えなかった。というのも、私がバスの中でマイクを持ち「授業論などを語ると」、この女性はにっこりわらい、くいつくように私を熟視し、うれしくてたまらないという顔で私の話を聞いていた。一瞬は、ふりむき、私の顔を真っ先にみたのを覚えている。

双方が関心をもつ女性にはめったにであわない。そこであの顔をみたならば、最後の別れ際とも考えたが無理であった。

こうしてツァーは終わった。だが、運良く、参加者名簿を渡された。そこで、今度は絶対に手紙を出そうと決心した。しかし、口実があった方がよい。そこで、年賀状を兼ねてだそうと冬を待った。
だが、年賀状でも出す度胸はなかった。ちなみに、こうした手紙をだしたことはないため尚更(なおさら)であった。

しかし、未練はあった。そこで、1984年1月の駿台講習時も、まだ遅れた年賀状か寒中見舞いかで出そうと思い続けていた。
ところが、不思議なことが起こる。
思い続けて悩んでいた時間を1984年1月●日YY時とすれば、ある一瞬を契機に、突如その手紙の件は忘却し、駿台の先のNMという女性に熱があがったのである。当時は催眠というものを知らぬが、不思議で仕方がなかった。そこで、催眠とは知らないが抵抗をし、昔、真備高校(女子高校)で同僚であった先生に手紙…となる。だが抵抗もむなしく、催眠攻撃でやむなくNMに手紙を出す羽目となった。
この手紙という発想は水俣で出会った子にコンタクトを取るために思いついた手段であった。何故ならば、他に手段がなかったからである。


なお、駿台女性NMさんは、1983年夏に私が水俣で出会った子に熱をあげたのを確認してから、1983年秋頃から私の関心をさりげなく引く素振りを開始した疑惑がある(駿台にいるはずがない赤ちゃんと登場とそれをあやす、それも私が必ず見るように…)。だが、このNMさんが私に関心をもっていれば、1984年夏に手紙を渡した際に、良い返事をするはずであるが全く逆であった。

随所に書いているが(多分1990年代の後半から書いているが)、この女性NMさんに私が熱をあげて揉(も)めて駿台を辞職したのではなく、私を駿台から放逐し、さらに、私が長期に亘り(ときには一生涯に亘り)仕事をできなくするために、このNMさんが誰かに頼まれて、私の関心を引こうとしたという仮説である。それがうまくいかないので最後は催眠であった。
なお、この種の催眠は過去にも、その後にも経験している。高校時代に部落研究会の後輩女性MTさんに熱をあげていたら、ある日、午後からは同じ後輩のHTさんに熱が移動したことがある。それも僅か1分程度で。さらに、駿台大阪校にいってからは、岡山の予備校でも、女性TYさんに突如熱をあげさせられるが、それがある日、突如YJさんの方に熱が変わるという不思議な体験もある。
前例はある。ちなみに岡山の先の二人も駿台同様にデートもせず、指一本触れずである。高校時代の方が、彼女らが結婚した後も仲間であり、友達である。一人の方は彼氏ができてからも連絡をくれ、もう一人の方が結婚式に招待されたが多忙で参加できず。

しかし、高校時代のそれと異なり、他のは、特に駿台NMさんの件は、私を駿台から放逐するためとしか分析できない。
だが、私は他人から恨みを買う心当たりは一切ない。そこで、高校時代の件なども思い出しながら、山田洋次型ドタバタ劇でこうしたシナリオを考えたのだろうと、駿台辞職後(1988年1月)以降で半年後くらいからは、そう考えていた。
駿台女性関連は、1986年春のFK係長からの電話を合図に全て感情が消え去った。催眠とはそういうものである。
多分、駿台京都校の高校生コースの女の子と職員NMの目があい、火花か散ったように思えたのを契機に催眠がかかり、FK課長からの電話を契機に催眠がとけたのであろう。

その後に、NMさんへの好意的な形で思い出したことはただの一度もない。さらに、先の熱を催眠で上げさせられる前も、同様に好意的な形で思ったことは一度もない。
ようするに、私は意味不明の(多分、永久の世の)映画説の主人公であろう。そしてNMさんの件はどたばた劇の導火線と解釈を長期していた。

ところが、2012年の友人の言動や、就寝中に、映画説でも何かストーリーがあろう。脚本があろう、…と思わされた。さらに、人間違い被害を連想させる事件が相次ぎ、ひょっとすると、どたばた劇でも最初からのどたばた劇ではなく、どたばた劇を開始するためのシナリオがあったのではないかと思うようになった。

簡単に言えば、XがZに恨みか何かを抱き、Zに女性を絡めて失脚させ、人生を台無しにするきっかけとなるようにするため、駿台NMさんなどにXが依頼をしたという仮説である。
だが、私は人に恨まれる性格では本来はない。誰かが故意にデマを飛ばさぬ限り。そして友人の一言「人間違いが原因」とか、世界の指導者が臭わせた「偽者」なる語を疑いだした。要するに、XがZ(若しくはZの母か父)に恨みをもったかもしれないが、私はZではなく私は浜田隆政である。
ここ十年余りは人間違いを裏付けるような形で物語は進行している。Zは誰かは、私はXやZではないため特定できる訳がない。
ただ、人間違いが起こりそうな箇所を、プライバシー権に配慮しながら、臭わすしかないであろう。


もっとも、単なるどたばた劇の可能性もまだ捨てきれない。何故ならば、先の🌊水俣(🐬)でであった女性は、1987夏にも岡山の社会科教員研修会で出会った可能性が高いからである。当時会った子とよく似た子がお嬢の一人(🎎)と同様の仕草をしながら、私の前を歩いたからである。
駿台事件若しくは駿台トラブルの開始は1984年秋の手紙ではなく、1983年夏が終わった直後の秋からである。先の赤ん坊…から策動が開始されている。そして、刑事犯罪がピークなる直前の嵐の前の静けさが1987年夏である。両方に水俣で出会った女性🌊は登場している。
さらに、私を熊本の社会科教員研究会に誘ったITさんは、あの女性🌊は、お嬢のもう一人🧜と同一だ。さらに、駿台時代に慌てて見合いをした🛵女性(私は🌈と表現したい)「おじょう」とも同一だ、と言う始末である。
要するに、未(いま)だに駿台女性トラブル開始のNMさんの件は催眠であることは間違いないが、どたばた劇の導火線なのか、訳の分からぬドラマのシナリオ(人間違いを起点)なのかは判明しづらい状態が続いている。催眠類熱であることだけが事実である。

だが、何故、未だに駿台NMの件を書かされたり、駿台の件を書かされたりするのかさっぱり分からぬと同時に貴重な人生の無駄であると、人生終活に入り、参っている。馬鹿馬鹿しいことこの上ないである。
https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1302929268993716224?s=20

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1302929268993716224?s=20

 


※K先生からが事実ならば、K先生の名前も実名で記載するが、手渡した人が勝手にK先生の名を使用した疑惑もあるため、しばらく保留。とにかく、一番重要なことは人間違いの確認をすべきである




(5)同和問題を臭わされる謎
これは、駿台時代に化学のK先生からと言って、何人かの生徒が意味不明な差別文書(中に法務局とか人権擁護局のマークがあり)を手渡してきたり、その後もそうした挑発らしきものがあっりした。ただし、何のことか意味不明である。
なお、駿台で差別文書を1987年11月頃に渡されたが、その30年目の11月にやはり法務局、人権協議会の封筒が我が家の郵便受けに入っていた。
ただし、住所は我が家であるが、宛先は私ではなく、隣人の名前であった。(隣家も何故か不明であるが、我が家の住所を50年ほど使用され続けられていた謎もある)。

ただ言えることは、私は部落研活動を長期していたことがあり、差別反対主義者である。勿論、伴侶候補の出自などはきにしない。だから一切調べない。学歴・人種・出自…はどうでもよい。強いて言えば「若い内の苦労は買ってでもしろ」…より、その苦労が昇華されていれば魅力でしかない。

苦労がいかされていれば、伴侶候補としてはプラス評価はあっても、その逆はない。

機会があれば、1968年高校一年のとき(分裂前の部落研修会)、1969年分裂が起こったがまだ同一の集会に参加したとき、1970年分裂後の集会の感想などもどこかで記載しよう。▽
岡映氏の件は既に記述した通りで、岡さんがよく行っていた食堂のママさんからの、女子高校生指導で悩んでいたときに、対応の仕方などの参考でということで紹介されたにすぎない。

ようするに、何故、同和問題が駿台の件ででてくるのか「サッパリ分からない」。同時に、私は差別反対主義者にも拘(かか)わらず、出鱈目(でたらめ)の挑発の気配も気になっている。

なお、私は差別反対主義者であるが、もう40年ほど前から党派中立・宗派中立を貫いていることも強調しておく。

2020年9月12日