気が向けば一言【政治家等】№160・SNSコメント内容―②菅直人・岡田克也両氏。
(更新記録)
2019/11/11 17:48下書き公開
2019/11/13 1:00正式公開
2019/11/13 11:08 菅直人事務所のFacebookをポップアップ型に変更
(登場語句)
2019年11月8日に以下の人物などのSNSへ書き込みをした。
今日(2019/11/11)から順次公開をしていく。
(1)河野太郎氏→2019/11/11掲載箇所
(2)菅直人、岡田克也両氏→2019/11/13
(3)古賀茂明氏、と独立行政法人についてTwitterへの書込(11/11)
(4)原水爆禁止に関係している本屋(平林堂書店・外販部)とVet10などへのコメント
(5)11月10日の独り言(Twitter11/11記載)―三つの危害
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本日(2019/11/1)は岡田克也氏と菅直人氏。
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【岡田克也氏】
(岡田氏のHPに下記のコメント:岡田氏のHPは下記から)
→内容は岡田氏のHP参照
○https://twitter.com/okada_katsuya/status/1192059547344441345?s=20
【ブログ TALK-ABOUT 2019年11月6日】
地球温暖化─日本の本気が必要https://t.co/B8OIoffwXo#地球温暖化 #パリ協定 #石炭火力— 岡田克也 (@okada_katsuya) November 6, 2019
岡田克也氏(HP)http://www.katsuya.net/
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【岡田氏のHPに書き込んだ浜田隆政のコメント】
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🌎世界的連帯を!
岡田克也さん、世界に出よう。世界の同じ志を抱く人とを。
スウェーデンの #グレタトゥンベリ #GretaThunberg さん。
アメリカの ケリー元国務長官も環境・地球温暖化問題には関心が高い。
フランスのマクロン大統領、ドイツのメルケル首相、カナダのトルドー首相…と。
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世界のみんなと。🤝
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私は世界には出る金がない。経済封鎖を解かれ、職業選択の自由が回復すれば、せめて四日市に「四日市喘息」の資料を求めてゆきたい。
ついでに、伊勢志摩にも行きたいというささやかな願い…。
これをかなえるように、私の人権回復に協力を願う。
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【書き込んでいない今回の追記】
なお、下記の菅直人氏の追記に記したように、2012年に全てが決まる。そして、その流れは2011年菅直人政権が幕をとじたときに端を発していた。当然、後任は岡田氏と思っていたが…。良いか悪いか不明であるが、そのときには歴史は一部現在と違っていたであろう。その話もいつかしよう。
野田佳彦氏は知らなかったが、総理になる頃に知る。時間的には早大大学院時代に政経学部試験監督をしていたときの学部学生ということで親しみを感じた。野田佳彦氏は性格は大変よい。
詳細は拙著『日本のフィクサーME』の序章に追記しようかと思っている。
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(やわらかい追記)三重県にフィールドワークに行かなければならないが、経済封鎖がとかれれば、上記のフィールドワークを実施したいと思っている。
生きている内に、三重県にいくことを願っている。
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【菅直人氏】
〈真偽の程は私には不明であるが興味深いので、菅直人氏の文章をそのまま抜粋〉
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なぜ菅政権の時に原発ゼロを実現できなかったか
2019年11月3日菅直人ブログ
最近「いま菅さんが原発ゼロの実現に努力しているのは知っているけれど、それならなぜ2011年の菅政権の時に原発ゼロを実現しなかったのか」という問いを受けました。当時の政治状況を知らない人にとってはもっともな疑問です。そのことを少し詳しく説明しておきます。
私は福島原発事故が起こるまでは日本の原子力技術は高いレベルにあるので、スリーマイルやチェルノブイリのような人為ミスによる原発事故は日本では起こさないでやっていけると考えていました。しかし、2011年3月11日に発生した福島原発事故は、私のそれまでの考えを根底から覆し、それまでの私の考えが全く間違っていたことをいやというほど思い知らされました。
そこで福島原発が発生して以降、私は総理として原発ゼロにかじを切り始めました。まずエネルギー基本計画で2030年までに原発の発電比率50%を目標にしていたのを白紙に戻しました。また海外へ原発輸出を進めていたのをやめました。そしてそれまで、原発推進の経産省にあった原発の規制部門の根本的な改革に着手しました。
その一方で、野党自民党の安倍元総理は2011年5月に、「菅総理が原発への海水注入を停止させて福島原発事故を拡大させた」というウソの情報をネット上で流し、私に対し責任を取って総理を辞任するように要求し始めました。そして最終的には、福島原発事故から3か月もたたない6月2日に自民党は私に対する不信任案を提出しました。
当時民主党は衆院で過半数を超えていましたが、私と民主党内で対立していた小沢一郎議員が自民党の不信任案に同調しようとしました。こうした民主党内の小沢さんを中心とした造反の動きを抑えるため、私は直前の総理であった鳩山さんと話し合い、一定のめどがついたら私は総理を辞任すると約束して、党内の造反を最小限に抑え、不信任案を否決しました。そして、固定価格買い取り制度(FIT)の導入など、一定の改革が進んだ2011年9月2日に私は総理を辞任し、同じ民主党の野田佳彦さんが総理に選出されました。
私はもちろん、総理を続けて原発ゼロを実現したいと考えていました。しかし、安倍元総理の虚偽情報が読売新聞や産経新聞の一面で大きく報道され、私に対する批判が強まり、それに加えて党内で対立していた小沢さんの揺さぶりのために、政権が維持できなくなり、やむをえず退任したのです。政局の混乱のために私が総理の間に原発ゼロが実現ができなかったのは今考えても返す返す残念です。
以上が私が総理の時に原発ゼロを実現できなかった経緯です。ご理解ください。私が総理を退任した後も原発ゼロを求める世論は過半数を超えており、次期総選挙こそが原発ゼロに政治を変えるチャンスと考えています。多くの皆様の原発ゼロに向けての積極的な行動をぜひお願いします。
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上記の文章は下記より抜粋。
菅直人HP「2019年11月3日」→ https://n-kan.jp/
菅直人事務所Facebook「11月3日」→https://www.facebook.com/naoto.kan.offical/posts/1176089602584281
なぜ菅政権の時に原発ゼロを実現できなかったか最近「いま菅さんが原発ゼロの実現に努力しているのは知っているけれど、それならなぜ2011年の菅政権の時に原発ゼロを実現しなかったのか」という問いを受けました。当時の政治状況を知らない人にとって…
菅 直人 事務所さんの投稿 2019年11月3日日曜日