気が向けば一言【徒然・私事】№141:長期危害連続―心当たりなし。友は人間違いと言う(7)―2010年分析
【更新履歴】
下書き・メモ段階公開2019/05/15 数日前から。
2019/05/16 0:47から公開
2019/05/16 1:45一部追記。
今回の項目は以下、二つである。
《◇―1・『閉じた窓にも日は昇る―付録編』2010年10月20日》
《◇―2・2019年5月12日追記。人間違いから始まった私の放逐劇とその後の私の人権蹂躙の嵐》
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(2019/05/11~5/12)
(A)2019年から2010年に記載した文書(当時の分析書)である。
2010年頃は下記の『閉じた窓にも日は昇る―付録編』如(ごと)く考えていた。誤字以外は修正せずそのままの形で掲載。やや、女性に失礼な表現があるが、催眠下で本音を即座に言わされたため、婉曲(えんきょく)的表現にする時間がなかったせいである。
(失礼さの修正は次の(B)で行っている。理由は、仕事を手伝ってもらい、失礼表現は後味が悪いからである。ただし、全女性がどういう人かほとんど及び全く知らないことが唯一の事実である。)
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なお、今読むと、流れから幾つかの無理がある。
第一が、幾ら映画説でも流れがあろう。
指一本触れず、外でも会わず、学内でも人がいるところでしか会わず、会話量も6年合計で一人当たり十分程度である。そうしたときに私が女性にふられたと言って、どんちゃん騒ぎまでは暇人はするかもしれないが、私が京都校から大阪校に移動しても継続するであろうか。予備校の生命線である授業妨害までするであろうか。しかも、S予備校辞職後も続き、結果として三十五年続くとは…。
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ライバル学校法人があるときに。教師はライバル教師がいるときに。
ましてや、S予備校辞職すれば、通常は、深追いはしないはずである。その上、女性も職場をやめれば全員が忘却する話である。
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それが、別の職場に移動しても三十年以上続くのは無理がありすぎる。映画説としても脚本が成り立たない。
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だから、私が「無茶(むちゃ)な、デタラメなシナリオ」とか、映画説以外の要素が絡んでいることを加味し、「私は長期人に恨まれる心当たりはない。誰かが勘違いか、誤解しているのではないか」と友人に言ったことがある。
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友人は即座に「勘違いではない。人間違いである」と言った。
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もし、私ではない人と私を人間違いをしたならば、どうなるか。回答は一つ、私はその人間ではないから、その人が何をしたのかすら全く分からないとしか言えない。
理論上は、人間違いはNM(過去の原稿ではCさんと記述)さんに手紙を出す前となるのだが。
私が人間違いされた人間を仮にZ(下の追加箇所ではXと表記)としよう。
誰かが(若しくは集団・組織が)Z(もしくはX)を相当恨んでいた。そこで、下記の罠(わな)をしかけてS予備校から放逐し、更に、別の職場でも仕事ができないようにし続けたとなる。35年間も。
だが、再度言えば、私は該当者のZ(もしくはX)ではない。これが全てである。
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下記仮説と友人が言うのが事実ならば、当時、この件に絡んでいた人間は、Zと私を間違えて、罠(わな)をしかけたとなる。そして、現時点ではその可能性が極めて高い。
今、公式HPのプロフィールを充実させている。
それを丁寧(ていねい)に読めば、人間違いに気づくであろう。
ただし、当時から35年間も経(た)って。
赤ちゃん取り間違え事件と同一であった。
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(B)の文・映画説関連分析を柔らかくし、(若干女性の擁護もいれて)、素朴な疑問を記した文である。なお、やわらかい書き方ならば前回の一言№140が良いであろう。簡単に見るならば№119が良いであろう(ここでは明るく記述している。)
随所に記すが、あなたがたは人間違い殺人ならぬ、人間違いで私の人権剥奪(はくだつ)を長期したのである。
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○https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1124666961852375040
19-122-6【人違い】
本日、耳鳴り下で催眠型で記述させられたため122-4は以下訂正。
比較用に数時間併行掲載した後で削除。
インタネットは不特定多数の人が見るため、正確な表現が不可欠。又他人のプライバシーに配慮しつつも、私の人権問題とそれの天秤問題もある。#駿台 #官邸 #アメリカ高官 pic.twitter.com/57JpCpDe4o— 浜田隆政 (Takamasa) (@Takamasa_Hamada) May 4, 2019
※上記Twitter文書中の「検討」は「見当」のミス。
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《◇―1・『閉じた窓にも日は昇る―付録編』2010年10月20日》
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(2)第一の刺客(NM等)の謎の解明――奇妙な物語の本格開始の謀略(ぼうりゃく)
《S予備校時代の主な登場人物表》→登場人物がわかりずらいため、人物表を二〇一六年に作成したが、可能な限り人物を特定できないようにするため削除した。
①一九八二年講師室係→お茶くみ以外の仕事願望女性A(翌年退職)、美形女性B
②一九八三年講師室係
一号館・手紙送付女性NM(別の原稿ではCとしている)、もう一人の独身女性G、NMの同僚の既婚女性TU、NMの先輩女性KM。
二号館・YK(彼女にそっくりな女性に岡山市で頻繁に偶然出会う、ちなみにYKは妹が岡山の大学に行っていると言っていた。別の原稿ではEとしている)、GT(別の原稿ではDとしている)
③課長
一号館YD課長、二号館OK課長
③部長
京都校・OT部長、大阪校・HE部長
※S予備校時代の主な登場人物のみ二〇一六年二月記述
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刺客(しかく)の出発点・NM(今までの原稿ではCと記述)が登場する一年前の一九八二年、S予備校講師室係に、お茶くみ以外の仕事願望型女性Aと、スタイルの良い普通の女型女性Bがいた。前者に興味を持ち、後者には全く興味はなかった。八三年三月に両者ともに辞職した。ところが、同年四月から、女性Bの首から上のみ入(い)れ替(か)えた如(ごと)く、スタイルもBそっくりのNMが登場する。同年夏前まではNMに仕事を頼んだり、時折(ときおり)会話もしたりしていた。しかし、人生観等の相違から伴侶(はんりょ)候補外と考えた。
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人生観の違いを説明するため、私の高校時代の同級生YとZの話をする。S予備校講師室係NMと同一大学へ進学したYは某医師と見合い結婚した。すると、負けじと、Yのすぐ近くの(中学・高校同期生)Zという女性も見合いし、医師と結婚した。凄(すさ)まじき女の競争心という噂(うわさ)もたった。結果として医師と結婚すること自体は悪いとは思わないが、人物後回しで医師という職業志向型女性と私とは合わないということである。なお、YとZがそうしたタイプの女性と断定もしないし、もしそうであったとしても私とは価値観が合わないと言っただけであり、悪いとは一言(ひとこと)も言っていない。YとZには今後も出会うこともあるため念押しで記(しる)しておく。悪魔(あくま)で例(たと)えである。道であって睨(にら)まれたら「御免(ごめん)なさい」ということとし本題に戻す。
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NMからもその種の感じを受けたのである。また、当時は波瀾万丈(はらんばんじょう)の人生を送る危険性もあったため、女性も手に職を持ったり、仕事をし続けたりすることも重要であるとも考えていた。これらから、NMとはもう会話しても無意味と八三年夏前に結論を出し、私の方で前年の女性職員Bと同様に無視していた女性であった。因(ちな)みに、私の伴侶(はんりょ)(My better half)として好みのタイプを強いて挙(あげ)げれば、第一六章の最後に追記で記したMNのようなタイプである。潰(つぶ)れかかった家に住み、金も余りなく、何度も転校し続け、それでも明るく朗(ほが)らかで、おまけに人の良いタイプの女性と言えようか。ともかく、人にはそれぞれ好みがあり、私が誰に好意を寄せるかは私の自由であり、解説すること自体不愉快(ふゆかい)極(きわ)まりない。第一、全世界の人間が一人の女性・男性のみを好きになれば地球は滅亡する。では、何故(なぜ)、私がNMに熱をあげたのか。簡単に振り返ってみよう。
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一九八三年夏前から、NMはもはや脳裏(のうり)にはなかった。そして八三年夏には、水俣(みなまた)で出会った教師志望の女性に思い焦(こ)がれる。その後も、NMとほとんど口もきくはずもない。ところが、八四年冬頃に、何の契機もないのにNMに熱を急にあげかける。私の理性は猛反発をした。そこで、NMにアタックするくらいならば、昔の高校講師時代の同僚・音楽講師KNに突進(とっしん)したいと考え始めるや、私がいつも乗っている、過去一度もKNに出会ったこともない電車の中でKNに偶然(ぐうぜん)出会う。まさに思うや否(いな)や即(そく)偶然出会う。そこで、KNに一か八かでアタックすることにした。だが、電話をする度胸(どきょう)もなく、手紙を送付し、交際を申し込むが返答はなかった。手紙を出してから暫(しばら)くは、KNに出会うのが怖(こわ)いため電車に乗らず、岡山市から庭瀬へは自転車やタクシーを利用したり、やむを得ず電車に乗る場合でも深夜に乗るようにしたりしていた。手紙を出した私の方が気まずさからビクビクと逃げ回っていた。それが滑稽(こつけい)だったのか、このときの私の逃げ方に類似したことを、後にNMが行う。
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またも何の契機もなく、一九八四年夏、NMに再度熱をあげる。理性は反発し見合いにかけた。そして、学歴はどうでもよいが、阪大英文卒と自称していた女性と見合いし、交際を検討する。姉の話では相手も乗り気と聞いたが、二度目に会うと態度が一変しており断られる。断られた理由は、公務員など安定型職業を好むとのことであった。ならば、交際しても、いずれ潰(つぶ)れたであろう。
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結局、突如(とつじょ)理由もなく生じたNM熱は冷めず、八四年九月NMに手紙を渡す。なお手紙を渡す直前に、S予備校の私が使用している部屋にNMの名字(みょうじ)と名前が記入された物(もの)差(さ)しが置かれていた。私は、S予備校職員の名字は知っていても、名前など知っている訳(わけ)がない。これまた奇妙な偶然の話である。更(さら)に、八六年三月大阪校への異動の打診電話があると、NM始めS予備校女性群の件は感情が一秒で無(む)となり、今日まで同様となる。
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では、何故(なぜ)NMに熱をあげたのか。TV等で催眠術(さいみんじゅつ)をかけて遊ぶ番組があったが、同様の疑心(ぎしん)を九六年頃から抱(いだ)いている。若(も)しくは、彼女自身が私が彼女に熱をあげるように懸命(けんめい)に努力をしていた疑惑(ぎわく)もある。例(たと)えば、講師室で誰かの赤(あか)ん坊(ぼう)をかわいがる姿を私にみせつけるようなことをし、優しい女性というイメージを植え付ける等の。
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また、一九八四年の冬(突如NMに熱をあげる直前頃)に妙に気になったことがあった。高校三年生クラスの女生徒で、医学部志望の、榊原郁恵に雰囲気の似た可愛(かわい)らしい女の子がいた。私に懐(なつ)き、私の所によく質問にきていた。私も父性(ふせい)本能をくすぐられ、子犬か子猫(ねこ)でもみるが如(ごと)く、可愛(かわい)らしいと思っていたし、そのように接していた。ある日、彼女が講師室に質問に来て、私の横にピッタリと座っていた。そこに講師室係のNMがやってきた。NMとこの高校三年生の女の子の視線が合った。高校三年生の子はニッコリと笑った。恰(あたか)も勝ったというような――無意識に出た――笑(え)みをNMの方に向けた。NMは苦汁(にがり)を嘗(な)めたような顔を一瞬(いっしゅん)して、屈辱(くつじょく)的というか悔(くや)しい{若(も)しくは恥ずかしい}という表情を見せた。私は何のことかさっぱり分からなかったが、ただ次の二点を覚えている。この二人は知り合いなのかと不思議に思ったこと。同時に、女性の屈辱的な顔を見たときに、女性とは怖(こわ)い物であるという、漠然とした感情である。とにかく、何のことか不明であるが、誰とてあの状況では記憶に残る出来事であった。
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今考えると、(美形と言われていた)NMは私の関心を得るため努力したがうまくいかず、たかだか高校三年生の子を私がかわいがっているのを見て、屈辱的な思いをしたのであろう。NMの使命は、私に彼女への熱をあげさせることにあったとしか、今は分析できない。熱をあげさせる目的は、私をS予備校から追い出すためである。では、彼女の動機は何か。映画説ならば、次の舞台に行かすため、私をS予備校から追い出す目的で彼女に熱をあげさせるである。映画説でなくても、ここまでは事実としか思えない。要するに、私が彼女に熱をあげてS予備校を辞めざるを得(え)なくなったのではない。逆である。XがS予備校から私を追い出すため、彼女に熱をあげるように仕向(しむ)けたという仮説である。最後の刺客―10から順番に遡(さかのぼ)り刺客―1を論理的に解釈してみるがよい。もし、NM等のS予備校女性に、しかも私ではなく世間一般が注目するタイプの女性に、熱をあげなかったならば……。
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だが、私が彼女に熱をあげさせられたのは私の意思とはどうしても思えないのである。勿論(もちろん)、催眠以前の挑発・謀略(ぼうりゃく)・マインドコントロールでさえ、ナチスや戦前の日本国民は後(のち)に自分でも信じられないと思う行動をした。これらを総動員してすら簡単なことである。それでも、切っ掛けは催眠としか、私には思えない。
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勿論(もちろん)、異性に熱をあげるというものは催眠ではなくそうしたものであり、また人生自体も奇妙な偶然の連続であり、更に九六年頃からNMの件で右記のことを思い出したのならば第三編の岡短の労基法違反被害で精神が疲弊(ひへい)したせいである、等々の反論もあろう。特に文学好きの人ならば、シェイクスピアの『お気に召すまま』(「As You Like It」)の二幕七場を思い出せというであろう。「All the world’s a stage, and all the men and women merely players; They have their exits and their entrances; And one man in his time plays many parts, …」{「世界は劇場で、男も女も役者に過ぎぬ。退場があれば、出番がある。そして生きている間にひとりがいろいろな役をやる」(ウィキクォートより二〇一〇年九月六日ダウンロード)、坪内逍遙訳では「人間世界は悉(ことごと)く舞臺(ぶたい)です、さうしてすべての男女が俳優です。めいめいが出たり入ったりして、一人で幾役も勤める」、他にも「人生とは芝居であり劇場であり、舞台である。人は役割を演じ皆それぞれが主役である……」などの諸訳がある}ようするに、「人生とは芝居(しばい)」の如(ごと)く物であり、映画説云々(うんぬん)ではなくそれが人生である、との反論もあろう。
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やはり映画説としか思えない。二〇一〇年四月二七日の就寝(しゅうしん)中に、第一の刺客(しかく)群について――女性に指一本触れず、S予備校外でもデートすらしていないのに、S予備校をどうやって追い出したか――の種明かしをされ、そして恰(あたか)も催眠(さいみん)の如(ごと)く形で原稿を書くよう強要された(と感じている)。その内容を以下記す。
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「一号館女性NMの怯(おび)えは話題提供のみではない。あからさまに逃げ回るような形や、(芝居の如く大袈裟(おおげさ)に妙にビクビクとした演技で)怯(おび)えれば、お前は恥ずかしいのみか、講師室係に物を頼みにくくなるため仕事にならない。そこで二つの行動(αとβ)をとる。即(すなわ)ち、α・NMの上司や先輩を通じて沈静(ちんせい)化を図(はか)ろうとする。もう一つは、β・二号館講師室係にも不審(ふしん)に思われないように努力をせざるを得なくなる。
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このαとβを利用して対人関係を壊(こわ)す計画を練(ね)っていた。同時にお前への攻撃の正当化を図り、S予備校で行われた(授業妨害等の)無法をお前自身の責任と思わせ、一部諦(あきら)めさせる戦略だったのだよ。この正当化は第四幕での、近隣・親戚の人の出鱈目(でたらめ)行動をパッチテストの名の下に無理矢理正当化しようとしたのと同様だよ。」
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α・「前者(α)の場合が、NMの先輩・KMに『NMさんに通常にしてもらうよう』にと伝言を依頼した件である。その後で、KMに授業直前等にお前を少しからかわせる。するとお前は怒る。だが周りはお前がNMに振られたことも知らぬため、KMのからかいなどには気づかない。KMにもう少しからかわせる。お前はKMに怒る。するとKMの上司の管理職・YD課長などが逆にお前に怒る。こうして対人関係をややこしくする。つまり周(まわ)りを絡(から)めさすのである。でないと、お前が失恋しただけでは、後の刺客―2~4などが自然に出現できないであろう。ただ、お前がKMに怒らないので苦労したが、何とか別の方法で、一度だけとはいえ、YD課長を怒らせることができたが」、と。
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KMが、恰(あたか)も女子高校生が教師の気を引くのが度が過ぎたような形で図に乗り、有頂天(うちょうてん)になったような形で私をからかった理由はこれで明白になる。おまけに、KMは二十代後半でかつ既婚(きこん)者である。そんなことをするはずは通常はない。まして職場で。上司のYD課長も当然そう思う。私もそう思う。それがからかわせた理由なのである。
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「{映画説故(ゆえ)に、}NMの先輩女性KMは、無関係の教職員を巻き込みややこしくする目的で、故意に授業前に(他人に分からないように、お前、否(いな)、人間の心理を突き)挑発してたのだよ。その件で頭にきたり・気が散り困り、お前がKMに怒り、その意味が不明の上司YD課長がお前に怒り、喧嘩(けんか)となるように。若(も)しくはお前に更(さら)に誰かに相談させるのが目的だったのだよ。そして、ややこしくできたと感じるや、役割が終了したことになり、それで大人しくなった」、そうである。
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因(ちな)みに、「最初の相談相手(KM)や二番目の相談相手(TU・NM)が、YD課長でも同じで、その場合にはYD課長で同様にややこしくする策略も練(ね)ってたのだよ。その証拠が先のYD課長との言い合いだ」、と。{勿論(もちろん)、刺客―1の段階では、誰が見ても自然に見える形で行われていた。このα・前半部分がどのような形をとったかは付録編参考箇所【参考―1】参照。これを読めば、誰でも自然に起こりうる問題と考えるであろう。}
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「だから、NMの最初の怯(おび)えの理由も、もう十分、分かっただろう。怯(おび)え回った振りをすれば、面白い話題提供ができるのみではなく、αとβを絡めて刺客(しかく)登場のお膳立(ぜんだ)てをつくることができるため故意(こい)にやらせたのだよ。即(すなわ)ち、α・お前が困って誰かに相談するようになる。実際に(NMの先輩女性)KMに一言(ひとこと)相談しただろ。すると逆にKMで困り、更に誰かに相談となったであろう。即ち(KMの上司である)YD課長に相談しようとし、更(さら)に更(さら)にややこしくなったであろう。」
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「お前より、男女関係では、彼女らは格上であり、NMなど手紙をもらって怯(おび)えるような女性ではない。異性から手紙をもらったり、出したりして怯えるのはお前くらいなものだ。お前は可愛(かわい)らしいね」、とも。
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そう言えば、H係長が言っていた。
「NMさんは、美形のため、過去相当、男性からアタックされていると思いますので、断(ことわ)るのは慣(な)れていると思ったのですが。先生からの手紙(恋文)くらいで驚くとは思えないのですが」、と。
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β・もう一つの動きが、二号館女性YK(別の原稿ではEと記述)とGT(別の原稿ではDと記述)である。
「次に二号館だよ。京都校二号館講師室係・YKやGTに奇異(きい)な目でお前を見させたり、一号館で何があったか何があったかという素振(そぶ)りをしたりさせる。すると、お前は二号館女性に仕事を頼みにくくなる。そこで、不審(ふしん)を解(と)く努力をせざるを得ない。
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だから、NMの不可思議な形での怯(おび)え→(二号館でも)仕事に支障を感じる→誤解を解くため、自分の性格(NMに恋文を出し断られただけで、不審(ふしん)行動などする性格ではない)を知ってもらえるように彼女らに接近する→その隙(すき)をつき、彼女らにも計画的にお前に関心のある振りをさせ、周囲からは二股(ふたまた)・三股(みまた)だと偏見(へんけん)の目でお前をみさせる。これにより、後の授業妨害などの正当化を図(はか)る。お前が単にNMに振られただけでは、刺客―10所か、刺客―2~4すら登場できないし、S予備校放逐(ほうちく)も無理だろ。だから、こうして他の人物を巻(ま)き込(こ)み、刺客―2以降を自然にみせる必要があった」、そうである。
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こうして、お前とYKやGTを絡(から)めることにより、お前の恋相手はYK、GT、NMだと、周りを巻き込み、ややこしくする。そして(1)④イ・逆転法則に記したお前の性格{女性に複数以上寄られれば当惑(とうわく)するタイプ}を利用して、異性と同時掛け持(も)ち付(づ)き合(あ)い的な罪悪感を持たし、何があっても自業自得(じごうじとく)と思い込ませる。これは刺客―2~4(S予備校での授業妨害等)の登場を自然に見せるための戦略であったそうである。
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「だけど、お前がS予備校女性に指一本触れておらず、デート所かS予備校外でもあっていない以上、本当は、誰も女性の件ではお前のことは何とも思っておらず、暇(ひま)つぶしに喜んでいただけなのだよ。定年退職後にS予備校に来ていたKW先生なんか楽しくて仕方なかったのだよ。だから、お前を見てゲラゲラ笑っていただろう。途中、計画通りに行かなかったが、ただ、次のステージ、登場人物の関係で、もうごり押しをしたのだよ。ともかく、刺客―2~4をスムーズに登場させることがすべてだったのだよ。」
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よって、二号館女性・YKについてもシナリオが先にあり、そのシナリオに無理矢理(むりやり)つきあわされようとしただけである。NM同様の手口で。因(ちな)みに、NMの後で、揉(も)めた女性YKについても不可思議なことが多い。当時YKの妹は岡大生だそうで、YKによく似(に)た妹さんと想像させられた女性に、岡山市で何度も会うという奇妙な偶然(ぐうぜん)のほか、シナリオのやり過ぎという幾つもの証拠がある。岡山市(人口七〇万人)は小さいといえども、市内で偶然(ぐうぜん)何度も会うことは通常はない。その他書けばきりがない。
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一九八五年夏頃、まさかYKに会うとも思わなかったS予備校パーティ会場の入り口で、(まず催眠で)YKに「待っててほしい」とか何か言わされたことがある。その意味は当時も今も私自身が全く意味不明で分からない。当時、私の周(まわ)りに、見合いした女性も含めて三人ほどよさそうな女性がおり、誰が良いか、まだ全然分からなかったのだから。YKを伴侶(はんりょ)候補として頑張(がんば)ろうなど一切(いっさい)決めていなかった。要するに、YKに関しては、催眠(さいみんみん)下(か)でもYKを伴侶(はんりょ)にしたいと最終決定・意思決定すらしていなかった時期である。
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よって、(催眠で)何かを言わされた日には、YKに何も言う予定は一切なかった。また「何を待っててほしい」のかも私自身は全く分からない。当然、次回YKに会うときに何かを言う準備どころか、何も言う予定も全くなかった。何らかのことを言う予定があればNMのときの如(ごと)く、手紙か何かにはっきりと記して準備をしている。私は単刀直入派であり、戦略類は好きではない。死亡した長姉など、私を単細胞と思っていたくらいである。勿論(もちろん)、YKに対してどう動くかという構想も全くなかった。更(さら)に、この言葉は数日しか記憶になく、一九九五年頃思い出したような気もする。言わされた一~二週間目くらいから、祖母の死去の関係もあり、私自身が完全に忘れていた言葉である。
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因(ちな)みに、私は友人・同僚としてならばともかく、伴侶(はんりょ)としては勝(か)ち気(き)、うるさいタイプ、感情の起伏(きふく)の強いタイプの女性は苦手(にがて)である。YKにそうした雰囲気を少し感じたが、一度もYKとデートしたことがないため、私の勘違(かんちが)いかもしれないし、当たっているかもしれない。見合い一回程度分の付き合いもないのだから、正確には分かる訳(わけ)がない。勿論(もちろん)、YKを含めて他の女性達も「私が浜田先生に好意を寄せている。よく言うわね。あなた本気(マジ)!馬鹿(ばか)馬鹿(ばか)しい」と言っているであろう。それでよい。それで世の中はうまくいくのである。再度記す。人にはそれぞれ好みがあり、それで世界は成り立っている。
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なお、(二号館)GTについては、私の友人諸君は、S予備校内女性に限定するならば、私の話を聞きGTを褒(ほ)める声が多かった。ついでにNM、YK、GTが八三年にS予備校に入社したときの印象も記しておく。NMは既に記したように伴侶候補として同年夏に除外した。YKは、八三年にも何度も会っていたはずであるが眼中(がんちゅう)になく、八四年初頭までは顔もほとんど覚(おぼ)えていなかった。依(よ)って印象はゼロである。GTについては「若い子は良いものだ」程度の印象である。したがって、第一印象とその後の流れは逆であり、ここでも(1)で記した逆転法則が貫(つらぬ)かれていた。ただし、GTについても、親友EMの奥さんがいみじくも言ったことが正解かもしれない。「(浜田さんと)彼女らが余り話をしたことがないのだから、どの人についても何も知らないし、分からないのではないのですか」、であった。
※2019/05/16 1:42追記。二号館には1983年度も出講したはずであるが、当時の講師室係の女性の名前も顔も全く覚えていない。1984年もNMさんの怯え演技?までは、二号館の女性とも事実上口をきいていない。少なくとも会話の記憶は全くない。
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因(ちな)みに、もしNMが最初から私の好みで、本当に自分の意思で熱をあげていたならば、映画説であっても人間の心情として、NMはあそこまで怯(おび)えた振(ふ)りなどの挑発はできなかった可能性が高い。同様の理由でGTのみがさほど攻撃的でなかったのかもしれない。
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ともかく、全体として催眠(さいみん)・マインドコントロールが主役であったとしか思えない。その証拠にS予備校大阪校に異動(いどう)が決まるや一秒で、S予備校女性の件は私の脳裏(のうり)からは消えた。ただ、その後もS予備校女性についてS予備校内で解説し続けたのは授業妨害を止(や)めさすことが目的であった。S予備校の労働条件が良かったので、岡短で専任になるまではS予備校を辞めたくなかったからである。
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また、政経を教えていて一九八四年頃からやり甲斐(がい)もあった。では大阪校異動(いどう)後に、S予備校の長老KW先生などが間に入りGTと私を本当に接触させたらどうなったか。会話も十分していない女性であるが、第一印象は悪くなかったため一回目の見合いと同一となる。その後で、もし両者が合意したならば結婚前提で交際し続け、その後双方の結果が出たであろう。どういう結果かは、会話もS予備校時代合計で一〇分余りしかしていない女性のため分からない。
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付け加えれば、S予備校京都校講師室係独身女性に、もう一人KDという女性もいた。この際、この女性も私に絡(から)めさせれば面白(おもしろ)いという状況があったことをS予備校辞職後に分かった。当時も気になる言動をYKより聞いたことがある。
「私も結婚するし、GTさんにも彼氏がいるし、KDさんも婚約しているのですよ……」、と。ただし、これは私が「KDにも関心があったのでしょう」ということを臭わせたのではない。NM、GT、YKに私の関心を持たせ、KDだけ除外すると、KDの女性としてのプライドが傷つくという、YKのKDへの思いやり(同情)から出た言葉としか思えない。S予備校京都校講師室係に八四年に独身女性が四人いて一人だけを省(はぶ)くと、省かれた人のプライドが傷つくことへのYKの思いやり・優しさ?である。されど、私の人格はどうなるのであろうか。KDまでひっくるめて絡めてくるとは、無茶というか、私を何と思っているのであろうか。まるで、私を玩具(おもちゃ)と思っているが如(ごと)しである。
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KDの性格の前に、これだけ女性をS予備校でも、その他の場所でも絡(から)められると、「I’ve had enough」{もううんざりというか、いい加減(かげん)にしてくれ}となる。念のため、はっきり記しておく。KDは、多くの女性にとっては良い女性であろうと思うが、私の伴侶(はんりょ)としては最初のNMと同一理由で無理である。勿論(もちろん)、彼女の方も本当はそう考えており、かつ即(そく)伴侶(はんりょ)は決まるであろうし、実際に決まった(確か、後に某都道府県の方の医師と聞いた覚えがある)。お目出(めで)たいことである。因(ちな)みに、S予備校時代のKDとの会話合計量は十分未満(若しくは五分未満)ではなかろうか。女性の件は、今回ですら、相手のプライドを考えて記述せねばならぬため疲(つか)れる。うんざりである。
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S予備校女性群の件や女性に絡(から)む揉(も)め事(ごと)は、ほぼ全て、解説できる。しかし、四点の理由より、ここまでとしたい。これ以上は、棚上(たなあ)げすることが誰にとってもよい。(と、記していたにも拘(かか)わらず、二〇一〇年に相当追記(ついき)をさせられた。馬鹿馬鹿(ばかばかか)しいの一言である。)
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第一に、全て記すときには、該当女性が特定できぬように最大の配慮(はいりょ)をしなければならないため、S予備校の名称すら使用できなくなる。
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第二に、今回の原稿の中心はS予備校よりも岡短・「機構」にある。女性問題ではなく、「実録・現代の奴隷労働哀史(あいし)」が本原稿の主人公である。また、S予備校時代で一番問題なのは拉致(らち)未遂等刑事犯罪被害であり、次にS予備校大阪校内での(マイク音を出さない等の)授業妨害である。S予備校女性の件はそれらの犯罪を茶化(ちゃか)し隠蔽(いんぺい)するものでしかない。
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第三に、催眠(さいみん)類が事実ならば、私がした行為の罪はゼロである。その上で三つ行為をしていても、3×0=0。即(すなわ)ち、ゼロに何倍掛(か)けてもゼロである。ましてや、S予備校で私と話題となった女の子と、デートはもとより外でも一度も会っていない。勿論(もちろん)ストーカー行為も一切(いっさい)していない。それどころか、話もまともにしていない。最初のNMなどは、S予備校で会う回数は多いが、会話となると三年間合計しても、見合い一回分以下でしかない。(YKやGTも同様である。)
因(ちな)みに、私は故長姉に言わせれば単細胞であり、単刀直入(たんとうちょくにゅう)派である。特に女性に関しては。
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依(よ)って、全てにおいて手紙(恋文)かストレートに想(おも)いを伝えるタイプであり、戦略・戦術類は女性に関しては過去使用したことがない。第一、そうした技法は全く知らない。社会科学者らしくデータを公表しておく。過去の女性への交際申込み類の前例は、見合い類を除けば、S予備校NMや女子校同僚講師KNのときの如く手紙ではっきりとが
《数》例程度(文面は非常に誠実に記している。文書のため相手が保持していれば証拠が残っているはずでありそれを見るがよい)、電話ではっきりとは一例程度(大学時代の先輩女性に電話で「あなたに熱をあげているのですがどうしましょうか」と)、会ってはっきりとが一例程度{大学の後輩に「付き合ってほしい」。駄目(だめ)と言われたので「もし一年以上粘(ねば)っても駄目か」。相手は駄目(だめ)。「ならば諦(あきら)める」である}、であろうか。
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過去デートした女性との最初のデートは、見合い類を除けば実質上は全て女性の方からの誘いであり、私自身が誘ってデートしたことはないと思う。必死の思いで誘ったことがほんの数度あるが全部断られている。中途半端な玉虫色のアタックは過去前例はないと記憶している。女性に関しては変化球ゼロの正面突破・ストレート型であったことだけを強調しておく。他人の行動様式を私に当てはめられることは不愉快であるのみか、それでは私の性格の理解も分析もできない。第一編を読めば、私の性格の全体像に関して解説はいらぬとも考える。
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因(ちな)みに、大学時代にもいろいろ女性が登場したが、{振(ふ)られても}揉(も)めることはなかったのみか、未(いま)だに全員と双方好感情を持っているはずである。高校時代の倶楽部(くらぶ)女性友達も同様である。なお、謀略・催眠ならば、S予備校女性の件は記述する必要はほとんどなかった。主人公は第三編労働哀史なのだから。
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既(すで)に記したように女性に指一本触(ふ)れていない以上、デート所か外でも一度もあっていない以上、授業妨害・営業妨害はしてはならない。犯罪である。まして、外部で、私が刑事犯罪被害に遭(あ)っているのを承知で、それに符号(ふごう)するように授業妨害をしていたならば、これは刑事犯罪への共犯となり、明白な大犯罪となる。外での直接の犯罪行為はこれは拉致(らち)・誘拐(ゆうかい)未遂(みすい)となり、想像以上に罪は重い。当初は、S予備校外の刑事犯罪もS予備校関係者と勘違(かんちが)いしたが、これはS予備校ではないと、S予備校辞職後数箇月(かげつ)してから思い出した。そこまでする動機がないからである。だが、S予備校内部での授業妨害(営業妨害)は確実にあった。
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第四に、刺客―1の策謀(さくぼう)については、多くの状況証拠からより丁寧(ていねい)に解説・実証できるが、私自身は現代社会が抱(かか)える課題に関する原稿や、人間と人間の間の絆(きずな)を構築するためのエッセイ・紀行(きこう)文・学術論文等々の方を書きたい。S予備校時代の女性群について記すのは馬鹿(ばか)馬鹿(ばか)しく時間の無駄(むだ)で頭にきている。記述する意味も全くない(作品も劣化する)。私の肩には、現実の世に関する多くの課題が山積している。よほど暇ができたならば、記述するかもしれないが、記しても意味はない。いずれ記す『半生の記』においてすら、記述すべく優先順位の高いことが山ほどある。再度記す。恋愛では一切(いっさい)ない。催眠(さいみん)とマインドコントロールでしかない。そして、銘記(めいき)しておいてほしいことは、刺客―1(謎の女性軍)が原因で刺客―2以降が起こったのでは一切ない。刺客―2から刺客―10を自然にみせかけて登場させるための仕掛(しか)けとして、刺客―1が登場したのである。誰かが女性問題に絡(から)めて、後の物語を進行させるために。
だから、私がNMに熱をあげたのを契機(けいき)にトラブルが開始したのでは一切ない。トラブルを開始させ刺客―10まで登場させるための導火線として、私がNMに熱をあげるような策謀(さくぼう)がなされていた。後に分析(ぶんせき)すると、その策略(さくりゃく)の開始時期は遅くとも一九八三年度からである。即(すなわ)ち、NMに手紙を出す一年以上前の、彼女が私の眼中(がんちゅう)にない時期からである。
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【資料―二〇一〇年版参考箇所】(省略検討していたが、念のため掲載)
【参考―1】駿台女性KMの件(二〇一〇年一〇月二〇日追記)省略検討
α・駿台講師室係NMの先輩KMの箇所について挑発型記述強要があったため、馬鹿馬鹿(ばかばか)しいが当時の巧妙(こうみょう)な手口を記す。読めば、どこにでもある自然の流れに思えるであろう。全体的手口は、このような形で、通常の社会の出来事として開始し、次に不自然さが……後には「現代社会では理解不可能な出来事」へと深化(しんか)していった。
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NMの怯えに手を焼いたため、一九八四年下旬にNMの先輩講師室係・KM{既婚(きこん)女性}に次のことをお願いした。
私「NMさんに、お騒がせしてすみませんとお詫(わ)びしたのですが、まだ怯(おび)えておられるようなので(仕事上困るので)普通にしていただけるようにお願いできないでしょうか」(このときに、NMに手紙を出し断られたことも言ったと思うが。)
KM「先生は、まだウジウジ思っていらっしゃるのですか」、といきなり挑発型で言い去る。余り親しくない(しかも私より年下)女性のこうした言葉は喧嘩(けんか)売り言葉であり、恐らく後に行う予定のからかい・挑発への私のオクターブを高める目的があったのであろう。少なくとも結果としてはそうなっている。
その数日後くらいから、KMはNMが私の方を歩くやケラケラ笑うのみか、時にはKMに私の方を通らせるように・時にはKMを出したり引っ込めたりと(私に見える形で)指示して、同じく笑いまくる等々。他にも参ったこと・問題行動をされたが、詳細には覚えていない。一言で言えば一九八一年に教壇に立った女子高校の生徒が集団で有頂天になったときの如(ごと)く行動に見えた。異性に振られた後は、授業直前――時には教室に行きかけたときに――からかわれると相当気(き)が散るものである。これらをKMの〝からかい〟と当時は解釈していた。動機は、女子高生などが若い男性教師の気を引くために、からかい始め上手(うま)くいくと有頂天(うちょうてん)になったときの心理、若(も)しくは自分が主人公になったかの如(ごと)く有頂天(うちょうてん)になったときの行動様式類似状況と当時は思っていた。当然、彼女らの上司YD課長などは、この頃は事情を知らないため、何のことか分からなかったであろう。
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今度はNMのみならずKMにまで手を焼き、その沈静化(ちんせいか)を図(はか)るため、彼女らの上司YD課長にNMの件などで相談することにした。放っておけば良かったのであるが、当時のS予備校は待遇が良いため授業への責任があり、授業に早く専念したくて焦(あせ)っていた。同時にYD課長ならば、角が立たぬ形で簡単に収めてくれると考えた。
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YD課長は、私のS予備校一年目に毎週に近く私の接待係をしており、気軽に話ができる間柄と当時は思っていた。性格も部下の講師室係女性を叱ったりするタイプではない。YD課長自身が、独身のせいかどうかは不明も、彼女らと終始和やかに接していた姿しか見ていない。そこで、YD課長に――酒か食事でも共にしながら和気(わき)藹々(あいあい)と事情を話し――せいぜい「浜田先生は高校時代は理系で男子ばかりのクラスにいたため女性は苦手(にがて)なので、ほどほどにしてあげて。また、授業だけが取り得の先生なので、そっとしてあげたら」程度を言ってくれるように頼むか、若(も)しくはKMを沈静化するアイデアをYD課長から教えてもらおうと考えた程度である。
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また、何があったか何があったかで当時かなりの人が不思議に思っていたので、YD課長に事情(NMに手紙をだし断られた件など)を話しておいた方が良いかとも考えた。
因(ちな)みに二号館のOK課長は、この翌年ではあるが「そういうときには二号館の女性ならば、直(じか)に女性に言わずに、僕に言えば伝えてあげますよ」などと簡単に言っていた。また私に「講師室係NMの先輩KMに相談したのはまずかったですね。NM自身も困ったかもしれないですよ」と、私に助言・注意もしてくれた。要するに単刀直入派の私は、過去何度も酒を共にしたYD課長に事情を話せば、「じゃ、先生僕に任せておいてください。後は授業に専念してください」と笑いながら言って、簡単にケリがつくと考えていた。本来ならばそうなっていたはずである。
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そこで、夜の授業前に授業後に相談したいと約束をとった。このときはYD課長の機嫌は普通か良いかであった。だが、その約一〇〇分後に約束通りに相談をしに行くと、会話以前からYD課長が怒っていた。YD課長が怒ったのはこの一度だけであり、会話を始め暫(しばら)くしてYD課長は通常に戻ったが、私は何が何かさっぱり分からなかった。同時に講師室係KMの件の相談などは、事実上これで遮断(しゃだん)若(も)しくは歪曲(わいきょく)化された。誰かがYD課長に私がアポイントメントを取ってから相談する一~二時間の間に出鱈目(でたらめ)を言った節(ふし)はその後で感じた。勿論(もちろん)、夜の授業のため、時間帯から言ってもKMやNMなどは帰宅しており、彼女らではない。八四年末頃のことであり、二号館女性(YK、GT)が一切絡んでいないというよりも、二号館女性とは会話も余りしていないときのため、後のS予備校女性を絡めての騒ぎとは一切無関係でもある。依(よ)って、後に絡んできたように思われたS予備校教職員はまだ誰も絡んでいなかったときである。尤(もっと)も、NMの戦略的行動は一九八三年からであり、その頃からこうしたシナリオは既に練られていたのであろう。
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ともかく、誰がYD課長に本の少しの隙(すき)をつき何を言ったのか、当時不思議に思ったことを覚えている。誰だったのか。そして何を言ったのか。今でも不思議である。
その後、翌年には{KMの件のみならず、全体でからかっているのならば中止させる目的で}NMの講師室同僚TU(既婚女性)に、ただしTUが一人で対応が無理ならば最初のNM自身を含めてもかまわないということで、学校内で直(じか)に会談をしたが更にややこしくなった。最後はOT部長(関西地区最高責任者)にまで「……これこれでお世話がしてすみません」と相談しNMに手紙を出した件まで報告する始末となった。OT部長には、講師室係KMの件等は処罰などとなるとややこしいため言っていないと思う。OT部長の方は「手紙などを出されるのは先生の御自由であり微笑(ほほえ)ましいことです。ただし、授業の質が落ちた場合などは別問題です……」と言われただけであった。
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右記箇所を読めば自然な流れに思えるであろう。だが刺客―1から刺客―10全体のマクロ的視点からみれば、天の声の如(ごと)く最初から終わりまで仕組まれていたとなる。先輩講師室係KMについても、当時の私の解釈(女生徒付け上がり型)よりも、天の声の方が筋は通ってもいる。
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《◇―2・2019年5月12日追記。人間違いから始まった私の放逐劇とその後の私の人権蹂躙(じゅうりん)の嵐》
『閉じた窓にも日は昇る―付録編』の中でKDさん……とは私はオモチャかと記した。
当時、YKさんなどに一々お茶かコーヒーかを聞きにこなくてもよいように、指一本ならばお茶、コーヒーならば指二本の合図を作っていた。それをKDさんも真似(まね)すれば、私は(いな誰とて)笑顔か笑いもしよう。「笑ったので好きに決まっている」という戯言(たわごと)に関しては2019年4月20日の従兄弟(いとこ)の話の例を参照されたい。だがその前に残り少ない人生で斯様(かよう)なことを記すのは時間のロスかつ馬鹿馬鹿しい限りである。
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KDさんとの会話はS予備校時代合計5分程度である。それも人前で。そこで、何も分からないと追記しておこう。YKさんも小うるさそう…と催眠誘導で本音を書かされたが、同様に彼女について何も知るらないに等しい。実際は、その逆かもしれない。最初のNMさんも知らない。悪い人ではないと人は言うかもしれない。だが、私は何もしらない。
もし、そうした良い面があるならば、先に教えてくれとなる。それでも、公式HPの私のプロフィールをみれば分かるようにミスマッチの可能性が高い。その前に見合いをすれば常時非正規労働の私に対して彼女らが何といったであろうか。
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2019/04/20 15:02追記。
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小学校の頃、二つ上ほどの従兄弟(いとこ)が言った。
「隆(たか)ちゃん、□□が好きなのだろう」。
私は「違う」と言った。
すると、従兄弟が「いや、好きに決まってい」と言った。
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その後、私が仮に▽▽にラブレターを渡したとしよう。
勿論、小学校のため、デートも何もする訳がない。
だが、好奇心旺盛な盛りで、学校中で大騒動になるであろう。
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しかし、小学校を卒業すれば誰も忘れる。
ましてや、三十年以上経(た)てば、誰とて子や孫のことで頭がいっぱいである。
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S予備校の話は上記の例えに限りなく近いレベルである。
指一本触らず、学外でデートもせず、日本で言う見合いのセッティング前に潰(つぶ)れた話である。
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当然、私や、該当する女性C、D、EもS予備学校を去れば、誰も忘却する次元の話でしかない。
それが未(いま)だに、危害が連続しているように思わされるのは不思議以上のものである。
当時、彼女らは24~26才くらい、私は32才の頃である。
35年ほど前の話である。
今、私は古稀(こき)に近づき、父が死亡した年齢に近づきつつある。
他方、彼女らは還暦前後であり、孫にも囲まれていよう。
▽
会話時間もD(上の原稿ではGT)さんなら、S予備校在籍6年会話合計時間は10分程度である。
E(上の原稿ではYK)さんとは結婚が決まった後での会話を除けばその数倍程度であろうか。
C(上の原稿ではNM)さんも、学内の状況を沈静化するため、(課長などの許可を取り、学内で正式会談した、学内の仕事に限定して)三人で話した10分程度を除けば合計10分程度である。それも全て人がいるところでの会話である。
6年合計時間である。
▽
勿論、何度も記すように、指一本触れていない。
職場以外では一切会っていない。
職場でも人のいない場所では会っていない。
それが数十年も(現時点で約35年も)尾を引くなど、理論上あり得ない。
考えられない。
何らかの恨みなど買う心あたりも全くない。
そうした危害を受ける心あたりも、そうした危害を受けることをしたこともない。
▽
だから、2012年に出会った友人に、「私はそうした危害を受ける心当たりが全くない。誰か何か勘違いをしているのでは」と言ったことがある。
友人はきっぱりと「勘違いではなく、人間違い(ひとまちがい)、人違い(ひとちがい)」と言い切った。
何のことかサッパリ分からなかった。
2019年4月17日、amazonからのメールが偽メールと確定した夜、先の友人の娘さんから電話があった。「父が息を引き取りました」と。
「父」とは先の言動をした友人である。
恰(あたか)も、危害者なども、私の偽者(にせもの)と勘違いしていたことを確定したと・分かったという如(ごと)くに。ただし、現段階ではそう思わされているだけである。若(も)しくは偽者ではなく、人間違いであったのが分かった、と。
その前に何のことか未だに十分は分からない。
▽
高校、大学などで出会った女性とはデートがあろうと・なかろうと、恋愛感情をもとうと、断(ことわ)られようと全て良好な関係にある。会えば分かるが、誰とも未(いま)だに仲が良い。
会う機会はあったが、超多忙・金欠などで会っていないだけである。
会う機会とは、何人かが、「浜田さん、▽▽さんなども来るのでこない」などの誘いが各種あったが、先の理由で断っただけである。
私に金があり、多少暇があれば会っていた。もし、厚生年金か共済年金があり、引退していれば会っていた。だが、私には国民年金だけである(正確には
一年のみ教育委員会で仕事のため、労働一年分の厚生年金が一年分だけ加算。事実上は国民年金のみと同様である。)
▽
ところで、何故(なぜ)、私がS予備校の女性の話を多忙の中で書かねばならないのかも不思議以上のものである。
何で今更、となる。{にも拘(かか)わらず、書く気になったのは友人諸君からのアドバイスである。}
同時に数年前からS予備校の鉛筆やS予備校と記されたものが我が家内で大量にでてきており、それも不思議な話である。
▽
▽
先の従兄弟の話を記せばわかろう。
もし、『日本のフィクサーME』に登場するオジョウに話せば言うであろう。
「マジ」。
私も思う。
「これ、何」と。
一体何なのであろうか。
▽
再度言う。
私は人に恨(うら)まれる心当たりは全くない。なお、私の主義及び異性との交際に関する基本指針は以下である。
▽
党派中立・宗派中立をしてから三十年以上となり、確実に実行もしている。
完璧な非暴力主義者でもある。
差別をなくす活動に、受験勉強、就職活動を犠牲にして、行っていた人間である。
完全党派中立宣言をしてから、特定の団体支援ではなく、全てのそうした団体を応援する立場にある。
まだ、この世で結婚するならば、相手の学歴・出自・家柄、国籍・人種などは一切無関係という立場でいる。「そうしたことは、聞かない・調べない・(万一)耳に入っても気にしないというよりも完全無視である」。
☆☆☆☆☆☆☆
「公式HP・プロフィール」箇所☟
http://takahama-chan.sakura.ne.jp/profile.html
☆☆☆☆☆☆☆
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よって、何故、私が三十年以上、危害を受け続けるのか、どの角度から考えても全く分からない。
▽
人生後(あと)がないときに、訳の分からぬことを書く時間がもったいない。
一体、何であろうか。
▽
同時に、私の読者もこの件よりは、「日本のフィクサーMEシリーズ」や「偏差値のイドラ」などの方にはるかに関心を持っている。アクセスなどのデータや反響などが示している。
HP活動としても、この件や「写真残酷物語」などを書くと、読者は相当期間、減り続ける。どの世界でも同様である。
ニコンやキャノンが、商品の開発・解説、それどころかCMをせずに、社長の個人的話はばかりを書けば会社は通常は潰(つぶ)れる。
私も同様の心境である。
迷惑千万である。
▽
▽
追記。
私には世界に多くの友がいる。
そして、私の今いる周辺にも、大昔の友・(差別反対運動をしていた)仲間が随所に散らばっている。彼ら・彼女らの所属団体がちがっていても。
ちなみに、私は党派・宗派中立を実践している。
▽
ただ不思議なのは、私の意思に反する行動が一部見られることである。
例えば、Cさんに手紙も何も出す意思はなかったのに、何故手紙を…などである。
▽
追記すれば、(確か)昨日、昼寝か何かで夢を見た。
夢の中で義叔母(叔父の嫁さん)がでてきた。
仮眠から覚めるやその直後に、その義叔母の息子(私の従兄弟)が我が家へ来た。
正に直後であった。広報15部の所を14部持ってきた。
▽
同時に、何度も書いた、デカルトは「我思う故に我あり」であるが、私は「我、思わぬのに我あり」で参っている。催眠という言葉で記している。
だが、それでも人の恨みを買う行動はしていない。
よって1984年後半以降、全く意味が分からない。
これが全てである。
▽
そして、どうもS予備校の関係者か誰かは私ではなくX(上の方にはZと記述。記述の日程が違うため、別のアルファベットをミス使用)に恨みを持っていたようである。
そして、私とXを間違えたようである。
多くの人が、それを暗示し続けてきた。
だが、私はXではない。
そこで、弁解も何もできない。Xが何をしたのか知らないのだから。
▽
先の映画説のシナリオで言えば、Xと間違い、私を放逐するために刺客―1が登場したとなる。後は映画説に記した通りである。
▽
再度記す。S予備校時代に私にちょっかいをかけた人達、「あなたがたはXと私の人間違いをし、一連の罠をかけた」が(世界各地及び国内の)友人・知人諸君からの知らせに思える。犯罪を推奨しないが、チェック体制の不備がもらたした私の悲劇であった。
キーワードは 人間違い(ひとまちがい) 偽者(にせもの)にひっかかり …それも初めからの疑惑が高い。勿論、背景には映画説も捨てきれない。しかし、昔は奇異なことが一年に一回か数回程度が、1984年前後からはその逆の頻度(ひんど)に近いことも事実である。
▽