【政経・村社会】№116・現在の村の姿―村落共同体社会崩壊と昔の因習との矛盾からの苦悩。

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気が向けば一言【政経・村社会】№116・現在の村の姿―村落共同体社会崩壊と昔の因習との矛盾からの苦悩。


道造り等の賦役、賦役後の食事会…、末期癌Aさん、目の悪かったBさん、脚の悪いCさん、満身創痍の母を抱えた十年前の思い出、…。村落共同体社会崩壊後に村落共同体社会の因習が残っている時期の歴史としての記録。みんな良い人でも、上記の矛盾が人の流れを変える。


【更新記録】2018/12/16 18:46更新


「道造り・溝さらい(賦役と略す)の後の食事会を止(や)めましょう」と提言。
予算上の問題、組合長の食事準備負担問題、場所問題…から言った。
反対意見や結論は今回一切記述しない。
何が正しいかも不明としておこう。
ただ、その後で昔を思い出す。

近所、村の姿としてそれを記録に留める。
Aさん、末期癌時に組合長となる。
賦役後の飲み食い準備などはできる訳がない。
場所準備清掃及び後始末は私がした。
見かねて私がコップなど持参し、それを洗うのも私一人でした。
Aさん自身気づいていないし、些細(ささい)なことである。
ちなみに、Aさんはその翌年頃に亡くなった。

Bさん、80代後半か、目も悪くなっていた。交通手段は単車のみ。
一人住まい。たかだか飲み会と言っても準備は大変であったであろう。

Cさん、当時90才前か。脚が悪い。一人住まい。
「Cさん、何とか組合長になって」と何人かが説得。
私は一切ノーコメントを貫く。
どちらの言い分が正しいかどうかなども一切記述しない。
ただ言えることは誰もが大変な状況にあるのだろうか、だけである。
Cさん「無理…」
「何とか頑張って、私達も応援するから…」と何人かが。
しかし、Cさん頑張って拒否。
もし、組合長になっていたならば、たかだか飲み会と言っても準備も大変。
それどころか、Cさん、賦役の日は、何かに怯(おび)えた如く、一歩も外へ出られず。
賦役後の食事もかたくなに拒否。


今は昔。昔、昔の思い出。
誰をも批判はしない。しかし、村落共同体社会崩壊後に、昔の習慣に固執したときの場面として歴史の記録として記してもよかろう。

2009年、私も組合長。
当時、母が脳梗塞・心筋梗塞、更には認知症かその振り。
家の庭で木を燃やし、二階まで火が見える。
ほとんど二階に届くまで火が上がる。
病院にも連れて行き、認知症検査…、と。
2009年は母の面倒みながらの組合長、今度は母死亡後。
どの程度楽になったか否かも来年分かろう。
ちなみに、村でいろいろあった。
その時に母が一言いった。
「村の▼▼組合が大変と言っても、私の面倒を見るよりは楽だろう」、と。
認知症の割には分析力があった。
当たりとは言わぬが…
姉が食事を持ってきても捨てるため、母と私の食事をつくり、家の掃除を一人でし、墓や畑の手入れも…。夜遅く寝るときには、朝食準備のため、目覚まし幾つもセットし、(母の部屋がある)一階の板の間の玄関で寝たことも多々あった。
なによりも認知症…からは母の監視。
勿論、その間に原稿や就職探し(大学教員応募)もしていた。

二階で仕事中も何分か置きに母を監視。
実際何度か倒れ救急車がきた。
これも懐かしい思い出。
……
これらを思い出し、「賦役(ふえき)後の食事止めましょう」と、本年言う。
反論やその反論への再反論類は一切かかない。
だが、この予備軍は、私が見ただけでも、我が家を含めて結構ある。
家族で大病とか、本人が大病すれば分かる。
それがこの十年以内に、我が組合でない確率は十パーセント以下であろう。
なったときに突然と分かるであろう。
それまでは人ごと。
しかし、人ごとであり続けられる幸せを享受できる人は、少子高齢化社会では多くない。

なお、賦役の食事準備は付録。
本丸は賦役自体がもう無理な家が多数でてきている。
誰がするか。
行政…その他候補者多数。
それらも、徐々に書こう。

村人の批判類をする気はない。
ただ、村落共同体社会崩壊後に村落共同体社会の因習が残っている時期の歴史としての記録としてのみ書いた。
みんな良い人でも、上記の矛盾が人の流れを変える。


今回は誰の批判もする気はないし、誰も批判していない。
今回は「気が向けば一言に」記載し、こうした村や我が家の記録が一定たまった段階、もしくは暫く寝かし、問題がなければ公式ブログに記載しよう

2018年12月16日