気が向けば一言【科学】№95・アナログからデジタルへ(プリンタメーカー顔料の壁への挑戦)
この原稿は下記の下書きの一部に該当する文書である。
徒然なるままに№19・写真残酷物語第二話アナログとデジタルの話②・デジタル転換の壁(下書き以前のメモ段階も、脅迫的雰囲気回避上公開保存。後日、修正)
最終更新 2018/08/29 17:12
私が小学校の頃、印刷は、ガリ版で書き、版画同様の形で一枚一枚印刷していた。
やがて、輪転機が登場し、高校時代のクラブ活動などで使用していた。
さらに、大学に進学すると(1971年)、ファックス(電話のファックスではなく、用紙に書いたものをガリ版の如(ごと)く形で、輪転機にかける用紙に刻む器械)が登場した。
ガリ版から解放された。
だが、自分で写真を印刷するなどは夢の夢どころか、活字印刷ですら、一般の人には夢物語であった。
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1980年代、ワープロ専用器が登場。
1985年セイコーエプソンのワープロ専用器を購入。
自分で活字が打てるようになる。
駿台での教材などの活字化を開始する。
だが、当時のモニターは一行の三分の一以下であった。
写真どころか、イラストも不可能であった。
表すら大変な作業である。
リボン式(熱転写式)のため、ランニングコストは大変高くついた。
表枠組みを入れると、失敗が数枚以上あれば、A4一枚で千円のときもある。
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この頃のワープロ専用器は日進月歩であった。
翌1986年には、やはりエプソンのワープロ専用器を購入。
今度は小さいモニターであるがモニターがあった。
そこでイラストは可能となった。
デジタル・イラスト技術はこの頃から修得開始となる。
だが、容量問題があった。
外付けでも1.2ギガバイトのフロッピーディスクは当初1枚千円を超えていた。最初はこの半分の容量のフロッピーを使用していた。
徐々に安くなるが。
ここで、イラストまで可能となった。
なお、1988年にパソコンも購入したが、パソコンの方がこうした作業は(超高いソフトを購入すれば別も)無理であった。パソコンはデータベース専用器とした。ちなみに、このとき購入のデータベースソフトが十万円近くした。
MS-DOSの御対面も1988年である。同年にビルゲイツのMS-DOSと出会ったことになる。事実上の、ビルゲイツとの縁がここから始まる。
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長い休眠期を経て、1994年から再度デジタルへ入る。
ちなみに、同年から一眼レフカメラの使用開始である。
ここでニコンと出会う。 訳あり、翌年から岡山のニコンSSに頻繁に行き出す。
ただし、当時から現在まででニコンからもらったものはアウトレットのカレンダー一枚のみである。(ニコンようかんすらもらったことがない。(笑´∀`)。冗談ですが、事実です。)
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カメラはド素人であるが、研究熱心なだけではなく、先のようにデジタルの素地(そじ)は鍛えられていた。
なお、1994年にエプソンのMJ-720V2cというプリンターを購入。これを研究すると、写真印刷が自分で可能になる可能性を見いだした。このプリンターは一つの革命とも言えるプリンターで、当時ブームを引き起こした。勿論、品不足も続いたヒットプリンターであった。
そして、様々な実験をしたがネックが三つあった。
第一に、容量問題でパソコンのCPUとメモリがついてこない。
第二に、外付けが1.2ギガフロッピーでは無理。後にMO購入するが、まだ写真関連では容量制限となる。
第三に、染料のため、インクの耐光性・耐久性、耐水性問題があった。さらに、エプソンのプリンターは当時は紙との相性問題が大変難しかった。私は、純正以外で、紙問題の相当な研究を強いられた。紙の奥の深さを嫌というほど味わった。
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やがて、MJ-900Cを購入。文書印刷では、大変、ランニングコストが抑えられ、A4一枚のインク代金は約1円と思われた(更に凄いのがMJ8000Cであった)。
だが、写真印刷ではやはり耐光性・耐久性、耐水性、対オゾン性が問題となっていた。
簡単に言えば、外におけばすぐ色あせが起こる問題である。ときには一か月持たないこともあった。
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1999年頃に浮気をして、ヒューレットパッカートのプリンターを購入してみた。
ここで顔料インクと出会う。1999年2月10日ヒューレットパッカートのHP895を購入。
メーガーの如(ごと)く様々な実験をした。
耐光性、屋内、部屋の当たる部屋、…屋外の庭に石を置き日に直(じか)に当てる実験、バケツの水に長期(数日以上)つける実験。
顔料はすごかった。
過酷な実験でも色あせしない。
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ただし、写真印刷に関しては、パソコンのCPU、メモリ、更に外付け記録媒体の問題がまだ残っていた。
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否、ヒューレットパッカートのプリンターでは文字は顔料、写真は染料だったのである。上記の実験はいずれも、文字類のみである。写真の方が我が家の作業場(換気・日当たりより過酷な場の一部)に掲載したが、案の定、数か月も持たず色あせした。
ヒューレットパッカートは顔料の壁にぶつかり、写真印刷での顔料は諦めたそうである。顔料の壁はそのくらいに高かった。
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こうして、自分での印刷は相当高い壁があった。
同時に2000年前後はアナログ全盛時代の一部である。
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アナログからデジタル変換の動きも活発になりつつあった。ただし、CD-RへのJpeg書込は私はしない。
(幾つも理由があるが二つだけ記そう。アナログは劣化、デジタルは劣化しない。だが、圧縮では劣化が起こる。Jpegは劣化する。すると、劣化をしないようにとデジタル転換する意味がない。サムネイルで見るならば別であるが。私はこの頃BMPの拡張子としていた。後にTiff及びTifとした。Tiff入力はものすごく高い。
もう一つの理由はjpegは情報を諸略している。デジタルのため1と0で情報を保存するが一部の情報が保存されていない。実際面では、写真によればモアレ的なものが最初から発生することもある。入れた直後で。その後は経年劣化の道である。コピーのたびに劣化をする。)
もう一つ付け加えれば、写真画質問題があった。
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やがて、2000年にPM3300Cを、2003年にはPM930CとフィルムスキャナーGT-9800Fを購入する。(大変よく出来たスキャナーであるが、フィルムからの入力では私の目からみると限界があり、後にフィルム専用スキャナーを別に購入する。写真プリントからのスキャニングは大変すばらしかった。)
PM930Cを見て、画質面では一応写真になると判断した。通常の人では全く問題のない、素晴らしい画質に見えるであろう。勿論、プロ的目でみると、グラデーション問題、シャドー部の再現性などの諸問題はのこっているが、それは銀塩(写真屋さんの写真プリント)でも、覆い焼きでもせぬ限り無理であった。
だが、まだ壁があった。色あせ問題である。可能ならば当時はった写真の一部を撮影し、公開するが、日の当たる所に飾ると色あせが起こった。
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この問題は私のみならず、メーカーをも悩ましていた。
エプソンとキャノンの挑戦が始まる。
大きく言えば二つの流れで起こっていく。
一つは染料プリンターの印刷物を長持ちさせるための用紙・改良インクなどなどで。
もう一つは真っ正面から、顔料プリンターの開発である。
顔料プリンター自体を作るのは難しくはない。だが、光沢感、カラーバランス、色の再現性の微妙な部分で高い壁があった。少なくとも、染料インクよりは相当画質が落ちた。
私は都合でエプソンプリンターしかしらないので、エプソンの話だけを記そう。
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最初のエプソンの顔料プリンターはPM-4000PXであった。
私も、このプリンターの研究はした。だが、私は購入はノーであった。
光沢感はない。ときにはマット紙推奨である。PM写真用紙でも絹目の方を推奨していたくらいである。またカラー印刷はまだ苦手としており、モノクロ写真を強調していた。
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この頃、私の想像では、エプソンの社員に三つの流れがあった。
一つ目は、どうせ、いずれレーザーが主流となる。だからもうインクジェットはそこそこでという思考。
二つ目は顔料の壁は高すぎるので、染料インクの耐久性・耐光性・耐水性を用紙と絡めて開発したらという思考。
三つ目は正面から顔料で。
だが、三つ目の壁は厚すぎた。そこで、三つ目は二つの流れに分化し、未(いま)だに結論がでず、エプソンのプロ用プリンターは二系列(PX-Gインク、PX-PK3インク)となっている。
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二つの流れとは、一つは光沢重視派はPX-Gインクへ。
1)2003年PX-G900(A4対応)が発売、2004年PX-G5000(A3ノビ対応)発売、2004年PX-G920(A4)発売。この路線の方は光沢感はグロスを使用して出したが、シャドー部のグラデーション問題と、肌色がでないに近い致命的な難問を抱えていた。それを一番知っているのは当時のエプソンの開発担当者達である。インクはPX-G系インクと言う。
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もう一つの流れはPX-PK3インクである。
PX-5500(A3ノビ系)が2005年5月頃でた用である(価格は十万円前後)。こちらは、グラデーションにはPX-Gインクより強いが、光沢感がない。当初は推奨用紙はPMマット紙かPM写真用紙の絹目だったと思うが記憶間違いがあればお許しを。
また、解像度ではなく、カラーの色再現性も、エプソンの染料プリンターのトップ機種よりも落ちる部分があった。モノクロ印刷では結構活躍できると思われたプリンターである。
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2005年の従兄弟の結婚式撮影では、パソコンのCPU・メモリ問題を万一クリアしたところで(実際にはクリアしておらず、何度か修理にだした話は既に記した)、プリンターが前者は肌色問題、後者は光沢とカラー写真を苦手としていた。
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そこで、エプソン開発者としても、プロ用と言う以上、エプソンの染料プリンター画質を上回らなければならない。必死であったろう。人によれば不休不眠となったであろう。
彼ら技術者が苦闘している時期に、従兄弟の子の結婚式撮影をさせられたのである。
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そして、私のつかんでいた情報では、この結婚式から暫(しばら)くして、PX-G920などの後継機種がでるとのことであった。特に肌色対策をしてくるという情報をつかんでいた。
私はこの頃、エプソン、ニコンの産業スパイではないかというくらいに、情報はつかんでいた。後者ニコンについてはデジタル・デジタル変換の箇所で記そう。
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ともかく、待つしか方法はなかった。
だが、周囲の圧力から、アナログ印刷(業者依頼)プリントをした。しかし、一部がアンダーすぎこれでは無理なのが何枚もあった。業者対応での明るさ補正では無理な域が一部あった。
次に、自分で本当にできるかどうかの実験で、染料PM-930Cで相当数かほぼ全部印刷をしてみた。いける感じがしたが、確信はない。ただし、レタッチのやり直しなどは相当した。
後は待つだけ。だが、様々な挑発や圧力から2006年1月3日(従兄弟の子の年賀状)を見るや催眠状態で、先のPX-G920を購入してしまった。
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その結果の苦闘は、既述通りである。更なる苦闘模様は従兄弟に送付した写真印刷格闘に関する日記風の手記をみれば分かる。
私のみか、エプソンの技術担当者が苦闘していたことなどを母や姉などにいっても、チンプンカンプンな用であった。
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エプソンから、私が言ったプリンターが2006年に相次いで発売される。まず、PX-G930(A4対応)とPX-G5100(A3ノビ対応)が2006年2月23日である。その発表は2006年2月14日、動きを察した大型店は同年2月1日頃からPX-G920とPX-G5000の約2万円の値引き・在庫一掃に入っていた。
私は情報をつかんでおり、待ちに待ったが、結局PX-G920を2006年1月3日注文(年賀状を見るや催眠状態で注文)、来たのが2006年1月9日であった。
泣くにも泣けぬとはこのことであった。情報問題についてはデジタルデジタル「母への贈物」でニコンを例に記そう。ここではニコンを中心に語ることになる)。
それ以上に、肌色がでるプリンターPX-G930やPX-G5500はもう買う気力も予算もなくなっていた。
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もっとも、この二機種はインク構成はそのままにして、プリンタードライバの側(がわ)で肌色対策を採ったようである。どの程度かは、上記の悔しさと、外野のうるささから、アレルギー反応を起こして、見たり・分析したりは一切できなかった。この原稿の最後にそのことを記そう。
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結局、私が分かっていることは、上記の後継(PX-G5100の後継、PX-G5000の後継の後継)PX-G5300(発売が2008年1月末)からは肌色対策その他の改善が見られ、十分使用可能となっていたということである。
私は2007年終わりに注文したが、リコール問題が起き、購入は2008年1月末となった。
オレンジをいれてインク構成を変えてきた。その分だけ青色が弱くなったと感じるのはきのせいだろうか。やはり、気のせいではなかろう。
もっとも、シャドー部やグラデーションはPX-PK3インク系の方が良い。今所有している機種ではSC-pX5VⅡの方がよい。ただし、光沢感はPX-G5300の方が良い。
前者はPX-G系のインクでグロスもいれて作っている。
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こうして、エプソンの開発技術者が染料との戦いで、PX-G920の肌色その他問題で、不休不眠で改善をしていたが、私も従兄弟の子結婚式写真プリントで、その限界のプリンターと格闘を余儀なくされたのである。
キャノンも相当良いプリンターをだしている。ただ、私は上記の関係で自分が使用し続けているプリンターしかしらないので、エプソンのプリンターを例に当時の苦境は、科学技術の限界からくる苦闘に、私も巻き込まれた経緯を語っただけである。
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ところで、この話を私の母などに解説して通じると思われるか。姉などはもっとひどい。このプリンターの話をカメラ屋さんで聞き、弟の言っていることは嘘(うそ)ではないかと当時思っていた節がある。私にすれば縄文時代の人間(母)と弥生時代の人間(姉夫妻)に解説を余儀なくさせられ更に疲れた。従兄弟類への解説のつかれはここでは略そう。
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この話が事実かどうかは、大型店のカメラ担当者にきいても、パソコン担当者に聞いても無理、それどころか、まずエプソンの受付担当者にきいても無理(大型店のプリンター担当者にきいても当時のことは知らないと思う)。2005年頃のエプソンの顔料プリンターに携わっていた技術者に聞いてほしい。
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私は総合格闘技家に近い。
フィルム知識、レンズ知識、カメラ知識、パソコン知識、ソフト知識、写真哲学、カメラ技術、プリンター知識、インク知識、用紙の知識…の総合からなる。作品にはこれとは別に主人公の文書やイラストが入ってくる。
私の作品作製知識を全て分かる上記の担当者はいない。別個に聞くことがのぞましい。プリンターならばプリンターの制作担当者に直にきくこと。カメラならばカメラの開発者関連に。ただし、一番難しいのが用紙である。これは奥が深い。プリンター関連の用紙問題はもの凄(すご)い難問である。それ以外は各担当の技術者自身に聞くことが望ましい。
エプソンが回答しやすいように、この箇所は独立して、私のブログのどこかに掲載しておこう。
なお、こうした総合格闘技に詳しい人は滅多にいないが、少しはいる。その中の一人が私である。私よりも、くわしくない人に聞いて、私に不信をもった気配を感じた。諺(ことわざ)とビジネス関連の鉄則を二つ書こう。
諺=灯台下暗し(とうだいもとくらし)。
(We are apt to overlook important things that lie near at hand. : It is often difficult to see what’s right in front of your eyes. )
私がもっとも詳しい人物の一人なのです。相撲取りの横綱の相撲の取り方を不審に思い、小学生・中学生の相撲クラブの人にきいて判断し続け、疑惑の目でみられた被害は甚大であった。各業者を小学生・中学生とは言っていない。総合となると、各業者ではチンプンカンプンなのである。カメラ屋さんが、市販プリンターのインクなどは詳しくない。彼らは自分のラボでつかっているリースした器財(業務用)の機種しかしらない。プリンター発売店はカメラレンズ知識などない。彼らの能力が劣っているのではなく、異種格闘技である。
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簡単に言えば、総合格闘技ならば、その分野で一番詳しい人間の一人が私である。岡山県でもそうした人間はいてもごくわずか数人程度であろう。どうしても聞きたいときはバラバラで、しかも、メーカーの開発担当者や制作技術者に直に聞くことが望ましい。
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作品づくり以外にこうした解説を独り言などで言わされ、書かされて十年以上、一年に千時間とられていれば、数万時間以上。最低賃金法の価格でも数千万円の損失になる(最低賃金法ではなく、駿台時代の単価ならば損失額は数億円になる)。
最後に一言。
「プロレスでは、リンクにあがれば親でも殺せ」
部外者が、私の仕事場に入ってくるな、である。邪魔どころではない。
今回以上に難解な解説もあるが、無料で、解説を何のために強いられるのであろうか。しかも、写真なども無料で提供していて。営業妨害以外の何物でもない。
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それ以外の諸問題もあり、仕事道具であるカメラ器財などは、一切プライベートでは使用しない。何度も言ったが、今度はHPなどにも掲載し、実行中である。
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(参考)使用器財
カメラ=ニコン、レンズ=ほぼ全レンズメーカーとニコン
プリンターはエプソン
オーディオ器機=ソニー(出井さんが社長を特に意識:早大政経卒)
テレビ・ビデオ・白物家電は=パナソニック(故森下洋一元社長を意識:関学卒)
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金があれば全メーカーを。キャノン(御手洗社長)は一部持っているが主要商品をいずれ購入したい。