【闘争】№240謀略の第三段階(村編)・車問題(その三)

気が向けば一言【闘争】№240謀略の第三段階(村編)・車問題(その三)


2021/04/26 15:58 下書の一部を下書段階で掲載。 微修正

2021/04/27 0:45 追記 本日、就寝し、起床した後に誤字脱字修正し正式公開予定。ただし、正式公開前から下書段階で公開している。0:49微修正 1:03訂正

2021/04/27 11時頃から修正開始

2021/04/27 13:56 正式公開 (誤字脱字は後で修正する場合があります。)

 


結論を記せば、自分の村での車問題では一切動いていない。
通報どころか、報告も何もしていない。ただし、2000年には激しい村での車挑発があった。しかし、結果として動いていない。
結果として言えば、一件を除けば、交通問題と無関係な件での言動類である。その一件も独り言なども含めて2005年(訂正2007年)を持ち完全終了している。一件を除きの、一件が今回の件である。


この件の概況。

当時の郵便配達人はV家(我が家)→W家→X家に行き、Y家によるときと寄らないときがあった。Y家によるときはY家からZ家である。寄らないときはX家からいきなりY家であったが、ルートは下記の如(ごと)く、歩道に見える雑地を通ってであった。郵便配達人はY家付近からA方面から来る道の箇所を横切るときに一時停止をしていなかった。

Z家からA方面にいくときには、今度は歩道に見える雑地ではなく、車道を右側通行していた。そして、〈県道の右側通行から〉A方面に入る〈った。この〉ときは右側通行か左側通行かはわすれた。

※W~Z家記号を、他のブログの略号と同一か否か。単なる記号である。今回は、我が家→WagayaでWから始まっただけである〈2021/04/27未明修正。我が家はVであるに修正。同時にミス理由を追記した〉。常に家〈の記号〉を固定し同一かと言われればそうではない。今回の場合は…解説の必要性を感じない。言えることは名前のイニシャルからとった記号ではないことだけを強調しておく。

(2021/04/27 1:03追記)
重要な訂正。
我が家はWではなくVである。当初は〈写真に写っていない〉W家抜きで記載のしていたため、Wが我が家であった。しかし、もう一件〈今回のW〉家を付け加えると、Zの後が足りなくなり、そこで、我が家をWからVへ変えた。勝利のV=victoryのVである。

(2021/04/27 11:31 追記)
上記は、下書掲載のまま掲載をしている。ただし誤字脱字は今修正をした。補足事項は〈 〉で補った。Zから開始したため、逆算し、我が家はVとなった。
なお、W家は我が家と大変似た番地であるが、似たであり、同一ではない。似た番地は合法である。松茸(まつたけ)ではないものを松茸というのは問題である。しかし、松茸のような物と言えば、内容によれば問題はない。W家は我が家の番地を使用してはいない。

写真の位置をこの下に移動する。
写真はレタッチで色を変えた上、家は黒塗りで潰(つぶ)している。プライバシー権への配慮である。通常はレタッチ抜きで掲載しても法的問題はない。
しかし、私の場合には、今や、裏では「世界のミスター・ハマダ」であり、我が家界隈(かいわい)は掲載しないか、掲載しても下記の如くレタッチをいれた方が良いとなる。
そこで、我が家界隈は撮っても無意味となる。使用できない。掲載写真は一番上だけは2021年4月3日17時頃にルートが分かるように撮影。後は2000年5月15日14時半頃撮影のものである。なお、郵便配達の人は相当前から今回掲載のルートではない別ルートで配達をされている。

(写真はいずれも、クリックで💻画面、二度クリックで巨大)

郵便配達の件は下記である。

全体的見取り図・プライバシーに配慮し縁風加工の上にモザイク加工:📷21-015-003

00-017-25A-f:2000年撮影

00-017-26A-fモザイク:2000年撮影に一部ペイント(人の顔など)

 

この件の結論。


①郵便配達人は自転車・単車は車道左側走行と早合点。
郵便配達人はX家(Y家)からZ家にゆくときに、A方面から来る自転車や単車は左側通行すると勝手に決めていた。
先日亡くなられた(この件の十年以上後に関西へ移動された人で、村在住時にはA方面に当時住まわれていた高齢の)MMAさんは単車では真ん中付近を通り、一時停止は停車線ではなく、車道の箇所でしていた。小学生か中学生か忘れたが、自転車で来た二人は二列で一人は真ん中、一人は右側走行であった。また停止はやはり車道の線の所であった。

※(追記)想像では、郵便配達人は特例法か何かで歩道走行などが認められている可能性が高い。その上、先の場所は歩道か否かの疑問があったが、2007年頃に歩道ではないと分かった。恐らく雑地類であろう。一部は用黒水路の蓋(ふた)であった。


②衝突の危険性。
上記のケースでは衝突が予想された。郵便配達人は言うであろう。車道の左側走行をしない人が悪い。A方面からの人は言うであろう。一時停止しない郵便局の人が悪い。
私は関わりたくない。ただし、明らかに衝突が予想されたため、念のために、郵便局単車を撮った。


③お節介(せっかい)をせず、放っておけ。
今ならば当然そうする。もっとも、当時も結局はそうした。
警察にも、郵便局にも、郵便配達人にも何も言っていない。ただし、当時は(先日亡くなられた)知人MMAさんなどの怪我(けが)などを心配したり、あるいは後に述べる激しい挑発でどうしたら良いかと迷ったりしてもいた。
しかし警察どころか、郵便局に届けるにも、冷静な判断が必要である。そこで、(雇用能力開発機構との賠償交渉立会人になっていただいている)新免昌和町議会議員(当時の肩書)に相談した。すると、新免氏はどうして問題なのかという顔をした。
もっとも、私はこのときに一時停止の件をいわなかったかもしれない。ただ、ぶつかる危険だけを指摘した可能性もある。現場にも行き説明したが、新免氏の表情は首をかしげるだけであった。

そこで、私は、ミスがあってはいけないため、警察どころか、郵便局にも一切未(いま)だにこの件での苦情は言っていない。勿論、当時の郵便配達人にも苦言をしていない。


④今回の件を記述の理由。
それならば今回記述の必要性はなかろう。ない。だからこの件は書かずにきた。
ところが、交通問題に関して⑥の如(ごと)く挑発というよりも、強引に動かそうとする謀略がある。ときには脅迫に近い☎電話もあった。また、我が家周辺で何かあった疑惑もあり、念のための公開である。何かあったのかどうかは、私は本当に「ちんぷんかんぷん」なのである。


⑤郵便配達人の写真の取扱い。
この写真は、新免議員に見せたのと、(約10人弱に送付した)暑中見舞いにバリアフリー社会をという文章(『楽園』)で使用した。
しかし、(パトカーや消防車…の)公務の単車や車の場合にはプライバシー権は配慮の必要がないと聞いており、問題はないと思う。郵便配達人は2000年頃は郵政民営化前であり、まだ公務員であったはずである。そこで、公開に当たって肖像権は不明も、プライバシー権などへの配慮は不必要となる。(肖像権も一般よりは制限されていると思う。有名人・議員類には肖像権はないことも周知事項である。)
しかも掲載写真は拡大できぬように横や縦もプリント印刷で5センチ程度である。今回は💻(パソコン)での公開のため、拡大可能であり、各種モザイクを随所にいれている。要するに何一つ問題は存在していない。


⑥不可思議な挑発。
歩行者専用道路駐車の車…は、私に注意されたり、警察に届けたりされることを嫌がっているか?逆である。一生懸命、私を挑発し、更に私の目の前に車を起き続け、その上で更に挑発をし、私が警察に届ける…と言えば、\(^_^)/(ここは重要なので文字で「万歳」)をしているのである。

とはいえ、車の件での警察への届けは過去3回しかない。69年中たったの三回である。我が家界隈(かいわい)は例外地域としているため一度もない。
1998年以降では、交通問題以外に一度(偽警察か否かの問合せが)あるが、それらは全て新免議員に事前事後に連絡をしている。雇用能力開発機構との賠償交渉が原因での危害も考えられるため、必ず、連絡をしている。そこで、気になる人は新免昌和氏に直に問合せをすることが重要である。
誠実な人(党派問題よりも、人間性及び人格面で誠実な人)のため、どの党派であろうとも、誠意を持って事実を語られるであろう。

ときには、確実に届けるよう、脅しの☎(電話)を深夜(確か23時半頃か)にかけてくる始末である。もっとも、この☎(電話)が該当者かどうかは不明である。ともかく、警察に届けるなどと言えば、彼らは大変喜ぶのである(満身笑みである。やったと言わんばかりであった)。下記ケースなどが該当した。
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重要情報公開№004・(その1)。違法車の主にからまれ、警察に届け出せざるを得なくさせられた事件、黒幕か背景の疑惑。(事実上届け出強制事件か?)
http://yasuragiblog.h-takamasa.com/?p=7466
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違反車関係者自身が、私に警察などに届け出させたくて仕方ないというよりも、警察に届け出させるための工夫や策謀を彼らがしているのである。

ここも、また、ちんぷんかんぷんである。何よりも、私は斯様(かよう)な被害を受ける心当たりが全くない。こうした「ちんぷんかんぷん」な出来事の開始が駿台予備学校講師時代のため、そこで面倒でも駿台の件を何度も記述をしている次第である。


なお、歩行者専用道路も含めて完全無視と一昨年頃決めている。ただ、祈禱師(きとうし)の如(ごと)く社会や街全体のバリアフリーを拝んで願うのみである。

道路問題のもう一つの側面写真がある。それは、実は『楽園』関係(写真や文書も公開検討中。最低でも表紙の一枚は掲載予定)であり、老人などは外へでたいけれども困っていますのモデルとしてである。
その一貫で、我が村関連では母などが入っている写真がある。一部自然ではない部分があるが、嘘ではない。誠の話である。勿論、我が家界隈以外では押し車老人など撮影は何から何まで本物である。これらは、外を歩きたいけれども…これでは…型の被害者強調写真である。この亜流でしか、村関係の、少しでも交通問題が絡む写真は、今回の掲載をもち、もうないはずである。
要するに、その亜流でしか、村関係の車問題が少しでも絡むものは2001年以降は撮っていない。母死亡後若しくは母の大病時代(2008年頃)からはそれも完全中止である。

(追記)郵便配達単車の下記の件は前回紹介の(その二)とほぼ同一時期から、この走行となった。
前回今回と類似場所に駐車{我が家の畑に無断侵入、かつ作物など踏んだ(器物損壊罪)疑惑が2000年5月10日(ナンバーは姫路 40 [死闘]から開始する)であり、郵便配達の単車の不可思議な走行開始が2000年5月9日頃(記録では5月9日と記述文書がある)であり、今回の郵便配達単車が2000年5月15日撮影である。
前回とは下記である。
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気が向けば一言【闘争】№235謀略の第三段階(村編)・車問題(その二)
http://h-takamasa.com/Blog-2/a-01/news/1518/
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