【徒然・私事】№140:長期危害連続―心当たりなし。友は人間違いと言う(6):駿台等

気が向けば一言【徒然・私事】№140:長期危害連続―心当たりなし。友は人間違いと言う(6)


【更新履歴】2019/05/10 2:14公開

 



今回の項目は以下、二つである。
《◇―1・1985年の二つのドタバタ劇の記述は必要性がないことの証明》
《◇―2・1985年5~6月のS予備校講師室係Cに関して「話合い」問題》

1985年5~6月のS予備校講師室係Cに関して「話合い」問題を記す前に、今回の問題や前回の問題の記述が必要ないことを先に記す。今回の原稿の下書きは「気が向けば一言・№139」の下に保存している。また、下記のS予備校と、原稿によれば駿台の記述があるが、その二つが同一かどうかは、後日検討してから、回答する。

《◇―1・1985年の二つのドタバタ劇の記述は必要性がないことの証明》


昨日(2019/05/05)起床時、消したはずの二階階段廊下の電気が点灯。だが、一日無事に過ごし、最後に、日程表記述しようとするや零時頃から翌朝午前四時にかけて駿台の件で独り言開始。明白に催眠類。
だが、下記αとβから、本来記述は必要ない。確定申告で言えば、必要経費などを引き、納税学ゼロ円が決定した後で、医療費領収書、保険掛金などの書類を提出し、すべて丁寧(ていねい)に見てくれと言うが如(ごと)しである。意味がない。提出する必要もない。


《αの理由》
私はS予備学校の女性に対して、ストーカー行為・セクハラ行為・強姦などの犯罪・パワハラ行為・結婚詐欺などは一切していない。これが全てであるそれ以上は必要ないが、参考までに記せば、どの女性にも指一本触れていない、予備校外で会ったことはない、学内でも人前でしか会話をしていない、会話時間は六年合計で一人当たり10分程度である。(ただし、学内での仕事への協力要請約10分と婚約が決まった女性への電話時間を除く。)


《βの理由》
物事の本質は、女性と揉(も)めてS予備校辞職ではない。どう分析しても、私が辞めざるをえないようにするために女性人(陣)登場、若しくは女性人に何かを依頼したとしか分析できない。それらは、『閉じた窓にも日は昇る―付録編』(出版待ちの本)に記述している。次回、一部紹介予定。

これは、結論が先にあり、その結論に何が何でも合わすという形で、物事を進行させられている。謀略を練り、謀略にかからねば、別の謀略を。それでもかからねば、後に述べる催眠まで動員。だが、アクシデントで催眠ミスがあったならば、無理矢理解釈でこじつけを行い、物語を進行する。こうした手口が随所に見られた。

《γの理由》
上記に記した、催眠(私の外的リモートコントロール)で動かされたとしか、思えない事項が相次いだ上記の全責任は、私ではなく、催眠類をかけた人間にある。私は被害者でしかない。

特に、最初の女性への手紙は明白に催眠類であり、大変問題があった。
私は相手の性格などは全く分からない段階であった。そこで、万一、手紙作戦が上手(うま)くいったとしても、私が(一方的に)思わされた女性とは全く違うと思い、私の方から断る危険性すらあった(公式HPの私のプロフィール参照。一番下に紹介)。こうしたことは失礼どころではない。よって、会話もできず・出会いの手段もなく・性格も全く分からぬときには、一切近づかないことが常識と思う。若しくは、誰かの見合いの斡旋(あっせん)をまつのが賢明である。問題が何重にもあった催眠である。
記す必要もないが、S予備校内での付き合いが可能となれば、全て、結婚前提ということは言うまでもない。


★βの証拠は、1984年1~3月の間に(女子校講師時代同僚の)Gさんに手紙を出すか・どうか迷い出せば、いきなり岡山から庭瀬への列車内でであう。Cさんの住所所か名前も分からぬので、手紙を出すのを迷いかければ、座った席の前にCさんのフルネームの入った定規がある。…

さらに、84年夏から87年夏の間に、私に関心か好きな振りをする女性が20人(軽度もいれれば30人)登場する。それも、職場のみならず、食堂でも、気分転換に行った飲み屋でも、スナック類でも、静養にいった薬草風呂でも、…人がいないと思った山のてっぺんでも…。また、S予備校で起こったのと相似形のことが、岡山の予備校でも起こる(二人が同時に…しかも指一本触れず、デートどころか学外では一切会わず、学内でも人前でしか会わずに…と)。…書けばきりがない。それも人生67年中わずかこの三年のみである。

なお、山城・備中松山城の件は、枚方市から来た女性である。後に、1987年夏頃に小浜にいくことになった。待ち合わせ場所は枚方の某箇所である。私は方向音痴であり、岡山から枚方まで自家用車で行っても、指定された場所にいくことはまず不可能な可能性があった。カーナビもない。枚方にも行ったこともない。そして極度の方向音痴である。

すると、その前日頃に教え子が大阪から来て、私は枚方出身なので、その場所に案内しますとくる。万事が万事こういう流れであった。もはや偶然ではなく、さらに後の流れと併せれば、私を仕事から放逐(ほうちく)するために、何人もの女性が登場したとしか思えない。
しかも、付き合い方はS予備校女性の件と同一か類似である。勿論、私の方は結婚前提でもある。


★γのメモ
Cさんへの熱の契機は、以下と同一であった。
「あなたは三本目の電信柱を見たら、熱をあげる」という形である。かすかな記憶ではCさんと高校生コースの子の目があい(多分、1984年1~2月の間か?)、火花が散ったような感じをうけた。その瞬間から催眠状態で熱をあげさせられた気がする。

1983年末までは1983年夏に熊本・水俣で会った女の子に関心があり、年賀状で思い切ってだすか・出さぬか迷っていた覚えがある。それが、突如…Cさん熱に…。
ちなみに、Cさんは1983年にS予備校に来た。最初は私の関心を引くようなことをしなかった。わずかな会話をし、私とは生き方が違うと夏前に結論をだし、夏に水俣で水俣病の学習に来ていた女性に強い関心を抱いた。すると、もう安心と思ったか、Cさんが子供をあやしたり…という形で私の関心を引こうとしたようにも思える。

だが、私の方は水俣の方に…であった。ちなみに、1983年は二号館講師室係の女性の顔も名前も全く覚えていない。二号館女性との多少なりともの会話は1984年Cさんに手紙をだし、Cさんが怯(おび)えた振りをしだし、二号館女性が何があったかと怪訝(けげん)な顔をしだしたため、私は無茶(むちゃ)なことをする人間ではないことをわかって貰(もら)うために、やむを得ず会話を開始しだした経緯がある。


本来αの内容記述をもって、もはや確定申告同様に申告義務はない。さらにβが本質のため、βの分析をした『閉じた窓にも日は昇る―付録編』を読めば物事は明白に理解できるであろう。
そこで、今回の記述は、本質をぼかすものであり、記述の必要性はない。だが、昨日(2019/05/05)いろいろ喋(しゃべ)らされたため、煩雑になるが1985年「仕事没頭のため、諸出来事オフセット事件」も記述しておこう。

なお、βは、私は正直にいって「永久の世の映画説」を疑っていた。ただ、最近、人間違えとか偽者説が幾多の場所で強調されている同姓同名で漢字まで同一の浜田隆政が私の処女出版日と同一日に高額書籍発売、実家の我が家と同一住所の家が電話局のミスか何かで二軒長期存在したこと…多数の偽者登場の謎…。理論上は、「誰かが、Xに何か恨(うら)みを持ち…。そして、Xと私を人(ひと)間違(まちが)えし、女性に絡めて私を職場から追放したとなる」。勿論、考え過ぎかもしれない。
だが、人間違え説類は相当な確率で事実の可能性が高い。では、S予備校の?期なのだろうか。誰と人間違えしたかはX若しくは?とする。ただし、公式HPなどの私のプロフィールに補足紹介を今記述し続けているので、それらを読むと、危害を加えた人たちは人間違えに気づく可能性が高い。

《◇―2・1985年5~6月のS予備校講師室係Cに関して「話し合い」問題》

この項目は、Cさん好きな振り事件と記してもよい。

【概況】

二号館講師室係などと和気藹々(わきあいあい)と話をし出すと、今度は、一号館講師室係Cさんが、何か、私の方を見てにっこりと笑ったり、その他、通常でいう好きな仕草をしたりし始めた。1985年の5月前後ではなかろうか。
通常は無視が原則である。
更に、この一年で騒ぎは拡大し、みんな祭り騒ぎの様相を示しており、トラブルの原因となるため無視である。実際に無視していた。

甘言―1・
ところが、多分寝ているときだろうと思うが、何度か「私のアタックの仕方が悪いので、相手が驚いて断っただけである。そして相手も、その件で後悔しているかもしれない。再度…」と。
だが、常識上、もう無理である。
私「それは無理。昨年騒ぎが大きすぎた。更に、二号館の人と親睦会の約束もある…。万一、アタックの仕方が悪く…としてすら、Cさん関連は二年は絶対に動けないし・動かない」(当初、一、二年と記していたが、2019/05/05から翌日にかけて思いだした。最低でも二年である)。
友人諸君にも電話などで相談した。
全員が「Cさんに近づくな」であった。

甘言―2
「では、どうして、お前(私を指す)が一度会ってほしいと申し込んだときに、断ったCさんが、好きな振り演技をするのか。」

だが、何を吹き込まれても無視が原則である。

催眠甘言が続く。
「だが、お前のアタックが悪くて、相手の本心は…だったならばどうする。責任もあろう」

それでも無視

就寝中に別の誘惑があった。
「しかし、職場で仕事がやりぬくいだろう」と
「まず、職場を平静にすることが一番である。そのためには、Cさんと仲の良いTKさんか、彼女とCさんと合同で話し合ったら」と。
アタックは誰が考えてもできる状態にはない。第一、一号館は二号館と異なりガラス張りで、全員が注目をしている。
「だが、今のままで仕事に熱が入るか。」
「集団で会って、話し合えば誤解があるならば、誤解は解ける」と。
だが、私は何か罠(わな)的な雰囲気も感じて乗る気ではなかった。

寝ている間に「しかし、二か月くらい前迄(まで)KMさんが有頂天になり。今はC自体が好きな振り演技をして気が散るのだろう。それならば、全ての問題をオフセットにし(パソコンで言う初期化し)、双方仕事にだけ専念できるようにしたいと正直に言えばよい。
上記を言えば、万一、会談できなくても、KMさんのからかいやCさんの好きな振りごっこは止(や)むだろう。仕事ができるようにオフセットしろ。(KMさんの件は次回記載)」
そして、お前が言うように、全て二年間程度間をおけ。そうすれば万一、アタックの仕方が奇異で…なども明白になろう。また、二号館Dさん、Eさんも含めて事情が分かるであろう」

「オフセット申し出すら」最初は私はノーでしないと言った。

第一、最低でも二年ほど冷却期間をおかないと無理である。だが、私は年齢から結婚を焦(あせ)っており、それはリスクが大きい。更に、誤解ならば誤解が解ける二年置いて、再アタックではない。二年おいて、何とかCさんとの見合い該当のセッティングである。

一方的にCさんへの催眠暗示はあるが、正確には性格も分からない。生き方も全く分からない。どんな人かも分からない。話をしてみないことには何にも分からない。
「先生、お茶です」「ありがとうございます」類だけでは何にも分からない。よって、まず、日本型見合い類をどうやってするかである。
賢明な手段は、彼女の上司Y課長は独身かつ、揉(も)めた件に絡んだためまずいが、上司の上司OK部長、あるいは京都高校長のKW先生などと懇意になり頼むしか方法はないのが実状であった。
ともかく、初デートのアタックではなく、初見合いの段取りに二年おくとなる。

性格が海のものとも山のものとも分からぬ女性と初見合いの段取りをするのを二年まつのはかなり躊躇(ちゅうちょ)した。要するに、「次へ」が常識である。


ここで櫻井よしこさんの話を記す。
櫻井よしこというニュースキャスターがいる。『NNNきょうの出来事』というニュース番組で1980年から1994年頃まで司会をしていた。私は、時々その番組を見て、彼女はリベラル、更には左翼に違いないと想像していた。

ところが、彼女が司会者をおりて、自由に発言しだすと左翼の逆である。最初は、これは冗談を言っているに違いないと思っていた。だが、冗談ではないと後に分かった。

要するに、職場は勤務先であり、職場での短い仕事会話のみでは何を相手が考えているか全く分からないのである。「お茶どうぞ」「ありがとう」に該当する会話の延長では尚更(なおさら)そうである。
こうした出会いは二十年続いても、一回分の見合いの中でも一時間分以下しか相手のことは分からない。

Cさんの件も同様で会ってみないと何にも分からない。職場の親睦会での会話すら、できない構造となっているから尚更である。職員はS予備校の労働者であり、教員はS予備校の商品である。対等の労働者同士の関係にすらなっていない以上、S予備校では何にも分からない。
同時に、容姿類は私の好みではなかった。私の好みは松坂慶子・浅丘ルリ子型ではなく、榊原郁恵タイプであった。


【行動】
だが、まだ、決断はだしていなかったと思う。
ところが、TKさんが余りに丁寧(ていねい)に膨大なコピーをしてくれたのを見ると、催眠状態で、「TKさんとCさん、…」と…「オフセット会談を」言わされてしまう。

1985年5月か6月か忘れたが、Cと仲が良いように見えた、講師室係既婚女性TKさんが、私の資料の大量コピーか何かをしてくれた。
すると、催眠型でその日か数日後に次のような言葉をいわされた記憶がある。

「仕事が大変やりづらい。
Cさんの先輩KMさんにも参っている。
一度あって話したいがどうだろうか。
TKさんとCさん合同でもよいし、TKさんだけでもよいので」
と言ったと思う。言わされたと思う。
ただし、Cさんだけとは言っていないと思う。
ちなみに、この頃はKMさんはおとなしくなっていたため、タイムラグがあった。
1984年末頃に、Cさんが怯(おび)えまくる件で弱り、Cさんの先輩講師室係・KMさんに相談したことがある。
KMさんは既婚、更に落ち着いた感じがするため相談したのである。
ところが、KMさんが、大昔塾で教えていた生徒同様に舞い上がった感じを受けた。
恰(あたか)も、自分に映画か何かのスポットライトが当たったというが如(ごと)く、喜びまくった。まるで独身女性、それも女子中学生か女子高生の如くに見えた。(具体例は次回紹介予定)。

私は高校は理科系でほとんど男性、クラブは部落問題研究会で人権に興味を持つ女性、大学は自治会再建に意欲を持ったり、婦人問題研究会で女性の人権に興味を持ったりする女性しか知らない。びっくりした。
女性ってこんなの、と。

KMさんの行動は、大したことではないため、いつか気が向けば記そう(多分次回記そう)。敵意ではなく、舞い上がったという感じを受けた…。
だが、TKさんに言う数週間程度は、大変おとなしくなっており、タイムラグはあったため、言った内容は不自然であったかもしれない。(だが、催眠誘導で予定外に言わされたためどうしようもない。)
若しくは『閉じた窓にも日は昇る―付録編』で分析している通りであろう。


ポイントは以下である。
①まだ言うと決めていないときに言わされた。先のEさんとの握手類と同様である。
ただし、①の状況でも下記三点(②~④)は守られていた。また、オフセットできていれば⑤⑥も同様であった。

②(付き合いの申し出ではなく)オフセットのための会談申し出。

③会談ではお付き合いの話などはしない。悪まで仕事環境上のオフセットに限定。

④なお、オフセット後、私のアタックの仕方ミスが原因と分かっても、トラブル類や二号館関係から二年間は一切動かない。
(昨夜、Cさんについて…は二年間は絶対に動かないと私が決めたことを思い出した。先日は一、二年と書いていたようであるが、確か様子を見たりするために、二年間は置く必要があると考えていた。ただし、当然、Cさんに行くかどうかは一切きめていない。全く何が何か分からないからである。ともかく、Cさんに絡む件のみは2年間おくとした。)

⑤二号館とは男子複数、女子多数の親睦会は予定通りに行う(この時点で既に5~7名参加者が決定していた)。親睦会でも、食事やアルコールが入れば、女性は女性通しで話し合い、私はO課長とのみの会話となったかもしれないが、情報類は入るし、親睦会という約束でもある。それでも最後に全員が言うであろう。浜田先生、食事ごちそうさまでした、と。

この時の(いわばオフセット会談申し込み時の)、言動が催眠型であったことは、何度も、催眠かけられ喋らされても同一回答となっている。例えば「2019/04/17 19:25追記」には次のように記載していた。
☆☆☆☆☆
α)1985年5~6月のS予備校講師室係Cに関して「話合い」問題。
もう一つの事件も催眠である。
……
では、何故言ったか。
回答は簡単である。
催眠である。
それ以上でも、それ以下でもない

ところが、これで揉(も)め、二号館の職員と合同での食事会は自粛(じしゅく)する羽目となった。
そして、E氏の件に続く。
☆☆☆☆☆

ところで、もし、このときにTKさんなどときっちりと会話していたら何を言ったか。
当然、授業への協力のみである。
あわせて、Cさんの件での誤解部分があれば解きたいが、誤解部分が何かが分からないと解けないし、何も言えなかったであろう。
この時点で、最初の見合い云々(うんぬん)などの話をする気は全くなかった。最初の約束(会談申し込み時の、申し込み理由)は死守する
要するに、会っていれば全部誤解がないのを、全部会う前に潰(つぶ)れたので、誤解ゲームが蔓延(まんえん)しただけである。


【反響】
この後、一号館女性数人が喜び回っていた。
女性ってこんなの!(二十才を超えた女性やで!)
今から考えると勉強になったと言いたいが、人間の心理関連の全てに関する学習はしなくてよいと思う。不可能である。
ちなみに、私はアタック類はした覚えがないが、『日本のフィクサーMEシリーズ』登場のお嬢のモデルは「それはアタックになる」…と(何か喜んでいたような形で)言っていた。

だが、今となれば、どうでも良いが心境である。
私はアタックする予定は上記の如(ごと)くなかった。だが世間ではそれをアタックと解釈すると言われれば、そうしたものかと思うが、それだけである。
セクハラ・パワハラ・ストーカー・痴漢ではない。何一つ問題がない。
騒がしたと言っても、C氏などが自分からあからさまに好きな振りをしたのだから、騒ぎに関しては自業自得だろうとなる。何一つ、詫(わ)びも何も言う必要がない。
しかも、その騒ぎは一号館の女性の何人かが大喜びしているのであり、相手は被害は被(こうむ)っていない。

催眠を何度かけられ、記述しても、口頭でも同一の語句は下記のみである。
再度記せば「この話は、記すだけ・書くだけ時間の無駄である。
小学生か中学生のドタバタ劇としか思えない。
それも、先に書いた如(ごと)く、確定申告ならば、《◇―1》のαやβ、γのいずれかの証明があれば、これらの件はもはや申告は不必要であり、誰もが面倒と感ずる話である。

再度記せば、その頃、拙著『日本のフィクサーME』に登場する、お嬢は喜んだ。お嬢は二人の人物から合成した架空の人物であるが、そのモデルの一人は喜んだ。
「それはアタックだ」などと。
大喜びであった。
本人は否定しようが、雰囲気は喜んでいた。
ここだけの話であるが、お嬢はサゾ的傾向があるのではと思うことがある。
私を虐(いじ)めて喜ぶ、と。
お嬢は結婚し、子も孫もいる。
私は本当にひたすらお嬢一家が生涯仲良くすることを心から願っている。
ここ二十年も会う機会は何度かあったが、超多忙と、会っても意味がないため会っていない。怒るか喜ぶか不明であるが、面倒くさいので会っていない。
他の仲の良かった女性友達も同様である。
第一、会おうと思っても金がない。
某大統領を見てブラッシーを連想したときに、大昔、家庭教師をし、なついてくれていた子をふと思い出した。
しかし、この子には金だけではなく私の髪もないので、会っても格好が悪い。(日本のフィクサーME続編で記そう)
それが会わない理由である。


【シミュレーション】
シミュレーションを更にすれば、もし一度でも会えば(一度でも見合いをすれば、先の一言№119)に書いた理由で、即ち「私の職業が不安定」ということで断られた確率が98%以上と推定される。ちなみに手紙をだしたCさんには前年度返答の手紙で正式に断られてもいた(私には好きな人がいるので先生の好意にはお応えできません、と)。

よって、Cさんならば二年後に初見合いをしても結果は決まっていた確率が高い。Dさん、Eさんのシュミレーションも前回書いた通りである。

ちなみに、NHKのニュースキャスターで評価をしていた女性は森田美由紀などである。見ていて楽なのが、小野 文惠(おの ふみえ)とか、寺門亜衣子(てらかど あいこ)などである。塚原愛もTVを通じて、いろいろ遊んでくれたので悪い気はしない。よって、Cさんは全く好みのタイプが違うのである。
だが、彼女らとて、仕事場以外で会えば、先の櫻井さんの例ではないが全く勘違いをしている場合もあろう。要するに何にも分からない。
付き合うかどうかの前に見合い類をせねば不明ということである。



これ以降は、トラブルが先の女性に絡めているならば、何とか大勢(おおぜい)を説得しなければ仕事が出来なくなると言う視点からでしかない。
今は逆である。この件について解説していたならば、人生の後がない。この原稿の下書き日も、原稿で優先順位を迷っていた。
……一つがこの原稿。もう一つが2015年の訪米は何を目的で、(オバマ大統領宛の)何の文章をホテルにおく予定でいたか、である。当然、後者(『日本のフィクサーME・パート3』の序)を優先したかった。
☆☆☆☆☆☆
日本のフィクサーME・パート3・2015年・訪米―序
○http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=24637

日本のフィクサーME・パート3・2015年・訪米―序

☆☆☆☆☆☆
それは世界にとって意味もあるし、私も書きがいがある。なによりも読者の関心の度合いも全く違っている。後者の方が同じサイト掲載ならば読者は圧倒的に多いからである。


次回、数学及び論理派の私が以前理論分析をした内容を記そう。
(第一次下書き中のまま進行していない、拙著『閉じた窓にも日は昇る・付録編』から下書き状態で抜粋する。)
ただし、仮説と前置きをしておく。
その後でいつも愚痴っている内容を追記しておく。

ところが、この件が下記の如く刑事犯罪被害や後に三十年以上の危害に…意味が全く分からない。だが、強いて、その仮説の一部を次回記そう。


なお、上記の件が刑事犯罪被害と結びついてくる。
補章ー2・追記―2駿台辞職の経緯(2007年10月記述)
○http://h-takamasa.com/Blog/?p=11577

第二部・補章ー2・追記―2駿台辞職の経緯(2007年10月記述)

詳細は拙著『閉じた窓にも日は昇る・上』(Kindle、KOBO各百円)参照。

また関連内容を明日か明後日頃下記に掲載予定。
補章ー2・追記―3・(A)2016年追記・「予備校文化と水俣への旅」と(B)2017年追記・「駿台辞職の経緯」
○http://h-takamasa.com/Blog/?p=11579

 


最後に、記す必要のない当たり前のことを記載しておく。私は結婚に際して「相手の家柄・学歴・門地(出自)・人種・国籍…」は一切調べないし・聞かない。憲法14条・24条を深く信奉しており、こうしたことは門前払いである。『日本のフィクサーME』登場の「おじょう」(実存するモデル)は養女であるが、彼女の出生地などは本人に聞きもしないし・調べも一切しない。どうでもよい。強いて言えば、風光明媚(ふうこうめいび)かどうかという点しか興味はない。
これらは、以下の私のプロフィールをみれば分かるであろう。
💁公式HP・プロフィール
http://takahama-chan.sakura.ne.jp/profile.html


(以下は、下書き段階から次回以降分以降を(7)…として公開予定。ただし、次回は、下記も掲載するかもしれないが、中心は(下記に未掲載の)『閉じた窓にも日は昇る―付録編』である。)

 

☆☆☆☆☆☆
2019/04/20 15:02追記。

小学校の頃、二つ上ほどの従兄弟(いとこ)が言った。
「隆ちゃん、□□が好きなのだろう」。
私は「違う」と言った。
すると、従兄弟が「いや、好きに決まってい」と言った。

その後、私が仮に▽▽にラブレターを渡したとしよう。
勿論、小学校のため、デートも何もする訳がない。
だが、好奇心旺盛な盛りで、学校中で大騒動になるであろう。

しかし、小学校を卒業すれば誰も忘れる。
ましてや、三十年以上経てば、誰とて子や孫のことで頭がいっぱいである。


S予備校の話は上記の例えに限りなく近いレベルである。
指一本触らず、学外でデートもせず、日本で言う見合いのセッティング前に潰れた話である。

当然、私や、該当する女性C、D、EもS予備学校を去れば、誰も忘却する次元の話でしかない。
それが未だに、危害が連続しているように思わされるのは不思議以上のものである。
当時、彼女らは24~26才くらい、私は32才の頃である。
35年ほど前の話である。
今、私は古稀に近づき、父が死亡した年齢に近づきつつある。
他方、彼女らは還暦前後であり、孫にも囲まれていよう。

会話時間もDさんなら、S予備校在籍6年会話合計時間は10分程度である。
Eさんとは結婚が決まった後での会話を除けばその数倍程度であろうか。
Cさんも、学内の状況を沈静化するため、(課長などの許可を取り、学内で正式会談した、学内の仕事に限定して)三人で話した10分程度を除けば合計10分程度である。
6年合計時間である。

勿論、何度も記すように、指一本触れていない。
職場以外では一切会っていない。
職場でも人のいない場所では会っていない。
それが数十年尾を引くなど、理論上あり得ない。
考えられない。
何らかの恨みなど買う心あたりも全くない。
そうした危害を受ける心あたりも、そうした危害を受けることも存在しない。

だから、2012年に出会った友人に、「私はそうした危害を受ける心当たりが全くない。誰か何か勘違いをしているのでは」と言ったことがある。
友人はきっぱりと「勘違いではなく、人間違い、人違い」といい切った。
何のことかサッパリ分からなかった。
4月17日、amazonからのメールが偽メールと確定した夜、先の友人の娘さんから電話があった。「父が息を引き取りました」と。
「父」とは先の言動をした友人である。
恰(あたか)も、危害者Xなども、偽者と勘違いしてたとの確定したと分かった如くに。ただし、現段階ではそう思わされているだけである。
その前に何のことか分からない。

高校、大学などで出会った女性とはデートがあろうと・なかろうと、恋愛感情をもとうと、ことわれようと全て良好な関係にある。会えば分かるが、誰とも未だに仲が良い。
会う機会はあったが、超多忙・金欠などで会っていないだけである。
会う機会とは、何人かが、「浜田さん、▽▽さんんども来るのでこない」などの誘いが各種あったが、先の理由で断っただけである。
私に金があり、多少暇があれば会っていた。もし、厚生年金か共済年金があり、引退していれば喜んで会っていた。

ところで、何故、私がS予備校の女性の話を多忙の中で書かねばならないのかも不思議以上のものである。
何で今更、となる。
同時に数年前からS予備校の鉛筆やS予備校と記されたものが我が家内で大量にでてきており、それも不思議な話である。


先の従兄弟の話を記せばわかろう。
もし、『日本のフィクサーME』に登場するオジョウに話せば言うであろう。
「マジ」。
私も思う。
「これ、何」と。
一体何なのであろうか。

再度言う。
私は人に恨まれる心当たりはまったくない。

党派中立・宗派中立をしてから三十年以上となり、確実に実行もしている。
完璧な非暴力主義者でもある。
差別をなくす活動に、受験勉強、就職活動を犠牲にして、行っていた人間である。
完全党派中立宣言をしてから、特定の団体支援ではなく、全てのそうした団体を応援する立場にある。
まだ、この世で結婚するならば、相手の学歴・出自・家柄、国籍・人種などは一切無関係という立場でいる。「そうしたことは、聞かない・調べない・(万一)耳に入っても気にしないというよりも完全無視である」。

よって、何故、私が三十年以上、危害を受け続けるのか、どの角度から考えても全く分からない。
人生後がないときに、訳の分からぬことを書く時間すらもったいない。
一体、なんであろうか。
同時に、私の読者もこの件よりは、「日本のフィクサーMEシリーズ」や「偏差値のいイドラ」などの方にはるかに関心を持っている。アクセスなどのデータや反響などが示している。
HP活動としても、この件や「写真残酷物語」などを書くと、読者は相当期間、減り続ける。どの世界でも同様である。
ニコンやキャノンが、商品の開発・解説、それどころかCMをせずに、社長の個人的話はばかりを書けば会社は通常は潰れる。
私も同様の心境である。
迷惑千万である。


追記。
私には世界に多くの友がいる。
そして、私の今いる周辺にも、大昔の友・(差別反対運動をしていた)仲間が随所に散らばっている。彼ら・彼女らの所属団体がちがっていても。
ちなみに、私は党派・宗派中立を実践している。

ただ不思議なのは、私の意思に反する行動が一部見られることである。
例えば、Cさんに手紙も何も出す意思はなかったのに、何故手紙を…などである。
追加すれば、(確か)昨日、昼寝か何かで夢を見た。
夢の中で義叔母(叔父の嫁さん)がでてきた。
仮眠から覚めるやその直後に、その義叔母の息子(私の従兄弟)が我が家へ来た。
まさに直後であった。広報15部の所を14部持ってきた。
同時に、何度も書いた、デカルトは「我思う故に我あり」であるが、私は「我、思わぬのに我あり」で参っている。催眠という言葉で記している。
だが、それでも人の恨みを買う行動はしていない。
よって1984年後半以降、全く意味が分からない。
これが全てである。

2019年5月8日 | カテゴリー :