【芸術・徒然】№30・逆境は宝―曇天の関学とイルミネーションの関学。小渕元総理送付の早大写真も間もなく公開予定。

【芸術・徒然】№30・逆境は宝―曇天の関学とイルミネーションの関学。小渕元総理送付の早大写真も間もなく公開予定。

 

私は2016年10月11日関学の撮影に行った。天気は曇天であった。一番始末が悪い天気と思われた。当然、関学生及び教職員は失敗すると思ったであろう。

他方、2016年12月18日関学のイルミネーション撮影にいった。あれだけの、ショーである。当然、関学生及び教職員は成功すると思ったであろう。

ここに大きな間違いがある。

写真は何で撮るか。
私の父は言った。
「シャッターを押せば撮れる」と。
実際、岡本太郎氏はカメラ・撮影にも凝った時期があった。
彼の撮影風景を見ていると、シャッタースピードを早くしたいときは、ものすごく強くシャッターをおしていた。
力任せにシャッターを押せば早く撮れると思ったのであろうか。
通常は、シャッタースピードの設定でシャッタースピードは変化する。

本題に戻る。
写真は頭で撮るものなのである。

すると、青空晴天、雲一つなしは、ときには落とし穴がある。
なぜならば、何を撮ってもきれいに見えるため、思考しないからである。

絶体絶命の曇天のときは、まともに撮っても撮れるはずがない。そこで、延々と試行錯誤する。そして、様々なアイデアを考える。
すると、ときには誰も思いつかないアイデアが浮かぶ。

俗に言うオリジナリティである。
だから、苦境のときは芸術性の高い写真が撮れることが多い。

曇天でどうしようもない、2016年10月11日の関学をどう撮ったか。私は一枚の落ち葉を利用して撮った。そして、日本庭園、関学構内、中央芝生の三点で実験をした。
一応、満足のいく写真が数枚あった。
そのときの写真は、あと一週間以内に公開予定でいる。
公開枚数は、二十枚以上を予定している。
同時に、そのとき生み出した、二つの新技法を紹介する
本日、その技法の一つを、長崎の写真で応用してみた。Twitterなどで紹介している

写真に限らず、学問でも、オリジナリティが重要である。
そのオリジナリティは、苦境の中で生み出されることが多い。
それは、思考するしか、良い作品がつくれない状況に置かれているからである。
晴天ならば、思考抜きで写しても、全部よく見える写真が撮れるため思考しないからである。

では、2016年12月18日の写真はよくなかったか。
それは今しばらくお待ちいただきたい。
何しろ、水俣・長崎フィールドワーク及び関学イルミネーション撮影したものが合計三
千枚以上未処理状態なのだから。

長崎平和祈念像などの長崎の平和像だけでも三百枚以上撮影し、その内、本日たった八枚目の処理段階での写真のみ掲載している。
そこからどのくらい、時間がかかるか想像願いたい。


関学ばかり撮って、早大はなぜ撮らぬか。
理由は簡単。
旅費である。
我が家から早大に行くには、長崎・水俣フィールドワークとほぼ同一の金がかかるからである。

また、1980年代前半は早大は毎年一回は行っていた。だが、その頃はまだカメラを開始していなかった。そして、1988年より金欠となり、カメラ開始は1994年のため、早大撮影枚数が少ないだけである。

金がつきる前に、もう一つの母校・早大も行くつもりである。多分、そう遠くない時期と思う。
同時に、早大写真で意味あるものをいずれ紹介予定でいる。
それは、私の置かれている人権侵害からの解放の依頼を小渕元総理(早大文卒、早大大学院政治学研究科修了)に送付した際に、封筒の裏に大きくはった、夜明け前の早大時計台の写真である

ただ、残念なことに、この写真と文書を2000年4月3日送付すると、小渕総理はその日の夕方、緊急入院というニュースが流れたといういきさつがある。


なお、撮影は、世界連邦創設などの目的を意識している。水俣ならば水俣病の完全解決を。


関学・早大写真コーナーのトップアドレスは以下です。
特別編<浜田隆政写真物語・本館Blog
http://takachan1.xsrv.jp/photoblog/?page_id=159
関学2016年10月11日撮影は一週間以内に掲載予定。
小渕総理に送付したものを含む早大の写真数十枚以上と関学イルミネーション写真は数か月以内をめどにしている。


追記
①写真撮影論(学問論と根は同一)は、近々公式ブログの「徒然なるままに」か安らぎブログの「写芸学」に記載予定でいる。
②可能な限り、長崎・島原・水俣・関学イルミネーションも1~2枚のみは、十日以内にと思っている。
③明日(2017年1月26日)は「長期連載・求め続けて」を予定通りに掲載。

2017年1月25日 | カテゴリー :