【政治】№88小渕恵三氏と金大中氏の思い出。

気が向けば一言【政治】№88小渕恵三氏と金大中氏の思い出。


「韓日、金大中・小渕共同宣言20周年を迎え新たな共同宣言を議論」(ハンギョレ新聞日本語版)に小渕恵三氏と金大中氏の思い出を書込み。
(該当箇所ハンギョレ新聞アドレス)
http://japan.hani.co.kr/arti/international/31226.html


(2018/07/30)小渕恵三氏には懐かしい思い出がある。
小渕氏は早大文学部卒であるが、卒業後に、早大政治学研究科に籍をおかれた。
早大政治学研究科出身の私の先輩に当たる。
私の指導教授とも知り合いと思う。
そこで、私が労基法違反被害の救済を小渕恵三氏に書留送付することにした。
最終準備が2000年4月2日であり、送付日が同年4月3日であった。
送付するや否や、4月3日に小渕総理緊急入院のNEWSが流れた。
後に知ったが、脳梗塞の発症が4月2日であった。
まさに、私の書留文書に対応する流れとなっていた。(偶然であろうが?)
その後、残念ながら帰らぬ人となった。

金大中氏については、大学3年の頃(1973年)に金大中事件が起こったのを覚えている。
当時の韓国は戒厳令が頻繁にだされていた頃と思う。
後に、金大中氏が大統領になる前にTVを通じて対面した気になったことがある。
マンデラ氏の項目にそのときの模様(金大中氏の件)も少しではあるが掲載している。
《公式ブログ:夢か―2。TVでの対話2・マンデラ。》

夢か―2。TVでの対話2・マンデラ。



アウンサンスーチー氏、マンデラ氏、金大中氏いずれも後に自由となった。
未だに自由でないのは私だけである。
もし、自由になれば韓国を再訪したいと願っている。
可能ならば、文在寅大統領のときが良いが、今の私の現況では不可能な確率が高い。
2013年韓国に行ったときの模様は、いつか紹介するが、後の歴史に関係する様々な事件に出会った。そして事実上安重根義士記念館のみに行った旅であった。
キムチも食べていない。
再訪問は夢の夢となるか・否かは私には分からない。
同時に、歴史の目ではマンデラ氏の獄中時代、金大中事件を思い出せば、どこかで歴史は変わるであろう。