【芸術・政治】№178・Mr.obamaのセルマ行進写真を題材に写真・芸術とは何かを考える:メモ段階・正式公開前

気が向けば一言・【芸術・政治】№178・Mr.obamaのセルマ行進写真を題材に写真・芸術とは何かを考える:メモ段階・正式公開前



2020/03/12 13:41からメモ掲示。下書きというよりもメモを掲載。

2020/03/12 15:39 当初は下書き保存し、メモが下書きとなってから(SNSのCM抜きで)公開し、清書段階で(SNSのCM付きで)正式公開予定でいたが、15:41 前者公開とする。

現在は下書きよりもメモ段階(追記以上に、削除する部分が多い。特に英語の部分はかなり削除予定).

なお、№176は岡田氏送付のため改竄危険がすくないので、岡田氏HP公開後当たりを検討で、公開はせずにいたが、送信後のトラブルなどから岡田氏HPコメント公開翌日程度(トラブルか何かで掲載されていないが掲載するかしないかはHP運営者の勝手である)に公開。

2020/03/12 15:51 17:39一部修正 催眠誘導で内容の一部をメモし(SNS抜きの)公開も、この写真が芸術的にどこが良いかはまだ記述していない。下書きとしてもソレ抜きでの公開は頭が痛い。

画角、絞り(被写界深度)、場面構成…なにもまだ書いていない。この写真に関する写真哲学も…も。こんな馬鹿な。更に、連続HP投稿すれば読者が大変。HP投稿の間があけば問題で、その後も穴あきを防ぐため、予定外に投稿が必要となり、今度は私が大変。投稿の頻度適切化にも反す。無料で、広告収入抜きで、会費抜きで、…私の意思に反する頻度問題抜きで、こんな馬鹿な。

17:38 スタインベックの脚注追加

2020/03/13 20:57大幅記載。(後日、数回に分けて清書検討中)。一言は短い文で、長いのは政経関連は公式ブログ、芸術・教育は安らぎブログの原則も今後は考慮予定。

23:14 タイトルにメモ段階を記載。

 



私のHPで、巨大写真を特集している。何を掲載するか、何の基準で掲載するか、…と迷うことがある。また、マイクロソフト・エッジなどで大写真が掲載されているが、正直言って「今一つ」とか、余り感じないことが多い。すると、私も同様かとも思う。
ミスター・オバマのSNSなどはよく見ている。彼の掲載する写真に時々うなる物がある。この日は、「セルマの行進」の写真掲載があった。

どこが良いのかと言えば二点ある。
一点は、家族、愛、社会正義…絆(きずな)が凝縮されている点である。
写真に向かってMr.obamaの隣が、ジョンルイス氏(キング牧師などと公民権運動を行っていた下院議員)、その隣がミシェル夫人、その隣がナターシャさん(オバマ夫妻の次女)、その隣が、ロビンソンさん(ミシェル夫人の母)、その隣がマリアさん(オバマ夫妻の長女)である。
ちなみに、キング牧師が暗殺されたのが1968年である。遠い昔のように思える。その頃、私も日本で各種差別反対の仲間とともにいた。高校一年の頃であり、遠い昔の思い出である。ところで、セルマからモントゴメリーへの行進やキング牧師を授業で紹介したのは1983年頃である。つい先日のような記憶がある。しかし、1983年とはキング牧師暗殺から15年しか経(た)っていないときである。他方、この授業の方は今から27年前である。だが、一週間前のようである。
時というものは不思議なものである。
そうした視点からも、この写真に興味を抱いた。写真とは、やはり本質なのだろうか、と。小手先ではないのだろうか。私は文学には疎いが、川端康成の小説を読んでも全く良いと思わない。ただ、文章の外見だけでもっており、中身がないと何度も言ったことがある。他方、「アラバマ物語」(To kill a mockingbird)は文体は完璧ではないかもしれないが、中身がある。やはり、芸術は本質が重要か。


上記だけで良いのだが、実は、この写真に興味を持ったのは次に述べることもあった。そして先にこちらで興味を持ったかもしれないし、そうではなかったかもしれない。
二点目の解説に入る。この日の同一場面をうつした違う写真を各種SNSで見た。一つはよりワイド(広角系)で写していた。一つはよりテレ系(望遠系)で写していた。…その中で、この写真がやはり一番よかった。
結論から記そう。写真は見たとおりには写らない。現在の科学ではほぼ100%不可能である。嘘と思えば、例えば写した草の写真をプリントし現場でその草と対比すればよい。絶対に同じ色にはならない。
すると、どう表現するのか。本質をどう表現するのかという演出さが重要となってくる。写真は一に場面構成、二にピント、三に露出と言われている。ピンボケよりも場面構成の方が重要なのである。
具体的に言おう。この場面を左はどこから右はどこまで出した方が良いのか。これが一番重要なのである。勿論、ワイドすぎれば歪曲(わいきょく)収差がでてくる。遠近感や圧縮感もちがってくる。そして主張が違ってくる。

ところで、ミスター・オバマもこの文章を読めば聞きたい。
写真一番左の人物は半分しか写っていない。では、トリミングで消した方がよいか・どうか。半分しか写っていなければどういう効果があるか。
私は現時点ではトリミングを幾つかの理由でしない方がよいと思う。人物が半分だけ写っていればどういう効果がこの場合にはあるか。読者の目がマリアさんに向かう。
表現とは読者の心理との闘いである。

ミスター・オバマが余り感じがよくないと思うかもしれないが、(ロシアのデジタル誌)スプートニックを見たときの話をしよう。最近、スプートニックを見ていると、女性の肌の露出の多い写真が多い。そこで、独り言を言った。

「ミスタープーチンは、堅物かと思ったが意外とミーハーなのかと」。同時に、レディガガさんのセミヌードの写真か何かがあったので更に一言余分なことを言った。「裸の方に注目させたい場合には、顔を余りに美的にしない方がよいときもある。何故(なぜ)ならば顔を美的にすれば、人の目は先に顔に行く。レディガガという人物を知っている人ならば、彼女の顔は既に知っている。では、ボディに注目をさせたいときは、顔が余りに美しく表現しない方がよいときもある。」
上記のことは一概には言えないが、被写体の頭を少し切れば(写真からはずせば)、読者の目は被写体の目か体に行くことは事実である。

同様に左の人物を少しきれば、読者の目はマリアさんに行く。同時にオバマファミリーにも連続して目がいく。勿論、画角によれば、左の人物を完全にきってもよい場合がある。
人物の半だしではないが、場面構成は、現時点では類似写真の中で、この写真が一番気に入っている。

場面構成がいかに難しいか。360度綺麗(きれい)な風景があった場合に、一枚しか撮れないとすれば、どの画角で、どの場面を撮るか。さらに、その一枚で360度若しくは広範囲の被写体ということをどう表現するか。
土門拳さんは、日本の鳥取砂丘で、今の科学では広大さは表現できない。それならば逆に場面を狭めて広さを表現しようとしたことがあったそうである。
広いものを超広角や魚眼でとって広さが表現できるのではない。広いと感じるのはそれを見た読者の脳である。相手の脳を如何(いか)に誤魔化(ごまか)すか。その大きな要素の一つが場面構成である。

日本の諺(ことわざ)に「奈良の大仏」がある。奈良の大仏は大きい大きいと聞いて言って見たら、そんなに大きいと思えなかったという諺である。写真はそれ以上に違う。読者の脳をどう誤魔化すか、(一で記した)本質を如何(いか)に強調するのかである。

そうした視点からこの写真(セルマの写真)を見たこともある。勿論、一の視点もある。読者には本来は前者は余分なのであり、後者だけで十分である。その通りである。だが、カメラを下記の理由でやむを得ず本格的にしてしまうとそうした視点まで入り込むのである。映画監督などでも、他人の映画を鑑賞するときにはストーリーのみならず、諸技術に目がいってしまうのと同様である。いわば職業病に近い。
余分な病である。単純に楽しめばよいものを、と私自身が思う。
ミスターオバマ一家と黒い犬二匹を見たときにも言った。
「これは露出が難しい。フィルム式カメラならば、時間帯を選ばぬと、後ろにピンクかかかった花が白飛びするし…。犬の目を出すのも難しい。撮られた人間はただ、良い写真と思うであろうが、技術的には難しい。フィルム写真ならば、フィルムのダイナミックレンジの狭さから、撮影時間に規定される…。おまけに、モニターで確認もできない。デジタルでも易しくない」、と。(※2)

どうしても、そうした所ばかりに目が向く。撮られた人間は良いとか悪いとしか思わぬであろうが、撮る側(がわ)は大変である。
同時に、職業病で、この写真を見たときにも、場面構成、絞り(被写界深度)、歪曲収差、露出…そうした所にも、相当目が向いてしまう。そして、この点でも、この写真は決まっていると思う。

この写真を見たときに上記二点だけを簡単に、暇を見て記載する予定が、昨日(2020/03/12)…でどうなっているのだろうかと思う。


要するに、芸術とは本質が重要であるが、その本質をより鮮明に、いかに演出するかにある。また、写真などで結果がでなくても、仕事上、それをせねばならないときには、加工もやむを得なくなり、そのときから、今度はカメラマンから画家へと変質しなければならない。
撮って終わりではなく、大変時間がかかるものである。もっともどの世界でも同一である。さらに、後に記すように、私はカメラマンでもなく、相互的プレゼンテーション家であり、カメラよりも文章のやその他の方が主体でもある。


最後に、昨日記載の箇所も事実であるが、日にちを分けて記載せねば、私も読者も疲れる。

(※2)この写真は持っているのだが、著作権その他を考え、ミスター・オバマのFacebook経由で掲載。
https://www.facebook.com/barackobama/posts/10156639681371749(下記がでないときには左のアドレスをクリック)

 

To all who celebrate today, happy Easter from our family to yours! On this day of rebirth and renewal, let’s recommit to…

Barack Obamaさんの投稿 2019年4月21日日曜日

 

Marian Lois Robinson (née Shields; born July 29, 1937) is the mother of Michelle Obama, former First Lady of the United States, and Craig Robinson, a basketball executive, and the mother-in-law of former U.S. President Barack Obama.

ナターシャ・オバマ

マリア・アン・オバマ
Malia
Sasha

Malia Obama and Sasha Obama
Barack and Michelle Obama have two daughters: Malia Ann (/məˈliːə/), born July 4, 1998,[19][20] and Natasha (known as Sasha /ˈsɑːʃə/), born on June 10, 2001.[21] They were both delivered at University of Chicago Medical Center by their parents’ friend and physician Anita Blanchard.[22] Sasha was the youngest child to reside in the White House since John F. Kennedy Jr. arrived as an infant in 1961.[23] In 2014, Malia and Sasha were named two of “The 25 Most Influential Teens of 2014” by Time magazine.[24]

Michelle LaVaughn Robinson Obama (née Robinson; born January 17, 1964) is an American lawyer, university administrator, and writer, who was the first lady of the United States from 2009 to 2017. She is married to the 44th President of the United States, Barack Obama, and she was the first African American First Lady of the United States.

写真・芸術とは何か。
報道写真
絵画で言う写実写真(風景写真・人物写真)
前衛写真(簡単に言えば抽象的写真)
本格加工写真(最たるものはITを駆使した)写真。
その他

写実でも、さらに、哲学が土台にある。
風景では
土門拳→
植田正治→
緑川洋一→

人物もいろいろあろうが、私は人物は原則としてしていないためユージンスミスのみを紹介。
ユージンスミス→

なお、私は写真家(Photographer)に非ず。それは、私が世界の歌を主催していても、私を音楽専門家と誰もが思わぬのと同様である。
『旅に心を求めて』シリーズで、当初は文章(テーマ)、イラスト図(私がワープロ専用ソフトで1980年代に作成)、優れた写真(他人が撮影)、実用的英会話…などから作成していた。当初はテーマ以外ではイラスト地図などを売り物としていた。

最初は、学内教材であったため問題はなかったが、やがて、出版を意識した。すると、著作権問題が生じてきた。イラスト地図は自作であるが写真は他人のを使用していた。当然、著作権・版権問題に出くわす。
そこで、やむなく、写真を自分で撮影に切り替えただけである。

やがて、不可思議な交通事故で車を奪われて、弱る。金欠はさらに進む。その頃、地元写真サークルなどで誘いを受けた。楽しかったし、参考にもなったが、ここで更に誤解を生んだ。私は写真を撮るのが目的とか趣味という。

本来、私が入るべきサークルは写真・カメラではなく、歴史サークル、地歴サークル、鑑真和上関連サークルなどである。そのサークルでフィールドワークをしても当然撮影はする。というよりは撮らなければならない。

ところが、私を写真専門家と誰かが勘違いをしたため、再度の被害に遭遇する。それらはテーマをそれるため、今回のテーマだけを記す。
こうした勘違い連続と、催眠誘導被害連続で参っている中で、下記、セレマの写真を見た。写真的にも優れている。哲学、さらに技術、…と。
同時に、この写真の中に、私の目的を人が勘違いさせる原因があった。

『旅に心を求めて』を完璧にするため画像に凝る。だが、本質は違う。黒澤明が『酔いどれ天使』の際には、本質はテーマであるが、映像美や音楽にも拘ったのと同様である。挿入されている歌の『ジャングルブキ』は黒澤明自身が作詞をした。だが、黒澤明は音楽家ではない。同時にカメラマンでも画家でもない。

チャップリンは『ライムライト』では作曲もしたし、バイオリンも自分で弾いた。だが、チャップリンは音楽家ではない。映画『サーカス』では自分で綱渡りをした。だが、彼は曲芸師ではない。映画『独裁者』では、原稿をノーベル賞作家(スタインベック・※1)に依頼したが満足せず、自分で原稿を書いた。だが、彼は文学者ではない。ちなみに、チャップリンは貧困のせいで、中学校時代までは英語の読み書きはできなかったはずである。
だが、ノーベル賞作家をしのぐ文章を書いた。

チャップリンや黒澤明は必要に駆られて、やむなく、他分野に手を出しただけである。私も同様である。必要に駆られて、やむを得ず、写真にも手を出しただけである。音楽までとなると何をか況んや。私、英語は余りできないが、音楽は余りをぬいて、チンプンカンプンに近い。(もっとも、それが逆によいこともある。正直に「裸の王様」と言えるので。偏見や先入観ににとらわれにくいので)。
それを思い起こしたのが、この写真であった

(※1)ジョン・アーンスト・スタインベック(John Ernst Steinbeck, 1902年2月27日 – 1968年12月20日)は、アメリカの小説家・劇作家。

生涯で27冊の本を出版している。その中には16冊の小説と、6冊のノンフィクション、2冊の短編集が含まれる。
ピューリッツァー賞を受賞した代表作『怒りの葡萄』は75年に渡って売れ続け、1400万冊が販売されている。
作品の多くは、カリフォルニア州中部が舞台になり、中でもサリナス峡谷やコースト・レーンジズ山脈は頻繁に登場する。
1962年にノーベル文学賞を受賞した。


要するに、歴史サークルに所属している人が、セレマからモントゴメリーへの行進資料集めで、セレマの橋に行き、その原稿を作品として仕上げようとした。挿入する写真も人を魅せなければ、作品は売れない。だが、他人撮影では著作権、版権問題がある。そこで、自分で必死に撮った。それが私の本来の道であった。

本質は、作品としての写真ではなく、「セレマからモントゴメリーへの行進」を描く中で、人権問題や、社会正義を問うことであり、同時に霞を食っては生きていけないので、その作品を売るための最大限の努力にある。
そのためには、中心ではなくても挿入する写真も良くなければならない。だが、写真を撮るのが目的ではない。勿論、写真は絵に置き換えることも可能であろう。もし、絵を自分で描けるならば…。だが、私は残り少ない人生の中で、もはや画家と勘違いされる位まで絵の才能を身につけたいとは一切思っていない。すると、やはりカメラ、パソコン、プリンター、各種ソフト…にも精通…。投資予算がが😭、😭を漢字で書けば泣くではなく、無くである。投資予算もなく…である。

記すまでもないが、私は当然、政治家でもない。政治学者(political scientist [scholar] ) に近いときはあっても政治家( Politician )では一切ない。

○https://twitter.com/BarackObama/status/1236310244508254208?s=20

○https://twitter.com/repjohnlewis/status/1236392740717543424?s=20

○HPの最初にセレマ行進関連の写真がある→https://johnlewis.house.gov/

 

Selmaからモントゴメリーへの行進については後日、公式HP時事行進か何かで紹介する。今回は、主題(写真とは何か・芸術論)をそれるため、これに関する映画の紹介(約2分)に留める。

○https://www.youtube.com/watch?v=sdEdaDFex8o