【政経】№98・日本のフィクサーME・パート2:付録編・2013年世界の情勢と私・1

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気が向けば一言【政経】№98・日本のフィクサーME・パート2:付録編・2013年世界の情勢と私・1

この後は、『日本のフィクサーME・パート2付録編』の一部として、気が向けば一言に、断片的に記載。一定まとまった段階で、微修正や追記などをして公式ブログに掲載しなおすかもしれない。

▽最終更新 2018/09/20 12:28 (大幅追記など)

2012年11月27日、私の母が死亡。
それにあわせるべく
2012年末から2013年にかけて世界は動く。日本も動く。

2012年11月アメリカ大統領選挙でオバマ再選。
2012年12月26日、第二次安倍内閣成立。
2013年1月20日オバマ大統領、連続就任。
2013年2月1日、クリントン国務長官が4年間の任期を終えて正式に退任。そしてケリーが登場してくる。私が、オバマ大統領のみか、バイデン副大統領、ケリー新国務長官にも、大変親近感を抱くことになるのも2013年からである。誤解なきように言えば、ヒラリー、ミスタークリントにも親近感を抱いている。

2013年2月25日 韓国大統領就任式。朴槿恵が同国初の女性大統領として就任。
2013年3月14日 習近平第七代国家主席
……
日本と深い関係のある国で、新首脳が相次いで登場する。
日本では民主党政権から自民党政権へ、韓国では朴槿恵氏が大統領に、中国では習近平氏が国家主席に。アメリカではオバマ第二次政権が発足する。

ちなみに、2012年3月4日はプーチンが、4月11日には金正恩氏が労働党第一書記に就任している。


私の訪中は2012年12月予定であったが、母の死亡により、この激動の2013年5月となる。

当時の世界の首脳について記しておこう。
2013年当時、韓国の朴槿恵大統領に世界が注目をした。中国新指導部も深く関心を示した。アメリカも注目した。
朴槿恵氏のスタートは世界の注目の的であった。
他方、2012年末日本では安倍第二次内閣が登場するが、2012年総裁選挙をみれば分かるように、自民党の主導争いで辛(から)くも自民党総裁となった。

世界は朴槿恵氏をヒロインの如(ごと)く形で見、他方安倍氏をヒールの如く形で警戒していた頃である。

以下、2018/09/20 0:44


中国は朴槿恵氏を手厚くもてなし、本来は海外の英雄と呼ばれる人の記念館などは中国国内での設置は許可しない場合が多いにも拘(かか)わらず、安重根記念碑、私の訪韓の後には更には安重根記念館まで設置した。

アメリカでも、オバマ大統領は日本では余り食事をしなかったのに(寿司屋)、韓国ではもりもり食べたなどの噂が流れた。
アメリカ議会の演説でも、朴槿恵氏の演説は好意をもって受け入れられていた。
現在の文在寅大統領のスタートとは逆の雰囲気を感じさせた。

韓国、中国では恰(あたか)も、反日包囲網ができるのではないかという雰囲気すらあった。
安倍晋三氏(日本)と朴槿恵氏(韓国大統領)の関係は表面上は冷え切って見えた。正確には、朴槿恵氏が冷え切って見せさせた。

オバマ大統領(当時)は日韓の関係がこれではと、困ってたようにも見受けた。
しかし、私はその光景を見て首をかしげていた。
随所に記したように、朴槿恵氏の父は朴正熙である。彼は日本陸軍士官学校を主席(人によれば三番)で卒業したと言われている。また安倍晋三氏の祖父・岸信介氏と大変懇意な関係にあった。
一説では、朴槿恵氏の父親・朴正熙が暗殺されたとき、岸信介は朴正熙の娘(朴槿恵氏と彼女の妹、多分、槿暎(槿令)氏)だけは引き取り、自分の孫(安倍晋三氏も含む)と結婚させようかと考えていたと言われる。

また、ベトナム戦争の頃に、韓国が大軍隊をベトナムに派遣し、様々な問題を起こしたと言われているが謝罪などは絶対に「No(ノー)」という立場であった。

父と娘の性格は違うことは承知なれども、その問題を抜きにしても、どうして安倍氏と仲が悪いのか理解できなかった。おまけに、安倍氏は、自民党幹事長時代の2004年9月に公明党の冬柴鉄三幹事長(当時)とともにソウルを訪問し、野党ハンナラ党の党首だった朴氏と会談に行ってもいた。更に、性格も一部似た面があった。

(参考)日本のフィクサー〝ME〟続編メモ (七)・4・不可思議な政治の動き⊿http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=17991

日本のフィクサー〝ME〟続編メモ (七)・4・不可思議な政治の動き

 


では、あの仲の悪さは何なのか?
演技か本当なのか?
本当は、あの二人は仲が良いのでは、と。
様々な情報が国内でとびかった。

面白いことに、幾ら無視されても、安倍氏は朴槿恵氏の御機嫌をとっていたようにみえた。他方、文在寅大統領は、日本との会談については、「会うことは当然のこと」との立場に見える。だが、安倍氏が今度は、文在寅大統領には疎遠の態度か振りをしている。

ともかく、私は朴槿恵氏の性格が分からなかった。ただ、私は朴槿恵氏を韓国民の代表として接することに徹した。だから朴槿恵氏が大統領の間は一度も朴槿恵氏の批判をしたことはない。助け船はだしたと思うが。
しかも、朴槿恵氏は韓国民の代表・シンボルである。そこで、幾ら盧武鉉を心の友と呼んでも、朴槿恵氏には韓国民の代表者、韓国のシンボルとみて接した。

次回に続く
次回は、訪韓に際して何故カメラ器財を狙われたのかを検討する。その前に、訪中について少し語らねばならない。何故ならば、訪中が原因か何かで、韓国の従軍慰安婦問題などで、私の動きを封じる動きがでてきた。そこで、訪韓の前に訪中も記すことにする。

2018年9月19日 | カテゴリー :