【徒然・私的方針】№37―結婚式で、私が宿代・交通費をほしがっている?たわけたことを!

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気が向けば戯言【徒然・私的方針】№37―結婚式で、私が宿代・交通費をほしがっている?たわけたことを!

 

私的ブログ・誹謗中傷ブログと(ブログ整理の関係で)併行掲載。(「結婚式の招待では費用負担を私が求めているという」)誹謗(ひぼう)中傷について。気が向けば戯言の方が色文字があり読みやすい。

誹謗中傷・選定前トラブルブログ―結婚式で、私が宿代・交通費をほしがっている?たわけたことを!




駿台講師時代は、現在の如く奴隷の身ではなく、当然自活している。招待されれば行くか・行かないかは私の判断であった

 

後に、我が家へ監禁され、母から渡される金での奴隷状態となった。

母が「おまえいけ」といい、招待され式に行く金をだせば、行けるし、ださねば行けない。「今、少し金があるだろう」、と言われても、既に写真代金の支払いや、医療費などもある。勿論、私の労働力商品再生産費用などもいる。

結論から言おう。
今は、間もなくつきるが、母の遺産でいける。2~3年後は招待されても行けない。

母生前中は母が出すと言えば行けるし、出さないと言えば行けない。
母も金欠である。自分が行こうと思えば、「おまえ(私のこと)行くな」。
自分が行けないときは「おまえ行け」である。
そうでないと二人分の交通費や祝い金(ご祝儀)がいる。
という単純なことであった。


要するに、私の貧困の原因は私の能力問題ではなく、現時点では年齢でもなく、職業選択の自由・経済の自由を剥奪されていることにある。更に人身の自由をも剥奪されている。まさに奴隷状態である。奴隷の主が全てを支配する。


大昔、私の「日本のフィクサー・〝ME〟」登場のモデル・布袋(ほてい)さんなる人間がいた。(実存の人物である。)

彼の結婚式では、私用に超一流ホテルを結婚式の前夜から豪華な食事二食付きで二泊とってあり、更に祝い金を渡す前に、相手がさきに御礼と記した金袋を渡してきた。しかも、昼食などは結婚式そっちのけで、彼がホテル付近のレストランに案内して食事をよばれたと思う。

では、金がなくても、他の人がこうすれば行けるか。
確かに行ける。
ローソンで強盗しなくても行ける。


では、親戚関係などでも、それを望むか。

「たわけもの」。
反論も馬鹿馬鹿しい、あほの言動。
親戚関係でも金の面では、ローソン強盗や我が家のめぼしいものを質入れしなくても行けるようになる。
だが、親戚関係はグラデーションである。

例えば、従兄弟Aの結婚式ではAがそうしたとしよう。
だが、従兄弟Bはそれを知らない。
するとどうなるか。
行けないと言えば薄情となる。
かと言って金の件を話せばトラブルとなる。

こんなあほな状態では、相手が金を出すと言っても(相手が友人同様のことを言っても)、金がないときは断る(行かない)に決まっている。
では友人は。
友人は二つの意味で違う面がある。

一つは、友人はカテゴリーが幾つもある。小学校のときの友人、中学校のときの親友。高校のときの親友。大学のときの親友。大学院のときの親友。東京時代の飲み屋の仲間。…。


カテゴリーが違えば波及問題やグラデーション問題は起こらないため、親戚関係とは若干異なる。
しかし、風評被害その他から断ることが望ましい。

だが、友人関係にはもう一つの側面がある。
親戚や田舎の人間とは器が違う、田舎の人間が見たこともないタイプがいる。
器の大きさではない。
器の種類である。
陶器と、漆器の比較のようなものである。


具体的に記そう。
先の友人・Tさんは、拙著「日本のフィクサーME」に登場する布袋(ほてい)さんのモデルである。
そこで、ここでも布袋(ほてい)さんと記そう。なお、彼の人物像は『日本のフィクサーME』を読めば分かるであろう。


我が家界隈(かいわい)の人間が見たことのないタイプである。
一例だけ記そう。


彼は、私や、『同上書』に登場する博士のモデルなる人物Bさんと行動するときに、自分が全てをしきりたがるときがある。

人が想像つかぬ店に招待したり、行動したりするときである。
そうしたときには、彼は全ての料金を自分が支払いたがる。
それが彼の快感である。

更に具体的な話をしよう。
彼は松江に住んでいた。
私はフィールドワークなどで松江に行く。
だが、彼と合流すると、全て彼の立てた計画に付き合わされる。
金も彼が支払いたがる。

拙著『旅に心を求めて―教材編』にも記しているが、松江にフィールドワークに行ったときのことである。
彼が「ねぇ、浜田さん、一つ今日は僕の親戚の家の別荘に泊まらない」(〝さん〟漬けではあるが、年齢は彼の方が少し上である。)


別荘。一度そうした物を見てみるのもよかろう。ではフィールドワークの計画を一部変更しようか。こうして、彼のお供をし、彼の親戚の家に行った。

彼の親戚の小父さんを紹介され、いよいよ別荘にいくことになった。
彼、ここでは、私の文献での偽名(布袋さん)を私用することにしよう。
布袋さんが言う。
「別荘に行く前に、少しもってもらいたいものがある」
何かと思えば小父さんが布団をだしてきた。

これをかついで昇るという。
昇るとは山の上である。

別荘(どちらかと言えば掘っ立て小屋よりましか)に着く。
さて、三人で時間を潰している内に、夜が更けてきた。私が本を読みたいので、布袋さんに尋ねた。
「電気つけて。」
布袋さん「電気、そんなものない」
私「?」

蝋燭(ろうそく)かランタンかをつけて本は読めないが灯(あか)りはついた。
やがて食事のため、彼に言った。
私「手を洗いたいんだけど」
布袋さん「ここには、水道もないし、水もない」

やがて、トイレに行きたくなった。
私「トイレに行きたいんだけど」
布袋さん「外でして」

それはなれたものである。喜んで外でした。多分トイレがいっぱいになったら困るので、立ちションをしてくれということであろう。

時間が経(た)ち、今度は大便がしたくなった。
私「ちょっと悪いけど、今度は、おしっこではなく大便がしたくなった」
布袋さん「さっきいったでしょ。外でして」


私「外のどこにトイレがあるの」
布袋さん「トイレそんなものない」
私「では、公園とか公衆とかが近くにあるの」
布袋さん「来たときに見ればわかるでしょう。そんなものこの近くにあるわけないじゃない」

私「でも、外でしてといっても、人が踏んだりしたらどうするの」
布袋さん「え!浜田さん!外での大便の仕方を知らないの…」
これ以降は拙著『日本のフィクサーME』か『旅に心を求めて―教材編』(出雲街道を行く)を御覧いただきたい。

私はこのときに思った。
布袋さんは東大法学部を卒業したそうである。
私は東大とか、京大…などの肩書は無視する人間であり、能力も、学歴では評価しない。
しかし、このときだけは、大便の仕方を聞いて痛く感心をした。
東大法学部はすごい。
こうしたことを一般教養で教えているのか。
このときだけは東大法学部の教養授業に感心をした次第である。
(その方法は、後日、どこかで記そう。)


彼との思い出は多数あるが、我が家関係の視線や近所の人間とは器の種類が違うということである。
しかも、グラデーション問題・波及問題も、関学友人、早大友人にも起こらない。
彼は、大学や大学院ではなく、飲み屋で知り合った人間だからである。
そして、そうした接待類は彼の十八番であり、彼の喜びなのである
このことは当時の三人組(私、布袋さん、博士)にしか分からない。ひょっとすると明神君(これも実存する、現在は弁護士をしている人間である)も知っているかもしれない。
多くの例をだせば良いのであるが、字数の関係でここまでとする。

彼と同じことを親戚や近所に望むはずもないし、誰も真似(まね)はできない。
では彼がすごいか。一長一短である。


金がなければ結婚式に呼ばれても行けない。泥棒するか、就職活動類を断念しない限り。しかし、相手が金を出すと言っても、波及問題などから、通常は辞退する。
だが、波及のない場の知人の場合は別の場合もある。更に、布袋さんの場合はそうした接待が趣味なのである。
その代わり、彼と出会うと、私の計画は無残な形で潰される。

そこで、重要なフィールドワークで松江にいくときにはときどき彼には連絡しないこともあった。

要するに、自分の世界で他の人間の世界を見てはならない。
人それぞれというけれども、世界には、自分が見たことのないタイプの人間がいるのである。
そして、私の取った行動は彼と私の間ではうまくいく。しかし、同じことを親戚類や他の友人類と行えばトラブルだらけとなるであろう。

いずれ彼の思い出だけをどこかで記すことにしよう。
なお、博士のモデルも、布袋さんとはタイプが違うが、過去、私が見たことのない人間である。今でも博士のようなタイプには出会わない。

「智に働けば角が立つ。情に棹せば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角にこの世は住みにくい。」(夏目漱石・草枕より。)
(世間の人とつきあうときには、頭のいいところが見えすぎると嫌われる。あまりにも情が深いとそれに流されてしまう。また自分の意見を強く押し出すと、衝突することも多く世間を狭くする。人づきあいというのは、智と情と意地のバランスを上手にとらなければならず、なかなか困難なことだ、というのである。)


これは田舎に住んでいるとまさにその通りである。
だが、拙著『日本のフィクサーME』に登場する、布袋さん、博士、明神君のモデルとなった三人は違っていた。
「智に働けば」に関しては三人とも「素晴らしい」と言う、「情に託せば」に関しては博士はにっこりとし、明神君は「そうじゃないと駄目だよ」と言うが、布袋さんはシニカルな含み笑いをする。

 「意地を通せば」は布袋さんはときには必要だよと言い、明神君は結果はともかく、そうならないよう努力をしようとし、博士はその点では仙人なみである。ただし、私を入れ四人とも、世間一般の社会では、「兎角にこの世は住みにくい」で一致をしている。


いずれ、この文章は修正し、読みやすくした後で、公式ブログ「徒然(つれづれ)なるままに」に収録予定でいる。山小屋(別荘)の件は拙著『旅に心を求めて―教材編』の「出雲街道を行く」に掲載している(まだ発売前)。

親戚・近所では御法度のことでも、波及問題などがない場で、しかも変人同士で、それが双方の最高善であることが幾つもある。先の結婚式招待の件も同様である。
要するに、布袋さんと私の問題は、風評を立てている人などには他人の問題であり、関わらないという原則が重要である。これをエチケットという。いろいろな人がいるのだから。
世の中は広いのです。

 それが我が家に監禁され、人生を失ったとしか思えない。自分の能力も封じられて。三十年以上も。