【写真】No.267(湯郷)「晴天青空は写真撮影に良いか悪いか」―👧デマ防止兼用

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気が向けば一言【写真】No.267(湯郷)「晴天青空は写真撮影に良いか悪いか」―👧デマ防止兼用

 


2021/11/17 3:06 下書掲載

2021/11/17 13:07 (微修正と追記をして)正式公開。 13:26 写真の順番変更。13:32 蘇州の写真を入替。

 


 

2021年11月5日のことである。
故郷の湯郷温泉(岡山県美作市湯郷)で神社を写していると、🚺女性が声をかけてきた。

📷(写真)はいずれも、クリック一度でパソコン画面大、二度で巨大。

(湯郷温泉)21-033-072 11-05_114011


🚺
「こんにちは。
今日はきれいな青空ですね。
何を撮っていらっしゃるのですか。」

(湯郷温泉)21-033-073 11-05_114018


🤡(ME=私)
「こんにちは。
神社を撮っています。
青空は人間が喜ぶだけであり、必ずしも、写真にはむいていないのです。
花を見てください。
花は、晴天続きでは参ってしまいます。
生け花を考えればわかるでしょう。
生け花に水をやらないとどうなるでしょうか。」

(湯郷温泉)21-033-063 11-05_113232


🚺:「なるほど。そういえばそうですね」

🤡:「青空晴天は人間が気持ちよいというだけで、写真には向いていないのです。
写真などは、人間が嫌がる天気や自然が一番よいのです。
夕日でもそうです。
空が汚れていないときは夕日はでないのです。」

🚺:「夕日は綺麗(きれい)ですね」

🤡「夕日は、空がきれいなときはでないのです。
空にチリやゴミが散らばっているから、それに光が反射して、夕日となるのです。
青空晴天は、人間だけが気持ち良いだけなのです。
撮影は真逆(まぎゃく)であり、人間が一番嫌なときが一番よいのです。」(会話時間、後日、音声朗読で測定=約1分20秒。)

(湯郷温泉)21-033-078 11-05_114427



見ると、🚺(女性)はリヤカーをおしており、忙しそうであった。
つい、うっかりと昔の癖でしゃべってしまった。
昔の癖とは、各地で、カメラをしている人と出会うと、見知らぬ人であっても斯様(かよう)な会話をときどきしていたからである。
しかし、今回は女性で、しかもカメラに興味のない人である。
さらにリヤカーをおしており、後で邪魔をしたかと思った。
それ以上に、最近はデマ続きのため、余分な会話をせねば良かったとふと思った
と言うのも、このときは周りに人がいなかったからである。
ここ十年以上は、どのようなデマがとぶか分からない状態となっている
周りに人がいないときには女性とは余り話はしない方が無難である。
このときも、後でまたどのようなデマが飛ぶかと気になった

(湯郷温泉)21-033-090 11-05_114948


考え過ぎではない。
Xなるグループか何かが、各種デマを拡散しているのである。
彼らが何を目的でそのようなデマを飛ばしているのかは不明である。
亡き友人は人間違い(ひとまちがい)が原因と言っていた。
駿台講師時代(1982~1987年)の一番授業妨害が多いときでは、上記の会話などするとどのくらいデマを言われたであろうか。
もっとも、駿台講師時代の駿台職員女性とは人前でしか会話はしていない。
人のいない場所では会話は一切していない。
だが、人前と言えども、1984年後半~87年に上記の会話などを1~2分でもしようものならば大変な目に遭(あ)っていたであろう。

なお、このときはこの後ですぐ男性がきた。
しかし、それでも、どのようなデマが飛ぶかは不明である。
これらは計画的になされている謀略型デマだからである。
先にデマを飛ばすという結論があり、その後で適当に…である。
遠い昔の話と言いたいが、40年近くたった今でも尾を引いている謎がある。


この話は後日するとして、青空晴天の写真は難(むずか)しいことは事実である。
絵画を見るがよい。
晴天青空雲一つなしの名画があるだろうか。
写真も同様である。
写真でも大雨の日、台風の日、雪の日、雷の日、未明、早朝、夕方、深夜…などは写真になりやすい。
だが、晴天青空雲一つなしは大変難しい。
空に模様がないのだから。
その上、花は、水がなく、「ヒーヒー」と泣いている。


晴天青空で気持ちが良いのは人間だけである。
それと人間の友の動物類のみである。
花見とてそうである。
雨が全く降らないと、桜の花びらも元気がなくなってくる。
その上、花見のござ類は桜の木の根を傷(いた)める。
桜は「人がくるな、人がくるな」と言っている。
ときには「水、水、水…」と叫んでいる。

だが、絵はがきやツアー会社の綺麗(きれい)な写真では晴天青空が多いではないか。
それは、先に述べた如(ごと)く、晴天青空は人間は気持ちがよい。
だから、その絵はがきを見て、人が外にでたり、旅行に行きたくなったりするからである。客を釣(つ)るための写真だからである。

2013年に私が訪中したときには、蘇州は雨続きであった。
上海は晴天続きであった。
結果は蘇州に軍配であった。

(2013年蘇州にて)13-025-016


同時に写真は観念論である
人間の頭で描いたものに、如何(いか)に被写体を近づけるかである。
晴天青空は詐欺師でもある。
何を撮っても、綺麗(きれい)と錯覚するため、人間の頭を使わずに撮りまくることになる。
写真は頭で撮るものである。
その頭を使わないですむと錯覚させられるのだから、オリジナリティの強い作品は無理である。


こうした話の続きを、別の場所で独り言で言った。
11月15日に岡山県赤磐(あかいわ)市周匝(すさい)に向かった。
この日の出発前は空は白でしらけていた。
天気もモヤが多かった。
だから良いのである。
実験をしてみた。
霧ではないが、モヤのような物を空気に感じたので撮った写真が下記である。
写真論 芸術論はまたどこかで記そう。

(岡山県美咲町)2021年11月15日。📷No.21-037-009



「つい、うっかりと昔の癖(くせ)でしゃべってしまった」の箇所を解説する。
昔の癖とは、各地で、カメラをしている人と出会うと、見知らぬ人であっても結構話があうときがある。
例えば、1996年の阿蘇山の話である。
🚹「何を撮っていますか」
🤡「阿蘇山界隈(かいわい)です。
ただ、テレ系ではレンズがよくないので解像が悪いです」
🚹「長いレンズを一本持った方がよいですよ」と見知らぬ人がアドバイスをしてきた。
長いレンズとは超望遠レンズである。それも単焦点のレンズであり、純正では大体1本百万円以上する。
🤡「私は金がないので無理です」と言うと。
🚹「いや、金がなくても、誰も無理して持っているのですよ。一本だけでも持った方がいいですよ」と言っていた。

長いレンズとはニコンならば400( f2.8)、500( f4)、600 (f4)などである。レンズ一本の価格が百万円を超えるのみか、昔は、一本4kg~6kgの重さがあるレンズなどである。

斯様(かよう)な会話をときどきしていたからである。
大阪でも、2013年頃か知らぬ🚹男性が…「そのカメラD800ですね。つかってどうですか」
🤡「待ちに待ったカメラでよくつくられています」
🚹「ピントの精度が気になりませんか」

レンズ論議まで話は進むことが多かった。
🚹「中望遠で(旧タイプ)300 (f4)はどうですか。軽いし、意外とよいですよ…」
などである。


まだまだあるが、「何を撮っていますか」だけならば会話は挨拶(あいさつ)程度となるが、「綺麗(きれい)な青空なので良い写真が撮れる」という雰囲気の言動を聞くとつい写真論議となった次第である。
それでも別に大したことはないのであるが、誰かが、斯様(かよう)な言動でも、デマを飛ばし続けているからである。
駿台講師時代以前は、そのようなことは皆無であった。
不思議な話である。
亡き友は人間違いが原因危害で…と言った。
今回は、謀略防止と、写真論議を一言として記した。
同時に、腐れ縁で、故郷界隈の湯郷温泉のCMもしておいた。

(湯郷温泉)21-033-060 11-05_113042