【村・⚔】№238・村でちんぷんかんぷん出来事や事件が相次ぐ―今回はアホらしい柿の話?

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気が向けば一言【⚔村】№238・村でちんぷんかんぷん出来事や事件が相次ぐ―今回はアホらしい柿の話?


【掲載履歴】2021/04/13 17:10 掲載

17:14 レイアウト修正 17:22追記。 17:40微修正 17:42微修正

 



🚺従兄弟(いとこ)Aが言う。
🚺A「柿は懐(なつ)かしいし、…」
🤡(私):右の👂(耳)から左の👂
🚺A「隆政、柿は高いで」
🤡「ふ~ん」😪
🚺A「買ったら高いのよ」
🤡「あ、そう」😴


その他、柿に関する挑発が何故(なぜ)か多い。
我が家にも柿の木があるが、誰かが小細工をしたか、早く熟したり、柔らかくなったりの年が突然でてきたり…と後に不可思議なことが起こりだす。🤡は柔らかい柿は好きではない。
同時に、柿は皮をむかねばならぬので…我が家にあっても面倒で食べないことが多い。



とにかく、柿に関する挑発が多いよう。
🤡「なんだろうか」
ともかく、面倒なので一々つまらぬことに関わっている暇はない。


空き地にも柿がある。村の土地である。
近所のK小母(おば)さんが柿くらいどこにでもあるよ、というふう。


近所のBさん(男性)も、「隆政、柿がなっているからはやくとれ…」
母が家の中で「ほっとけば落ちるのでほっとけ」


そう、我が村では柿の木は溢(あふ)れている。我が家にも柿の木はある。
そして柿がなれば、母は余り食べぬ上に、私も面倒でたべない年が多い。
するとカラスが喜び、柿が熟した頃、カラスが柿をつつく。
そのときは母が、カラスが来たら困るので、柿を落としてしまえ、と。
ちなみに、我が家の裏にも(我が家所有の)柿の木があるが、食べたことがないので、甘いのか渋いのか知らない。その柿の木の近くの家に、適当に食べてと言ったが食べた様子もない。



ふとあるときに、誰かが、私が柿を無断で盗(と)ったという印象操作。
馬鹿馬鹿しい、我が家の柿があるのにと、まさかと思いとりあわず。
要するに「ちんぷんかんぷん」が長く続く。


あるときに、近所のCさん(男性)が、私とZ家の小母さんの会話を暗に示唆した。
それはずっと昔のことである。
Z家の(私よりも一才年上で、身長・体重がほぼ一緒の)息子さんが家に戻り、Z家で生活する以前の話である。


〈昔昔…と言っても2000年代中頃だろうかの話〉
🤡は裏の世界では各種諮問を受け続けていた。
「皇室典範…」改正ついての見解を、…女性天皇、女系天皇…は、「竹島(独島)」解決への提言を…。後には尖閣問題での提言を…と。
スポーツ界その他の分野でも各種諮問を受けていた。
おまけに、表の世界では老後破綻対策としての再就職問題、さらには(労基法違反の大被害を受けた)雇用能力開発機構との闘争問題もある。

超多忙というものではない。
それに加えて母が2005年頃から病気三昧(ざんまい)に近くなり、我が家の畑の草取りや墓掃除なども付け加わってきた。後には我が家の掃除、母の面倒…と。

そうした中で畑の草取りをいそいでしていた。早く終わらせて、家に戻り、原稿や(将来のための)基礎学習に専念せねば…焦りに焦っていた。
母が入院中か姉の家に行っていたかで留守のある日のことである。

草取りをいそげ、草取りをいそげ、…早く終わらせて次に、本職の原稿などを書かねば……。
すると、近所のZ家の小母さんが、「隆政ちゃん、隆政ちゃん、ちょっとこっちにおいで」。 もはや、裏の世界では日本のフィクサーMEとなりつつあったが、近所では、誰もそうしたことは知らず素朴なタカちゃんである。ときには、私が小学校頃のままの状態にあるのと錯覚をしている人も多い。


本題に戻ろう。
超忙しいのであるが、Z家の小母さんが呼ぶならば、行かねばならない。
Z家の裏に行くと、小母さんが言う。
「タカちゃん、柿をとってちょうだい。我が家に息子(この家は三人の息子さんがおり、このときは真ん中の息子)Sが帰ってくるので、息子に柿を持って帰らそうと思うのでとってちょうだい…」と。

私こと🤡は思ってはいけないことを心の中で思った。
私は超多忙なので、息子さんが家に戻り、柿を持って帰るならば、私ではなく息子さんに頼んだら…と。しかし、それは言ってはなりません。思ってもなりません。ごめんなさい。今なら何で私が「ごめんなさい」なのとなる。当時の話である。

ということで、私がZ家の柿をさおで取る作業を開始した。
「えんやこら、エンヤコラ」と。
すると、Z家の小母さんがい一言いった。
「タカマサちゃんは柿を取るのが下手だね」
私は斯様(かよう)な発言は慣れているため、怒りはしない。愚直(ぐちょく)のため、さらに、柿をとり続けた。

すると、Z家のおばさんが更に言った。
「タカマサちゃんな、柿はこうやってとるので、ちょっとサオを貸して」
そして、小母さんが自分でとった。
正直な私は思った。これはうまい。
確かに、私よりも小母さんの方が取り方がうまい。
その後で、正直すぎる私は心の中で思った。
「私よりもとるのが上手(うま)い。それではどうして自分でとらないのだろうか。私は超多忙なのに…」と
いえいえ思ってはなりません。少なくとも思っても言ってはなりません。
はい、我慢(がまん)して言いませんでした。
「オバさんは本当にとるのがうまいですね」だけいいました。
小母さんはほめられて喜んでいるようでした。


取りあえず、終わった。さあ家に戻り畑の続きを。若しくは、もう今日は畑はやめて、家で原稿をだろうか。
ところが、小母さんが、袋に柿を幾つかいれて、持って帰れという。
私は丁寧(ていねい)に断った。
理由は二つある。我が家の柿の木にも柿がある
我が家のが食べられなくなると、カラスがまたくる。
もう一つは、私は固い柿しか食べない
ジワジワしたのは嫌いである。
だから、プリンもヨーグルトも食べなかった。

2018年頃抜歯をしたときに食事の関係で、無理をしてブルーベリーヨーグルトを食べた。おいしかった。それからヨーグルトは食べ始めたが、それでもブルーベリーヨーグルトだけである。
柿の熟したのは未(いま)だに駄目である。
しかし、このときの辞退理由は我が家にも柿があり、その処理問題が先決であった。
そこで丁寧に再度辞退した。

すると小母さんが「▽さん(私の母)が食べるでしょう。持って帰りなさい」ときた。
再度、「我が家には柿があるし、その処理があるので、持って帰っても仕方ないのです」とお断りをした
だが、小母さんもほぼ強引に「そんなことはない。▽さんが食べるので持って帰りなさい」でやむなく家に。


私は、我が家の柿があるし、第一、さほどか余り柿はすきではない。そこで、母が家に戻ったときに母に食べてくれと言った。
母は言った。
「我が家のがあるし、…。それならば冷蔵庫にいれておけ…」
そうか、後に母が食べてくれるか。
……
ところが母がなかなか食べない。すると柿はどんどんやわらかくなっていく。私はこの域になると金を貰(もら)っても食べない。
だが、畑に捨てるとZ家への嫌がらせと思われる。
どうしたものか。


さらに冷蔵庫に入れていると異臭がしだした。異臭ではなく、熟した臭いであろうか。もつと崩れていて手にべったりと柿がつく。もう仕方がないので、レジ袋などに入れて、燃えるゴミの日に出すことにした。(一部は真夜中に畑に穴を掘って埋めたかもしれない。昼間はZ家は我が家のすぐ前の家のためできないからである。)


おしまい。
一体、柿がどうかしたのだろうか。
後には、私が柿泥棒…的な印象操作があったが、それは幾ら何でも考え過ぎだろう。何故ならば、我が家に柿があるのだから。
柿が一体どうしたのだろうか。誰も何も教えてくれない。
村では各種嫌がらせがあったが、柿の件は(現時点では)嫌がらせとは言わないが、何のことかサッパリ分からない。
何度も記す「ちんぷんかんぷん」である。こうした「ちんぷんかんぷん」は村に戻ってから急速に増大したが、今考えると、この種の訳の分からぬ件は駿台講師時代から徐々に開始したように思う。


Z家の小母さんについては、何年か後に家で二つの独り言を言った。
小母さんは小父(おじ)さんが死亡してから、話し相手がいなくなり、主として、私の母・叔母・近所のU家の小母さんが話し相手となっていた。ところが、叔母が死亡し、U家の小母さんも遠方の施設か病院にいかれた。すると母だけとなるが、その母が2005年頃から入院を何度かするようになる。

そこで、私に白羽の矢がたったようである。
一つ目の独り言は、長年の一人暮らしで、深層心理で錯覚をしたのではなかろうか、と。即(すなわ)ち、私をZ家の末っ子と深層心理上錯覚をしているのではないか、と。しかも、Z家の末っ子(私よりも一才上で、身長・体重も中学・高校・大学の頃は同一)が幼小の頃が頭に浮かび、同時に、私を見て、末っ子の幼小の頃と錯覚して、私に対応しているのではなかろうか、と。
 そして、ときに我に戻り、…今度は私に様々な攻撃を…。小母さん自身が小母さん自身の深層心理に怒っている…となったのだろうか…。
さらに詳細は必要時に知るそう。


もう一つの独り言は、🔏(鍵)の件その他で限度を超えられると、私も怒る。怒ったときに我が家の庭で独り言を言った。
「私の母は▽である。父は■である。私はZさんの息子ではない。Zさんの息子はZ1さんほか三人である。…勘違いしているのではないか」と(2013年、母の一周忌準備の妨害をされたときなどは我が家の庭で何度もぼやいた)。この件も再度いつか記そう。


Z小母さんは、私にいろいろ難問を持ってこられるときが多かった。私も分からないので💻(パソコン)などで延々と調べて回答した。回答が正しいか正しいように思われると、Z小母さんは表面上は「ありがとう」と言うが、実質は機嫌がわるくなったように見受けられた。そして、今度はどうだ、と、更に難問を持ってこられる。そして(かなり時間をかけて調べて、やっと)回答…この繰り返し。
 ときに、私が回答が分からなく、その趣旨の返答をすると、逆に機嫌がよくなったように思われた。Z家の息子さんが故郷に戻ってこられる2011年頃までこうした状態であった。その後は…今は書くまい。

Z家の小母さんの行動や思考は、心理学者・カウンセラー、警察ならば老人対策課の専門領域であって、私の専門ではない。同時に、私には残りすくない人生ですべきことが山積している。こうした問題解決は、Z家の息子さん三人及びその伴侶や孫がすべきであり、私がすべき事項ではない。(なお、Z家の小母さんは2016年夏死亡したが、村人の何人かは実は生きているという振りをする。それならば尚更、Z家のお子さん夫妻、孫達が活躍をするのが本道であり、私の領域ではない。)

ただし、2008年末前後に、Z小母さんにXか?か…が接触を本格化した疑惑がある。
些細(ささい)か重要か不明であるが、取りあえず、村のトラブル編雑として記載しておく。柿自体はトラブルか否かは、柿がどうしたのか誰も言わぬため「ちんぷんかんぷん」であるが、それ以外のZ家との話(今回は未記載)がトラブル雑編である。

追記
当初は心理学者、カウンセラー、老人問題専門家などの専門領域と思っていたが…今は…別問題も加わり…これ以上のComment(コメント)は今回はすまい。

忙しいならば忙しいと言って断れば良いではないか。後にそれをやりました。そのときはZ小母さんは一瞬顔をくもらせただけですが、後に各種攻撃的になられたように思えました。結果はそうなっています。しかし、親切に対応しても、同一以上の問題があります。

私がZ小母さんに「小母さん元気か。小母さんなつかしい。小母さんがいないと寂しい…」と(少しオーバー気味に)言えば、Z家の家族はどうなるだろうか。勿論、小母さんも長期的にはさらに私に攻撃的になるであろう。心理学者に聞け。その前に、Z家は我が家では一切ない私の方はZ家の住所も名前も一切使ったことはない。私の方は…。