【駿台の話】№195・徒然なるままに、駿台🚺の話と日本型見合い、更には不可思議な挑発について。

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気が向けば一言【駿台の話】№195・徒然なるままに、駿台🚺の話と日本型見合い、更には不可思議な挑発について。


2020/06/21 16:31 下書き状態で公開中。明日でも清書検討。16:33誤字修正

2020/06/22 10:35 丸山和也氏…なども参考メモとして追記。

2020/06/22 15:33 駿台は部長以上は実名記述のため、模試などを担当している部長を実名で。ただし、ここではこの部長に顔が似ている医師という表記で内容とは無関係と思うが念のため実名表記。

2020/06/24 1:06 追記や微修正。該当箇所は紫色で記述。

 


(駿台一号館)
🚺従兄弟(いとこ)が、「手紙では誤解されるから会って言え」、と。
その通り。
だが、会って言うためには会ってほしいと伝えねばならない。
①電話番号は知らない。
②実家も現住所も住所は知らない。今でも知らない。
③名字(a family name)はともかく、名前(a given name)も知らない。→だから催眠でも無理と思うや、突如、駿台にあった物差しにNMさんのフルネームが書いてあった。
③駿台では人前でしか会話はできない。教員と事務員が二人きりにはなれない。
④各部屋にはモニターがあるとも聞いている。
⑤新年会、忘年会は職員は職員、教員は教員と分離されている。
⑥職員の下校は当時は男女雇用均等法前のため、一般に帰宅時間がくると集団下校。当時、帰りをまってみると、集団ででてきたため断念したのを覚えている。尤(もっと)もNMさんの顔の確認まではしていないが。

だから、一度会ってほしいということを手紙の手渡しで伝えようとした。勿論(もちろん)、人がいるため通常は無理に近いが、何故(なぜ)か、その日に限り、講師室の横の小さな部屋が食事時に私一人であった。しかし、その部屋と講師室は繋(つな)がっており、ドアはオープンで会話は食事中の教員全員に聞こえる。手紙を手渡すときも「はい、これ」以上は言えない。


(二号館)
二号館GTさん、YKさん…は、職場で口をきいた後は、🤡(私)に万一関心があるならば、…もそれも嘘(うそ)やら本当やら不明である。勿論(もちろん)、彼女らの名前(given name)も知らない。
二号館課長OKさんからは、もし、駿台職員🚺と付き合いたいならば僕を通してください、と助言されている。
しかし、付き合いたいも何も何もしらない。
だから、OK課長を通してすら、見合いの斡旋(あっせん)すら頼むことはできない。
そこで、各種宴会は職員は職員、教員は教員と分離されていたが、男女を問わずに有志だけで教員・職員合同で食事をしませんかが1985年度前期の話であった。実際、🚹OK課長を含めて、🚺既婚者も含めて7人近くまでメンバーが集まっていた。

それでは、こうした食事会をして何が分かるか。
駿台以前に勤務した女子高校で、若い🚺講師でよく会話した国語教師については重要な情報が入った。
STさんとは雑談の途中で「学生結婚して、岡山にくるときには…」で結婚していることが分かった。その後も会話したが、伴侶対象外の同僚としてしか接していない。STさんに聞けば分かろう。東北大学出身であった。聞き取り調査用にここまで情報を開示しておこう。

同様に、駿台二号館で合同食事会をしていればどうなったか。時期は夏休みに入るかその前と想像される。
すると、恐らくGTさんが「私、婚約しました」と、自己紹介の途中で言い、みんなで拍手したであろう。同時に、仕事上、お世話になったということで心持ちの祝いを渡したであろう。ただ、それだけのことである。

二号館は見合い以前の話であった。見合い該当をするとなればOK課長を通して、日本型見合い制度で行っていたであろう。
第一、GTさんも、YKさんも、現住所や電話番号どころか、名前もしらない。
生き方もしらない。


なお、昔は、我が家が大きいため、合同で我が家でもということもあった。ただし、駿台等の場合には、原則として泊まりの場合には複数以上8人未満。日帰りは複数以上30人未満となる。
昔、宝塚保健所で宿直のアルバイトをしていたときには、私は是非、我が家とか我が町と言った覚えがないのに、保健所の職員が職員旅行で「君の田舎なのでY温泉に行ったが、全然よくなかった」と何人もに苦情を言われたこともある。

また、拙著『日本のフィクサーME』登場のお嬢の家(お寺)には、大学先輩TNさんやNTさんが行ったそうであるが、複数以上の場合にはデート類・恋愛類とは無縁である。
我が家にも、高校時代に部落研活動をしていた関係で、姉の男の仲間などもきたことがある。だが、それはデートではない。

みなさんで、田舎の大きな家の我が家へいらっしゃいも、合同で食事会も複数以上の場合には同一である。こそこそする必要はない。男女問題とは無関係である。こうした場合には、印刷機かコピーで同一文書案内文や日程等を村の組合同様に配付する。参考までのコメントである。


(一号館&二号館全体)
日本型見合いシステムで最初に確認するのは、「結婚後も仕事を続けたい。…」と女性が言えば、婦人問題研究部にも所属した私の見解は、「結婚後は家事・育児は共同で」を言っていることを意味すると解釈する。
その逆もある。「結婚後は仕事を辞めて、家事・育児に専念したい」と言う人もいる。実際にそれで見合いを断られたことも多い。要するに、そのためには男性側非常勤講師(=非正規)では困るので、定職を持っているか即座にもたぬ以上、お断りしますという意味である。直(じか)に言われた場合もある。
人によれば、「婿養子」前提と言うひともいる。
……日本型見合いシステムでは、先に、こうした最低限度の条件をクリアした後で、二回目からが初めてのデートとなる。
ただし、私は出自等は絶対に聞かないし、絶対に調査もしない。これは憲法上のみか、人権上からしてはならないと考えている。学歴もどうでもよい(ただし、調査しやすいように、記す場合があるだけである)。人種も同様であり、どうでもよい。

一号館YKさんとは一回目のデート前の見合い該当の話を一度と申し込んだのである。
だが「私には好きな人がおります。先生のご好意(若しくは厚意)にはお応えできません」と返答が手紙できた。しかも、手紙の裏に住所・電話番号も書かれていなかった。
学校では、廊下ですれちがったときに、他人に意味が分からぬ形で一礼して「お騒がせし申し訳ありません」と詫(わ)びた。廊下の横はガラス越しで職員室である。その斜め前は戸が常時開いている講師を室である。当時約五千人の生徒・職員が行き交う廊下ゆえに随時人が通る。


(全体)
ここまで記すとたいしたことはないとなる。
だが、その後でのふかしぎなことが続く。
詳細は拙著『閉じた窓にも日は昇る』(Kindle、Kobo上下各百円、$1)を読んでほしい。更には昨年からHPに掲載している駿台関連の箇所を。
ましてや、こうした問題で、刑事犯罪被害…にまで巻き込まれることはない。更には、私も駿台を辞職し、女性も駿台を辞職した後でもなお、揉(も)め続けることは不可思議以上のものである。それも36年目になろうとしている。
勿論、駿台女性には指一本触れていないし、デート所か学外でも会ったこともない。物差しの偶然のYKさんを除けば、名字は知っていても名前は知らない。
性格も全くしらない。
こんな馬鹿な話が…。

駿台辞職翌年頃からはNM熱も不思議に思っている。1989年頃でも、もう、催眠熱を疑いかけていた。

1989年末、川崎医科大附属病院心療内科に行ったときには、誰かが催眠をかけている疑惑があるので、私に催眠をかけてしらべてほしいと言ったはずである。
すると、担当医師が「私は催眠術をかける能力をもっているが、あなたに必要とは思えないので、今日はしない」と断られた。
このときはNM熱のみならず、不可思議なことが多いので、単刀直入派の私は直に医師に依頼した。

このときの医師が駿台予備学校の、模試などを担当している部長(参考記述・いわさ部長)に顔や雰囲気が似ていた覚えがある。これは偶然にすぎない。
その一か月後くらいから意識が後退し、今考えると躁鬱(そううつ)病の鬱の激しい状態となったため、後にはこの病院で処方された薬を疑った。しかし、この薬は川崎医大経由で岡山の病院で渡されており、さらには、この二つの病院以外の二病院でもチェックしているため、薬ではなかろうが、こうした状況で覚えている。

ともかく、社会科学者として分析すると、拙著『閉じた窓にも日は昇る―付録編』(2016年下書きを終え、清書待ちのままの状態原稿)の如(ごと)く、女性と揉(も)めて駿台辞職ではなく、私を放逐するため、女性などを誰かが絡ませたとしか分析できない。また、記憶をたどると全てに近く、そうなっている。

犯人は映画説、X説という仮説をたてた。一貫して映画説ではあるが、映画説の中でも、何かシナリオがあろうと催眠問答があったころに、数人から人間違い(ひとまちがい)説を示唆され、念のために、人間違いを強調している次第である。

参考までに人権問題を記述しておく。
私は差別反対、人権蹂躙(じんけんじゅうりん)反対運動のために、自分の受験勉強も、就職活動も犠牲にしてきた人間である。大学受験も、受験の一週間前まで部落研究活動をしており、国公立理科系五科目六教科入試を中止し、文系私大とか国公立文系四教科入試に変更し、事実上受験も犠牲にした。就職でも教員採用試験の勉強は事実上できなかった。差別反対運動ため就職も受験も犠牲にした人間に対して、逆の印象を、受験・就職活動を温室栽培状態でしてきた人間が振りまいている疑惑に怒り心頭でもある。逆だろうとなる。
なお、その運動の中でも40年以上前頃から党派・宗派中立であることを再度強調しておく。

なお、西宮市教育委員会嘱託時代に、学校に該当する電話で悪戯(いたずら)電話をしている生徒を叱ったときには、地元の父兄は🙌万歳をした如(ごと)くに喜んだ。そして、余り知らぬ父兄がお歳暮やお中元類を私にもってきた。同時に、彼らは言っていた。「先生、我が家の子が悪いことをしたら殴ってくれ」か「先生、我が家の子が悪いことをしたら遠慮なく叱ってくれ」と言っていた。
当時は嘱託の私に何で父兄が…と思ったが、今、考えると逆差別が広がるのを恐れ、正当な理由があるときには、🙈🙉🙊(見ざる・聞かざる・言わざる)ではなく、叱ってくれることが一番うれしいと言っていたのであろう。親ならば誰でもそう思う。
{ただし、私は暴力は否定派である。生徒に対しても同様である。緊急避難に該当する臨時の正当防衛権を除いての話である。}
ちなみに、この学校では生徒も私になつき、大学院入試準備のため辞職する直前には、この学校の生徒十人くらいをつれて箕面に行ってもいる。

ここも温室育ちか、似非(えせ)民主主義者がデマをとばしている気配を感じている。

もっとも、就職活動となると、新日鉄などを始めとして幾つかの企業から、受験もしていないのに、知人を通して正式職員(企業内の学校の教員)の打診が関学卒業時ですらあったが、当時は正式な学校教員志望のため見向きもしなかった。
早大大学院修了後も幾つかあったようであるが、いずれそれらも紹介しよう。しかし、関学も早大も共に就職課には一度も行っていない。早大は政治学研究科のため、そんなものがあることすら知らなかった。だが、早大院で、しかも同一ゼミ(内田満ゼミ)先輩の寺島実朗氏が早大政治学研究科修士課程修了後に三井物産に就職しているため、どうもあったようである。私はバイトと(よりよき世を目指しての)研究のみの生活であった。高校時代はそれもできずに、部落研究部の活動のみであり、大学時代もそうした社会活動が中心であった。


なお、駿台女性の誰かが、部落解放運動、女性差別反対運動に関心をもっていれば、プラス評価とはなってもその逆は当然、一切ない。当たり前の話である。

ともかく、本日は、草刈り、最低でも木がはえているかどうかのチェックをしたい。そこで、ここまでとする。




《2020/06/22:10:28 奇妙な話の参考メモ》
①NMさん→手紙を手渡した後の、あからさまな奇妙な怯(おび)えの真似(まね)。
②半年後くらいに、FK係長と雑話。
FK係長「NMさんは美形なので、そうしたことには慣れていると思いますので、手紙くらいで怯(おび)えるとはおもえないのですが」とクスクスと笑いながら言われていた。

尚、手紙を手渡した件は一号館、NM氏の上司のYS課長、関西地区最高責任者大滝部長(京都校部長)、二号館OK課長などにも、①のため、伝えた。

①のため、部長に詫(わ)びると、
大滝部長は「手紙…は微笑(ほほえ)ましいことで問題ありません…。問題は授業がきっちりとできているかどうか…」と返答されていた。

OK二号館課長は「浜田先生、もし、駿台女性とお付き合いしたいならば、(今度から)僕を通してください。僕が言ってあげますから」と言われていた。もっとも、これは二号館に限定しての話かもしれない。
万一、二号館の女性と見合いをしたいならば、OK課長に頼んだであろう。だが、京都校在籍中は、そうしたことは決めていなかったため依頼していない。

いずれも京都校時代で、1984年末頃から1985年度の話である。

全体の流れは拙著『閉じた窓にも日は昇る―付録編』(下書き状態で、清書待ち原稿)を読んだ方が分かるであろう。


○○さんに関するメモ。
1983年度から○○さんは駿台に在籍したようであるが、私は顔も名前も一切しらなかった。
それどころか、1983年度は勿論、1984年度も9月までの二号館講師室係の女性は顔も名前も未(いま)だに知らない。覚えていない。
1984年10月頃から一号館で何があったか…という雰囲気なので、不審人物と思われないため、会話を開始したのが事実である。会話と言ってもお茶をもってきてもらったときの挨拶に毛がはえた程度である。

会話を開始して○○さんに似た人物を岡山で何度も見た。妹さんが…岡山に…。であったが、人口70万人の岡山で偶然出会う確率は低いにもかかわらず、何度も会うとは奇妙な話である。

ちなみに○○さんの出身高校はお茶の際の雑談で聞いたが、後に登場する(アメリカ大統領…奴隷発言をした)丸山和也氏と同一高校であった。意味はないが参考メモ。
なお、丸山氏がその発言をした日が、私が長崎市長に手紙を送付した日であった。

拙著『閉じた窓にも日は昇る―付録編』(下書き状態で、清書待ち原稿)に記載した如(ごと)く、映画説で間違いないと思う。同時に、駿台予備学校には現時点まで損害賠償請求をしていないため、記述をしても仕方がないのであるが、何故(なぜ)か催眠でこのところ毎日に近く書かされ参っている。
また、駿台関連の記述は、既に記載した如く、女性問題ではない。
授業妨害、更には並行して行われた学外での刑事犯罪被害の方であり、肝心のこの点の記述がほとんどない。本末転倒となっている。

a)女性→b)揉(も)め→c)駿台辞職ではない。d)駿台放逐目的のシナリオを作成→e)女性に依頼→f)どんちゃん騒ぎ→g)予定通りに駿台辞職である。
出発点の動機は映画説で話題提供と駿台辞職後の話題提供のためとしか分析できない。しかし、映画の監督が山田洋次型を思わされ、理屈が多い…脚本のため、映画説でもd)に目的があろう、即ち、筋書きがあろう。筋書きを就寝中に強調されると同時に、人間違(ひとまちが)い説{?と私を人間違いして、dというシナリオを組んだ}がどんどん各方面からでてきたため、参考までに人間違い…をも書いている次第である。
更には能開大講師時代の被害や村での被害はd)の延長と暗示があるためでもある。
なお、映画説以外の(何らかの団体などの)X説は、資金力・人力などで無理と思うのであり、映画説としか思えない。

実際、私はd)をされる心当たりが全くない。だから、d)ならば犯行声明を出せと言い続けているが、犯人類はそれを一切しない。

私には他にすべきことがある。駿台には、事情が分からぬため、現時点まで損害賠償請求は一切していないことを再度強調しておく。よって、記述は時間の無駄であるように思える。

2020年6月21日