【芸術】二重国籍問題?十一月の歌で参る。
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二重国籍と言っても、現在政府が二重国籍について論じていたが、私が言う二重国籍とは歌の方である。なお、歌ではない方の問題は、現時点では、私は多重国籍が望ましいと考えている。大臣資格との問題は、日本の国籍法が改正され、多重国籍要件が緩和された時点で検討する。よって、後者問題は私の言論とは無縁の話である。
さて本題に入る。
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十一月の歌はアメリカと決めていた。遠方の友、オバマが最も輝く月にしたいという思いからである。
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曲は、アメージンググレースを軸に検討としていた。
一番良いのは、アメージンググレースとWe shall overcomeである。だが、後者は
昨年3月の歌で使用している。次に、アメージンググレースと聖者の行進という組合せを考えた。そして、ほぼこれで行く予定でいた。
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ところが、アメージンググレースの作詞者はイギリスの牧師ジョン・ニュートン (John Newton,1725–1807)であるが、作曲者はイギリス説(アイルランドかスコットランドの民話が原曲説)とアメリカ説(南部アメリカで作られた説)の二つがあった。構想は練っていたし、この歌はアメリカと大変馴染(なじ)みが深い歌である。ウィキペディアに次の記事がある。
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《引用開始》
ジョン・ニュートン……は、商船の指揮官であった父に付いて船乗りとなったが、さまざまな船を渡り歩くうちに黒人奴隷を輸送するいわゆる「奴隷貿易」に携わり富を得るようになった。
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当時奴隷として拉致された黒人への扱いは家畜以下であり、輸送に用いられる船内の衛生環境は劣悪であった。このため多くの者が輸送先に到着する前に感染症や脱水症状、栄養失調などの原因で死亡したといわれる。
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ニュートンもまたこのような扱いを拉致してきた黒人に対して当然のように行っていたが、1748年5月10日、彼が22歳の時に転機は訪れた。イングランドへ蜜蠟を輸送中、船が嵐に遭い浸水、転覆の危険に陥ったのである。今にも海に呑まれそうな船の中で、彼は必死に神に祈った。敬虔なクリスチャンの母を持ちながら、彼が心の底から神に祈ったのはこの時が初めてだったという。
すると流出していた貨物が船倉の穴を塞いで浸水が弱まり、船は運よく難を逃れたのである。ニュートンはこの日を精神的転機とし、それ以降、酒や賭け事、不謹慎な行いを控え、聖書や宗教的書物を読むようになった。また、彼は奴隷に対しそれまでになかった同情を感じるようにもなったが、その後の6年間も依然として奴隷貿易に従事し続けた。のちに、真の改悛を迎えるにはさらに多くの時間と出来事が必要だったと彼は語っている。
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1755年、ニュートンは病気を理由に船を降り、勉学と多額の献金を重ねて牧師となった。そして1772年、「アメイジング・グレイス」が作詞された。歌詞中では、黒人奴隷貿易に関わったことに対する悔恨と、それにも拘らず赦しを与えた神の愛に対する感謝が歌われている。
《引用終了》
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いろいろ考えたが、二重国籍擁護派の私は以下の結論をだした。
アメージンググレースは、十一月アメリカで、引き続き十二月イギリス特集として行う。即ち、アメージンググレースは二か月に亘(わた)り行う。
そして、約8~9週間に亘り、今週の歌の方では世界を九つのブロックに分け、世界中のアメージンググレースを紹介することにした。
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ただし、それでは飽きが来るため、アメージンググレースとは別にアメリカは二曲、イギリスも二曲を組むことにした。
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候補は、アメリカは「聖者の行進と」(When The Saints Go Marching In)とあと一曲、イギリスは「蛍の光」(Auld Lang Syne )と後一曲が有力である。現時点での感想であり、まだ決めていない。
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アメージンググレースでアメリカの歌手の中心は、言うまでもなく、オバマ大統領である。しかし、紫色の服を着た牧師さんが、にっこり笑って首を横に振ったので、検討し直すことにした。