新一言№139・【🐶犬と村】大阪の犬と田舎の犬―我が村位田のみで「大阪」強調の謎
2025/06/01 13:15 正式公開。13:56修正。14:04修正 14:35修正
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表紙の写真
2020年4月からしきりに、我が村(岡山県美作市位田)で「大阪」、「大阪」と人が言う。更にはお犬様まで登場。もっとも、お犬様は2000年4月3日に、早大大学院政治学研究科先輩にあたる小渕恵三総理に救済依頼文署を送付してから奇妙な形で登場しだした
(なお、我が家の住所番地を70年使用し続けたZ家横のZ家内にあったミナギ家の跡地に姫路40の車が止まり、我が家の畑内を歩き回ったのが同年5月10日14:45頃である。その直後から歩道の車による挑発、女性がどうだこうだ?の印象操作等不可思議なことが連続して起こりだす)。
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だが、「大阪」「大阪」の連呼が開始したのは2020年4月ころからである。
大阪はもっともよく行った場所である。
長姉が大阪に嫁いだことも大きく関係している。
大学時代(1971~75年)も何度も行っている。勿論、それ以前も長姉の関係などで何度も行っている。吉本喜劇(花木京がでていた)を見たのもオオサカである。プロレスも何度も見に行った。
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駿台大阪校講師時代も大阪には毎週2年間週3~4日ホテル住まいであったが、授業で多忙で、このときは余り出歩いていない。
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駿台辞職後は、大阪には交通の便利が良いこともあり、所用もあり何度も行っている。
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1995年以降は更に多く、もはや、「第二の古里」となっていった。
更に、1999年に🎃(オジョウ)が登場してからは相当の頻度で行っている。ただし、🎃(オジョウ)が絡むとき何故かお初天神にほぼ毎回行くようになっていった。
ちなみに、ここには私とオジョウに似た像が後に造られたように思えた。何度も紹介した像である。男の子は私の幼少の頃に似ていないか。(写真はクリックで拡大)
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2015年には「(大阪)世界連邦平和像」と出会い、さらに、大阪に行く頻度は高くなった。
大阪に行けばどんなか。
行きつけの寿司屋があった。
かなり上ネタであった。
ビールを飲み、上トロ(本格的なトロ=通常は一皿二切れで軽く千円以上若しくは二千円…の味)数皿含めて穴子・海老…と10皿程度食べたので四千円以上か五千円前後かと思うと、会計では「ああ、いい、うう、…ふにゃふにゃふにゃ」、はい「三千…円」。
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私「えらい、安いな。」
店員「おおきに」
私「計算間違いと違いますか」
店員「おおきに」
しかし、金額は変えない。これ以上言うのは野暮である。
でるとき、私「にーチャン、おいしかったで」
店員「マイド」である。
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他の店でも行き着け店は類似であった。
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2013年4月9日には李明博元韓国大統領の生誕地まで、ナンバから自転車で行った。
彼の生誕地は、まだ暗記しているが、「大阪市平野区加美南三丁目」である。
私は盧武鉉と仲が良かったが、韓国のシンボルを大統領とみたてて、韓国の人への敬意と親愛の情を込めて、李明博大統領生誕地に行った。
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現地でも皆が温かく迎えてくれた。
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6:李明博大統領生誕地とコリアタウン
http://takachan1.xsrv.jp/kizuna2/program4.html
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更に、2013年6月30日には、コリアタウンに行った。
現在は、簡単に上記に掲載しているが、後日、(大阪の猪飼野にある)コリアタウンで撮った写真の本格的な掲載をしよう。(現像とレタッチは約70枚しているが、撮ったのはその2~3倍であろう)
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方向音痴の私が道間違えをしないように、神輿が迎えにきてくれていた。
神輿を見て、何だろうかと近づくと、360度回転しもどっていった。
ついていくとコリアタウンに着いた。
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現地では、店員さんがお客さんを間にいれて、その延長上にある私に向かって「オオキニ」「オオキニ」の連呼であった。偶然ではあるまい。歩いている途中ずっとであった。
懐かしい思い出である。
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大阪「光の饗宴」では入場者がどうしても一千万人を超えないと嘆いたので、橋下君との復縁もかねて、私のHPで大々的にCMを行い(「大阪・おおさか・オオサカ」\(^o^)/、そしてオオサカにまつわる音楽特集を臨時で行い、浜田隆政12月22日見参…と)、大阪「光の饗宴」に行った。2015年12月22日である。
すると、簡単に一千万人を超えたという噂を聞いた。
二度目は2019年12月1日であるが、この時は、(浜田隆政、●月●日大阪見参という)大々的なHPでのCM抜きでいったため、どうなったかは不明である。
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まだまだあるが、大阪と言えばこうした思い出しかない。
大阪が一体どうかしたのであろうか。
もっとも、「大阪」「大阪」と不可思議なことを言いまくるのは一つの場所のみである。どこか。
岡山県美作市位田、特に中田組合である。それ以外の地で「大阪」の強調など聞いたことがない。少なくとも72年半は聞いたことがない。
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お犬様が村で意味ありげに…は先の如く、小渕恵三総理に✉手紙をだした頃からだと思う。その後、しばらくして通常となった。その後での異変は、突如2020年頃からのお犬様登場である。一番下に模様をはっている。
大阪では犬の散歩を見た覚えはない。ただし、一度だけ犬を連れて「おっさん」が自転車でおして歩いていた。
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下記犬である。
小父さんが止まったので、「小父さん、犬の写真を撮ってもよいか」と聞くと、「兄ちゃん、しっかり撮れや」と言って、自転車を置き、コンビニに買物に行ってくれた。
下記がそのとき撮った写真である。
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十分時間をおいてから小父さん(オッサン)がもどってきた。
オッサン「にーチャン、十分撮ったか。」
私「ありがとう」
オッサン「もうええか。ほんなら行くで」
であった。
2005年8月27日(当時の記録を見ると大体13:30頃)のことである。
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「大阪、おおさか、オオサカ」というが、大阪がどうかしたのであろうか。
再度言えば、🎃(オジョウ)の関係もあり、大阪はもの凄い回数行っているが、それがどうかしたのだろうか。
村よりは、人は親切であり続けた。それがどうかしたのだろうか。お初天神でも同様であり続けた。
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この村の人間は何を考えているのだろうか。
ただし、2019年に光の饗宴を撮ったときに、猿をつかっていた姉ちゃんが、「兄ちゃん、(村で)大変やな」と言わんばかりにニコッと笑っていた(クスクス笑っていた)ようにも思えた。
「大阪、オオサカ、おおさか」の発祥の地は岡山県美作市位田だからである。
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何故か、兵庫県西宮市教育委員会嘱託時代の教え子と思われる女性と岡山県津山市(中央病院:2002年頃か)と岡山県美作市のスーパー(2013年前後だろうか)で二人に出会った(人間違いを恐れて声をかけなかった)。
一人は毎週二回私のアパートに友達をつれてあそびまわっていた女の子(1975年当時中学三年)であり、もう一人は教え子10人ほどを箕面につれていったときのこども(1975年当時中学校一年生)のこどもである。
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両者ともに、クスクス笑い「先生、私らのことを言ったらよいのに」と今思えば言わんばかりに思えた。クスクスよりはケラケラに近いかもしれない。
オオサカでも何人かがクスクス笑っていたように、後に思えることがあったと言えばあったような気もする。「とろげな村だ」と言わんばかりに。
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最初は犬は私に興味を持つが、面倒といわんばかりに下記。
ストロボを使えば撮れるが、動物虐待になるため、ストロボ抜きで、フィルムカメラ・ポジ(リバーサルフィルム)ISO100、手振れ防止抜きで、必死に撮る。
寝転がって犬と同じ目線を狙う。(写真は全てクリックで拡大、二度クリックで巨大)
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②犬は「頭をなでてくれ」と言っているように見えたが撮影に集中。
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③犬は「なんや、頭をなでてくれないのか」とふてくされる。
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④やがて、ほかの誰かに構ってもらおうと他の人の方を見続ける。
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⑤「誰か構ってくれ」か街の風景に興味を持ったか、何だろうか。もはや、犬のすぐ前にいる私は無視されてしまう。
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