【闘争】№235謀略の第三段階(村編)・車問題(その二)

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気が向けば一言【闘争】№235謀略の第三段階(村編)・車問題(その二)


2021/04/04 16:43掲載 16:48微修正 16:53微修正 17:20修正

2021/04/04 17:20 正式公開

 


結論を記せば、自分の村での車問題では一切動いていない。
通報どころか、報告も何もしていない。ただし、2000年には激しい村での車挑発があった。しかし、結果として動いていない。
結果として言えば、一件を除けば、交通問題と無関係な件での言動類である。その一件も独り言なども含めて2005年(訂正2007年)を持ち完全終了している。

車被害で困っている人、逆に生活上車関連で多少の迷惑を人にかけなければならない人、双方の問題の抜本的解決案とか、当面の暫定的解決案を書くならばともかく、下記のような件を記述するのは時間の無駄と考える。しかし挑発や催眠で、我が家村関連での車に関するデマ及びデマの気配について、やむなく記述する。
また、1990年代後半の原稿予定は交通問題一般でもあった。



もはや🚕車問題について記す必要はなかろう。
ただし、起こった事実と催眠型問答だけを記そう。


🚕車関係の流れは以下である。

1994年頃奇跡的に意識を取り戻す。正確には、激しいうつ病状態で一部の思考停止状態が、1993年大吐血時を契機に通常に戻りかける。現代医学で解釈すればうつ病のはげしい状態が今度は軽度の躁鬱(そううつ)病へ移動したようである。

1994年から躁(そう)状態となり、膨大な作品づくりを開始する。作品の中に「生命への畏敬(いけい)」というものがあった。
1989年~93年頃は第二次交通戦争の頃である。その頃、何度か煽(あお)り運転をうけ困る。そのときに、交通問題を題材にした章を設けることを思いつく。

こうして交通問題の資料集めを開始。この頃、岡山県警交通企画課にゆく。確かサノウという人から資料などをいただく。
ついでに、あおり運転対策などをきく。
サノウ氏がふと言った。
「私らも困っています。どうしたらよいでしょうか」、と。
これは私が言ったのではなく、サノウ氏の言動である。

こうして交通問題の資料集めに入った。
後は既に記述済みのため、図式で記す。

1994~96年作品「生命への畏敬」(何故か長期中断中)の1章として交通問題を検討。

1997年1月の車での交通事故(仕組まれた犯罪被害に遭う)=警察も絡んでいるのかと思わされ、頭にきて交通問題取り組みを全て放棄。生命への畏敬でも交通問題は入れぬと決定。

1997年1月下旬か2月頃から、歩行者専用道路で単車や自転車に異常にぶつけられる。更に、97年6月6日、岡山駅前の歩行者専用道路をジグザグ走行単車に遭遇。
(降りろと)カメラで威嚇も効果なく、やむを得ず撮影。

このときの撮影写真は多忙のため放置した状態のままでいた。

それ以降、「警察に届けよ」と催眠。私→多忙で無理。
その後届けるまで歩行者専用道路で単車や自転車に狙われる

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1997年夏警察に届出
★資料
重要情報公開№001・違法単車と岡山県警西署への手紙:人に優しき社会を
http://yasuragiblog.h-takamasa.com/?p=6599

重要情報公開№001・違法単車と岡山県警西署への手紙:人に優しき社会を

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1998年岡山短大(ポリテクカレッジ岡山や雇用能力開発機構)との賠償交渉開始。

すると、今度は、その半年後頃から、自転車や歩いているときにも激しい車などでの威嚇(いかく)・脅しが開始する(脅し所か危険そのものの時もあった)
催眠→「自分の身を守りたいならば、危険な車の写真を撮れ…そうすれば証拠になる。更に、歩行者専用道路などでは危害防止となる。また自転車走行中も危ないため、防衛になるぞ…」と。

私は、確か、順を追って二つの条件をつけた。
(1)最初は、交通問題は警察でも頭を痛めている問題である。それに巻き込まれるとキリがない。原則として、「歩行者専用道路に限定する。それ以外は、ひき逃げや私が弾(ひ)かれそうになった場合以外は無視をする」。(歩行者専用道路ではない)道への駐車は切りがないため無視をする、と。実際に、届出を一切していないし、車道での駐車の写真は一枚も撮っていない。類似があるといっても全く別の被害か、カメラ実験程度である。

(2)自分の村類は歩行者専用道路であっても除くをつけたはずである。もし、我が家界隈(かいわい)でもこうした挑発があれば(1)と同時に、なければ後に ―多分(1)の翌年頃に― つけたはずである。後でも2005年(2007年に訂正)以前である。
何故ならば、私の家付近には(道路交通法で言う)歩行者専用道路がないことが分かり、私は肩の荷がおり、もはや村の歩行者専用道路問題から解放されたからである。

2005年頃(2007年に訂正)に、我が家の土地類を全て私の名義にするので、手続をしろと母が言ったため、法務局で登記簿や役場で詳細地図等のコピー作業をしていたときに、我が家界隈(かいわい)の歩行者専用道路と思った箇所は、黒水路と記載されていたため、歩行者専用道路ではないと判断したからである。よって、第一の原則より、完全無視となった。これ以降は無視しても良心の呵責(かしゃく)もなくなった。

村の道路問題からは完全解放された。なお、不思議なことは、ほぼ全部書類を集め、後は司法書士への依頼と親戚類の実印のみとなった段階で、母が「その話はやめた。名義の書換えはしない」といきなり言った。このときの愚痴は相当後に近所の司法書士に雑談で言ったことがある。
今、面倒なので日付は調べないし、2005年が一、二年違っているかもしれないが、2009年よりははるかに前の話である。
2009年にも自治会の土地の一部が祖父となった件で、その土地に手続をしかけたが、それよりも前である。
昨日(2021/04/03)、詳細地図の月日から2007年と判定した。詳細地図の作成日付が下記の如(ごと)く「作成日付:平成19年5月21日」とあったからである。更に日記を全部見れば完璧に分かるが多忙のためしていない。

村で車に絡む件が何かあったようであるが(多分、2011年か2012年頃だろう…が)、私には「ちんぷんかんぷん…」で何があったのか不明である。雲をつかむような話である。


ところで、自分の村の車類では昔は何も思ったことがなかった。ところが、2000年に激しい挑発があった。車を1997年終わりに廃棄した後は、簡単な記録では1999年から自転車や歩いているときすら攻撃が開始する。
2000年になると挑発は更に激しくなり、3月1には国道沿いの歩行者専用道路をあるいているときに歩行者専用道路を四輪車が走行してきたとある。3月23日には類似箇所(歩行者専用道路)を単車が走行、4月30日には湯郷つみ岩付近で車に弾(ひ)かれ…となる。
※つみ岩以外の関連場所がトラブルブログの写真①の箇所付近である。
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 ★T21-04🚕計画的な車による挑発の謎
http://yasuragiblog.h-takamasa.com/?p=34581

T21-04🚕計画的な車による挑発の謎

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そして、5月からは私の村での攻撃が開始される。5月9日には次回掲載の郵便局単車が事故が起こる形での走行…。この頃から「催眠で村も念のため撮っておけ」があったかもしれないが、トラブルを警戒し村にはかかわりたくなかったと思う。
2000年5月10日、いよいよ村での初撮影となる。
★下記写真の件である(写真は他人に見せたものをそのままの形で掲載)。

2000年5月10日撮影

 

もう少し分かりやすいのを掲載。クリックすれば姫路と「40」(死闘)が登場する。

車の番号は随所で強調される姫路、そして死闘をもじった40とある。死闘は考え過ぎだろうか。なお、姫路に絡む話は我(わ)が家とは無関係である。この車の止まった場所のすぐ横の家も…トラブル…から姫路に引っ越された家でもある。だが、我が家とのトラブルでは一切ない。それが原因ならば家まちがいである。後に、姫路の暴力団員が私の友人の病院で拳銃自殺…。また、後につみ岩付近で弾(ひ)かれ書けた車も姫路ナンバー。この路線の経路図は、次回、郵便局単車の奇怪に思える走行時にみれば分かろう。ただし、関連の家付近をボカス作業のため、今しばらく掲載には時間がかかる。

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記憶では、我が家の畑に不法侵入し、…作物…で器物損壊罪被害該当で、持ち主と会話したと考えていたが、記録では先に撮影をしている。なお、当時は母が畑をしていたため、作物などを植えていれば、まだ大きくなる以前ならば(芽段階ならば)、踏まれていた可能性が極めて高い。
後で記録も開示する。ただし、文書改竄(かいざん)されていれば、記憶の方が正しいとなる。それでも、村の付近でも連続被害に遭(あ)っているため、処理はせずとも、念のため撮っておいた方がよいかとも思うであろう。
(2021/04/04時点では、処理は原則しないことを前提に、防犯カメラと同様に撮るだけ撮った方がよいかとも思う方向に変わっている。しかし、2021/04/04以前は、交通問題に少しでも絡む、自分の村での件は今回と同じく次回2000年郵便単車の件だけと思う。処理の前に撮影自体していない。しかも2000年の二件、今から21年前の件である。)

記憶では(我が家の畑の中に入っている数人に聞いた)
私「こんにちは」
相手「…(無言)…」
私「ここは我(わ)が家の畑ですが、我が家に何かご用ですか」
相手「あんた(若しくはお宅に)には用がない。こちらに用がある」

(隣家を指指(ゆびさ)すが、その家の住人の名は最初から最後まで一度も出さず。また指さした方向は隣家とも思えるし、97年交通事故現場の方角とも思える。一般には前者と解釈)
私「その家は我が家の親戚です。もし、その家に用があり、我が家の畑に入られるならば、車を我が家の庭に移動していただきたい。お宅が置かれている場所付近には、車椅子の人もおられるし、足の悪い小母(おば)さんもおられる。その人たちが外出できなくなるので、我が家の庭に移動していただきたい」

ちなみに、彼らが畑に入っている場所からは圧倒的に我が家の庭の方が近い(5メートルほどである。他方駐車場所からは道を挟み、その数倍ある)。業者ならばほぼ全員が言う。「ありがとうございます。それはお世話になります」。若しくは、「せっかくですが、今日はいそいでいるし、すぐ次に行くところがありますので…」と言うが、後者は車道に止めているときである。
上記写真の如(ごと)く、(通常の人が歩行者専用道路と思う)場所に止めているときには、「ありがとうございます。お世話になります」であろう。何度も記すが、我が家の庭の方が彼らが目的としている場所に近いのだから。


当時の記録もメモしておこう(2000年5月13日記述文書)。
家名だけ略号置換え。その他は当時のまま。〈 〉は2000年当時直した箇所。

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⑥5/10→H運送から広い道にでた箇所のZ家(MRH家)行きへの歩道真ん中→四輪車違法駐車
一定期間違法駐車しており、13時15分頃撮影。せき払いしカメラ向けるが効果なく、やむを得ず相手に分かるように撮影。それでも効果なく、苦kる真の①〈近づいて車の位置〉も確認。後に車乗っている人が我が家の畑中に無断で不法侵入したため以下の問答を冷静に行う。
私「あなたが入っておられる所は私の家の土地ですが何かご用でしょうか」
相手「この(MH家〈この家〉)にちょっと用があるもので」
私「ところであなたが、そこに車をおかれていますが、あそこの家(MRH家・よく使用する略号はZ家を指さして)には車椅子の人がおられ、そこに車をおかれると通れません。警察に通報させて頂きますよ」
相手「この(Z家ではなくMH家〈この家〉)にちょっと用があるもので」
私「なら、MH家に車をおかれるか、許可を取った上で私の家の庭において下さい
相手「えらいすいません」
※しかし、その後5分程度全く車を動かさず。MH家にも動かす訳でなく、私にでは「申し訳ございませんが、お宅に5分おかせてください」と言うわけでもなく、違法駐車の連続となる。

(2000年5月13日には今度はクレーン車が全面ブロック)
フィルム写真のため、馬鹿馬鹿しいのでプリントせず。後にDigital化するときにはまとめてフィルムスキャニングしているが、問題かどうか不明のため掲載せず。ホームページ公開は慎重にも慎重を期して(最低でも立会人との相談が不可欠)。警察を含む届けはそれ以上に慎重に(原則として証拠が残るように文書で届出)。それが駿台講師時代の刑事犯罪被害での教訓である。


私も長期、あの場所は歩行者専用道路とおもっていた。しかし、2005年頃〈2007年のようである〉に違うと分かり、正確には理論的にそう考え、無視しても良心の呵責(かしゃく)から逃れることが可能となった。この直後、次回掲載する、この歩行者専用道路を走行する郵便局単車の不可思議な行動…と。

そして、2000年頃に近所で…類似行動があると、2000年頃に参った。近所類は当然、完全無視したい。どうしても困る場合には直(じか)に本人に言うが原則である。だが、近所類は一切誰にも相談していないし、写真も撮っていない(万一、写真があってもカメラメンテナンスか、…であろう。近所類は被害者にみえても加害者に見えて写すことはない。古いタイプの人間の人情である。)
撮っておけば、今回のケースとは無関係で、悪質ではなく問題ないと思う人が多かったかもしれない。なお、近所類は2005年頃〈2007年に訂正〉入手した詳細地図では「用悪水路」と記述されていた。要するに用悪水路の蓋=雑地であろう。(昨日メモしたのが何故か本日消えており、再度、詳細日時を明示)役場で入手した詳細地図の作成日付は「作成日付:平成19年5月21日」とある。そして、この箇所の少し南側の歩道に似た箇所には「用悪水路」と明示されていたため、歩行者専用道路ではないと、2007年から2021/04/03までは認識していた。今も大雑把にはそう考えている。少なくとも道路交通法でいう「歩行者専用道路」ではないと考えている。また、どこにも歩行者専用道路の標識はない。こうした駐車が良いか・悪いかは別にして、私が催眠下でも絶対条件としたのは歩行者専用道路限定であった。今はそれも中止している。

※近所でも類似とあるが、実際には問題がなかったのかもしれないが、詳細記録も写真も撮っていないため不明である。また、それは2000年頃の話である。連続車での仕掛けを受け、下記催眠もあり、オクターブが高くなっていた頃の話である。もう21年前の話である。

なお、上記写真の車は姫路ナンバーの車である。何かの業者にも後には見える。
記憶では、この車はZ家の横にあるZ2家跡地の前に止まっていたと思った。Z2家は我が家ではないが、某家との確執問題から姫路に移動された家である。
なお、Z家は長期我が家の住所を使用されていた。特に電話帳ではそうなっていた。ところが、我が家が悪戯(いたずら)電話対策で電話帳への掲載を廃止すると、別番地をかかれた。その番地箇所は岡山県民局の土地であり、この車が止まっていた場所かその近くである。

※(用悪水路)用悪水路とは何かを2021/04/03 16:25からインタネットで調べる
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「かんがい用又は悪水はいせつ用の水路」となっています。(不動産登記事務取扱手続準則 第68条16号)。
この水路は、
水を供給するための水路(用水)
使用後の水を排泄するための水路(悪水)
の二種類に大別することができます。
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ただし、今(2021/04/03)見ると、この車の位置は少しはずれており(もちろん、この路線で用悪水路と明記の箇所もある)、県民局の土地か雑地か何かであろう。この路線には(K家付近は)先の用悪水路と記述があったり、…であり、同時にどこにも歩行者専用道路の標識はない。
もっとも、私は2005年頃〈2007年に訂正〉から2021/04/03までは用悪水路関係の蓋と解釈をしていたが。同時に今後も私の自己防衛で精一杯であり、村のトラブルに巻き込まれることに関わりたくない。万一、困っている人がいるならば、自治会総会や役員、若(も)しくは市役所の市民相談課で相談されることを勧める。

暇ができれば、交通問題一般論だけは啓発に一役かうことがでてくるかもしれない。しかし、具体的な場面では交通事故現場ではないかぎり、関わりたくないし、同時に効果もない効果もなく、ただ喧嘩(けんか)になるだけであろう。ましてや、自分の村関係、特に組合関係では一切関わりたくない。効果もなく、人間関係がガタガタになるだけである。特に、同じ組合(自治会の下にある下部組織)の中では余りに困ったきは直に本人に言うか、近所の人と相談して一緒に該当者に言うであろう。飲酒運転を例にとれば、飲酒運転はよくない、罰則強化の法改正等という一般論に関わるだけである。飲酒運転の罰則強化以前の、私が子供の頃に法事などで酒を飲んでいる参加者に注意をすれば「生意気な子」となり、喧嘩になるだけである。特に軽度の酒や自分の村では。飲酒運転が良いか悪いかは言わずともわかろう。だが効果がなく、喧嘩になるだけのことは避ける。それと同じである。)


この村で車に絡めて何があったのであろうか。ここ数年、かなり車関連の催眠が多い。2018年夏に、警察が車の件か何かを聞きに我が家へ来た。そのときに「松本」という名を強調していた謎もある。下記のMNが松本である。
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★№18-004・2018年2月17日パトカー来訪の件:またも私の偽者が暗躍か?
http://yasuragiblog.h-takamasa.com/?p=15523

 №18-004・2018年2月17日パトカー来訪の件:またも私の偽者が暗躍か?


2018年8月には再度「松本」強調。ちなみに、2018年7月は松本サリン事件 松本智津夫(麻原 彰晃)氏処刑。松本龍氏死亡…と松本が続く。

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1031186456021065729

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最後に、以下の謎もある。
1998年からポリテクカレッジ岡山や雇用能力開発機構と賠償交渉開始。
翌1999年から🚕車挑発が自転車・歩いていても開始する。
2000年から私の村での挑発開始する。

これ以外にも催眠や諸挑発でポリテクカレッジ岡山・雇用能力開発機構との闘争は不可能に追い込まれる。
ともかく、ポリテクカレッジ岡山との闘争に入ろうとするや、村の件(📷写真、山、🚕車、更に偽者…と)、それが一段落するや駿台の件が割り込み、ポリテクカレッジ岡山の件はいつまでたってもHPにもまともに書けぬ状態にある。

『生命への畏敬』では(ポリテクカレッジ岡山での)「労基法違反」も取り上げる予定も1998年から完全ストップのままである。
「求め続けて・第三部」に入るや(催眠や挑発で)中断連続の謎がある。
第三部はポリテクカレッジ岡山講師時代である。
「旅に心を求めて」が長期中断の謎。


ついでに、今回掲載ブログのタイトルの解説をしておく。
(A)危害の第一段階=駿台講師時代
(B)危害の第二段階=ポリテクカレッジ岡山中心時代
(C)危害の第三段階=全辞職後の村での日々

当然、中心は(B)にある。労働省所管のポリテクカレッジ岡山での労基法違反被害問題ということで大義もある。次に賠償額も大きい。(C)は賠償予定は現時点ではない。大義もない。(A)は駿台外での事件と駿台内での授業妨害被害が無関係ならば、賠償額はあっても、それを得るための労力の方が大きいため、賠償交渉自体を一度もしていない。賠償交渉をしていない物に本来は関わっている暇はない。
ところが、(B)の賠償交渉に入るや(A)と(C)が妨害をし続けるのである。

なお、(C)のトラブルの主流は、主として写真問題、車問題、山の問題である。後は、全く意味不明の大根、ジャガイモ、玉葱、柿などの馬鹿馬鹿しい、訳が全く分からぬ問題などである。あるいは「帰りました」問答とか…。

謀略の深化第三段階とは(C)を指す。(C)の問題の中で、今回は車問題をとりあげ、車問題の本来二番目に記載する事項という意味で(その二)としている。

タイトル:謀略の第三段階(村編)・車問題(その二)


〈追記、村で何かあったのであろうか〉
この村で何があったのであろうか。
さらに、その中でも、ここ数年はかなり車関連の挑発や催眠が多い。それ以前は写真問題である。

村の人間などが絡む物事類で困ったときには、軽度なことは、村の自治会総会で手をあげて正面から話し合い、問題解決を図ることが筋である。
我が家界隈で泥棒に遭(あ)った如く真似をし、私が…犯人…であったかのような印象操作…が(勿論、私は無関係)、泥棒類の悪質な場合や、危険な場合には、裁判所等での対応が望ましいが、最低でも警察などを通して処理することがのぞましい。その場合でも(自治会があるならば)自治会には一応報告しておいた方が良い場合が多いかもしれない。私の場合は村関係では何もしていないので自治会に報告のしようもない。
中間は、市役所の市民相談課などで相談する事項であり、催眠問答する事項ではない。


同時に、私への質問事項は(ポリテクカレッジ岡山・雇用能力開発機構との賠償交渉立会人・)新免昌和元市議会議員を通じて、正々堂々とおこなってもらいたい。(これにより、無関係な、興味本位の質問類を遮断したり、質問者が質問を整理したりする間に自分で回答を見つけられ、私に聞く必要がなくなるからである)。

こうした質問の中で重要事項は私のHPに、相手の言い分、私の言い分両者を併行で記載する。同時に可能な限り立会人をいれて、テープに録音して行うのが望ましい。

また、ポリテクカレッジ岡山に絡めて裁判所どころか国会での調査を要求しており、村関係の事項でも、そのときに国会類で記録に残し、ガラス張り公開前提で聞いてもらいたい。各人が、思うがままに、気がむけば、私に質問を催眠や挑発型でされれば、私は何もできない。それどころか、老後破綻対策の最後の賭(か)けもできない。


昨日次のメモをしている。
(2021/04/03 のメモ)
今、部家が荒れるのみか、家の中を裸足(はだし)で歩くと芝生を歩く以上に足にゴミか泥がつく。
それよりも重要書類は3年余り整理できず。ダンボールにいれている。
更に、パソコンのファイルの整理はできず。
それ以上に、ブログ等のバックアップ作業ができていない。
何かあれば大変なことになる。
当然、これらをしたいが、催眠型か何かで一切できない。
することを規定されている。

テレビも2018年星野仙一記念館から帰宅するや約一年金縛り状態で見られなくなった。
今もかなり類似で大半見られない。忙しいことを除いても見られない。
他方、一昨日(2021/04/01)から昨日(04/02)は日々日程表に一部記しているように、延々とインタネット…をみさせられ参る。
要するに、「我(われ)思わぬのに、我あり…」である。
この状態には何か契機があってなる場合と何の契機もなく、突如なる場合がある。前者が圧倒的に多い。後者は現代医学では、タイムラグを置いた催眠であろう。要するに、明後日(あさって)に何かを契機として…となるという形の。

2021年4月4日 | カテゴリー :