【村・トラブル】№89・和代家と中田組合問題、土地などの件(その2・組合倉庫)

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新一言№89【村・トラブル】和代家と中田組合問題、土地などの件(その2・組合倉庫)


【更新履歴】2024/04/24 1:42下書きをはりつけ。下書き段階であり、公開前である。

2024/04/25 昨日修正し公開予定でいたが、朝から🥴催眠stopで身動きがとれず、2024/04/25 今から一部修正。

2024/04/25 12:20 正式公開(歯科通院直前のため誤字脱字、不適切な表現のチェックは不可能であり、それらは後に直す)。また当初予定文書(この続き・その3)は催眠stopでどうなるかは不明である。一番下にその経緯を2024/04/25追記している。


【表紙の写真】

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私が2019年に組合長になったときに、組合費と自治会費の徴収に出かけた。
雅美さん(美作市元市議)の家に行ったときに、中田組合の倉庫の件で会話をした。

私「もう、冠婚葬祭類はほとんど組合ですることはないのではないでしょうか。
葬儀も今や葬儀会社に委託するようになっています。
そこで、冠婚葬祭の準備などをする備品を入れている倉庫の中のものを粗大ゴミとしてだしてしまい、倉庫はフジオ君のところに返すというのはどうでしょうか」

雅美さん「隆政(たかまさ)ちゃん。
そういう話ではないのだ。
倉庫の件は備品がもはや必要か否かという話ではない。
和代さん(フジオ君の祖母でこの土地と家の以前の管理者・所有者)と私とで契約をした。
この倉庫の場所は中田組合に譲渡…するという約束がある。
そこで、倉庫の中の物をからにするか・どうかとは無関係に、契約は守られなければならない…」であったであろうか。

「そうならば、この倉庫の中の物を出す必要はない。
いつか、必要になるかもしれないので、敢(あ)えて、今いそいで出す必要はない」
という返答であったと思う。


ここで、私は私の従兄弟(いとこ)の明さんが、以前、私に言ったことを思い出した。
私は同様のことを明さんに言ったことがある。
すると明さんは次のように言った。
明「タカちゃん、そういう話ではない。
ヒトああちゃん(正式な名は一二さん。和代さんの息子さんで、フジオ君の父であり、田舎に戻ってからのこの家の管理者)と私との間で約束(若しくは契約と言ったか)がある。
和代さんが死亡した時点で、ここから向こうの土地は中田組合に渡す…(若しくは中田組合の物とする)ということで話がついている」であったと思う。


裏の家の土地と家の管理者・所有者は和代→一二→フジオと移動している。
その内の、管理者・所有者である和代と一二氏の両方が言ったとのことであり、更に、中田組合の人間も同様の約束か契約をしていると言った。

契約。


契約という語が頭に蘇(よみがえ)った。
「契約」という語を聞いた途端に、私は和代家の土地のごくごく一部とそこにある倉庫は中田組合に譲渡された(もしくは中田組合の物になると)と解釈した。ただし、私は契約の当事者ではないため、口頭にせよ、契約の詳細な具体的な内容(双方がかわした文言)は知らない。

「契約」という語は私には致命的な言語である。
と言うのも、私はポリテクカレッジ岡山(現・能開大中国:所在は倉敷市にあり、当時は略して岡山短大とも言っていた)に招聘(しょうへい)されたときに、この言葉で一生を棒に振ったに近いからである。
確か1982年に、岡山の進研予備校(ベネッセの前身である福武書店が運営の予備校)で相棒であった嶋坂先生から、「ポリテクカレッジ岡山という学校が1983年度から開校する。そこで法律学と経済学を担当してくれないか」と誘いを受けた。

※(2024/04/25 9:43追加)嶋坂先生とは私よりも20歳くらい年上で、元京都外大教授(奈良女子大学、甲南大学などの非常勤講師も一時は兼任)であり、湯川秀樹博士の授業も受講していたそうで、京大博士号取得していた人物である。彼の父は京都外大学長などを歴任している。

だが、訳あって、京大外大教授を辞め、奥さんの実家がある岡山市にこられ、名字も伊沢に変えられていた(駿台で政経のライバルであった前田先生が杜、森と名字がいくつかあり、名前も晃精、一樹と幾つもあるのと似ていた。)

嶋坂先生とは1981年度に倉敷英数学館という学校で出会った。だがこの学校は、赤字でいつ潰れるかという状況であり、(後に私が教壇にたった倉敷市にある、先のポリテクカレッジ岡山を連想させる)労基法違反のオンパレードの学校であった。そこで、私が嶋坂先生を岡山の予備校に紹介した縁で、一時は相棒的な付き合いをしていた。



私はポリテクカレッジ岡山には非常勤講師では行く気はなかった。当時は駿台予備学校の教壇に政経の講師として立っており、別に岡山の予備校でも政経と倫社の授業を担当していた。更に福武書店(現在のベネッセ)でも模試のチェックや、ときには岡大模試などを作成してもいた。
その上、岡山の予備校の寮で英語を担当しかけたが、超多忙でやめたりしていた時期である。
岡山の予備校の教壇でも、倫社をやめさせてほしいと交渉中であった。
倫社については白須校長から延々と引き留めを受けて、けんか腰で止める交渉をしていた。
と言うのも駿台予備学校で軌道に乗りかけていたため、政経一本に集中したいからであった。多数の教科を担当すると教材研究などで共倒れをする。

勿論、短大で「法律学」と「経済学」の両方など非常勤講師待遇で担当できる訳がない。
しかも、かなり待遇が悪い学校である。
(1983年度ならば駿台で50分7千円、夏と冬は50分1万円で別に出張手当、新幹線グリーン車料金…がでているときに、この短大では50分2200円程度で、その上交通費は支給しないというのである。)
当然門前払いであった。

ところが、相棒的になっていた嶋坂先生が私に「頼むから話だけを聞きに行ってくれ。話を聞いて帰るだけでよい。断るとしても、話をききにだけいってくれないか」と執拗(しつよう)に言われた。
嶋坂先生は訳あって京都外大の教授を辞めて岡山に戻り、予備校の教壇に立ちながら、再度大学の教壇を探していたようであった。
その彼がどこかで、みつけてきたような学校である。奇妙な学校であったが、雇用促進事業団運営で、労働省所管の学校ということであった。この学校グループは、暫(しばら)くして全国に30程度できており、謂(い)わば労働省系の大学とのことであった。
岡山短大の学校長は(当時は)京大名誉教授の天下り先であり、雇用促進事業団の理事長は労働省事務次官の天下り指定席であった。
そうしたルートから何か再起の道を探そうとしているように見受けられた。

そこで、嶋坂先生の顔を立てるために、この学校に行くだけ言って、断って帰るつもりでいた。
行くと、(雇用促進事業団 岡山職業訓練短期大学校 開設準備室 室長)森本茂樹氏と一人の課長が対応してきた。
私が「非常勤ですね。私は今はとてもではないですが忙しいので、幾つもの教科を整理中で、法律学と経済学担当は無理と思います。嶋坂先生にもそう返答したのですが、話だけ聞きに行ってくれと頼まれたので話だけ聞きにきました」と言うつもりでいた。


そこで、予定通りに、私が「非常勤講師ですね」と聞いた。
すると、開設準備室 室長・森本茂樹氏が、「いえ、違います。専任講師です」ときた。
私は話が全然違うので呆気(あっけ)にとられた。
だが、具体的な話を聞かねばまだ意味不明である。
そこで、聞いた。
「いつから専任なのですか」
森本茂樹氏「来年の春からです」
ということはもうあと半年もない時期である。
それならば嘘(うそ)ではあるまい。雇用促進事業団とは当時5千人の職員を抱えて、予算は国連の一般会計よりも巨大な組織である。後に名称を雇用能力開発機構と変えた団体である。

森本茂樹氏が更に話をたたみかけてきた。
「先生、専任となりますと、法律学と経済学だけでは無理です。英語も担当できないですか。英語も担当されれば、英語は5クラスと前期法律学・後期経済学1クラス(若しくは2クラス)で、専任です…」

岡山県の学校、更に公務員に準ずる特殊法人、専任教師ということで、それでは駿台を辞職していくことにした。ただしまだ半年あるので、駿台には時期を見計らって言うことにした。

{大きな問題として、倉敷市ならば、我が家の実家(岡山県美作市)に何度も帰られる。実際に、1988年から1998年初頭までは、我が家の実家に戻り、この学校の教壇に立っていたのだから。ここも大きな決め手となった。ただし1993年から98年まで一貫して(詐欺に遭ったごとく・騙されて)非常勤講師に据え置かれたため、出勤時間・出勤日問題で違いがあるかもしれない。

尤も、駿台も非常勤講師及び実績を残せば、我が家から通うことも可能であった。それも新幹線グリーン車と駿台持ちのホテル利用で。そうした講師は当時駿台には何人もいた。}


こうして、専任と言う契約でこの大学校の教壇に立つことになる。
後に、嶋坂先生が「お前の専任確約はテープにとって金庫にしまってあるので心配しなくてよい」と言われた。その上で「ここの学校の輪郭は衆議院と参議院を通して決まる学校である」とも言われた。

国会を通して輪郭が決まる学校で、それも労基法関連のメッカである労働省所管の学校、その上、半年後から専任ならば嘘ではあるまいということで、この学校の教壇に立つことになった。

契約は特別の規定がない限り、文書でも口頭でも同様の効果を持つ。
こうして、契約を信じてこの学校に専任前提で立ったのである。
駿台予備学校への辞表を書きかけるや、盗視していた如(ごと)く電話があり、「中曽根行政改革の関係で来年度からの専任は無理となりましたが、…の理由で専任は間違いないです。暫(しばら)く非常勤講師ですが来てもらえますね…」と電話があり、専任前提で労働条件の悪いこの学校の教壇に立っていた。

☆☆☆☆☆
(2024/04/25 10:19)本年から、「駿台事件真相編」、「ポリテクカレッジ岡山(能開大中国)真相編」(賠償交渉再開資料該当)、最後に「同一住所番地二軒」を記す予定でいるが、それまでは、ポリテクカレッジ岡山の箇所に関連する内容は下記などを参照願いたい。正に「007」の世界である。村の⚔各種トラブルや写真残酷物語などは枝葉であり、本質ではないので後回しにしたかったが、倉庫の件の如(ごと)く催眠強制である。これにより、本質事項を書くのを阻止されている。村の⚔トラブルは本質事項を書き・賠償交渉の前進妨害と、私の起業阻止のために、誰かが工作をして起こしたのであろう。

ただし、村での件でも同一住所番地二軒問題だけは本質事項の可能性が高い。1990年初頭のポリテクカレッジ岡山での(合計200万円ともいえる)労基法違反被害も人間違いが強調され(加害者世取山氏は後に異例の出世をとげ)、1997年1月の美作市巨勢下倉敷での事故も人間違いが強調されていた。ここ数年は駿台事件でも実は人間違いが原因で(それと山﨑)…が強調されているからである

国をも揺るがす大事件の可能性があり、恰(あたか)も関係者が全員死ぬまで、催眠で取り組みと(訴訟費用捻出に繋がる)起業・開業を完全阻止されているが如しである。
戦前ならば、関係者ではなく、私の死を待っていると分析されるであろう。(厚労省も絡んでいるため)731部隊の如く人体への謀略と、道路での他人には冗談に見せながらいつ交通事故を装って殺されるか不明の状態である。それらも生々しく、本年頃から書いていく。

『求め続けて』第3部補章―3「岡短」での授業破壊活動被害と各種工作事件―(5)私が英語ができるか―…であることが専任詐欺にあった証拠
http://h-takamasa.com/Blog/?p=30350

『求め続けて』第3部補章―3「岡短」での授業破壊活動被害と各種工作事件―
(6)・語学論と私の歩み―…日本語・英語大恥連続と早大院時代の修論(正式公開)
http://h-takamasa.com/Blog/?p=31307
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契約とは人の命がかかっている事項である。
そのことを痛いほど味わったのがこの学校であった。
1984年頃に、岡山中学・高校からも専任での誘いがあった。
そこで、ポリテクカレッジ岡山に専任の件を再度打診した。
すると、「中曽根行財政改革が思ったよりも長引いていますが、先生の場合は大丈夫です。予定よりも少し長引きます…」と。
同じ話を駿台でもした。
すると、駿台の深見係長が、「部長が浜田先生と今日お話をしたいと言っています。
…大滝部長は浜田先生を専任にする腹づもりです。
最初は助専任となります。
大滝部長が引き留めをされたならば、一筆をとっておいてください。
大滝部長は若くして部長となられた…人です。
それと、引き留めがあった場合には専任の件は浜田先生の方から切り出してください…」であった。

この会談では、豪華な料亭、更にクラブなどに接待された。
そして引き留めをされた。
しかし、私は深見氏の助言を無視して一筆を取らなかった。
取らなかった理由は、ポリテクカレッジ岡山での専任契約があったからである。
同時に、専任にしてほしいということも言わなかった。
これもポリテクカレッジ岡山との専任契約があり、専任となるとダブルクロス(二重契約)をしたことになるからである。

ただ、私にすれば、ポリテクカレッジ岡山の専任が思ったよりも長引いているので、その間は駿台を辞めることができないだけであった。
いつ専任かは不明状態にあった。
そこで、私の方もともかく駿台では非常勤講師である必要があった。
ポリテクカレッジ岡山との契約問題からである。
同時に、岡山中学・高校にも専任での教壇を断りに行く予定でいた。

その後のややこしさ、目くらまし、けむに巻くやり方は別の原稿で記そう(既に一部記してもいる)。
更に、この短大で別にも契約違反をなされて、二度目の入院、三度目の入院と三度目の大吐血に繋(つな)がっていく。
今度は世取山清課長により、正式な場で「来年度から二倍の授業を受け持つ」という労働契約を締結した。労働協約ではないため、口頭でも有効性を持つ。これを遵守して、当時バイトでいっていた河合塾広島校をやめた。当時の体調からは、ポリテクカレッジ岡山一本にすることにした。こうして、一本にすると、何とその労働契約を破られて前年度と同じ羽目となる。具体的には50万円×4年分の損失となった。
ここでまた、痛いほど契約の重要性を痛感した。
ちなみに、ポリテクカレッジ岡山の教壇に立って15年目に、五度目程度の専任の打診をした。
すると、1997年の森脇課長が言った。
「君、専任、そんなものなれる訳がないだろう。第一、君を首にするのも簡単なのだ」と。首…の箇所はポリテクカレッジ岡山(雇用促進事業団)との賠償交渉では森脇課長は言っていないと(嘘を)言い張った。


要するに、「契約」を破るとはときには、人の命に関わるような次元の問題である。そして、契約違反が重なれば、人間の肉体も精神もむしばむことを、このポリテクカレッジ岡山で痛いほど味合わさられた。

話を元に戻そう。
雅美さんと会話をしていて、この「契約」なる語を思い出した。
そこで、私は、中田組合の倉庫の話をするのはやめた。
契約を結んだならば、双方が心からの合意をしない限り、契約を遵守する義務がある。私の72年の人生の中で痛いほど味わった契約の重要性である。

この言葉を聞いたか連想した時点で、私の行動や言動は一変した。
脅されたり、催眠でもかけられたりして結んだ「契約」でない限り、双方の合意がない限り、契約は守るべきである。
フジオ君が大変か否かではない。
所有者が中田組合の人と契約をして契約が成立した以上、契約遵守を前提に、遺産相続はしなければならない。
もし、父親が大借金を背負っている場合には、その父親の一部の財産でも相続するならば、マイナスの財産も相続しなければならない。

この契約から逃れる手は相続放棄だけである。
プラスの財産だけを受け継ぎ、マイナスの財産を拒否することはできないが私の解釈である。
それ以上に、契約違反で人生を棒に振らされた私は、契約を重視することの重要性を痛いほど感じている。
契約違反は時には人の体をむしばむだけではなく、人の精神を破壊することすらある。
そのくらい、契約遵守は重要と考えている。

資本主義国家と社会主義国家の両方に共通なものは「契約」の遵守である。
これなくしては社会は崩壊するであろう。

もはや、中田組合が倉庫を必要としているか・否かの次元ではない。
結ばれた契約だけが一人歩きをする
要するに、連帯保証人契約を結んだならば、理由抜きで、保証義務を負わされるのと同様である。

新一言№88で、フジオ君や(大阪の)ヨウコさんが和代さんの葬儀で…中田組合…の関係で、大阪、広島で終始和代さんの遺体問題などを気にする必要がなかったのだから…などの解説は本質事項ではない。
また、土地の値段があんなに安く、しかも、該当土地の部分が余り大した面積ではないので、中田組合での遺体の引取り…祖母の葬儀…それ以上に、扶養義務者が大阪(親子)と広島(祖母と孫:同時に相続人)で終始そうしたことの呪縛から解放された日々のメリットとデメリットを天秤にかけたら…の次元でもない。
理屈抜きで、結んだ契約だけが一人歩きをする。
本日(2024/04/23)催眠で、和代小母さんが…の頃に中田組合で女性一人で老人を抱えた家は和代家だけなので…こういう心理から…(契約…)などの解説を無理矢理させられたが、それとも無関係に結んだ契約だけが一人歩きをする。
連帯保証人のケースを考えれば分かろう。
連帯保証人などは、もはや問答無用の世界である。
契約を上回るものは、法律であり、更にそれを上回るものは憲法だけである。この両者に違反するときのみ契約は合法的に・一方的に無効となる。

それ以上のことは、弁護士さんと相談することが望ましい。
もはや、良い・悪いではなく法解釈の次元である。弁護士の相談料はついこの間まで30分5千円程度のため、通常の人ならば簡単に相談できよう。
これ以上のことを私は言うことはできない。
「契約」という語を聞いた瞬間に私の意思が急変した原因がここにあった。
契約違反で、人生を棒に振らされた私は、契約の重要性を嫌というほどポリテクカレッジ岡山で味わったのだから。

なお、本日(2024/04/23)カラスが我が家の瓦の上にとまっていた。
そのときに、勝美さんを思い出した。勝美さんとの土地契約はどうするのか。
その話は近々、場合によれば明日(2024/04/24)解説しよう。
結論は、私と既に結んだ新契約(文書で渡している)にそい、もう動いていただいて結構である。私の方も動きたいが、何しろ、催眠等で金縛り状態となり動けないのである。本日や昨日をみれば分かろう。ただし、お金・不動産に関するものは、立会人を一人つけて行う。それが通常のルールである。その上、催眠で揺り動かされている私の場合には立会人は必要不可欠でもある。
何故、引き延ばしたのかの理由も明日頃に記そう。

(2024/04/25 11:05)
昨日(2024/04/24)は、ぼんやり型(意思を金縛りstop)…の催眠で全て何もできなかった。 それでは、明日から記載するか、正直に言って、催眠で別の原稿などを書くように指示されており、私の意思が存在しない以上、どうなるかは催眠をかけた人間に聞いてくれ。
 ただし、勝美氏との新契約該当は文書にして、勝美氏、私の姉、機構交渉立会人・新免昌和氏、それに私が保管しており、万一、私が死んでも文書で残っている。
可能ならば、その文書をガラス張りで、HP公開することも検討している
だが、もう動いてもらって結構である。
私の方は金縛りで、まだ登記簿もみていないが、(昨年・2023からようやく)固定資産税が私の名義となっていたため、私となっている可能性が高い。登記簿をみた時点で、即座に近い時期に姉に(姉の意向にかかわらず)登記簿変更手続費用を支払う義務が生じることは常識でもあった。その費用(祖父や父から私への名義変更手続き費用)は(我が家の)登記簿費用と考え、(隆政から勝美氏への登記簿変更手続き費用)とは別の形を取ることを検討している。これらの問題もあった。

我が家は最終的に誰が管理するか…🤔であり、何度も登記手続き問題が生ずる可能性すらあるので、急げない理由もあった。しかし、(我が家の住所番地も70年使い続けた司法書士)Z3…が何故か姉に電話し、…意味不明の形で登記簿名義変更(ちなみに、私も姉も委任状を、Z3が依託した司法書士に渡していない段階で)…で今日に至る。(ここも奇怪であった。)要するに簡単には経緯は書けないのである。


この契約…が長引いた理由などは、催眠での優先順位が変われば即座にかける(何度も記すが、私は私の意思では動けないのである。別人が私の脳をコントロールしている場合が多い)。書けば誰もが納得する正当な理由が分かろう。



ところで、フジオ君と言えば広島在住であるが「広島」で奇妙なことを思い出した。
先のポリテクカレッジ岡山の教壇で、広島の高校をでた学生●山の偽者が登場して、私に体当たりをしたことがあった。明白な偽者であり、まず部外者である。
1997年の晩秋の頃である。それから半年後に、和代家に香典を持参したことがある(1998年6月頃と思う)。

広島にいるフジオ君のお父さんのお子さんが亡くなられたと聞いたからである。母に頼まれて、香典を持参すると、(大阪の)ヨウコさんや和代小母さんが怪訝(けげん)な顔をされていた。ヨウコさんは気分が悪い(恰ももって来られると困る)と言わんばかりの顔で、和代小母さんは「弱ったな…」という顔で奇妙な感じがしたので覚えている。

更に、一二さんのお子さんは一人と思っていたので何が何やら分からなかったことを覚えている。第一、「一二」さんは裏の家が実家であにもかかわらず、次男…とは一度も見たこともあったこともない。和代小母さんの(他の)お孫さんは会話はほとんどしていないが顔は見たことがある)。先日(2024年1月に)墓で確認すると「一二氏の次男」とあった。

母などに「一二さんのお子さんは一人だろ」と聞けば良かったが、私は当時は雇用促進事業団との賠償交渉の真っ最中であり(我が家の応接間で実際に交渉もしている最中であり)、同時に他人のプライバシーにはかかわらない主義であるため、誰にも聞いていない。

私は人のプライバシーには関与しない方針のため聞かなかった。奇妙なとは、当時も、今もポリテクカレッジ岡山の教壇での部外者で広島を強調した人物との関係である。
特に、2022年11月11日に野球の村田兆治さんが亡くなったときに、この不思議さを思い出した。というのも、村田さんの母校を出た学生の偽者だったからである。特に、その2か月ほど前の2022年9月23日、村田兆治氏が暴行罪で逮捕され、暴行か否かの記事が新聞をにぎわせ、正にポリテクカレッジ岡山の事件と重なって思えたからである。
意味はないのであるが、妙に気になっていたので参考までに記しておく。


なお、このポリテクカレッジ岡山(現・能開大)との賠償交渉をしようとすると、何故か、駿台に誘導された謎もある。最近では、駿台が私をポリテクカレッジ岡山の教壇に誘導したと思わされている始末である。
また、労基法違反をした世取山清氏の件も賠償交渉で触れたが、逆に異例の出世を遂げた謎もある。そして世取山氏が入れ歯を強調した謎もある。
本来の中心とすべき原稿は日本のフィクサーMEシリーズと、トラブル関連である。トラブル関連は駿台事件とポリテクカレッジ岡山賠償交渉を中心予定でいた。それと、我が家の住所番地を約70年使用し続けた、隣家・正典氏関連の内容であった。ところが、中心原稿を予告すると、無関係な枝葉の出来事ばかりに催眠誘導され参っている。

なお、部落問題が随所で強調されているが、何のことやらさっぱり分からない状態が数十年続いている。同時に人間違いも随時強調されてもいる。

世界から2019年に指摘された「人間違い」だけが鍵となっている。更に、最近は「利権」が強調されており、もはや、全貌解明と加害者をこの世の法律で裁き、同時に私に対して賠償などを履行させなければならない。それがこの世の落とし前である。大きな危害が労働省(現・厚労省)所管の職場でも行われた以上、国会での調査も再度要求しなければならない。

(2024/04/25 11:46追記)
昨日(2024/04/24)和代家との問題で、フジオ君の不可解な行動、それ以上に(大阪の)ヨウコさんの行動をガラス張り公開予定でいた。当初は死んだ(仲の良かった)和代小母(おば)さんのことを思い、完全公開はためらっていた。
しかし、彼や彼女らが、最初は誰かに洗脳されたと分析していたが、今は外部の誰かに依託され、その種の行動を故意にやっていた確率が極めて高くなった。それではガラス張り公開して真相を暴く必要がでてきた。
また、真相を暴いた方が、彼や彼女らの名誉も一部回復されるであろう。そうではないととても書いたり、人前で言ったりできる次元の話ではなかったからである。

その文書を2024/04/24や本日(2024/04/25)書く予定でいたならば、本日は催眠で別の原稿を記すように脳がセットされてしまった。昨日は催眠での記述完全ストップであった。

そのついでに、勝美氏との契約問題…で私の作業ができなかった理由も書く予定でいたが遅延となりそうである。だが、もう動いてもらって良いのではないかと思う。
私も催眠がとまれば動くが、催眠がきつい日には朝昼晩と食事さえできないのである。これが催眠である。
催眠悪用という手法は駿台事件のねつ造の過程(第一、催眠がなければ西山に💌てがみを渡すことは100%なかった…今や完全証明可能である)やポリテクカレッジ岡山では各種契約違反・労基法違反以外に貢ぎ・監禁・強制労働で何度もやられた。戦前の強制連行に該当する事件でもあった。独立行政法人が絡んだ以上、常識的には国政調査権発動の次元である。

それもあり、和代家の娘さん…の行動などはガラス張り公開の方針に切り替えた(勿論、本人の反論は文書で提出してくれば、私のHPで全面ガラス張りで併行掲載する。)

2024年4月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA