新一言№010・村の話:倉庫と組合の賦役後の飲食場について。

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【更新履歴】2022/09/20 1:14掲載。2:05微修正

2022/09/20 11:17 September 20の紫文字部分を追加

2022/11/04 15:40 一部ミスで実名となっていた三箇所を●で置換え。

(September 20)日本の行政は
A)国家⇒都道府県⇒市町村ではない。
市町村の下に
B)自治会・町内会⇒ブロックor 組合など

Aは団体自治、Bは住民自治と言いたいがBも事実上日本の歴史の特質上(5人組制度など)団体自治に近い。
だがAはGesellschaft(機能体組織)であり、BはGemeinschaft(共同体組織)である。

この構造から諸矛盾が生じている。今回の例もその一例とも言えるかもしれい。

(矛盾群をそう位置づけたいが、私の場合には日本のフィクサーMEという特別な立場から、雇われたり、洗脳された刺客が登場してくるため、一般例には一部遠い所がある)

 

岡山県美作市大字位田(村)109世帯には8つの組合がある。我が組合はNT組合である。
NT組合には、(葬儀時の準備用品を入れている)共同の倉庫と、村の賦役後に飲食をする場所がある。
組合は現在11軒(私は嘘と想像することが多いが、Z3氏が亡くなったのが事実ならば10軒)である。
我が村・位田(109世帯)には立派な公民館があり、別に3組合(約38世帯)所有の(冷暖房完備・台所付き、水洗トイレ付き)集会所がある。前者は我が家から500メートル、後者は250メートルである。稼働率は後者は今は年数日、通常は年十数回と想像する。使用料はいずれもゼロ円である。駐車料金もゼロ円である。
だが、更に別に11世帯用に共同の二つのバラックAとBがある。

 


(Ⅰ)契約について。

A共同の倉庫とB共同の飲み場はともに現在は浜田●代家(現フ●●家)の敷地にある。
私は浜田●代小母さんにかわいがられていた関係で常に浜田●代家サイドで物を言っていた。倉庫も廃止したり、飲み会も止(や)めたり…と。しかし、ある時を契機に言うのを止(や)めた。というよりも、言えなくなった。
理由は、AとBのある場所はNT組合に譲るという契約があると聞いた時点である。
🚹従兄弟・浜田AKが私に言った。「この二つのバラックとこの辺りの土地は、一●兄(フ●●君の父・浜田●代さんの息子)が、NT組合に譲ると約束をした」と。
そう言えば、以前にも、浜田MSさんが類似のことを言っていた。
「あのバラックと土地はNT組合に譲ると、浜田●代さんとの間で話がついている」と。
即ち、譲渡契約があると聞いたからである。
バラックの建設費はNT組合か否かは現時点では調べていない。

民法90条などに違反しない限り、契約は絶対的なものである。口頭でも、文書でも、契約は同一の効力を持ち、民法などでは契約は遵守しなければならないと定められている。
そこで契約があることが事実と知った時点で、私は口を挟むのを止(や)めた経緯がある。

なお、その契約は浜田●代氏がNT組合のメンバーと親しいからした契約か、浜田●代さんの息子さんの一●さんが広島におられ、娘さんは大阪の関係で、もし自分や和代さんの母に何かあったときに村で世話になるからしたのか、両方からかは知る術はない。(浜田一●氏も同様である。)
ともかく、契約が存在している以上、私が口を挟むことではない。
ところが、どうも、また例によりデマが飛んでいる気配を感じたため、AとBに関して、私がとった立場を明白に記しておく。
結論はデマの真逆である。いつもの悪質なデマを誰かが故意に流したのであろう。

(Ⅱ)組合のA倉庫

倉庫に関する私の発言は以下二点が主要である。
2009年にNT組合長になったときに次のことを考えた。
浜田●代さんは施設におられ、家にはいない。跡取りの孫(浜田フ●●君)は広島在住であり、娘さん(Y子)さんは大阪在住である。
彼ら・彼女らは彼ら・彼女らの住まい付近で町内会費などを支払っていよう。そこで、浜田●代さんの家の自治会費と組合費を徴収しないというようにできないかということである

浜田■■さん(親戚のボスと記そう)と相談した。(私が組合長であった2009年のことである。)
「みっちゃん、こういう考えはどうだろうか。
浜田●代さんの家の敷地内で、NT組合用の倉庫を置いている。そこで、その土地使用料と考えて、和代家の自治会費や組合費をゼロとしないか」と。
親戚のボス氏も「そうか、そうしてみるか」と言ったため、私は自治会役員と交渉し、浜田●代家の脱会届をだした。また、組合にもその趣旨の相談をしかけた。
親戚のボス氏も何人かいるところで「隆政が、●代家の土地でNT組合用倉庫をつくっているのとバーターで組合費の徴収をやめようと言っているのだが…」と。(2009年頃は飲食場は我が家の作業場であるため、飲食場問題とは別の話である。)

ところが、組合の中で反対者もいた。そこで、この件と老人の賦役不参加時にお金4000円を貰うのを止めるという私の提案に関して、臨時のNT組合総会を開いた。
結果は、●代さんが生きている間は、●代さんの葬儀などをNT組合が主体でやるため、やはり徴収すべきだということになった。(今、超多忙のため、記憶間違いをしていれば、●代家の件は村の賦役後の食事時の相談であり、臨時の組合総会は賦役の老人不参加時の話だけだったかもしれない。)

実際、浜田●代さんが亡くなられたときには、跡取りの孫は広島であり、娘さんは大阪であり、遺体の引き取りなどは🚹従兄弟・浜田AKなどが中心となって行った。孫さんは翌朝到着と記憶する。遺体の引き取りその他は組合がしたのが事実である。息子さんの一●さんは●代小母さんよりも先に亡くなられていた。

さらに年月が経った頃、もう、あの倉庫の備品は使用することがないので倉庫の中にあるものを粗大ゴミか何かでだし、空にしたらと、数人に言ったことがある。その関係で、「あの倉庫とBを含む場所はNT組合に譲渡するという約束(契約)がある。そこで、何も出す必要はない」と誰かが言った。浜田MSさんだったような記憶があるが、記憶間違いならばお許しねがいたい。

事実関係は、A倉庫については、私はそれを口実に●代家の組合費などをゼロにするように動いたのであり、同時にいずれ倉庫廃止の方向を考えていたのである。実際に、恐らく、もう使用することがない可能性が高い。尤も数十年に一度あるかもしれない(勿論、公民館にも必要物はあるが)。
しかし、(Ⅰ)の契約があるのを知った以上、新たな契約を結ぶか、契約を廃棄する新契約を結ばない限り、私が口を出すことは不可能となった。
これが事実である。
ちなみに、娘さん・Y子さんや、孫の浜田フ●●君が直に自分の意見を組合に顔を出して言ってくれたならば、私も毎回、嫌な役(組合の人に煙たがられる役)をせずに済んだのであるが、と愚痴を何度か言った。Y子さんなどは親戚のボス氏やMSさんの前では借りてきた猫の如くに感じたのは気のせいだろうか。
浜田●代さん、一●さんは先の通り、組合に譲渡するという契約をしていた人達である。
土地の実効支配は浜田●代さん→浜田一●さん→後にフ●●君である。
そして浜田●代さんのときに契約をし、一●さんも同一契約をした以上、遺言以上に契約が成立していると私は考え、もう何も言うことは止(や)めた。(相続はプラスの財産も契約を含むマイナスの財産も含めて相続をする。それ以外は相続放棄しかない。)

(Ⅲ)Bの賦役後等の飲食場について(賦役の方は年2回のみ)


これらは、私が生まれた頃(1952年頃)からは我が家の「中の間」と「奥の間」という部屋を中心にしていたような記憶がある。後に(我が家の)作業場ができてからは、賦役後の飲食にはこの場所を使っていたと思う。後者は多分1980年代の終わり頃からだと思う。
そして、我が家の作業場を使用し続けていたが、後に記す限界から、私は使用中断を申し込み、2011年途中から我が家使用を中断した経緯がある。

なお、我が家での飲食中断後は私は集会所で飲食をすると聞いていたし、そう考えていた。
ところが、何も聞かされていなかったが、●代さんの敷地内のバラックBの方で賦役後の飲食となった。ちなみに、賦役後の飲食は年2回のみである。勿論、そうした飲食をしていない組合もある。

結論から言えば、賦役後の飲食候補地は幾つもあった。
①集会所(わずか三組合で使用している。稼働は多くて年に十回余りに過ぎない)
賦役後の飲食は今は下位田三組合ではKT組合とNT組合だけである。それならば、KT組合が11時ならば、NT組合は13時から、翌年は逆で簡単な話である。冷暖房完備、トイレ付き、台所付きである。歩いて250メートルである。借りる手続きはホワイトボードに書いたら終わりである。使用料はゼロ円である。
30世帯余りで所有の建物。

②公民館。
500メートル先にある。冷暖房・トイレ・台所完備で、百人以上収容できる。所有者109世帯である。手続きは自治会長などへの届け出となる。使用料はゼロ円と思う。

③田舎のため、我が家の作業場類似場所。
以前の12世帯のときに、ガレージも、賦役後の年二度のみあければ使用できるため、こうした場があるのは10軒となる。だが、その前に晴れていれば外でも可能である。

④各家が通常の部屋を組合長の時だけ一部屋数時間提供すれば済む。
実際に、昔は、大抵、我が家の通常の部屋・「中の間」や「奥の間」を使用していたのである。我が家が通常の部屋を提供できて他の家ができないはずがなかろう、というだけの話である

⑤賦役後の飲み会をせずに、弁当だけを配る。
コロナ渦で、ここ数年そうしているが、誰も困っていないはずである。組合長などは助かっているはずである。特に一人暮らしの家が組合長をするときには大変楽になる。要するに場所がなければ飲み会をしなければ、組合の金も浮くし、組合長も楽になるし、…である。
 2018年に私が組合の忘年会で提案したが、反対者が多数で没となった。女衆・男衆全員の無記名投票ならばどういう結果となったかは不明である。ともかく、民主主義は自分の思い通りにはならないということで、皆様の意見を尊重して継続されたという事実がある。私の提案が実現していればバラックBの使用はなくなっていた

 ちなみに、母がしきって我が家の作業場を使用中は一時間程度の飲み会・食事会であった。年2回のそれだけのために、場所云々はオーバーであろう。だが、我が家の如く荒れ放題の場合には整理する準備が大変である。しかし、常時綺麗な①集会所や②公民館がある。
 また、我が家の作業場や和代さんの所のバラックBではトイレがない。勿論、冷暖房もない。①集会所や②公民館があって、それでも…は私には理解できない。だが、民主主義は多数決で最後は決まる。私は民主主義者である。

本来は男女同数来て、一時間程度の話である。それも年2回のみの…。そして、我が家使用は、準備の関係で無理と言ったときに、当初は集会所使用と私は思っていた。
 またNT組合に譲渡するまでは和代家の所有物であり、フ●●君らが嫌ならば嫌とはっきり言えば、それで済んだだけの話である。我が家とは無関係の話である。我が家かフ●●君家かという二者択一とは一切異なる。上記の通りである。

 ちなみに、フ●●君、Y子さんが「嫌」と正面から言ったのを聞いたことがないため「嫌ならば嫌と」は想像に過ぎない。私ははっきりと、生活が厳しいので「我が家使用は無理」と言った。Y子さんやフ●●君から「No」とか「嫌」と言う言葉を聞いたことがないため、催眠下で思わされた想像でしかない。嫌ではなかったのかもしれない。私は占い師ではないため分からない。通常は準備で誰でも嫌であるが、Y子さんは大阪、フ●●君は広島のため準備は無関係である。だが通常は嫌と私が想像したに過ぎない。想像が違っていればお許しを願いたい。

《浜田●代家(浜田フ●●君かY子さんが)が「バラックBでの飲食をしてほしくなければしてほしくない」とはっきりと言えば済んだ話にすぎない。もっとも浜田●代さんが生きていれば「ここを使ってくれ」と逆に積極的に言ったであろうが。》と書こうと思ったが、それは無理である。 

(Ⅰ)の契約がある以上、飲食と無関係にNT組合に譲渡するとなっていた。従兄弟・浜田AKが言ったのは「●代さんや一●兄が死んだ後にNT組合に譲渡する」であったと思う。浜田AKは昨年死亡したというが嘘の可能性が高いので生きていれば確認をしてほしい。もし、死んでいれば浜田MSさんに契約内容を確認してほしい。契約が全てである。

 相続人はプラスとマイナスの両財産を相続するのであり、こうした契約も相続することになる。
なお、この契約が結ばれたのは、賦役後の飲食とは無関係である。何故ならば、この契約が結ばれた頃は賦役後の飲食は我が家で行っており、そのままずっといくと誰もが思っていたからである。そこで、バラックAとB及び土地を譲渡する契約は賦役後の飲み食いとは無関係で成立をしていたからである。

 譲渡された物をどう使うかは、譲渡された人が決めるとなるからである。バラックを建てる時の費用は組合が支払っていると思うが必要時には確認を願いたい。バラック用の土地のみならば、昔は、和●の跡地(整備する前ならば和●の跡地などは適切な場所であった)、皆●の跡地と…あり、我が家と●代家の天秤問題は誰かの悪戯演出にすぎない。同時に必要性は今後更になくなるであろう。だが契約は契約である。

(Ⅳ)提案。

こうした問題は私に催眠をかけて何かを書かしたり、言わしたりするのではなく、正々堂々と組合の集まりの場で議論すべきである。もし、●代家で何か言いたいことがあれば、私が提案するので、村の集まりに来て言ってほしい。

 過去は、●代家の自治会費・組合費なしにしようという提案でも、私が組合で提案し、私がみんなからやり玉にあがり…で参っていた。Y子さん、フ●●君が直に言うことは一度もなかった。私が●代家によかれと思い言って、私が集中砲火を浴びていた。もし、今後もNT組合とつきあうならば、フ●●君、Y子さんが直に言ったならばどうだろうか。第一、飲み会などをフ●●君やY子さんが嫌がる…は私の想像にすぎない。「そんなことはない、大いに歓迎」といわれれば私一人がいつもの如く貧乏籤(くじ)を引いたことになる。

 もっとも、🚹従兄弟のAK氏から契約を聞いてからは、MSさんの言った契約も事実と判定して、私の出番はなく、後は弁護士か司法書士等の法の専門家の領域となる
 契約内容を確認して、それが事実と分かれば契約は日本の法律上遵守しなければいけないとしか、私には言えない。●代さんにはかわいがってもらったが、契約が成立していれば、もう私の出番はない。(持ち主不明で我が家が固定資産税を支払っている奥大谷の土地を考えれば分かろう。新たな所有者が分かれば譲渡することになる。理由は契約遵守である。)

 フ●●君などに異存がある場合には、賦役後の飲食場問題とは無関係に、AK氏が言っていた「一●兄死亡後に、ABのある地をNT組合に譲渡する」という契約があるのかどうかの確認をすることが先決である。


なお、私の家の作業場を使えなくなった理由は後日記すが、簡単に言えば二点である。一つは、私の文献及び資料・史料などの所有物が家永三郎氏や立花隆まではいかぬとも膨大にあるということである(大雑把に言えば、6段の本立て換算で、棚の数ではなく本立ての数が50以上あるということである)。田舎の図書館よりは充実しているかもしれない。そのほかの備品も多い。通常の人が信じられない持ち物である。一度写真で我が家家の全部屋を紹介したが、時間がとれれば、その全部屋の写真を再度掲載しよう。

 もう一つは老後破綻を直前にしており、もはやなりふり構っていられない状況となっている。そこで起業・開業への最後の賭けの途中である。そうした矢先に今回の催眠である。催眠は卑劣である。同じ事を何度も言わされ、書かされ時間もロス、優先順位も無視、私が公約している物も阻止され…である。更に、催眠故に、そんなこと私ら気にしていないと言われればお終いである。

 Y子さんやフ●●君が、「いや、私ら使って貰って喜んでいる」と言われれば、私は一人相撲となる。杞憂ではなく、過去の経緯からは随分損な役をさせられている。
 ●代家の自治会費・組合費なしにする提案、倉庫をもう廃止する提案、賦役後の飲食をやめる提案…いつも、私だけが貧乏籤をひき、やり玉に挙がっていた。Y子さん、フ●●君は無傷である。これ以上、書けば、愚痴以上に、死んだ●代さんが悲しむ。


追記。
和代家のバラックBや我が家の作業場にはトイレがない。女性が来たならばどうするのだろうか。こないことを前提にしているのだろうか。1998年頃遠方から見ると女性が5人参加していたときもあった。もう女性には参加するなということだろうか。
集会所や公民館はトイレも水洗、冷暖房完備、しかも使用料はゼロ円である。

以上。

(参考)
第11回私文書公開:営農関連―村アルバム等での誤解や📷誤解防止兼用(2019年8月26日記述/同日投函:大幅追記解説して公開10月6日)
http://h-takamasa.com/Blog-2/Archives-3/activity/362/

もう一つ参考は、お寺割りの話(今回掲載場所を探すのが面倒で中止)

一昨日の催眠
私が●代さんの娘・Y子さんについて余り知らないし、その逆も同様は事実か。事実である。
1952年から2004年までは道で会えば挨拶だけ…(正常)である。2005年から2010年には五度ほどあれが会話というのだろうか…であるが、綺麗に書けば内容は💻が壊れて修理に出すときの問答該当でしかない。具体的に会話内容を再現して記しても良い。(誰かが😿かねば…)。再現すれば分かる。

悪まで暇ができたら書こう。馬鹿馬鹿しい。私は国民年金しかなく、開業の賭けの最中である。催眠悪用もいい加減にしてくれとなる。読者の多い原稿『日本のフィクサーME』等を書くのを阻止され怒っている。

ともかく、言いたいことがあれば、NT組合の総会に来て、みんながいる場所で正面から言ってくれ、となる。

 

2022年9月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA