(№103)当初の文:タイトルなしで7月9日未明に掲載していた文

(№103)当初の文:タイトルなしで7月8日夜に掲載していた文


2024/07/08 夕方一太郎で下書き

2024/07/09 0:12 一太郎に保存と同時に、ほぼ同時刻、このBlogに掲載。

2024/07/09 10:00頃から修正作業。途中で、催眠で煙に巻く文を追加させられる。そこで、就寝前に保存した原稿を確認すると下記の如く状態となっていた。

2024/07/09 11:33 調べるとタイトルがないため、公開状態にはなっていないようにも身請けら得たが、タイトル以外は保存されており、世界の首脳が何人も確認しているであろう。



幼き日の女性問題についての兄弟喧嘩が私にとび、そして駿台事件。

昔昔の話である。
近所のいとこが兄弟喧嘩をした。
まだおさなかった弟のほうが、キューピットの人形にキスをした。
すると兄の方は「そのキューピットは女性である」と言った。
弟は「違う。男性である」といった。
すると兄は必要に「それは女のキューピッドである」といった。
弟は負けずと「絶対に違う。男のキューピッドだ」と言い張った。
兄の方は面白がって「女のキューピッドだ、女のキューピッドだ」といいつづけた。
この論争は長い時間にわたり続いた。
やがておさなかった弟の方は泣き出した。
傍で見ていた私はどうしたものかと迷い続けた。
私もまだ小学校低学年の頃であった。
男兄弟のいない私はこれが男の兄弟の争いかと思った。

ところが、対岸の火事では済まなかった。
そのうち、兄の方のいとこが私に次のようなことを言った。
「たかちゃんは、Nという女性が好きなのだ。」
私は違うと言った。
するといとこのAは「いやあ、僕は知っているのだ。たかちゃんはNが好きなのだ。」
私は「違う」再度言った。
だが、いとこのAは、再度言った。
「たかちゃんは絶対にNが好きなのだ。」
私は、泣きはしなかったが頭に来た。
その頃はまだなんな言葉は知らなかったが、「これは、僕の心の問題なのだ。ほっといてくれ。僕は誰が好きだろうと僕の勝手だろう」と心の中で怒り狂った。
もちろん、小学校の頃のためどの女性とも付き合うはずがない。
単に心の中でふと誰が好きかと思うことが誰とであろう。

実は、これが駿台事件である。
私が、心の中でどの女性を好きになろうと私の勝手である。
だが、先ほどのいとこの話とは違いが二つあった。
一つは、さすがに上記の状態では騒ぎを起こすことが無理である。
そこで何かあったという証拠がいる。
それが西山への手紙である。
正確には催眠なるもので無理やり手渡しをさせられた手紙である。
もう一つの違いは、私は西山なる女性には用紙も雰囲気も今日の関心も全く無かった。
催眠による捏造された女性熱であった。

あとは先ほどのいとこの話と同じである。
次に後藤だ、横家だ、西山だと他人が勝手に邪推するだけである。
昔のいとこの話に戻るが、いとこが私がどの女性を好きかは彼には全く関係がない。
競合して一人の女性を好きになったわけではない。
それはなぜいとこが私がどの女性が好きなのかをこだわる必要があるのだろうか。
回答は単に面白いからだけである。
駿台事件も土台は同じである。
駿台事件で面白いとは映画説ならば視聴率が稼げるからである。
舞台となった駿台は大CMができる。

しかしながら、駿台の場合には人間を破局に追いやるシナリオも絡んでいたようである。
だが、私は人の恨みを買う心当たりがない。
そこで、何十年も意味がわからなかった。
のちにいくつかの情報も持っていると思われた友人が一言言った。
「浜田さん、どうして長期にわたって日が続くと思う。」
私は「誰かが勘違いか、誤解をしているに決まっている。」
友人は言った。「違う。人間違い。人間違いである」と言い切った。
要するに誤解から何かが生じたのではない。
ある人物に対する怨念を誰かが持っていて、そこでその人物の人生を破壊する計画がなされていた。だから当店最初から終わりまで先に結論ありきであった。
しかし、全く無からでは無理があり過ぎる。
そこで、何かあったという証拠を残すために催眠が使われた。
先ほどの手紙などである。
手紙ならば、文書のため口頭と異なり証拠も残る。

いとこの場合はただ単に面白いからであったのに対して、駿台事件の方は途中で誰かの怨念が絡んだようである。
人間違いのため、その怨念に私が気づくのには約40年の歳月が必要であった。
そこで、私は長い間、女性に指一本触れず、駿台出会いもせず、人前での挨拶程度の会話しかしていないだめ、私の心の問題になぜオークの人が関心を持つのかと不思議であった。
これが駿台事件である。
両方とも心の問題であるにもかかわらず、いとこの場合と異なり、駿台事件には怨念が絡んでいたようである。いわば赤穂浪士の討ち入りの時のような怨念である。
ただ。かたきを間違えたようである。
昔ならば、人間違いをしないように仇討ちの場合には必ず名乗りをあげていた。

落語「花見の仇討ち」で
「汝はなんの某よな、何年以前国許においてわが父を討って立ち退きし大悪人、ここで逢うたは盲亀の浮木、憂曇華の、花待ち得たる今日の対面、いざ立ちあがって、親の仇敵だ尋常に、勝負、勝負」

Gooより敵討ちの台詞
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/668123.html

このように、人間違いをしないように、自分の名前・相手の名前の確認・恨み恨みを持ったを場所まで明記して人間違いを防いだのである。

人間違いをした人間が、上記のように冷静に人物確認していたならば私の悲劇はなかったであろう。
それを知らぬ私は、私の心の問題をなぜかようにしつこく北があるのか不思議であった。私が誰を好きかは私の勝手だろうと大変気分を害していた。
これ以降は、駿台事件真相編で現時点までで入っている情報を公開していくことにする。
人間違いという回答と世界からの情報がなければ、私は変質者もしくはカルト球団に絡まれたとしか思わないのは当然であろう。
私の人生を台無しにした事件は人間違いであり、無理やりこじつけていられた後述は先ほどのキューピッドの話の次元であった。

2024年7月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : TAKAMASA HAMADA