第11回私文書公開:営農関連―村アルバム等での誤解や📷誤解防止兼用(2019年8月26日記述/同日投函:大幅追記解説して公開10月6日)

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第11回私文書公開:営農関連―村アルバム等での誤解や📷誤解防止兼用(2019年8月26日記述/同日投函:大幅追記解説して公開10月6日)


【更新履歴】

2019/10/05 18:44公開(ただし、更なる追記を行うため、HPでの紹介は後日。SNSには本日から)。

2019/10/06 22:14 大幅な解説を追記をして公開


【今回の公開文書】(公開理由などは最後の解説参照。)

前略。
大急ぎで記述のため、誤字・脱字のみならず、不適切な内容がありましたならば御容赦ください。

M市役所の営農担当から8月22日夕方に同封の書類が来ました。23日は重要な用事で対応不可能、24日(土曜日)と25日(日曜日)は役場が休みで、本日26日役場の担当者と電話相談した上で、HF君に以下の書類を本日(26日)HN郵便局経由で送付させていただきました。

 【本題】
確認用営農計画書で、HF君の田んぼの所有者住所がM市ID村×××番地となっていますが、家を売られるならば、住所(連絡先)を連絡がつく場所に変更された方がよいかと思います。本日、市役所に相談するとHR県の住所でも問題ないようです。
詳細は、M市農業振興課 TW様(☎□□□□―○○―▽▽▽▽)で相談ください。概要は私の方で本日電話で伝えています。
また、書類の提出期限は8月30日となっていますが、同上のTW様に連絡をすると「目安が8月30日であり、9月2日や3日になってもかまわない…」(電話SD録音再確認)とのことです。
詳細は御相談の上、対応してください。

尚、営農用紙の住所(多分連絡先)は、HF君の連絡のつくところでよいかと思いますが、我が家(隆政・HK・HM)の住所(ID村○○○)は、様々な所と諸トラブル中及び、我が家も家じまいの危険性が高いため、御遠慮申し上げます(使用は無理です)。

(この文書以外の)【同封用紙】
1・N組合宛の私の連絡文
2・確認用営農計画書
3・営農計画書【確認用】の送付について(解説)▽

2019年8月26日:(N組合長)浜田隆政 :HF様


 【追記】

組合で、HF君の家の倉庫使用は心苦しいのですが、私が組合長のとき使用は本年4月と9月1日で二度のみです。我が家も組合などに、作業場や家の中を(道作り類・踊り・諸宴会・会談…と)百年以上・数百回以上提供し続け(大半が提供のみか我が家で整理・掃除・後片付け、時には食器洗い…と)、HF君の心中は察しいたします。

我が家の提供は、上記理由や私が仕事関係の書物・書類を6段本立て換算50個以上所有でパンクとなり、我が家使用は無理でID村集会所…使用してということで撤退しました。現況のまま推移すれば、数年後に家終(じま)いの可能性が高い状況もあります。

しかしHF君の倉庫利用とは想像していませんでした。
ID村には研修所のみか、(N組合・KT組合・KY組合のみ使用の)集会所があるのでその活用や、こうした道造り後の飲み会自体の中止検討などを、折に触れて言っていますが、多数決の原則で未だに実現していません。昨年暮れのN組合忘年会でも同趣旨の発言をしています。
以上でN組合関連の追記終了。

【個人的コメント】私に関するデマが氾濫(はんらん)している疑惑がありますので注意ください。以下は念のための記述です。

1)墓について。
HF君が管理している墓は誰かに清掃を頼まれている感じがしたため、除草剤などは余ってもまいていません。本年は一度だけ、墓の前にコップ三杯程度、うかつにも播(ま)いた可能性がありますが、それ以外は本年は一切まいていません。余っても、噴霧器の紐(ひも)が切れても我が家へ持ち帰っています。(HF君の墓の上側も含めて)墓の草類もいらっていません。
今後もトラブル防止用に、一切触ることはありません。

2)KY家(HF家)の庭なども同様です。私は除草剤類は一切播いていないし、触ってもいません。お寺関連の用事がなくなってからは入ってもいません。

3)KY家・HF家の家の中は、幼少の頃の村の集い(大半が我が家ですが)以外に入ったのは記憶では三度のみです。
①IN兄(あに)が死亡した時。(葬儀関連){INさんを「INああちゃん」と呼んでいたため兄を使用}
②KY小母が死亡した時。(葬儀関連)
③IN兄の子供と聞いた人が死亡したとき。(御仏前か香典をもっていく。上側の廊下の所に遺影があり、KY小母とY子さんがいたため、上にあがらせてもらい、仏前を拝み、香典類をおく。玄関で渡すよりは、仏前や遺影が見えたならば拝む方がよいかと思ったとき。)
上記以外はない。

4)KY家の畑→94年後半~97年ID村(N)アルバムの関係で。
KY小母は「ID村(N)アルバム」の件は知っていたが、Y子さんには言っていなかった可能性が(今思うと)高い。98年春以降は、お寺関連などの配布物以外では入ったことはない。KY小母さんには総論として許可はとっていたと思う。
母が私が勤務していた学校の機材購入費を負担するのとバーターで「ID村(N)アルバム」(村の記録=家、家の花、家の花と該当家の家の写真)をつくるという契約を結んだもの。要するに、百年前の写真があれば、誰もが興味をもつのと同様に、村の記録を残すため、原則として94年から99年にかけて撮影をしていた。

完成後は村の集会所に寄贈する予定でいたが諸事情で寄贈できなくなり今日に至る。ただし、私自身は使用しない。同時に、村人には平等原則より、(一定の時期から)一切渡さないし、今後もその予定でいる。私が死亡して、何十年か後にID村やN組合の子孫類が活用するであろう。

この話はKY小母などは知っていたことは間違いない。また、当時簡単なアナログビデオ作成したのでN組合の人で知っている人も多い。
しかし、HF君の家の売却を私が本年8月14日まで知らなかったように、知らぬ人もいたかもしれないことが誤解の原因となったのでしょう。
超多忙のため、これ以上は記述する時間がありません。

簡単に言えば98年中頃から、N組合やお寺の配布物以外では入ったことは一切ありません。
上記のようなデマ類がながれていなければ無視してください。


(参考記述)
私は労働省(現厚生労働省)所管、雇用能力開発機構(前・雇用促進事業団)職場での労基法違反・契約違反を中心とする犯罪被害で大変な状況に二十年以上陥っています。他方、不可思議な形で、日本や世界の出来事に関与させられているようです。

HR県も例外ではありません。ミスター・オバマ、ミスター・ケリー(アメリカ元国務長官)のHR訪問と私の絡み…と。その関係で、当時の外務大臣岸田文雄氏(また彼は、私が早大大学院生時代の学部の学生で、私が試験監督をした学生の一人)などは私のことを知っているでしょう。
●●市長・松井一實氏には何度か暑中見舞いなどを送付しているため、覚えているでしょう。NG市長には手紙ですが、●●市長には何度かの葉書の可能性が高いです。

こうした世界・歴史の不可思議さも、HF君などに徐々に分かるときがくるでしょう。そのときには上記デマ類は完全に消え失せるでしょう。私のHP類に注目を。なお、私のことは日本より世界の首脳の方が更に詳しいという状況です。政界のみならず財界も同様です。

【2019/10/06 解説(以下、手紙に記述していない解説文)(以下の解説文は、修正することもありうる。理由はHF君のお婆さんKYさんには大変かわいがって貰っていたため、今は亡き・天国のKYさんの心情に配慮を今後検討することもある。現時点では下記の文章は問題ないと思うし、問題ない範囲までしか書いていないと思うが。)

【2019/10/05 解説】
上記文書自体の公開目的は、私と近所・親戚類の対立工作類を警戒してである。
上記の如く、HF若しくはKY家には1994年から99年にかけての村アルバム作成の関係で、(HF君の祖母で、家の管理者)KY小母さんに事情を話した上で、1994~98年前半に、KY家の畑の花などを撮影した。
この家関連の撮影は1998年前半でうち切り、それ以降はFH(若しくはKY家の)畑・庭すら村関連の配布物以外では入っていない。勿論、家の中は上記「村・N組合アルバム撮影」期間中ですら葬儀類を除けば入っていない。だが、入った如く誰かの印象操作もあり、今回手紙を公開した。私に関するデマが飛び交っている疑惑対策である。

また、この家に限らず、1994~99年にかけて、村のアルバム作成の関係で、他家の花(子供の一部等も含めて家類)などを撮っている。これは、母からN組合の人に伝わっていると考え、丁寧な解説はしていない。というのも、途中経過で1996年前後にアナログビデオを作成すると、N組合の何人かが見たといっていたからである。同時に毎回呼び出すと多忙な相手が迷惑だからでもある。今回の家(FK家)には(当時の所有・管理者)KY小母さんには直に事情などを解説していた(喜んでいたようにしか見えなかった)。

この家以外でも、99年村のアルバム完成後には、私の方が村類は一切撮らないと宣言している。ただし、催眠で強要された被害が何度かある。それは私が被害者でしかない。第一、N組合や地元の村の写真はプライバシー権確保上使用できないし、使用する目的もないからである。そして、カメラ類は仕事で使用している商売道具である。

【2019/10/06追記】
カメラ類は商売道具であり、プライベートでは撮らぬとした。

短大の授業使用機材購入費(約5万円)を母が出す代わりにバーターで「村アルバム作り」契約(作成費用は聞いていないため、無料でとなる)。

村のアルバムづくり(1994年後半~1999年6月)

上記終了後、二場面を除き、村は撮らぬと宣言。二場面も終了し、更に一切撮らぬ宣言。

ところが2000年以降も、催眠・諸挑発・罠(わな)・謀略で村関連を撮らされたことが幾度かあった。私は撮る前も、撮るときも、撮影終了後も怒りまくっていた。各家の花や、各家の風景、人々などは、1999年6月以降は、村アルバムづくり以前と同様に、私とは無縁である。
ちなみに、その頃、姉が姉の現在住んでいる村の記念アルバムとなっている本を私にもってきた。これは、村が撮る場面と時期を決めて、プロのカメラマンに頼んで作ったそうである。今考えると、私にこのプロカメラマンの役目(ただし私の方は減価償却費・素材費・…全て自腹で)をやらす…と状況証拠になっているとも分析できる。姉から贈呈された本の名称記載を後に検討しよう。

母死亡後は、プライベートでは使用しないを完璧に徹底するため、恩師等も含めて一切撮らぬことを徹底した。
例外は仕事に使用できるときのみ。
詳細は以下。
《私的ブログ》「撮影原則(近隣・親戚)」http://h-takamasa.com/Blog-2/Archives-3/item/222/
{私的ブログは後日訂正予定→再就職・起業が成功したり、収入が確保できたりしても、仕事でカメラを使用している間は、プライベートでは撮らぬ。時間もないし、後のトラブル類も大変である。その前に仕事道具はプライベートで使ってはならぬ。}


村のアルバムづくりをしなければ、諸デマは防止できた可能性が高い。各家の花や風景などには全く関心がないため尚更である。村の配布物以外では(村アルバム作り時とは異なり)各家に近づくことさえない。当然である。

ちなみに、父の死亡時も、我が家の古い家をつぶすときも、新築の家を建てるときも、我が家の法要類も、私は一枚も撮っていない。
こうしておけば…誰も理解してくれる…はずが、(催眠・挑発・罠類で)長引く。
その結果、母のお通夜、葬儀、母の法要すら撮らぬことにした。
篠山紀信氏は自分の子供の写真は一切撮らないそうである。街の写真屋さんに依頼するそうである。
ともかく、人間関係の上で、高くついたアルバムであった。

このアルバムは、諸事情で村に寄贈できなくなり、また私の生存中は村のアルバム関連は私も含めて誰にも使用はさせない。しかし、私の死後とか五十年後くらいには意味を持つかもしれない。それでも、もう一度つくれとか撮れと言われれば即座にお断りとなる。商売道具は私的使用してはならない。どの世界でも同様である。

(2019/10/06)上記の例外としてHF家の倉庫清掃二度について(本年のみ)
HF君の家の(道造りの後の飲食での、家ではないが)倉庫使用前の、(組合長が当番の)掃除の際は…戸を大きく開け、外から常時見えるようにし、清掃前に現場撮影し、清掃後に撮影し、私自身が器物類を壊していない証拠を残している。これは撮影ではなく、工事などの現場証拠類である。しかし、またもの誤解やデマを警戒し、途中からコンパクトカメラ撮影に切り替えた。
同時に、清掃時には各種メモを残している。

N組合でHF家の許可(N組合の人とHF君のお婆(ばあ)さん・お父さんの間での契約…)…をとっているとはいえ、そのくらいに、他人の(家ではなく)所有の倉庫類清掃ですら気をつかう。とはいえ、HF家の許可を取った人に全部やらせることは無責任すぎる。幾ら気まずくても組合長が…。
それもあり、こうした飲食類は村の集会所類か、中止の方が良いとN組合では昨年も言っている。多数決の原則で私の意向は実現していない。

HF家には……。
ただし、我が家は百年以上提供し、私が管理下でも20年ほどである。更に、HF君のお父さんが組合長のときには、食事場として我が家の作業場提供、その場所の整理・掃除のみか、食器まで我が家のものを洗い持参し、後の整理や洗い物も私がしているため、本年一度は許されるとも思う…それでも、…(精神的には、既述の如く)である。

なお、HF君の父が組合長のときには、他家で誤解を与えたかもしれない。どうしてHF・KY家家のときには、組合長でもない私が食器まで準備したり、洗い物したりして、我が家のときにはしてくれないのか、と。それはHF君のお父さんが大病だったからである(この一~二年後に亡くなられた。)

2019年10月5日